14.小鹿の忘れた名前
...079
「 親愛なる地獄の探偵よ 君の大切な人は預かった
彼女を救いたければ、この文章から始まる旅をするがいい
そしてあの人を喪った我が痛みを思い知れ
“ペテン師より脳と心臓と勇気を手に入れる旅路”
“都より気球を降りて南へ迎え”
旅の続きは君がその場所に辿り着いた際にまた示されるだろう 」
ギネカたち学院のエラフィ救出組は、食堂から図書室横のブラウジングルームへと移動した。ここならば暗号解読の資料となりそうな本をすぐに調べられるし、話をしていても怒られない。
図書室そのものは、勉強をする学生たちや一般客に公開されているため、大声で話をすることは禁止されている。どこの学校でも当たり前のことだろうが。
ヴェルムたちの方ではシャトンが機転を利かせたらしい。携帯とタブレットを駆使して筆談しながらこちらにも情報を流してくれるという。
電話で直接話せない分まどろっこしいかもしれないが、データのやりとりはすぐにできる。
ヴェルムはこちらを信じてくれたようだ。友人一同がエラフィを救出することを信じて、向こうは帝都のどこかに仕掛けられた爆弾を止めるため、犯人に至るルートを示す暗号へと着手する。
学院の一同がエラフィを無事に救出できれば、誰も犠牲にしなくて済むのだ。
まずは帝都の地図や名所の由来などを示した資料をそれぞれで持ち寄って、一行は暗号解読へと取り掛かる。
……その前に。
「ちょっと気になることがあるのよね」
「どんなことだ?」
ギネカの台詞に、フートが反応する。
「犯人はエラフィのことをどうやって調べたのかしら。ヴェルムの周囲を隈なく調査したというには、アリスの性別すらわかっていないのよ? エラフィは最近ヴェルムが忙しくて会えてないって言ってたじゃない? ……どこで接点に気づいたのかしら」
その気になれば個人の友人関係などいつでもすぐに調べられる。そうはいかないのがヴェルムの素性だ。
睡蓮教団に探偵であった父と母を殺されたヴェルムは、自身が父の後を継ぎ、両親を殺した睡蓮教団の犯罪の影を追うことを決めた時に周囲との関係を一度全て絶っている。
有名人と知り合いともなれば昔の友人などが自慢しそうなものだがそうもいかない。ヴェルムの両親が殺された事件は世間に大々的に報道されたため、かつての知人友人の多くも巻き添えを恐れてヴェルムに関わらなくなった。
残った個人的な縁はそれこそ幼馴染のエラフィと年上の友人ヴァイス、そして警察関係者くらいのもの。
それでもエラフィとは、難しい事件を抱えている最中はほとんど会うことはなかったと言う。
「犯人側はアリス少年のことを男だと知らなかったんだよな? 結構杜撰な調査だ。けれど見張っているという言い方からは、エールーカ探偵の周囲の人間を見知っている素振りが窺える。つまり……」
フートがここまでに点々と挙げられた情報から、考えられることをまとめていく。
「犯人は直接見ていたんだね。探偵さんのことも、その周囲の人間のことも」
後を引き取ったテラスの言葉に、ブラウジングルームは一瞬、不気味な静けさに包まれる。
「ってことは、俺たちのこともかよ」
「ずっと監視されてたんですか?!」
「やだー」
「まぁまぁ、まだそれはわからないよ。それに犯人の注意はエラフィお姉さんに向けられていたんじゃないかな。明らかに親しさが違うからね」
口ぐちに反応する子どもたちを同じ目線でテラスが宥める。そしてフォリーがこういった。
「百聞は一見にしかず……とも限らない」
「そうだね。僕らは一見ただの子どもだ。でも以前、遺跡探索で強盗団と出くわして対峙したりもしただろう。そう言う情報を知っていれば、向こうはもっと僕らを警戒しているはずだよ」
すぐにテラスが言葉を添え、ギネカも頷く。
「シャトンが教えてくれたヴェルムと犯人のやりとりを見る限り、犯人側にその気配はなさそうよ」
「つまり」
テラスは整った顔に不敵な笑みを浮かべる。
「相手が僕らを侮っている、今がチャンスってわけ」
「うん!」
「やってやろうじゃん!」
「そうですよ!」
子どもたちが目を輝かせて頷き、天に拳を突き上げる。強盗団にだって怯まなかったカナールたちだ、今更誘拐犯で爆弾魔相手に臆するはずもない。
「テラス君……本当格好いい……」
そんな子どもたちのまとめ役となっているテラスの勇姿に、フートがこんな場合にも関わらずうっとりと見惚れている。次の瞬間ムースに硬い表紙を持つ大判の地図で叩かれていたが。
「じゃあ早速暗号を……ごめん、ちょっと出てくる」
ギネカの携帯に連絡が入った。ただし今まで通りアリスやシャトンからのメールではない。
「何よ、ネイヴ。今ちょっとこっち大変なの……え?」
廊下に出て幼馴染との通話を始めたギネカは、そこでもたらされた意外な情報に思わず拳を握り込む。
「見たの?! 本当に?!」
「ギネカ?」
思わぬ大声に中のレントたちが驚くが、ギネカは気にせずネイヴとの会話を優先する。
『ってわけで、俺は今その黒服連中を追ってる。お前の友達の居所は残念ながら撒かれちまったからな』
「いいわよ。エラフィの居場所はこっちで暗号を解いて見つけるから。でも黒服って……何かきな臭くなってきたわね」
『ああ、ただの誘拐事件じゃないかもしれない。下手をすれば……泥棒の出番かもな』
一般人のネイヴ=ヴァリエートはともかく、怪盗ジャックの姿であれば多少の無茶ができる。
「気を付けて」
『今回はお前の方もな、ギネカ。表の顔では探偵さんとほとんど接点のない俺と違って、お前ははっきり面識があるんだから』
「わかってるわ。でも大丈夫よ。……今は独りじゃないもの」
『……そうだな。じゃ、また後で連絡する』
ブラウジングルームに戻ったギネカは、早速ネイヴとのやりとりで得られた情報の中から、必要なものを友人たちに流す。
「黒服の男たち……って、それはまたデンジャラスな響きだこと」
「複数犯だとは聞いていたけど、もしかしたら最初に想定したものより更に敵の規模は大きいのかもね」
エラフィを攫った具体的な相手を聞いて、フートは呆れ、ヴェイツェは表情を引き締める。
「エラフィ……大丈夫かな」
レントが青褪めて不安を口にすると、カナールやローロ、ネスルたちも泣きそうに顔を歪めた。詳細を聞いて、一切心配になってしまったのだろう。
「それは多分大丈夫」
「テラス君?」
