平穏に近づく影
寮を出て僕達が向かったのは、小さな喫茶店。平日の時間に来るのは初めてだ。店内には店長であるお爺さんが1人と、僕達3人以外に人はいない。お爺さんは食器棚のコップを整理したり、たまに売り場へ出てはテーブルを拭いたりなど、淡々とゆっくりに作業をしている。
僕達はというと、ゆったりと4人くらいで座れるテーブル席を案内してもらい、朝食を注文して食べ終えたところであった。凛と燈香は隣同士で座り、私は向かい側の席に座っている。
「歌月ちゃんありがとう。凄く美味しかった。」
燈香は笑顔で僕にお礼を言ってくれた。ここのお店はとても好きだから、気に入って貰えて何よりだ。
「そういえば、歌月は学校じゃないの?」
凛は口元に近づけた飲み物を止め、思いついたように尋ねてきた。僕はまだ湯気の立つカフェラテに少し息を吹きかけ、一口飲む前に答えた。
「戦闘の休息ってことで、休み。草薙っていう先生がいるんたけど、その人が関係者。」
「そう。私達は初めての戦いから2人だけど、亜神と対等に戦えるなんて。正直、すごいと思う。」
「でも、私がいつも凛ちゃんの足を引っ張ってるわけだし、凛ちゃんだって強いんだよ、歌月ちゃん。」
凛から褒められても、あまり嬉しくはなかった。言葉から想像するに、亜神は個体としては強いのだと思う。だけど、いつも苦戦をしてばかりで、今回でさえ何度目の休日になったか。
私も、気になった事を尋ねた。
「そういえば、2人に付いている関係者って、一緒に来ているの?」
「ああ。名前は吉野さんっていう女性。一度会ったきりで、なにをしている人なのかはわからない。
近々また顔を出すとは言ってたから、学校に来るのかも。」
関係者に、女性もいるのか。鏡さんと草薙しか僕は知らなかったが、やはり巫女が多いと、関係者の中には女性もいるというわけか。
「凛ちゃん。お手洗い行ってくるね。」
「うん。」
立ち上がった燈香は、道を開けてくれた凛にお礼を言って、席から離れた。カップからゆっくり、カフェラテを飲みながら凛を見る。燈香と違い、とても落ち着いた人だ。だからこそ、燈香がいない時に聞きたいことがいくつかあった。
「なんで、この町に来たの?」
僕は遠慮はしたくなかったので、本音をそのまま伝えた。凛も口につけていたカップを、コースターへと置き戻し、視線はカップに向けたまま説明してくれた。
「私達の町に、もう守るべき人たちがいなくなったから。」
「それは、亜神が影響して?」
「そう。力を貰ってからしばらくは、取り込まれた人達と数人が被害に巻き込まれる、小規模な事件ばかりだった。死者、というべきかな。亜神に取り込まれて行方が分からなくなった人達だけで、抑えられていた。
でも、ある時から状況が変わった。」
凛は一度お手洗いのある通路を見る。僕の背後に視線を向けていたが、恐らく燈香の事を気にしたのだろう。いない事を確認すると、僕の目を見つめた。
「数日の間隔だった亜神が一気に二体現れた。同時に、事件も多発。人を路上で刺殺して回る殺人犯が現れ、警察官が対応していた。それと同時に、放火魔も現れた。私達は初めの事件を起こした人に取り憑いた亜神を倒したけど、もう一体に向かうことができずに、被害が拡大してしまった。」
僕は凛が聞かせてくれた状況を、ゆっくりと追いながら想像していく。
「一先ずは二体を倒せたが、死傷者の数が多かった。家を失った人達も大勢いた。不安ばかりが募る人々の気持ちが溢れ出し、それはまた亜神を産み出す糧とされてしまった。観測至上でも最悪の寒波。町中なのに、凍死者が出てしまうような事態。そして地震。揺れは確かに強いが建物が倒壊する程ではないはずだったが、放火魔の残した爪痕が仇となり、建物の複数が崩れ、死者が続出。落雷も、豪雨の中彷徨っていた人々が狙われ、死んでいった。
