「僕、汗ばんでるから……」 そう言って私の体を強く握れない彼は、私に婚約破棄を申し込んできました。
コンコン。
「 お姫様、王子がお見えにございます」
「 分かったわ」
彼は敵国の王子。商談や何か揉め事があるとよく私の国へ行って来る。私はこの国のお姫様としてその彼の相手をする。
「 お久しぶりですアリル姫、お元気にしていましたか」
「 王子こそお体の方はあれから大丈夫ですか」
どうでもいい挨拶。今日の本題はここじゃない。
「姫が元気そうで何よりです……ここの国は昔と大分変わりましたね」
私はこの国で王族として育てられた。私と彼は幼なじみ。昔からこの国でよく遊んでいた。
だが彼は敵国の王子であったのだ。
「覚えていますか? あの森の奥の方で僕は迷子になってしまいました……それをあなたが助けてくれました。まだ嬉しいものです」
物心がつく頃には彼はその国へ行ってしまった。そして私はこの国で、敵を討ち果たす英才教育を学んでいた。そんな彼との婚約の話が舞い込んできたのは、そんなに不思議なことではなかった。
「変わりないみたいで安心しました」
「ごめんなさい……こちらに来るのも大変だったのでしょう」
私の嫌な噂は当然彼の耳にしているのだろう。
悪魔の姫様。
国内のやつはみんな私のことをそう呼んでいる。そんな事情を知らない彼の耳にもその噂が届くくらい、私の悪名はいろんなところへ飛び火していた。
「外へ行きましょうか?」
「……」
王子は何かを慌てている。それはそうだ、私はもう内々に話は聞いてあった。
婚約破棄。
今日の彼の仕事はこれだ。彼の国は非常に今状況が良くない。今そんな中で昔の同盟国やら何やらという理由だけで、彼の国よりもさらにクソな状況に陥っている私の国と同盟を結ぶ恋など、援助をしている他の国が許さない。
「もう一度お話をしたくてですね……あの森を見たいのです」
「いいですよ」
彼は私と一対一の話がしたいのだろう……。 私もせめて彼との時間ぐらいのんびりしていたかった。
「王子♪」
「どうしたのですか……アリル姫?」
「どうしたのではありません、早く私の手を握りなさい」
「いえそれは……」
「どうしたのです?」
「私は……」
「はっきり言いなさい」
「僕、汗ばんでるから……」
「そんなこと……」
彼の手は汗ばんでいて、ひどく緊張しているように見えた。
「 私の体はそんなことくらいじゃ汚れないわよ」
「昔と変わりませんね……」
そう言って私は彼の手を握ってエスコートする。
彼の手は汗ばんでいた。昔からそうだ、それくらいで私の体を強く握ることさえできない。そんな彼が私に向かって婚約破棄を申し込んでくる。
「こっちの方に行きましょう? 昔と変わらない景色がまだ待っていますよ」
「……はい」
「相変わらずこの国は綺麗ですね……いつもお手入れなさっているんですか」
「ええ 昔からずっと」
「そうですか」
彼は昔からそうだった。何をやらせても私の方が1番で、彼はずっと私の後をついていた。そんな彼は他の国へ行き、たくましく成長していた。いろんなことを学び、その国の王子として彼は一人前になっていた。そんな彼でも会ってみれば、昔と何も変わらなかった。でも今回は違う、国こともある。
「もうわかっているかと思いますが……このお話はなかったことに」
「どうしても……なの?」
「ええ」
「ごめんなさいって言ったら?」
「 その言葉への私の答えはこれです」
「?」
「 ごめんアリル、これをしなきゃ僕は生きていけないから」
ぶんっ。
「クソッ! ……外した!」
彼はナイフをもって私に飛びかかってきた。殺人者の顔だった。 昔の彼の姿はどこにもいない。私の前で見せたもじもじしていた彼は全て演技だった。
「俺は帝王学を学んで、必死に勉強もして、国の政を引き受けた」
「無能な国王である親父の分まで背負って、狂ってしまったものでも何とか立て直そうとした」
「だけどダメだった……民衆は誰も耳を貸さない、同盟国を一方的に支援を打ち切る」
「……」
「必死なんだよ……わかってくれ」
「敵国の悪徳令嬢ってある私を殺して、祖国の英雄になる」
「そういうことなんでしょ」
「いいよ、もっと深く刺して」
「じゃないと痛い」
そう言って私は両手で彼の手を握り、そのままお腹まで持ってくる。彼の持っているナイフは私の中にめり込んでる。少し深くさせれば、それで痛みはより強くなり、立っているのもままならなくなる。崩れ落ちる私の体を支える手を一つもなかった。
「アリル……さようなら、 向こうでまた会おうね」
「どうせ僕も、そう長くはないから」
貧困にあえぐ、どうしようもない国のトップが降らない最期を迎える。せめて彼がその国で、もう少しまともな人生を歩んでくれれば……私はそれを願うばかりだった。
この部屋に入るものはすべてじいやがチェックをしてから通す。そのじいやが彼に武器の携帯を許したということは、つまりそういうことだった。
私が最後に見た景色は彼の優しい笑顔だった。
「バイバイ 先に行って待ってるから」