「シャトンに送ってもらった犯人との会話のログからすると、相手は紳士を装いながらもエールーカ探偵の精神を抉ることに異常に拘っている。ここで人質に短絡的に危害を加えることはないはずだ」
「て、テラスくん?」
七歳児の口から飛び出してはいけない単語を聞いてしまったような気がして、高等部生たちはこぞって目を丸くする。
「犯人がエールーカ探偵に与えたい傷は、彼自身が大切な人を自ら傷つけること。つまり、エラフィ=セルフがヴェルム=エールーカを憎みながら死んでいくことが犯人の望み」
“彼女の苦しみを味わえ お前に見捨てられた彼女の苦しみを思い知るがいい”
「だから、爆弾なの? エラフィに全てを教えることで、『ヴェルムに見捨てられる』と、犯人ではなく探偵を恨むよう仕組むために」
「そうだよ。犯人側が人質に危害を加えれば、人質の憎しみは犯人に向く。それは犯人にとっても避けたいはず」
「嫌なやり方ね」
顔を顰めるギネカに対し、ヴェイツェが静かに告げる。
「でも、上手く行けば無傷でエラフィを助け出せる」
「なるほど!」
ヴェイツェのその言葉にレントや他の子どもたちも希望を取り戻した。
彼らが早く暗号を解いてエラフィを助けに行けばいい。話が振り出しに戻ったようだが、要するにそれが全てにおいて最善の結果なのだ。
「もう迷ってる暇はありませんね。早く暗号を解読しましょう」
ムースが改めて暗号文を机の中心に置く。
ペテン師より脳と心臓と勇気を手に入れる旅路
都より気球を降りて南へ迎え
それを見て真っ先に気づいたのは、子どもたちだった。
「あれ? これって……」
◆◆◆◆◆
エラフィは目を覚ました。
しかし体が椅子に縛り付けられていて動けない。
窓から見える景色は帝都を一望できるだろう。何故、いつの間にこんなところに――。
考え始めてすぐ、自分の身に何が起きたのかを思い出した。道で出会った男に薬を嗅がされて気を失って……。
「……あれ? もしかして、私今、相当のピンチ?」
彼女の隣にはこの事態の経緯を説明した文章を映し続ける無機質なモニタと、時計のセットされた爆弾が置かれていた。
...080
「 親愛なる地獄の探偵よ 私は帝都のある場所に巨大な爆弾を仕掛けた
爆弾を解除し、帝都の多くの民を救いたければ、この文章から始まる旅をして我がもとへ辿り着け
“竜巻は大王の都の最も高い場所より始まる”
旅の続きは君がその場所に辿り着いた際にまた示されるだろう 」
脅迫状に比べて、暗号文の文面はとても簡素だった。
「犯人追跡ルートの暗号は、この一行だけか?」
アリスはカードの表裏を矯めつ眇めつしてみるが、何の仕掛けもない。白いカードに黒い文字で書かれた文章は何の色も匂いもない。
「いくらなんでも、情報が少なすぎやしないか?」
ヴァイスもコンビニのおにぎりを口に運びながら、たった一言の文章を睨んでいる。
「竜巻ってなんだ? 大王の都と言うのは? この国は帝国で、王制ではないぞ。都と呼ぶのはこの首都エメラルドくらいしかないが」
「……文面が簡素だということは、ヒントに気づきさえすればすぐにわかる内容だと言うことだろう。わかるはずなんだ、この文章の法則性――繰り返される『旅』という言葉、『竜巻』や『大王』などの単語、それらが示す土地の最も高い場所と言うなら……」
ヴェルムが帝都の地図を開きながら条件を整理する中、シャトンが小さな声を上げる。
「……もしかして」
それに一番先に気づいたのは、彼女だった。
「この暗号、『オズの魔法使い』を元に作られているんじゃないかしら」
「『オズの魔法使い』……!」
「あ!」
ヴェルムが目を瞠る。読書の時間にシャトンが広げていた本を思い出し、アリスも声を上げた。
「そうだよ、シャトンが読んでたじゃないか。この帝都エメラルドの名前の元になった物語だって!」
オズは『エメラルドの都』の大王。偉大なる支配者であり、魔法使い。
しかしその実態は、人々を奇術で欺くペテン師だ。
「そう言えば、もう一つの道の暗号も」
アリスは彼らではなく、ギネカたち学院組に解いてもらう予定だったもう一枚のカードを取り出す。
「『ペテン師』『脳』『心臓』『勇気』、なあシャトン、これ全部『オズの魔法使い』に出てくる言葉だよな」
「ええ、そうよ」
「確かにそうだな」
本を読んでいたシャトンと彼女から話を聞いたアリス、知識としてそれを知っているヴェルムも二枚のカードに書かれた暗号を見比べて頷く。
「……『オズの魔法使い』とはどんな話だったかな」
ヴァイスはピンと来ないらしく、まずはその物語がどういった筋立てなのかから尋ねている。
「『オズの魔法使い』はね、竜巻で家ごとオズの国に飛ばされてしまった少女ドロシーが、自分の元いたカンザスという土地に帰るため、魔法使いオズへ会いに行くための旅をする話よ」
ドロシーはカンザスへ帰るために旅をする。エメラルドの都にいる偉大な魔法使いオズが、自分の願いを叶えてくれると信じて。その途中で藁でできたかかし、ブリキの木こり、臆病なライオンと出会い仲間になるのだ。
かかしは知恵を生む脳みそを求め、木こりは優しい心を生み出す心臓を求め、ライオンは臆病さを払拭する勇気を求めてドロシーと共に旅をする。
それが基本のストーリー。
「だがオズは魔法使いではなくペテン師なのだろう?」
「ええ、そうよ。だから彼らがオズの頼みを聞いて、西の悪い魔女を倒して戻ってきた際にも、かかしと木こり、ライオンに与えたものは本物の知恵と心と勇気ではなかった。けれど彼らはその旅で成長することによって、本当はもう自分の望みの物を手に入れていたの」
「……」
「でも、ドロシーに関しては、さすがにオズもペテンでどうにかすることはできなかったのね。ドロシーがカンザスに戻るためには、更に南の良い魔女を訪ねて旅をする必要があった」
「最終的にドロシーは南の魔女に家に帰してもらうんだっけ?」
「少なくともヒントはもらったわね」
ドロシーが帰る為に必要だったのは、魔力の籠った銀の靴。それは元々東の悪い魔女が履いていたもので、ドロシーは物語の冒頭で竜巻に飛ばされた家ごと魔女を押し潰して倒し、銀の靴を手に入れていたのだ。
ドロシーが家に帰る為に必要なその力は、ずっと彼女の足下にあった。そういう話である。
ヴェルムの脳裏に、ジェナーの助言が過ぎる。彼女もつい最近『オズの魔法使い』を読んだところだったのだ。
