【スコーン】
「おいしい!」
お菓子に一番最初にかぶりついたのはボーでした。
「これおいしいよ!おばさんが焼いたの?」
ボーはワゴンを押して部屋から出ようとしている女中のおばさんの背中に言いました。
「ええそうよ。スコーンと言うの」
女中はうれしそうに一言残して下がりました。
「私の料理は世界一よ。夕飯も期待してちょうだいね」
スコーンは片手に収まる位の円筒形で焼き立てでほかほかです。
触った指がぴかぴかべとべとになるほどに砂糖とバターがたっぷりと練りこまれていました。
すきっ腹に高級なお菓子がおいしくてボーは顔の緩みが止まりません。
ついさっき問い詰められた事などはどこかへ飛んで行ってしまいました。
「おいしいよ」
ボーが薦めるとカグーは喉を鳴らしました。
カグーは顔の布をあごまで下げて、顔の前にスコーンを持ち上げました。
「いい匂い」
カグーは一口かじって目を丸くしました。
「おいしい」
そしてボーと同じように手や口の周りをべたべたにしながら食べました。
ボルドさんは皆におかわりのお茶にもお酒をたらすかを訊きました。
ボーはもちろんと頼みました。
カグーは冷めてしまった一杯目を一息で飲んでから、温かいおかわりをもらいました。
そしてお茶も素敵な香りだとすごく喜びました。
ダンクさんはお茶のおかわりを注いでもらいながらボルドさんに言いました。
「グランディス様は少々癖はありますが、思ったよりも話しやすい方ですね」
するとそれに応えたのはユメッソスさんでした。
「そうだろう、気難しいと言うのとは少し違うのだ」
ユメッソスさんはお茶のおかわりを手を挙げて断りました。
「さっきまでは、グランディス様はもっと取り付く島の無い方かと思っていました。何しろ玄関でお会いした時は、目も合わせてもらえなかったんですよ」
ダンクさんはしょんぼりしたしぐさをして見せました。
「うむ。実は我輩はグランディス殿が平民とは関わりを持ちたがらない人だと思っていたのだ。貴殿らがいくら頼もうが雨宿りも会話も無理だと思っていたのだ」
「ああ、そういう事だったのですか。でも、ついに普通にお話をしてくれましたね」
「そうだな、我輩も驚いたよ。同席を許すとは思っていなかった。てっきり平民嫌いだとばかり思っていた」
「普段はそうなんですか?」
「うむ。しかし思い起こせば、役立たずのサイラスなどは貴族でもまるで相手にされていないな。とするとグランディス殿は身分じゃないところで区別しているのだな」
「そうかもしれませんね」
「まあいずれにしろ、きっと君たちのことは気に入ったのだろう」
「あー、そうかもしれません。それは何よりです」
「うむ、実際今日ほど彼の声をまとめて耳にしたのは我輩も初めてかもしれない」
お菓子を片手に持ったまま、ダンクさんは誰にともなく訊きました。
「さっきの話は本当でしょうか」
ユメッソスさんはお酒をあおって、うんざりだという目でボーを見ました。
「また魔法の話だった」
ボルドさんも言いました。
「魔力のこもった品物をお望みだなんて。まさかそんな物を言い出されるとは思ってもいませんでした」
ダンクさんは手も持っているスコーンに、ふた付きの容器からジャムをすくって付けました。
「魔法にもとてもお詳しかったです。それに呪文のはんごんりょうとか言ったかな?あれはボー君の話に出てきた呪文と同じではありませんか」
ユメッソスさんはいぶかしげです。
「たまたま偶然だろう」
「それを確かめたくて私はうまい質問をしたかったのです。でも結局どちらとも言えませんね」
「魔法を信じる人が居ると言う所までは認めよう。グランディス殿もその一人なわけだ。
だがそのグランディス殿にしても、自分の目で魔法を見たとは言わなかったではないか」
ユメッソスさんはダンクさんから容器を受け取ってジャムをスコーンにたっぷり付けました。
「どんな話を聞こうが、我輩は実際に魔法を目の当たりするまでは信じられんな」
ユメッソスさんは、ジャム付きのスコーンを丸ごと口に押し込みました。
そしてもぐもぐしたまま、空のグラスを持ってワゴンへと歩いていきました。
カグーは二人に倣って食べかけのスコーンにジャムを乗せました。
ボーはもう自分の分を食べきってしまったので、お皿にジャムだけを乗せて食べました。
「甘い」
ジャムだけでも甘くてちょっと酸っぱくてとてもおいしいものでした。
スプーンをくわえたまま横を見ると、お菓子をほおばってにこにこしているカグーと目が合いました。
「良かったら召し上がれ」
ボルドさんは自分の分のスコーンを食べずにボーにくれました。
ボーはそれをカグーと半分ずつ分けて、今度こそジャムをつけて食べました。
ボルドさんは二人が分け合って食べるのを満足そうに見ています。
カグーは食べかけのスコーンを一度お皿に乗せて言いました。
「あのう、ボルドさん、私できれば早めに床に就きたいの」
「そうだね、体が冷えたかもしれないね」
ボルドさんは頷きました。
「大丈夫かい?折を見て私がグランディス様に案内してもらえるように頼んでみるよ」
ダンクさんもうけあってくれました。
「ありがとう」
カグーはほっとした様子でまたお菓子をほおばりました。
ユメッソスさんはお酒のおかわりをぐいとあおると、トイレに行ってくると言いました。
誰が見てもユメッソスさんはお酒の飲みすぎでした。
貴族たちが部屋から居なくなるとボルドさんはダンクさんに話しかけました。
「さっきはすまなかったね。あのままもう一押ししていれば、買っていたのかもしれません」
「え?」
ボルドさんは短剣を売り込んでいた話に割り込んだ事を詫びました。
「ああ、けっこう興味を引いたと思ったんですがね。でも、金額を言い出さなかったくらいだから、どうせだめだったでしょう」
ダンクさんは少しも気にしていませんでした。
ボルドさんは声をひそめました。
「実は、グランディスさんが今回はいいと言った時に、目の光に悪巧みを感じたのです」
ダンクさんはさっきの状況を思い出して言いました。
「ああなるほど、するとボルドさんはわざと話を変えたのですね。でもただの癖だったのでしょう。グランディス様は少し尊大な仕草をされますからね。それにこんな立派なお屋敷のご主人が剣を買うお金に困るとは思えません」
「ほんの一瞬でしたがそんな気がしたのです」
「はい、それが安全に旅をするための処世術でしたね」
ダンクさんはボルドさんが心配しすぎだと思ってもそのまま受け入れました。
ボルドさんのやり方を学ぼうとしていたからです。
そしてダンクさんにはさらに思い当たることがありました。
「んー……。もしかするとグランディス様の欲しがっている物を探すというのも、無事にこの屋敷から出るための方便ですか?」
「はい、おそらく再びこのお屋敷に来る事はないでしょう」
「なるほど、次には欲しい物を持って来ると思わせて、安全に送り出してもらおうというわけですね」
ダンクさんはありえないほど心配性なボルドさんの考えに微笑みました。
ボルドさんも肩をすくめて苦笑いを返しました。
カグーはお菓子を食べ終わって口と手を拭いました。
「グランディスさんの話が本当ならとんでもない事です」
皆はカグーを振り向きました。
「いったい誰からあの話を聞いたのかしら?」
そして、カグーはまた鼻の上まで顔の布を引き上げました。




