【不安】
騒ぎを聞きつけて執事のアリーさんが駆けつけました。
「何かあったのですか?」
ダンクさんは剣を羽織っている布の中に隠しました。
「グランディス様が外へ出て行かれたのです、たった今」
「この雨の中にですか?」
アリーさんはとても驚きました。
「なぜこんな雨の中を?すぐお戻りになるのですか?」
「わかりません」
女中のおばさんも小走りに様子を見に来ました。
おばさんが出てきた部屋からは別の若い女中が首を伸ばしてこちらの様子を伺っています。
アリーさんは、なぜ、どのように、一体何があったのか、言葉を変えて次々に質問をしました。
どうにか状況を掴もうとしたのです。
でも、客たちの答えは全て、「わからない」でした。
「だから、本当に何もわからないのです。突然に行ってしまわれました、扉も閉めずにね。私たちがここに来た時には、もうどっちの方向に行ったのかもわかりませんでした」
ダンクさんはグランディスさんが豚の姿をしていたとは言いませんでした。
そして他の誰も付け加えませんでした。
「正直私たちも驚いているのです、グランディス様がお帰りになった時に聞いてみないと何もわかりません」
アリーさんは全員の顔を見回しました。
しかし他の客たちもダンクさんの言葉に頷くだけでした。
「とにかくお帰りを待ちましょう」
ダンクさんはそう提案して皆と一緒に客間に戻りました。
ユメッソスさんは後を付いて客間に入って来ようとしたアリーさんを呼びとめて、
「熱いお茶をくれないか」
と頼みました。
アリーさんも女中のおばさんも首をかしげながら下がって行きました。
客間に戻ると、ボーも商人たちも倒れこむように椅子に腰掛けました。
自分たちでも気付かない間に、よっぽど緊張していたのです。
グランディスさんが座っていた椅子の前には、青と白の服の山が残されていました。
カグーは服の山に近づくと一つの首飾りを拾い上げました。
細い銀の鎖の先には、ウズラの卵ほどの大きさの石が付いていました。
乳白色の地に碧い結晶がまだら状に浮き出ていて、さらに透明の小さな粒が無数に埋まっています。
鎖の先で石が揺れると、きらきらと光を反射しました。
カグーはテーブルの上に置いてある箱を開けて、黄色い布の中にそれを落とし込みました。
鎖が石の後をたどるように流れ落ちると、カグーは黄色い布を畳み、ふたを閉めました。
ユメッソスさんは腰掛けず、ワゴンの近くをうろうろ歩き回りながら、ぶつぶつと独り言を言いました。
「戻ってくるのか?戻って来たとしても、いやまさか我輩に危害を加えるはずがない……」
そして皆に向かって訊きました。
「あの豚はグランディス殿だったのか?」
誰も答えなかったのでボーは椅子の前に残された服の山を指差しました。
「きっとそうじゃないかな」
「なぜ豚になったんだ?」
ボーは首を傾げました
「魔法が失敗したのかな」
「君が何かしでかしたのだろう?それで魔法が失敗したんだ」
「知らないよ。僕はやめろって言ったけど効き目は無かった。止めたかったけどどうしたらいいかわからなかったんだ」
確かにユメッソスさんから見ても、あの時のボーは二人の間に割り込んでただあたふたしていただけでした。
ユメッソスさんはボーに聞いてもらちがあかないと思い、商人たちの方を向きました。
「グランディス殿が帰ってきたらどうなる?」
「心臓を捻じ切られるか、獣に変身させられるか、いずれにせよ只じゃ済まないでしょうね」
ダンクさんはお手上げと言うしぐさをしました。
「じゃあ、なぜそんなにのんびりとしているんだ。今のうちに逃げるべきじゃないのか?」
「できることならとっくに逃げていますよ。何しろ私は剣で刺し殺そうと追いかけたんですから」
ダンクさんは椅子に座ったまま脇に落ちていた鞘を拾って剣を収めました。
「今となっては、せめて嵐が過ぎるまでは帰ってこないようにと祈ることしかできません」
窓の外で突風の気配がするとユメッソスさんはびくっと振り返りました。
「そうだ、我輩だけは殺そうとはしていないぞ。一体なぜ殺そうとなんかしたんだ?」
ダンクさんは、答えが一瞬遅れました。
まさか非難されるなんて思ってもいなかったのです。
「それはもちろん、魔法をかけられてからでは遅いと思ったからです」
ダンクさんは剣を元通りにぐるぐる巻きに直しはじめました。
「うまく捕まえるか、殺せていればよかった」
今度はボルドさんが言いました。
ボルドさんは自分の傷ついた指に布を巻いていました。
でもなかなかうまくできなくて何度もやり直しています。
ダンクさんもボルドさんも何かをせずには居られないのです。
ユメッソスさんは今度はカグーを振り返りました。
「君はグランディス殿と知り合いだったのか?なぜ君に魔法をかけようとしたんだ?」
「わかりません。今日初めて会いました」
カグーの声は大きくありませんが、それでもいくらか落ち着きを取り戻していました。
ただカグーの手はずっとボーの羽織る布の端をきつく握りしめていました。
「わからないわからないばかりだ。誰か少しはわからないのか!」
ユメッソスさんは少しかんしゃくを起こしました。
するとボルドさんがユメッソスさんを落ち着かせようと優しく言いました。
「見た以上の事は誰もわかりません。きっと全てがわかっているのはグランディス様だけなのでしょう。そして、私たちにはグランディス様が戻ってくるかどうかもわからないのです」
また外で何かの音がするととユメッソスさんは振り返りました。
ユメッソスさんは物音が聞こえるたびにグランディスさんではないかと怯えています。
でも何があるわけでもありませんでした。
外では嵐でいろいろな物が吹き飛ばされているのです。
「どうするんだ?どうすればいいんだ?」
ユメッソスさんは今度は泣きそうになりました。
ユメッソスさんは不安定な気持ちを回りにぶちまけていますが、もちろん他の皆も決して落ち着いているわけではありません。
それぞれに興奮を鎮めようと努力をしていました。
「開き直るしかないでしょう」
ダンクさんはいつもよりちょっと引きつった口でユメッソスさんに笑顔を見せました。
女中さんがお茶のワゴンを押して部屋に入って来ると、困った顔のアリーさんも一緒に付いてきました。
アリーさんはご主人様についての詳細が聞きたくてたまらないのです。
「あー、アリーさん。グランディス様が戻らない事には、私たちにはどうしようもありません」
ダンクさんはいかにも開き直った明るい声で言いました。
「はい」
「だから、食事の準備ができたら教えてください。どうせならご馳走と楽しい会話でも楽しみながらお待ちしたいものです」
アリーさんはせっかくこの部屋に来たのに、また知りたい情報は得られませんでした。
「それから食事の後は早めに休みたいな」
ダンクさんはもう楽しむ気満々でした。
アリーさんが「かしこまりました」と下がろうとすると、ダンクさんはアリーさんを呼び止めました
「それと、食後にはお酒を少し」
ダンクさんはいたずらっぽい笑顔でそう付け足しました。