――オズの作った街の美しさは全てぺてんかもしれないけれど、大切なものはいつも足下にあるのよ。
「なるほどな、竜巻に大王、そしてエメラルドの都と、作品に出てくるキーワードがちょうど揃っている訳か」
ヴァイスも頷き、再び暗号に目を落とす。
「――で、肝心のこの暗号の意味は?」
四人は『オズの魔法使い』の物語を思い浮かべながら、もう一度暗号解読に挑戦する。
◆◆◆◆◆
「これって、さっきシャトンちゃんが読んでたお話の」
「『オズの魔法使い』のことじゃありませんか?」
「絶対そうだって、シャトンが言ってたんだ。女の子とかかしと木こりとライオンが旅をするんだって!」
カナール、ローロ、ネスルの言葉に、他の面々は顔を見合わせる。
「『オズの魔法使い』?」
「それって古典童話の……えーと、誰か詳しい話知ってる奴いる?」
「私、少しだけ聞いたことがあります」
「私も読んだことがあるわ」
「って言うかここ図書室! 借りて来ればいいじゃん! ……作者名は?」
「フランク・ボームだって」
暗号解読に自信のないレントは、自ら図書室へと本を借りに行く。
「そうか……なるほど。この帝都は『オズの魔法使い』に出てくる大王の都にちなんでエメラルドと名付けられている。あやかってこの物語に出てくる単語がついた地名や店名、名所なんかも多い」
「あやか……って?」
一人先に暗号の趣旨を理解したテラスが、不思議そうな顔をする子どもたちに説明する。カナールたちは暗号に出てくる単語を理解はできても、それがエラフィの居場所とどう繋がるのかまでは考えていないらしい。
「例えば『オズの魔法使い』に罌粟畑が出てくるから、ポピーって名前がつく場所がいっぱいあるだろう?」
「この前絵を観に行ったのは、ポピー美術館だったよ!」
「うん。そうやって『オズの魔法使い』関連の単語がつく何処かに、エラフィお姉さんがいるんだ」
「どこかってどこだよ」
「それをこれから暗号を解いて探すんだよ」
「三人とも、お手柄」
テラスとフォリーに言われて、カナールたちが顔を輝かせた。携帯を弄っていたギネカも心持ち明るい表情で告げる。
「今のあなたたちの推理をアリスたちにも送ったわ。向こうも同じ結論よ。この暗号文を解くカギは『オズの魔法使い』にある」
「本借りてきたぞ!」
何人もの子どもたちが読み古してぼろぼろになった図書館の本をレントが借りてくる。
探偵組と学院組、それぞれが物語をヒントに暗号を解き始めた。
そしてわかったことは、エラフィ救出ルートと犯人追跡ルートのスタート地点はどちらも同じ場所だと言うことだった。
“ペテン師より脳と心臓と勇気を手に入れる旅路”
これは、暗号文が『オズの魔法使い』にちなんでいることを示すヒント。
“竜巻は大王の都の最も高い場所より始まる”
“都より気球を降りて南へ迎え”
「高い場所」や「降りる」という言葉が含まれている以上、暗号の示す場所はどこか高層にあり、そこから出発することが察せられる。
そして「大王の都」「都」という言葉が示すもの。それは帝都の名と同じくらい、「エメラルドの都」にちなんだ場所のはず。
「エメラルドの名にちなむ高層の場所、それは帝都の人間どころか帝国の人間だれもが知っている観光名所」
テラスの言葉に、皆の脳裏に一つの場所が思い浮かぶ。
「「エメラルドタワー!」」
帝都の地図の一点を指差して、子どもたちの声が重なった。
...081
こうなってみると、ヴァイスが適当に掴んできた帝都中心部のガイドマップはかなり役立ってくる。
「帝国は広いし、この都も相当な規模だからな。中心部だけで一日二日では回りきれない程の観光場所がある。だからこういう専門のガイドブックがあるんだ」
「正直知らなかった」
「地元民なんて案外そんなものでしょ。観光地と言っても由緒ある神殿なんかとはちょっと違うし」
「……とにかく、まずはエメラルドタワーに行ってみよう」
「「「了解」」」
探偵組はこのままヴァイスの車で、学院組も電車で目的の場所へ向かうと言う。
――エメラルドタワーは、帝都エメラルドの象徴的な建物だ。
地上七百メートルの超高層タワーは四百メートルと五百メートルにそれぞれ展望台を設置し、天空に一番近い塔と呼ばれている。
また、エメラルドタワーの周辺には、タワーを中心として三百以上の店舗が連なる商業施設や、様々なエンターテインメント施設が集結している。
しかし今は帝都一番の観光スポットをじっくり堪能する暇はない。
「“最も高い場所”って言うことは……」
「展望台だろうな。地上五百メートル」
四人は当日券を買い、エレベーターで一気に二つ目の展望台まで昇る。
何も知らず平和な午後を楽しむ人々に交じりながら、とりあえずフロアを一周してみた。
「……うーん」
「ここからどうすればいいのかしら」
とりあえず暗号の一文が示す場所に来ては見たものの、何をすればいいのかがわからない。
「“旅の続きは君がその場所に辿り着いた際にまた示されるだろう”……と言うことは、この場所のどこかに、次の場所を示す何かがあるはずだ」
「また暗号? それともこの塔みたいに見ればわかるレベルのものかしら」
「……それもわからない」
行き詰まり頭を抱える三人から離れ、ヴェルムはタワーのパンフレットとガイドブックの情報、そして現在地であるこの展望台を見比べる。
「竜巻……始まる……竜巻?」
展望台の内部は広く、硝子の壁は帝都が一望出来て酷く見晴らしが良い。
「風……目に映らない風の始まり――……ッ!」
「ヴェルム?」
何かに気づいた様子で歩き出したヴェルムをアリスたちは追った。
タワーの展望台には、硝子でできた床のコーナーがある。
もちろん透明な硝子の床と言うことは、そこから五百メートル下の地上の光景が見えると言うことだ。高所恐怖症の人間は間違っても昇ってはいけない場所である。
ヴェルムはそこに立つ――のではなく跪き、何かを探し始めた。
「何? 床になんかあるの?」
「可能性はある。竜巻に運ばれたドロシーの気持ちになれるのはここだけだろう」
「私たちも手伝いましょう」
結局アリスやシャトンも手伝って、三人は這いつくばって床に何か残されていないか探し始めた。ヴァイスはさりげなく彼らの前に立って他の客に誤って踏まれないよう壁の役割をしている。
「あった!」
「何? なになに次の暗号?!」
