少女の涙と笑顔
「では、教室に戻ります。」
椅子に座って窓に先生達が集まる光景を見守っていた新谷先生は、
「え?あ、ああ。また後でな。」
僕の声に気づき、返事をしてくれた。入ってきた職員室の扉を開け、廊下へと僕は出る。下駄箱に一番近い階段から教室へと向かおうとすると、下駄箱で履き替えていた生徒達も騒然としていた。
「どこ?いまどこ落ちた?」
「わかんない。」
「近かったから、あの辺りじゃないか?」
「でも、なんで雷が?晴れてるぞ。」
数十人の生徒が言い合う中、更に階段から降りてくる生徒達や、廊下の奥の通路から走ってくる生徒もいた。不思議な雷なのは間違いない。天気予報での情報でなくとも、僕達が空を見上げれば、今現在の天気や、これから天気がどのように変わるのかも、ある程度は把握できる。厚い雲がかかり、湿気が体中にまとわる感覚があれば雨が近づいている、という感じで。
でも、そんな常識では考えられない事態が起これば、誰でも驚いてしまう。
階段を昇り、3階まで来た。そのまま屋上まで続く階段があるが、立ち入り禁止の看板と黄色いプラスチックチェーンで遮られている。でも、ただ一本の鎖だから、潜れば入ることができる。何故こんな物が必要なのかわからないけど、誰も近づかない。だから、この先が一番集中できる。
扉を開くと、肌寒い風が体を通り抜けていった。明るさで目が遮られていたが、すぐに屋上の景色が見え始める。空は通学のときにも見たように、晴天だった。でも、唯一違う景色が僕だけには見えていた。屋上の真ん中まで歩き、そこで足を止める。そして、後ろを振り返り、出入り口の上空を見る。一筋に伸びていたはずであろう飛行機雲が、切れていた。飛行機雲を中心に、空の色合いが断裂している。
「まだ小さい。今なら・・・。」
僕は目を瞑り、意識を集中する。屋上へと吹きぬける風の音、車や機械等が聞こえる街の音等が、少しずつ小さくなり、音はやがて耳に届かなくなる。そして、違う音が聞こえてくる。凍えるほどではないが、冷たい風が体を正面からゆっくりと流れる。風の音は小さいながらも、反響しているようにも聞こえてくる。トンネル中にいる錯覚を起こす。これは僕だけが知っている感覚。目を開けると、あの淀んだ空間が広がり、そしやはりいた。
人のように見える、異形の亜神。目は2つついているが、視点が定まらず左右非対称に動きを繰り返す。頭はマネキンを象ったように、綺麗な人の頭をしている。本物の人間以上に、頭のつくりが綺麗だ。
あと、額に小さな目が左右縦に4つ。2本腕が体から生えているが、体は細い枯れ木の枝ほどで、何が体を支えているのかさえ不思議に感じる。下半身に至っては、黒い地面の中に埋もれており、見えるのは上半身のみ。何をしてくるわけでもなく、ただじっとしており、動くのは目だけ。
植物の成長段階を観察しているみたいだ。
≪歌月ヨ、亜神ヲ倒セ。≫
≪戒結ノ儀ヲ行エ。≫
「わかってる。」
再び脳内に聞こえる声。
男の声とも女の声とも判断がつきにくい声色。この世界にいる時にだけ聞こえる。
「あまり、厄介そうにも見えない。」
だが、油断をしてはいけない。亜神は本来、戒結ノ儀が行える巫女の力無しでは抑えることはできない。今までの亜神がそうだったから。
僕は右手を伸ばし、そこに巫女の力を意識する。胸を中心とし、熱がこみ上げてくる。いつものことになるが、やはりこの痛みには慣れない。僕がまだ巫女としての力が弱いせいなのか知らないが、苦しい。僕の髪の毛が腰まで伸び、宝玉が髪を束ねる。
焼け付くような熱が腕から手の平へと伝わり、その力が形となって具現化されていく。やがてできた歪な剣は、今日も好調なようだ。僕自身のテンションで左右されるわけではなく、何かきっかけがあるようだ。調子の見分け方は、僕の体から力を無理に引き出そうとしない。
出力と抑止力のバランスが取れなければ、この熱は更に増し、僕は激痛を感じることになる。それだけに、落ち着いて亜神を倒す必要がある。
「動かないのか動けないのか分からないけど、すぐに終わらせる。」
こちらが動き出すのをまつ罠かもしれない。だが、見ているだけだと現実世界で犠牲者が出てしまう。それだけは防がなければならない。右足に力を入れ、一気に亜神へと踏み込む。剣を振り上げ、亜神の目の前へと辿りつく。
「そのまま、動かないでくれ。」
僕は呟く。そして、僕の視線が亜神の目を見たとき、亜神と目が合った。
剣を振り下ろすと、剣先が地面に思い切り打ちあたった。
「え!?」
亜神が目の前から消えていた。
「いない・・・!」
