たったひとつの、ねがい
「たった一つだけ、願いを叶えて差し上げましょう」
声を聞いて、俺はまず頭が真っ白になった。
願いを叶える? 一体何を言っているんだ、これは。
そもそも、その声と言うのもどこから出ているのかと言えば――俺の大切にしているぬいぐるみだった。猫のぬいぐるみ。なぜ猫のぬいぐるみを持っているかと言えば、まあ、答えは単純明快で、俺が五歳のころに亡くなった猫にそっくりだったからだ。
いつものように、俺は寝る前に猫を撫でていたら――突然喋り出した。
何を言っているか解らないかもしれないが、ともかく、そいつは喋り出した。
声は続く。
「願いというのもたくさんありますでしょうが、残念ながらあなたの徳は一つの願いを叶えることしかできません。残念ですが、しょうがありません。念を押しておきますが、たった一つだけです。それに、完全なものではありません。失敗もあり得るでしょう。そしてクーリングオフもありません。予めご了承ください」
何だ、その契約書に細かく小さく書いてある但し書きみたいなやつ。まあ、言ってくれるだけマシ……なのか? そうかもしれない。
しかし、それを肯定したとしても、やっぱり理解できないのは『願い』のことだ。
「願いは、どんなことでも叶えてくれるのか?」
ええ、と猫のぬいぐるみは言った。
だったら――叶えてほしい願いは一つある。
五歳の時――亡くなった猫を生き返らせてほしい。
そう、俺は言った。
猫のぬいぐるみはそれを聞いて溜息を吐く。ぬいぐるみの癖に。
――そう俺が思った、その時だった。
バチン、と電流が走ったような、そんな音がした。
「これであなたの『願い』はかなえられました。一応言っておきますが、クーリングオフなんてございませんので、そのつもりで」
「それはさっき聞いたよ」
俺は言葉を返したが、もうそのぬいぐるみはいつものぬいぐるみになっていた。
にゃあ。
猫の鳴き声が、ふと玄関の外から聞こえてきた。
まさか。俺はそう思って玄関へ向かった。
ガリ、ガリ、と爪を立てて玄関を傷つける音。そして時折聞こえる鳴き声。
間違いない、帰ってきたんだ。
そう思って俺は扉を開けようとして――ふと気づいた。
鼻をつく、腐ったような臭いに。
「……なんだよ、これ」
そこで俺は、あのぬいぐるみが言った言葉が脳裏に過った。
――願いは不完全になるかもしれません。
にゃあ。にゃあ。
猫は鳴いている。
まさか。まさか。
俺の脳内の仮説が正しいとすれば、俺は――取り返しのつかないことをしてしまったのではないか?
だって、だって。
それは即ち。
玄関の前に居る猫は、生き返った。
けれど。
玄関の前に居る猫は、俺が五歳の時に埋められた場所から文字通り這い上がってきた。
だとすれば、肉体なんてとっくに腐っている。
不完全な願い、ってこういうことだったのか。
たった一つの願い、それは叶えられた。
けれど、その代償はあまりにも――そう、あまりにも、大きかった。