透明な床に透明なシールが貼ってあり、そこに白い文字で何か書かれていた。
「いや……これは……」
“×××ー×××ー××××”
「これだけ? 何かの番号?」
「あら? この番号って、ここのサービスカウンターの番号じゃない?」
数字を携帯で検索したシャトンがそう告げると、ヴェルムは迷わずタワーのサービスカウンターへと向かった。
彼らと入れ替わりで硝子床を訪れた数人組とすれ違い、アリスやシャトンもヴェルムを追いかける。
「すみません、ちょっといいですか? ……もしかしてここに――」
ヴェルムが犯人の名、そして自分の名を告げると、受付係はにこやかな笑顔で対応してくれた。
「はい、お預かりしております。こちらの封筒ですね」
推測が当たり、その中に入れられていたカードには、次の暗号文らしきものが書かれている。
◆◆◆◆◆
「……ん?」
「どうかしたのか?」
エメラルドタワーの展望台。ようやく人が空いた硝子床へと昇った途端、ラーナが何かに気づいた様子で今すれ違った一団を振り返る。
「リュー……いえ、エイス様。今の子たち、どこかで見たことがある気がするんですけれど」
「は? 我らに子どもの知り合いなどいるわけ……確かに以前に見た顔だな」
エイスは金髪と茶髪の少女二人――否、一人は女顔の少年だと知っている――の姿を見て、自分もまた頷いた。
「って言うか、以前遺跡探索で出会った一行じゃないか。白騎士とイモムシがいましたよ」
サマクは子どもたちの保護者二人らしき姿を確認する。しかし今日はその四人以外の姿は見えない。
と、思ったところで今度は展望台にちょうど到着したエレベーターの中から、またしても見知った顔が出てくる。
「よし! ここで次の暗号を――あれ?」
「あ、鏡遺跡の時の!」
「トレジャーハンターの兄ちゃんたちじゃん」
「君たちまで」
カナール、ローロ、ネスルの三人は、ちょうど正面にいた彼らに気づいてすぐに歩み寄ってくる。
彼らの保護者もまたあの時の高等部生らしく、同じようにエイスたちに気づいてやってくる。
「こんなところでまたお会いできるとは、奇遇ですね」
「その節はどうもお世話に……」
「いえいえ、お互い様ですよ。こっちも色々な修羅場を越えてきたつもりですが、あなた方の胆力には負けました」
ラーナが率先して和やかな会話を始めるが、内容は以前に遺跡の中で銃を持った強盗団相手に共闘したという穏やかならざる話題である。
その隣で、エイスは子どもたちに先程見た光景の理由を尋ねた。
「なぁ、あの時お前たちと一緒にいた残り二人の子どもと、保護者の教師と探偵とさっきすれ違ったんだが、今日は別行動なのか?」
「え? アリスちゃんたちもここにいたの?」
「ほんのついさっきまでな」
「目的地が同じなのはわかってたもんな。入れ違いだったか」
レントが思わず溜息を吐くが、フートは慰めにもならない言葉をかける。
「どうせ見張られてるんだ、顔を合わせたところで話はできない。だからといって無視すれば不自然だし、丁度良かったんだろ」
「……何か、穏やかならざる状況にいるようだな」
「あの……もしかしてまた事件ですか?」
「え、いやまぁ、その……」
男子高生二人の会話に、エイスたちは不穏当なものを感じて頬を引きつらせた。
ギネカがフォローしているのかいないのか、笑顔でばっさりと断言する。
「いつものことよ」
幼馴染が怪盗だったり友人が十年分若返ったり、強盗団と戦ったり友人が誘拐されたりするのが最近のギネカの身の回りの出来事である。
「そっちは初めて見る顔だな」
「彼らの友人でジグラード学院高等部二年、ヴェイツェ=アヴァールです。お話は伺っています。みんなが遺跡でお世話になったトレジャーハンターさんたちですね」
エイスたちも初対面のヴェイツェに対して軽く自己紹介を終え、改めて本題に入る。
「ところで何をしに来たんだ? その手に持っているのはパンフレットではないようだが」
「いや、それは!」
「あのねー」
「俺たち、この暗号を解いてたんだよ!」
慌てる高等部生たちの気も知らず、子どもたちはエラフィ誘拐犯の突きつけてきた暗号を無邪気にエイスたちへ渡してしまう。
多機能携帯に映した画像で一応脅迫状の文面は別にしてある。だから驚かれることはなかったが、それでもフートたちにはできない芸当である。
「うん? この“気球”って、もしかして五階にあるショップのことじゃない?」
「そうだな」
ラーナとサマクの言葉に、彼らは注目する。
「ショップ?」
「エメラルドタワー関連の土産物を売っている店だよ。この帝都エメラルドの名前の元ネタである『オズの魔法使い』にちなんで“オズの気球”って名前の」
「「「それだ!!」」」
子どもたちが声を揃えた。
「じゃあそのお店に行ってみれば、何かわかるかもしれませんね!」
「お兄さんたち、ありがとう!」
「ど、どういたしまして?」
子どもたちのテンションについて行けず、ラーナたちは呆気にとられた。
展望台まで上がってきたばかりだというのに、何もせずにまた五階へ降りていく一行を呆然と見送る。
「……本当に何しに来たんだ、あいつら」
「……まぁ、いいじゃないですか。タワーの最上階に昇る理由なんてなんでも」
「俺たちだって人のこと言えませんし」
彼らの動向は色々と気になるところだが、あの勢いに無理をして首を突っ込む気にもならない。
「そうだな。いつもの奴を始めるか」
彼らの目的は宝探し。そのために何年も何年も、こうして他者から見れば意味のわからない行動を積み重ねてきたのだ。
エイスは深くため息を吐いた。
◆◆◆◆◆
軽やかにベルを鳴らし、ダイナはその喫茶店へと足を踏み入れる。案内のために奥から出てきたウェイターと二言三言交わすと、こちらを見て軽く手を挙げた待ち人の席へと、真っ直ぐに向かった。
「お待たせ」
「遅かったじゃないか。何? また教師の仕事」
「そうよ。試験が近いから」
彼女が今日会う友人は、学生時代からの付き合いだ。社会人になってからはお互い多忙でこうして顔を合わせることも少なくなったが、いざ会えばまるで昨日別れたばかりのように会話できる気の置けない間柄。
「元気そうだね」
その友人に向けて、ダイナは微笑む。
「あなたもね。レジーナ」
...082
“東の魔女を倒し銀の靴を手に入れよ”