もうメディアなんていうものは存在してない。唯一は携帯電話等の電子機器で見ることは出来るが、錯綜する情報からは本当の情報を見つけ出すのも困難だ。だから皆、助けが来るという期待さえも捨ててしまい、自分の運命を呪い続け、堕ちていく。
私と燈香は戦い続けた。被害を抑えるために。燈香も体の痛みを堪えて、一緒に戦ってくれた。
でも、最後に残った逃げ場所は、私達の学校だけ。1万に近い町の住民が、1ヶ月で141人まで減ってしまった。」
最後、という言葉から、凛の瞳が揺れていた。俯き、震えているようにも見える。燈香が凛のことを、どれ程頼りにしているかはわからない。だけど、凛がどれ程、燈香のことや、町に住んでいた人達を思っていたのかは、とても伝わってくる。だから僕も、こんなことしか言えない。
「もう無事な場所なんて、無いんだよ。亜神が生まれる原因が人間にあるとして、個々がどれだけ変わろうとしても、かけ離れた思考が何処かで溜まって、それが抑えられなくなるのであれば、変わらないんだよ。」
「、、、そう、なんだろうな。最後の1人を救おうとしたときでさえも、結局亜神に飲まれてしまった。守り続けてきたのに、守ることが出来なかった。私はもう、自分が何の為に戦って来たのか、わからなくなってしまう。ただ亜神を倒すことだけが、本当に戦う理由として正しいのか。もう、どうすればいいか。」
少しきつい言い方をしてしまったか。凛と燈香は懸命に町の人たちを救おうと戦っていたんだと思う。それが今守るべき者が無くなって、目標さえも失いかけている。震えている右手を、必死に左手で握り締めている凜。
「そんなことないよ、凛。」
「歌月?」
「ここの町に来たのも、亜神を倒すためと考えるのは重たすぎるよ。もっと楽に考えなくちゃ。僕からしてみると、君にはもう守るものが決まっているようにしか見えないよ。」
ふと、私は後ろを少しだけ見た。燈香が扉を開けた音が聞こえる。
「その相手が、戻って来たよ。」
僕は凛にそれだけを伝えた。はっと顔を上げた凛は、指で少しだけ目元を触る仕草をする。
「わあ、これ可愛いですね!猫ちゃんだあ!」
燈香はカウンターに置かれた陶器の置き物を見て、マスターに声を掛けていた。マスターはコップを拭きながら、微笑みだけで答えた。
「・・・燈香。」
「少なくとも、戒結ノ儀は成功している。救われた人も大勢いる。だから、今だけでも、またこれからも、1人を守るために精一杯でいいんじゃないかな。僕はそう思うけど。」
「歌月、どうして貴方はそんなに・・・。」
「僕も何をするために戦っているのか迷ってたときがあったから。教えてもらった言葉を、少し凜に言ってみただけだよ。」
全部、鏡さんからの受け売りだけど。でも、凜の表情はどこか落ち着いたようにも見える。話をしているうちに、最初にあったイメージから砕けてくれたようだ。
「歌月ちゃん、素敵な喫茶店を紹介してくれてありがとう。また凜ちゃんと3人で来ようね。」
「いいよ。また一緒に。」
「じゃあ燈香、そろそろ行こうか。」
潤んでいた瞳は、いつもの瞳に戻っていた。燈香は頷いて席へと戻ってくる。すると、凛の顔を覗き込むようにして燈香が近寄った。
「凛ちゃん、どうしたの?」
「え?」
「なんだか、嬉しそうな顔してる。」
「そんな顔、してた?」
「うん。私にはお見通しだよ。」
少し勝ち誇ったように「えっへん。」と、胸をとんっと叩く燈香。凛はそれを見ると、今度は笑っていた。
「全く、燈香には全部お見通しってわけだね。それに、歌月にも。」
「お見通しなんてことはないさ。多分、という予想だけで話しただけだよ。」
