【執事】
一同は執事さんに招き入れられてお屋敷に入りました。
大きな扉が閉められると、今までうなりを上げていた風がぴたりと止みました。
屋敷の中は完全に雨風から守られていました。
急に静かになったので耳にはまだちょっとこだまが残っているような気もします。
そして顔を上げてみると、お屋敷の中は外とはまるで違う世界でした。
「すごい」
皆は揃って息を呑みました。
玄関ホールは中に家が建つほどの広さと高さがありました。
足の下には一面つるつるの雪花石膏が敷き詰められています。
模様の入った太い柱がたくさん並び、彫像や置物が飾られ、奥にある大きな階段の横からは剣と盾を持った鎧がこちらを見つめています。
全てが格調高く豪華でした。
出しっぱなしの農具や洗濯物のような生活感は微塵もありません。
「夢の世界か、はたまた魔女のめくらましか。信じられないな」
ダンクさんは顔を緩ませました。
「お疲れ様でした。こちらへどうぞ」
白い帽子の執事さんは客たちを脇にある部屋へと案内しました。
丁寧だけど特に感情のこもっていない話し方です。
きっと屋敷に驚く人など見飽きているのでしょう。
客間に足を踏み入れると、ふわっと柔らかな感触がしました。
毛足の長いじゅうたんが広い部屋の一面に敷き詰められています。
部屋には白い石作りのの暖炉がありました。
この炉室もとても大きく立ったまますっぽり入れるほどです。
その向かいにはテーブルと椅子が広々と配置されています。
椅子の上にはふかふかのびろうどのクッションが並べられていした。
壁面にはガラス食器が入っている棚や貴族の肖像画も飾られています。
高い天井からは長いつるが伸びて頭の上にガラスの花が三つも咲いていました。
部屋の奥には広間にあったものと同じような鎧も一式もあります。
ダンクさんは声をあげました。
「わおう、ここも豪華だ。このお屋敷の外には何も無いんですよ。いやあ、とんでもない所にとんでもないお屋敷があったものです」
ボルドさんも驚きました。
「確かにこれはちょっとしたお城よりもずっと豪華ですね」
「私が入った事のあるお屋敷の中では間違いなく一番だわ」
カグーも感心しました。
ボーにもこのお屋敷がすごいのがわかりました。
「うん、なんかすごいね」
ボーは大きな窓を見上げました。
大きな窓は大人の身長二人分もの高さがあります。
リムによって区分けされたガラスには叩きつけられた水滴が波を描き、その向こう側では庭の木々の枝が風に煽られてせわしなく揺れています。
嵐がまた一段と激しくなっているのかもしれません。
ふと気がつくと窓の横には、濡れた赤い上着と羽付き帽子が掛けられています。
「ユメッソスさんの服だ。さっきまではこの部屋にいたんだね」
「本当、どこかに行っているのね」
みんなが豪華な部屋の中を見回していると、執事が両手に溢れんばかりの薄茶色の布を持って来ました。
「シーツみたいに大きいね」
「何用の布なのかしら?」
皆はさっそく濡れた服を脱いで体を拭きました。
もちろんカグーは女の子なので部屋の隅の鎧の近くまで行って着替えましたし、男たちはそちらを見ないようにしました。
ボルドさんが雨具を脱ぐと、顔より下の前側半分だけがみんなと同じくらいびっしょりになっていました。
「濡れすぎて雨具の内側までしみこんできたのですか?」
「いや、覗き穴から吹き込んできたんだ。この風じゃ自慢の雨具も用を成さなかったよ」
「ああ、そうだったんですか」
「でもほら、頭だけは濡れなかった。これ以上髪の毛が流されなくて良かったよ」
ボルドさんは自分の髪の毛が薄い事を笑いました。
「なんというか、そうだな、盛大によだれをたらした赤ちゃんのようになってますよ」
「うん、ついでにお漏らしまでしてしまった様だ」
二人は笑いました。
確かにそう見えるくらい、ボルドさんの服は前側だけがエプロン状に色が変わっていました。
ボルドさんは顔を拭いて目をしばたたきました。
「おお、これでもう水が目に入ってくることもない」
脱いだ服は床に置くしかなく、べちゃりと一塊になりました。
じゅうたんに泥水が付いてしまいますが、どうせ足跡もたくさん付いています。
ボーは明日とかに誰かがきれいに後片付けをするのかなと心配しました。
乾いた布で顔を拭くと、さっぱりとして生き返ったような感じがしました。
体をごしごし拭くと、かじかんでいた体全体がぽかぽかとしてきました。
さて着替えはどうしようと隣を見ると、ダンクさんは体を拭いた大きな布を左肩から斜めに掛けていました。
右肩だけを出して、まるでそういう服のようです。
ボルドさんを見ると、もろ肌を出したまま腰から下に巻きつけています。
ボルドさんの肌は腕も胸も手のひらのような色をしていました。
布の巻き方は非常に簡単で実用的ですが、長すぎるスカートを引きずるような感じで、あまり格好良くはありません。