タワーのサービスカウンターで受け取った封筒の中には白いカードが一枚。そこにはたった一言こう書かれていた。
「……これだけ?」
最初の暗号を見た時と同じような感想をアリスは口にする。
「とりあえず暗号解読の方向性が間違っていないことはわかったわけだ」
ヴァイスはもう一度帝都のガイドマップを取り出す。
四人は再び車の中へと戻っていた。他の場所では、それこそどこでどんな方法で犯人側に見張られているかわからないからだ。
「これも『オズの魔法使い』絡みだとすると、この東の魔女をどうやって倒すかというのが気になるな」
「ええと、実は物語の冒頭ですでに竜巻に運ばれてきたドロシーの家に押し潰されて倒されているのよ、東の魔女って」
「圧死か……」
「え? そこがポイントなの?」
重々しい顔で頷くヴァイスに、アリスがげんなりとした顔を向ける。
別に本当に魔女を倒す訳ではない。これも物語になぞらえた何かを示す符号だと見た方が妥当だろう。
「それに、この“銀の靴”が何を示すのかもわからないと」
「銀の靴ねぇ……」
そんな足に悪そうな靴を売っている場所があるとも思えない。
「最初の暗号の“最も高い場所”が、帝都の観光名所、エメラルドタワーの一番高い展望台。なら、これもそのまんまの何かが帝都にあるのかもしれないよ」
「検索してみましょうか」
「ならば私たちはガイドブックの方を見る」
ギネカたちと連絡をとるのを誤魔化す意味でも、携帯を弄るのは先程からアリスとシャトンの担当となっている。
ヴァイスとヴェルムは帝都の様々なものへの知識を総動員しながら、一つずつ照らし合わせるようにガイドブックをめくっていく。
「さすがに何時間も辿り着けない距離に次の暗号を隠すとは思えないから、ここから行けるところなんだろうけど」
「徒歩とは言わないけどタクシーぐらい使えば十分移動可能な範囲と言うと……」
「あったわよ。“銀の靴”」
「「「マジで?!」」」
シャトンの検索に、早速一件の店が引っかかって来たのだと言う。ちょうど店舗の写真を開いたところで、皆が一斉に彼女の携帯を覗き込む。
「「「……」」」
そして言葉を失った。
「これは……確かに魔女が押し潰されてるな」
「作った奴のセンス!」
「何も知らない人が見たら絶対に驚くわよね」
「いくら『オズの魔法使い』にちなむと言っても限度があるんじゃ……」
その店舗は、『オズの魔法使い』に登場する場面を正確に再現したらしい。一見粗末な小屋に見せかけた店舗と地面の間、にょっきりと銅像の足が生えていてそれが銀の靴を履いているというとてもシュールな外観だ。
確かに東の悪い魔女は倒されている。元ネタを知らなければこの足だけで相手が東の悪い魔女と判別するのは不可能だが。
「って言うか、これは一体何の店?」
「銀細工専門店」
「靴は?! ねえ靴は?!」
「“店のウィンドゥに店名の由来となった銀細工の靴が飾られています”だって」
アリスとシャトンのやりとりをよそに、ヴァイスは早速目的地が決まったと車を動かす。
「確かに車だとここからすぐだな」
「ああ」
東の悪い魔女が倒されたシーンを模した外観の、銀細工専門店。行けば“銀の靴”が具体的に何かもわかるだろう。
――そして。
「ああ、“銀の靴”でしたらこちらです」
「え」
意を決して店に入り店員に話しかけると、あっさりとそう答えられた。
「こちらが銀の靴ネックレス、銀の靴ピアス、銀の靴キーホルダーもございます。ピアスはイヤリングへの交換も承っておりますので、お気軽にお申し付け下さい」
どうやらこの店のポピュラーな定番商品のようだ。
「えーと、これをどうするんだろう? 買うの?」
「……さすがに銀製品だけあっていいお値段だな」
ヴァイスが苦虫を噛み潰したような顔になる。一方、シャトンは興味深そうに、彼女の目線には少し高いショーケースの中を背伸びしながら眺め回していた。
「シルバーアクセサリーだもの。綺麗よねー」
「まさか欲しいなんて言わないだろうな、シャトン」
「ただの感想よ。第一今の私の見かけで似合う訳ないじゃない。比較的若者向けのデザインが多いけど、こういうのはもっと大人の女性じゃないと」
他愛ないやりとりの中に出てきたシャトンの言葉に、ヴェルムは一つの面影を思い返していた。
長い髪の合間に見える銀の光。高価だが高価過ぎるとは感じさせない上品なデザインのアクセサリー。シルバーのピアス。
死者を悼むクロスのペンダント。
「そうか……それで……」
「ヴェルム? 何かわかったのか? 暗号解けた?」
「あ、いや……違うんだ。すまない」
“あの人を喪った我が痛みを思い知れ”
もう一枚のカードに書かれていた文章を思い出しただけだ。
“彼女”は銀のアクセサリーを好んでいた。この店が御用達だったのかもしれない。
「ヴェルム……様? もしかして、ヴェルム=エールーカ探偵……?」
商品に案内してくれた店員の女性が、ヴェルムの名を聞いて何かに気づいた顔になる。
「そうですが、何か」
「これは失礼いたしました。本日エールーカ探偵がお越しになった際にお渡しするよう、当店に預けられている品がございます」
「!」
すでにここにも犯人の綿密な仕掛けが施されていたと言う訳か。
「確かに俺がヴェルム=エールーカです」
「お預かりの品はこちらになります」
そして店員はカウンターから小さな箱を取り出し、ヴェルムへと渡した。
礼を言って受け取り、少しばかり心苦しいが何も買わずに店を後にする。
四人は爆発物などを警戒し、念のため車の「外」でその箱を開けることにした。
「……鍵?」
箱の中から出てきたものは、先程も店内で見た銀の靴キーホルダー……が、つけられた一つの鍵だった。
「何の鍵だ?」
「わからないが、これを手に入れろと言うからにはこの先必要になって来るんだろう」
「ヴェルム! リボンの裏にまた次の暗号が書いてある!」
アリスは青いリボンに白いペンで書かれていた暗号をヴェルムに見せる。
「この“旅”はまだまだ終わらなさそうだな」
◆◆◆◆◆
“都より気球を降りて南へ向かえ”という暗号の答を探すエラフィ救出ルートの一行は、偶然再会したトレジャーハンターたちの助言を受けてエメラルドタワーの中に展開されている土産物屋、「オズの気球」を訪れていた。
「……で、どこに向かえばいいんだ?」
「南……南って?」
この暗号の答が示す場所に行けば、次の暗号が見つかるはずなのだ。が、今のところどこにもそんな気配はない。