僕は剣を構え、四方を警戒する。黒い景色が、広がるばかり。そこに僕以外の存在が無いかのように、静寂だ。でも、亜神は間違いなくここにいる。気配が消えていないとすれば、自分の姿を消せる亜神なのか。でも、答えは直ぐにわかった。僕は両足に力を入れ、真上へと跳躍する。足元から数十本の手が、地面を抉り空を握り締めた。
「地面か!」
突然足元から気配が大きくなったから飛び出したが、間一髪だった。数十本の手は地面へと再び潜り、僕はその場所から離れた地面へと着地する。だが、衝撃が背中に振動として伝わる。
「くっ!」
先ほどの亜神が、地面から細い体を屈折させながら伸ばし、腕を広げていた。振り返ると同時に剣を振り払い、亜神の両腕を切り裂く。いとも簡単に切れた腕は黒炭となって消える。だが、亜神は今度は潜らない。
突如、両足首に感触が伝わる。足元を見ると、先ほどの手が僕の足を掴んでいた。正面を見ると、8つの目が僕を見ており、顔だけと思ったその下側から口が開く。鋭く尖った無数の歯が、僕の首筋に噛み付く。
「ぐっ!あああああああああ!!」
皮膚が裂け、肩の骨へと歯が届いているのさえ感じる。一心不乱に、右手に持つ剣を持ち替え、刃先を亜神の体へとむける。そのまま体を斬ろうとしたが、亜神の顔は僕の首筋から離れ、僕の攻撃をかわす。そのまま地面へと引きずり込まれるように、再び潜っていった。だが、足首を掴む手は僕を離すことなく、体を振り上げ、地面へと叩きつける。
「がはっ!」
視界が一瞬真っ白になる。瞬く間に意識が戻ると、目前に手が無数に迫っていた。
「このおおおっ!」
僕の中で、感情が大きく揺れた。
≪力ヲ引キ出セ。≫
≪戒メトセヨ。≫
剣を持つ右手が、更に熱を帯びる。無意識に、腕が勝手に動く。何度も剣を振り、手先から切り刻む感触が伝わる。気づいたときには、高いところから地面へと体を打ちつけた。
「ぐっ!」
着地を忘れていた。しかし、僕の周りに飛び掛っていた大量の手は、黒い粉塵となって消えていく。
「はぁ・・・はぁ・・・。」
右手で剣を握り締めたまま、両手を地面につけ、四つんばいから腰を地面に降ろし、なんとか上半身を起こせた。
「・・・まったく、油断してしまったよ。」
僕は顔を上げて、再び姿を現した亜神を睨む。僕の言葉をどう捉えたか、よくわかっていないのか、亜神は首を傾げた。
「でも、君も油断しすぎだ。」
一言喋る時間だけだが、十分時間が稼げた。足を起こし、つま先へ力を込め、地面を蹴る。イメージどおりのスタートダッシュができた。亜神は地面へと潜ろうと、体が動いた。だが、ぴくりと一瞬動いた亜神は、それ以上地面へと沈まなかった。
亜神の目が一斉に地面へと注がれる。宝玉が亜神を囲み、細い体の間を囲むように結界を敷いていた。体は結界に挟まれ、亜神の体が暴れているが、無駄な足掻きだ。8個の目玉が狂ったように動き回る。
「キイイイイイイイ!!」
亜神が、声をあげた。甲高くて、耳障りな声。でも、そんなものはなんの役にも立たない。
「声を出したところで、誰にも届かない。誰も、聞いてくれないから。」
振り下ろした剣先が亜神の頭を中心から切り裂く。
「卑怯だよね。そう。人は誰でも卑怯者になれる。その憎んだ気持ちに、亜神が取り入った。」
【戒結の儀を始める。
我、汝の戒めを結び、彼の地へ解き放つ。】
宝玉が上下に分かれ、亜神を囲う。亜神の頭から光が現れ、ゆっくりと離れていく。その光に写ったのは、制服を着た少女。少女は、泣いていた。声は聞こえない。でも、沢山泣いている。
【亜神よ、汝が囲いし魂は解けた。彼のあるべき地へと、魂を帰したまえ!】
両手で結んだ印に合わせ、宝玉が囲いを狭めていく。亜神の体が黒く変色し、砂のように溶けていく。僕は、亜神から離れた少女を見た。泣いていた少女の瞳が、僕と目を合わせた。
「もう、大丈夫だよ。」
僕は、少女へと笑って見せた。あまり笑顔を作るのは得意じゃない。でも、安心させたいから。
少女は最後に、涙を流しながら、僕に笑顔を返してくれた。
この間バイクで夜道を走っていると、車にひかれたのであろう動物(見た目アライグマ)がもぞもぞと動いていました。片足から血が流れ、その場から逃げれないようでした。すかさずバイクから降り、その動物を抱え、ひとまず道路外の林に置いてあげました。動物は足を引きずりながら草木に身を隠し、それを見送って再びバイクを走らせました。そして、僕はふとこんな気持ちを1人で呟きました。「俺はこんなことでしか手を貸せない。病院に連れて行くこともできないし、そもそも俺だってお前を診てやれない。ひどい人間だよな俺。目の前でお前が苦しんでたのに。」
良いことをしたはずなのに、悪いことをしたように思う。これが、エゴなのか?
・・・うん、よーわからん!(自己解決=思考放棄)
次回作、またしばらくお待ちください。