ボーはダンクさんのやり方を真似してみましたがうまく同じようにできませんでした。
そこで頭からマントのようにかぶり胸の前で合わせました。
すると頭からひざまでの全身が収まりましたが、内側から布を捕まえていないと裸を見せびらかすことになります。
でもまあ良しとしました。
皆の所に戻って来たカグーは、ひざから上が布にくるまれている姿でした。
どこに切れ目があるのか目と髪だけが布から覗いています。
巻き毛は広がっておらず、目の横から胸に向かってしっとりと光っています。
「布は足りましたか?」
「ええ充分です。生き返りました」
執事さんはボルドさんの返事を確認するとすぐに立ち去ろうとしましたが、ボルドさんが呼び止めました。
「執事さん、先ほどはありがとうございました。あなたがはっきり言ってくれたおかげで手遅れにならずにすみました」
執事さんは特に感情もこめずに頷きました。
「私は、ありのままを言っただけです」
どうやらボルドさんは屋敷に入れたことのお礼を言っているのです。
つまり、執事さんが只では無理だとはっきり教えてくれたから、事前に贈り物をする事で屋敷に入れてもらえたのです。
ボーは今初めて、さっきの短いやり取りにそんな意味があった事を知りました。
「困っていたので本当に助かりました。これは記念にお納めください。いえ、価値の高い物ではありません」
ボルドさんはコインを一枚取り出して執事さんに渡しました。
「私はこの雨ではお困りだろうと思っただけなのです。おや、これは銀貨ですか?」
「昔、異国のお金持ちが賭けに使った銀製のコインです。お金ではないので飾りにしかなりません」
「トークンなのですね」
「はい、ちょっと裏も見てもらえますか」
執事さんがコインを裏返すと女性の横顔が浮き彫りにされていました
「ほら顔の周りにぶどうの実と葉があるでしょう?」
「ということは、幸運の女神ナイララですね」
「はいそうです。どうぞあなたにも幸運が訪れますように」
ボルドさんは執事さんとお金のやり取りをする間柄ではないので、このコインをあげたのでしょう。
それに銀の塊なら売ってお金にすることだってできます。
執事さんはうれしそうな笑顔でコインを眺めました。
これまで愛想の無い話し方をしていた執事さんは、この笑顔をさかいに親しげな感じに変わりました。
ボルドさんは自ら名乗り、みんなの紹介をしました。
「執事さんのお名前も教えてもらえますか?こちらにはもう長いんですか?」
「私はアリーと言います。もうかれこれ二十年以上当家に仕えています」
「ほほう二十年もですか、それではご主人様がまだお子様の頃からですね」
「いいえ、今のご主人様は先代が亡くなられてからいらしたので、ご幼少の頃の事は存じあげないんですよ」
「なるほど、と言う事はアリーさんは先代様に長い間仕えていらしたのですね」
「はい」
ベテランの執事アリーさんは頷きました。
「それではこの辺りの土地にもお詳しいのでしょうね。ここからレムールの町へはあとどの位かかりますか?」
「馬車なら一日です、朝発てば夜には着く事ができるでしょう」
「やはりまだ丸一日も懸かるのですね。お屋敷の近くには村も家もありませんよね。いやアリーさんたちはご不便ではないですか?」
「私どもは仕事ですからどんな所にお屋敷が立っていようが問題ではありません。不便と言っても大抵の物は敷地で賄えますし、必要なら町に買出しに行きます」
「ああ、そうですね。でも寂しくはありませんか」
「まあ寂しいといえばそうかもしれません。話し相手はいつも同じ顔ですからね」
執事さんは静かに笑いました。
「すっかり慣れておられるようですね」
「そうですね、住んでしまえばじきに慣れますよ」
「こんな人里離れた場所にお屋敷を建てたのには理由があったのでしょうか」
「ご主人様は騒がしい世俗のお付き合いを好まれませんでしたので、それが理由だったのかもしれません」
「なるほど、先代様が。ところでアリーさんには、レムールの町で織物を扱う商人のお知り合いはいらっしゃいませんか?」
「織物ですか、そうですね、私が知っているのは仕立て屋のズールさんくらいでしょうか、」
アリーさんはコイン分の情報を返したくてさらに記憶をたどりました。
「ああ、直接の知り合いではありませんが、輸入品を手広く扱ってらっしゃる方がいました。あの方なら織物も商いされていた筈です。ええと、名前は思い出せませんが、商標は船の上に太陽です」
「船に太陽ですね。ありがとうございます。では町ではその方を探してみます」
知らない土地へ行くのに情報はとても貴重なのでしょう、ボルドさんはちょっとした情報でもありがたがりました。
アリーさんは部屋を下がる前に一言付け足しました。
「私は奥の間に控えておりますので、御用があれば何でも言いつけてください」
コインには大変効果がありました。
つくづくボルドさんはいろいろ気の回る人でした。