「テラス君、どうしよう」
「……この文章からすると、この暗号の到達地点は“南”と示される場所なんだろうね。ただそれが単純な方角だけを指しているわけではないみたい」
カナールに尋ねられたテラスは、とにかく暗号の内容を整理する。
「『オズの魔法使い』において、南は良い魔女グリンダが治める国だね。でも今はそれは置いといて……」
この暗号に示される“南”を見つけなければいけない。
「ちょっと待った、この暗号、“南”の前に、“気球を降りて”ってあるよな」
フートがそのことに気づき、彼らはもう一度暗号文を見直す。
「降りるってことは、もしかして目的地はここじゃなくて、更に下のフロア?」
「皆さん、見てくださいこれ!」
ここはエメラルドタワー内の五回だ。パンフレットを確認したムースが、皆の前にそれを広げる。
「このお店、一階のここと構造が同じなんです」
「一階……南口か!」
「行ってみよ!」
結局展望台に引き続き土産物屋も入り口を通っただけで何も見ずに、一行はまたエレベーターで下の階まで降りる。
「駐車場……成程ね。ここなら頻繁な清掃もないし、多少汚れてても誰も気にしないわけだ」
「次の暗号見つけました!」
南口の周辺を手分けしてあちこち探し回り、ついに彼らはそれを見つけた。
知らない人間が見ればただの不気味な落書きでしかない文章が、入り口の壁面右脇に刻まれている。
...083
“青の国を出でて黄色いレンガの道を辿れ”
犯人追跡組の探偵たちは、青いリボンに書かれた暗号へと取り掛かる。
「今回のポイントは“青の国”と“黄色いレンガの道”だな」
もう大分慣れてきた暗号だ。ここまで順調に来た分、緊張感も大分薄れてきた。
「確か『オズの魔法使い』の中には、オズ大王の治めるエメラルドの都以外の国が出てくるよな?」
一応この物語を読んだことがあるとはいえ、細部に関する記憶はうろ覚えになっているヴェルムがシャトンへと尋ねる。
せっかくジェナーに読んでもらった内容も、ほぼ夢うつつであまり頭に入っていない。
「ええ、そうよ」
今日の午後も学院でその本を広げていたシャトンは頷いた。
「青い国は、ドロシーに倒された東の悪い魔女が治めていた国よ」
「そう言えばこの店も、エメラルドタワーから見て東側にあるな」
アリスがガイドマップ上で、ここまで辿ってきた場所に印をつけながら呟く。
「東の悪い魔女は、青色を好むマンチキンの人々を苦しめて――」
「「「マンチキン?!」」」
「え、なに? どうしたの?」
男三人がいきなり声を揃えたので、シャトンはぎょっとしてあらすじを思い返すのをやめた。
「それだよシャトン! 帝都には“マンチキン”って名前の」
最近帝都の中心部に来たばかりのシャトンと違い、元々この辺りが地元である人間は詳しい。
アリスとヴァイスの声が揃った。
「水族館がある!」
「プラネタリウムだな!」
「「へ?」」
「……で、どっちよ」
声は揃ったが、内容はまったく別々だった。
「何を言うアリス。帝都で“マンチキン”と言えばプラネタリウム“マンチキン”だろう」
「ヴァイスこそ何言ってるんだよ。マンチキンと言えば、マンチキン水族館だろ?」
「……あのさ」
ヴェルムがおずおずと口を挟む。
「俺は“マンチキン”って言えば、レストランとホテルと宝石店の三つが思い浮かんだんだけど」
「「……」」
「……帝都だとポピュラーな名前なのね」
悪い魔女の国なのに、とシャトンは溜息をついた。
「だとすると、鍵は“黄色いレンガの道”の方だな」
「……東の悪い魔女を倒してマンチキンの人々を解放し、銀の靴を手に入れたドロシーは、エメラルドの都のオズに会うために黄色いレンガの道を辿る……」
「黄色い……」
「レンガ……」
四人は再び頭を捻る。
「この文章だと、“青の国”がわかれば“黄色いレンガの道”もわかるような書き方よね」
「つまりこの二つが併設されているような場所ってことか」
四人はもう一度先程のように、今度は“黄色いレンガの道”を探し始める。
今度はシャトンのネット検索よりも、ヴァイスとヴェルムがガイドブックの中からその情報を拾う方が早かった。
「これだな。“プラネタリウム『マンチキン』に併設する緑の公園には、黄色いレンガが星座の形に埋め込まれた散歩道があり……”」
「そう言えば、東の青の国……マンチキンの国から黄色いレンガの道を辿る旅は、エメラルドの都へと向かうための旅……公園の緑が、もう一つのエメラルドって訳ね」
シャトンも頷いた。ヴァイスがほれ見ろと言わんばかりにアリスへと得意げな目を向ける。
「やはりプラネタリウムだったではないか」
「えー、絶対水族館が定番だよ」
「はいはい。この非常時にくだらないことで言い争わないのよ」
「はーい」
シャトンに窘められて、大人と子どものどうしようもない言い合いは終わった。
「とにかく、このプラネタリウムに行ってみよう」
ヴェルムの言葉を合図として、再び車は発進する。
◆◆◆◆◆
プラネタリウムの建物を素通りし、四人は直接公園へ足を運ぶ。プラネタリウム本館と違って、こちらの公園は誰でも無料で入れる場所だ。
無料も何も、もう肝心のプラネタリウムは閉館しているのだが。
「あれが黄色いレンガ……で作られた星座の道か」
「綺麗なものね。夜光塗料を塗ってあるらしいから、宵闇にぼんやりと星座が浮かび上がって」
「もうこんな時間なのか」
初夏の日が暮れてしまった。タイムリミットの真夜中は、少しずつだが確実に迫っているのだ。
……暗号は後いくつ残されているのだろう。
アリスたちはプラネタリウムから伸びるレンガ道を歩き、公園の中心部まで辿り着いた。
噴水が透明な水を湛えている。水底にはここもまた、星座の絵が描かれていた。
「これよね」
「これだな」
「だが、今までのようなわかりやすいものは見つからないぞ」
「……」
ヴェルムは噴水の中を覗き込んだ。
「ヴェルム?」
「箱がある」
これも夜光塗料を塗られていたのか、薄ら青く輝く小さな星座の絵の向こう、水の膜の奥に小さな箱が隠されているという。
探偵は濡れるのも厭わず腕を伸ばしてそれを手元に引き寄せた。
「鍵穴があるわ!」
「! さっきの銀の靴って……!」
アリスたちは顔を見合わせた。
先程の店で手に入れた鍵は、この箱を開くためのものだったのか?