凛の中で、気づけたことがあったようだ。少しだけ満足そうに微笑む姿を見ると、そんな気がする。
喫茶店を後にし、商店街へと向かった。平日だけれど、活気はある。元々この町への被害は少ない方である。隣町が1つ消えてしまったが、ここの町までに被害が伸びてはきていない。
亜神の活動においても、以前のような天候変化であっても大きな被害も出ていない。だからこそ、この町の人口は増えつつあった。
燈香と凛は、必要な物を買い揃える為に色々なお店に寄っては、買い物をしていく。僕はオススメのお店を紹介していく。そしてとある洋服屋で、凛は顔を赤らめながら燈香と話をしていた。
「ねえ凛ちゃん!これ着てみて。絶対似合うよー。」
「ちょっと、燈香!これ、スカート短いよ、、、。それに、ピンクなんて私には似合わないから。」
「そんなことないよ。凛ちゃんはいつもカッコよくて綺麗だけど、たまには可愛いのも着てみないと損だよ。ほら、着てみて!」
半ば強引に試着室へと凛を押し込んだ燈香。凛も観念して頷くと、カーテンをしめた。案外燈香も意見を貫くんだな。そんなことを考えていると、今度は僕の所へ燈香ぎやってくる。これは凛と同じことをされるかな。
「歌月ちゃん、今日はありがとう。」
燈香は頭を下げて、僕にお礼を述べた。予想外の展開に驚いてしまった。
「特にお礼を言ってもらうことはしてないよ。」
「ううん、歌月ちゃんのお陰で、凛ちゃんがとても喜んでたんだもん。」
「凛が?」
「そうだよ。凛ちゃんは、いつも私のことや、町の人達を助けるのに凄く一生懸命で、ずっと悩み事があったみたいだったから。」
燈香は試着室にいる凛に聞こえない程の声でそう教えてくれた。確かに今日1日の様子を見ると、燈香に心配をかけたがらないというのは感じてはいた。しかし、一緒にいる時間が長いことから、それさえも燈香には気づかれていたということか。
「凛ちゃん、着替え終わったー?」
「まっ、まって燈香。もう少し、、、!」
燈香は凛が着替えている試着室へと近づき、2人で会話を始めた。その時、僕の携帯にも誰かから着信が届く。ズボンのポケットから携帯を取り出し、通話ボタンを押した。
「もしもし。」
『起きてたのか?』
「草薙。どうしたの?」
『明日あわせる予定だった巫女だが、もう会ってるみたいだな。』
「え、なんでそれを?」
突然の草薙からの電話。しかも、僕が2人と行動しているのがバレている。何故だ。周囲を見るが、怪しい人物はいないように思えた。だが、ある1人を見たときに目が留まった。黒いスーツとスカート姿の長身女性。初めて会っただけでも綺麗な姿勢と相まって素敵な女性に見える。その人は腕を組んで通路の壁に背を預けたまま、こちらを見ているだけである。
そして私が視線を送っているのに気がつき、目を見開いたと思えば微笑んできた。
「まさか、わざわざ監視をつけていたの?」
『そんな野暮なことはしない。ただ2人を任された奴がそばで行動しているもんだから、こっちにも報告があったんだよ。』
2人を任されたということは、あの人が関係者なのか。名前が確か、吉野さん。
『ソイツは吉野だ。お前は2人から聞いたと思うが、吉野が2人の関係者というわけだ。俺はまだ午後の授業とか色々あるから、まあ先にソイツとも挨拶でもしておけ。』
「わかった。」
僕の返事を最後に、向こうから通話を切った。何気なく通話時間の履歴が残った画面を見てから、再び前を見た。だがその時、関係者と教えてもらった女性はいなかった。挨拶をしておけなんて言ってたから、少し辺りを見てみる。しかし、吉野さんの姿は何処にもなかった。
「どうしたの、歌月ちゃん。」