「じゃあこれを開ければ――」
「待て!」
ヴァイスの声に、後の三人はハッと緊張した。
もう閉館時間を過ぎてプラネタリウムの客も帰った頃だと言うのに、暗がりから幾人もの男たちが姿を現したのだ。
緑の公園は広く、街中の普通の公園のようにこんな時間に気紛れに立ち寄ろうと思えるような場所ではない。特に中心部のこの場所を出ると、林に囲まれていて外から視界が遮られる作りになっている。
「よくここまで辿り着いたものだ。だがここから先へは行かせるなとの御命令でね」
「お前たち……何処かで見たような格好だな」
咄嗟にヴァイスが三人を庇って、黒服の男たちの前に出る。
アリスは彼らの襟元に、小さな青いピンが光っているのを発見した。
「“白騎士”に“イモムシ”、貴様らにはここで死んでもらう」
「――睡蓮教団」
ヴァイスが低く目の前の敵の名を口にする。
アリスが気づいたものについて、シャトンが小声で説明した。
「教団の下っ端連中は、お互いの識別のために青い睡蓮のピンをつけているのよ……まずいわね」
彼女は険しい声で独りごちる。
「なんでここで教団が関わって来るの? エラフィ=セルフを攫ったのも、教団だってこと?」
アリスはハッと目を瞠った。そうだ。いくら彼らが睡蓮教団の敵対者とはいえ、この場所でこのタイミングで襲撃を仕掛けて来るなんて、今回の誘拐事件と無関係とは思えない。
「アリス、シャトン。ここは俺たちが引き受けるから、お前たちは――」
「馬鹿言わないで。私たちは探偵じゃないのよ。暗号を解いて彼女を助け出すには、あなたの力が絶対に必要なんでしょう?!」
ヴェルムの言葉を、シャトンがすぐさま封じる。
「そうだぞ、ヴェルム。それに万が一の場合、奥の手もあるし」
アリスは先日、元の姿でダイナと顔を合わせる際に使った例の術式を封じ込めた時計に手をかけた。
けれどそれは本当に奥の手も奥の手。バレてしまっては一気に有利を失う諸刃の剣だ。
「どの道、向こうに私たちを逃がす気はないようだぞ」
掌に魔導の術式を用意したヴァイスが言う。彼の力ならばこの人数相手にも対抗できるかもしれないが、派手な術を使うにはここは少し場所が悪い。
林で視界が遮られているとはいえ、それでも帝都の中心部だ。何かあればすぐに人が来てしまう。
応戦を躊躇うヴァイスたちと違って、黒服の男たちは銃を取り出す。
迷っている暇はない。多少派手なことになるが――。
「――やれ!」
戦うしかない。そう決意した瞬間だった。
「まぁまぁそう慌てずに」
第三者の声が響き渡り、男たちが一斉に糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちる。
「口元を塞いでください。あなた方も眠ってしまわないように」
大人しく指示に従う四人の前に現れた人物は、夜目にも鮮やかな純白を身にまとった騎士だ。
「ここが風上で良かった。一瞬で気化して人の意識を奪う薬がよく効くことだ」
「お前は……」
否、白を基調とした騎士の格好をしてはいるが、彼は騎士とは呼ばれない。代わりに巷ではこう呼ばれている。
「怪盗ジャック……?!」
「御機嫌よう、エメラルドのジョーカー」
...084
「その場所」で目を覚ましたエラフィは、一歩も動けないまま首だけを巡らせて周囲を確認した。
「どう見ても爆弾よね、あれ」
帝都の景色を一望できるその場所で、しかしまず目立つのは、目の前に置かれた机の上に乗っているその物体だった。小さな時計が横に括りつけられている。
「で、この手紙か」
そして爆弾の隣に、ご丁寧にもエラフィの位置から読みやすいように液晶のモニタに映し出された手紙が立てかけてある。
「ふむふむなになに……要するに、0時までにヴェルムが私を助けに来なかったらあれが爆発します、助けに来たら今度は帝都のどこかに仕掛けられた爆弾で大惨事が起きます……ってオイ」
どちらを選んでもえげつない罠だ。いや、エラフィは自分が選ぶ立場なら容赦なく自分が助かる方を選ぶが。
この場合道を選ぶのはヴェルムなので。
「まぁ、こっちには来ないわよね」
幼馴染と帝都の多くの人間を天秤にかけるなど許されることではない。
「来るとしたら……」
エラフィが救い手として思い浮かべたのは、学院の友人たちだ。
探偵としてのヴェルムの協力者には、ヴァイスがいる。彼を通じてフートやギネカたちにこの状況が伝われば、きっと助けに来てくれるはず。
「他力本願な考えは嫌いだけど、これじゃ仕方ないし」
椅子に座らされたまま、後ろ手に拘束されている。縄ならまだしも手錠なんて脱出しようがない。
こんな時、物語に出てくるような囚われのヒロインならばヘアピンの一つも使って外す方法を試みるところだが、生憎エラフィは、そんな乙女チックなものは確認するまでもなく所持していないのだ。持っていたら持っていたで、どうせ取り上げられるだろうが。
そしてこの拘束を外すことができたとしても、どこかで犯人やその仲間が見張っていたとしたら結局エラフィには自力での脱出は不可能だ。
爆弾のことも忘れてはならない。ここで爆発するなら他の人間を巻き込むこともなさそうだが、だからと言って放置するわけにもいかないだろう。
全ての問題を自分一人で解決できるような力はエラフィにはなかった。いや、彼女以外でも無理だろう。一人では。
それでも思わず愚痴を零してしまう。
「私にもフートやアリストやギネカみたいな魔導の才能があればなぁ……」
一年前、高等部に上がってヴァイスの魔導講座を受けると決めた時のことを思い返す。
――エラフィ=セルフ。私の魔導学を受講する前に、残念なお報せがある。……お前には、魔導の才がまったくない。全然ない。
――ぜ、全然っすか? じゃあ私は魔導を使えないってこと?! なんで!
――魔導は魂の資質であり、先天的にその才を有する者は限られている。更にその中でも特に優れた者と、訓練でなんとかなる者に分けられるが……お前の場合は、まず資質自体がない。魚が翼で空を飛びたいと願うようなものだと言えばわかるか?
――……ガーン。ねぇ、先生。
――なんだ。
――魔導の才ってどこで拾えますかね。
――……先生、お前のそういうところは嫌いじゃないぞ。しかし魔導の才は拾えない。
――さっき「先天的」と言う言葉を使いましたよね。「後天的」に獲得する方法がなければ、先天的という言葉は出ないと思うんすけど。
――鋭いな。その通り、ただの人間が魔導士になる方法はある。だがその方法は、死の淵から何かの切欠で蘇った者、俗に言うあの世を見てしまった者が、そちらの世界の力をほんの少しだけ持ち帰るというものだ。試せはしないし試したところで普通死ぬ。お前は自殺志願者ではないだろう?
――うーん。確かに私が魔導の力を得たい目的とは相反しますね……でも。
――何故それ程までに魔導の力を欲する? 興味本位で選んだ訳ではないようだが。
――自分の身は自分で守りたいだけです。ナイフからでも爆弾からでも。
――……お前は、ヴェルム=エールーカの幼馴染だったな。
――そうですよ。先生もあいつの知り合いですよね。
――ああ。セルフ、お前が力を得たいのは、ヴェルムのためか?
――そう言うんじゃないです。むしろ何かあった時にすぐ『自分のせいで……!』とか気に病むヴェルムの性格は正直鬱陶しいんですよね。
――同感だ。だがあいつはそういう奴だ。
――だからこそ余計周囲につけ込まれるんでしょうにね。まぁそんな訳で、私もあいつの傍にいて巻き添えで酷い目に遭うのは嫌なんで、自分の身は自分で守ろうと考えた次第であります。
――全く以って合理的だな。ふむ……そうなるとどうするか……。私自身も、お前のような性格と環境と性格の奴は身を守る術を持った方がいいとは思う。
――大事なことだからって性格について二度も言わなくていいです。……ところで先生、魔導の才は元々優れている人間と訓練して得る人間に分かれるそうですが、フートやアリストたちはどうなんです? それともこれは聞かない方が良い個人情報ですか?
――魔導の才は顔と同じように、見る者が見ればすぐにわかるただの個性だ。フート=マルティウスは先天的な魔導士、アリスト=レーヌとギネカ=マギラスは訓練によって魔導を使うことが可能な資質だ。才能の大きさで言えばマルティウスが一番で、この資質は魔導以外にも関わってくる。
――フートが天才なのはそれが理由ですか。
――理由の一つだな。本人の努力ももちろんある。ちなみにアリストとマギラスなら、アリストの方が才は上。他にヴェイツェ=アヴァールも先天的な魔導の才を有しているが、発現したのは最近のようだ。
――みんなそれぞれ状況が違うんですね。
――レント=ターイルは可能性がゼロでない分お前よりは才があるが、魔導士として身を立てられる程ではない。今から魔導を習得するつもりなら、苦労の割合はお前とさして変わらないだろう。
――じゃあ、私とレントはどうすればいいんです?
――一つ、提案がある。私の補助があれば魔導を使えるという、限定的な形になるが。
――それって学院の中でしか使えないってことでは? いざと言う時に使えない力なら、意味がないような……。
――意味ならばある。例えばお前が私から銃の撃ち方を習ったとして、それを理由に常に銃を持ち歩く訳ではないだろう? だが、銃の撃ち方を知っていれば、警察や軍人として生き易くなる。そう言うやり方だ。いざと言う時に出来ることがあるのとないのとでは大違いだぞ。
――む。
――それでも足りないと言うのなら……まぁ、その時は他の人間、お前の友人たちにでも助けてもらえ。その借りは他で返せ。どうせ人間一人じゃ何もできやしないんだ。
――そんな他力本願な。
――人生とはそういうものだ。頼れる人間がいない私が言うのだから間違いない。
――……せんせぇー……。
――やかましい。
――ところで、一つ聞き忘れてたんですけど。ヴァイス先生は、魔導の才がある人、ない人、どっちなんですか?
――私か。私は元々資質自体はあったものの、長らく発現しなかったものがあることを切欠に爆発した後天的獲得型だな。
――なんと。
――文字通り『死ぬ思いをした』。魔導の才が大きいのは決して幸せなことではない。大きな才を与えられたものは、それだけ大きな試練を天に与えられるということになるのかもしれない。お前の幼馴染がそうだろう?
――……。
――人の持つ力なんて、そんな大きなものでなくていいんだ。むしろ、小さな力で大きなものを動かすことこそ人の本懐だろう。
――蝶の羽ばたきで世界を動かせ。今はイモムシや蛹であっても、いつか必ず蝶になる。
「……今、この状況で、私にできることはない」
エラフィは自分に言い聞かせる。ここで精神的、身体的に無駄に消耗したところでどうしようもない。悔しいが大人しく助けを待つしかないようだ。
「……その後で、絶対に、リベンジしてやるけどね!」
助けが来ると言うこと自体は、彼女は信じて疑わない。それがヴェルムであることなど、端から期待していない。
予定を崩されて吠え面かく犯人の様子が楽しみだと。エラフィは人の悪い顔で笑い、その時を待った。