今度は後ろから声を掛けられた。振り向くと燈香がいた。吉野さんがいたことを話そうと思ったけど、今は言わなくても大丈夫かな。
「ううん、なんでもない。凜の着替えは終わった?」
「バッチリ!」
僕の問いかけに、指を二本立てて笑顔で頷く。僕の手を引いて、更衣室へと連れて行く燈香。
商店街から抜け、人通りの少ない密かに出来ている路地裏。電話が鳴ったことに気づき、ショルダーポーチから携帯を取り出す。
「はい、吉野です。」
『こんにちは、吉野さん。鏡です。』
「珍しいですわね。関係者に直接貴方から電話をかけてくるなんて。」
『吉野さんが町に来ると聞いたから、状況を聞こうと思ったんです。』
「2人がいた町が崩壊したことは、もう聞いているのでは?」
『はい、聞いておりますよ。ただ、私が気にしているのは、今後吉野さんがどのように関係者として接するかですよ。当ては何かありますか?』
「草薙が今教師をやっているとか。面白そうだから、私もそこに加わろうかとは思ってますわよ。ひとまずは草薙に頼んでいるので、早ければ数日後に巫女と草薙に合流できるかと。」
『そうですか。できれば他の巫女へと同伴をお願いしたかったのですが。』
「またその話?いい加減放っておいては?彼女は巫女であるのは間違いないけど、実力はね。関係者は必要ないのだと思ってますのよ。」
『そうはいきません。心身の調整を行い、常に万全である状態を残さなければなりません。それに、もしも彼女に何かあった時、対処が出来なくなってしまいます。』
「他の関係者はどうなの?私は2人も抱えているのよ。草薙にお願いするなら、3人。彼にそれを任せられられると?」
『確かに、そうですね。』
「ですわよね。男に思春期の女の子を3人も預けるのも、色々と心配なのよ。せめて大人の女性が1人はいなくちゃ。色々とね。」
『それは・・・、返答に困りますね。』
「・・・本当に、貴方は何者なの?傍観する立場では私達よりも優れているように見えますが、時に貴方が思春期を謳歌する男の子にも感じる。誰も貴方の姿を見たことないですしね。」
『いずれお会いできる日が来るかと思います。ですが今は、私はここからしか貴方たちに声を届ける手段はありません。』
「まるでこの世界に今は居ないと言う答えにも聞こえますわ。その辺についてはどう返答を?」
『ダメですよ、極端な質問をするのは。それにどんどん答えていくと、私がこうして連絡を取ることもできない状況になってしまいます。』
「非常識な質問にも答えられないのね。・・・では、そろそろ行きますわ。私もまだ住む場所を決めてないもので。」
『すみません、多忙の最中に長電話になってしまいましたね。では、引き続き2人のことはお願いいたします。』
そして2人の通話が終わった。ポーチに携帯を直した後、路地から出ようと歩き出す。しかし、その足が止まった。前の景色は、太陽が照らす大通りに人が大勢いる。背後は陽の光も届かない闇。その中から、ゆっくりと近づく人影がいた。そこにいたのは、赤いペンキを体へとかけられたように、真っ赤なシャツと真っ赤な顔をしていた。右手には、刃渡りの長い包丁。無言でその男は、吉野さんへと襲い掛かる。
男が振り上げた右手は、吉野さんの振り返り際の回し蹴り上げによって包丁を手放した。男の体が反動で壁へと倒れこむと、すかさず接近した吉野さんは思い切り腹部へ手の平を打ち当てた。重苦しい音と衝撃が男の体を一瞬震わせ、壁からずるずると白目をむいて腰をついた。動かないことを確認した吉野さんは、何事も無かったかのように路地から出て行く。そして一度だけ、後ろへと目を向けた。
「久しぶりの亜神。2人は大丈夫かしら。」
誰かを心配する口ぶりにも聞こえるが、吉野さんの口元は微かに笑みを浮かべていた。