【屋敷】
そんな中やがて遠くから風に乗って聞きなれない音がとどろいてきました。
ボーは誰かのお腹が鳴っているのかと思いました。
カグーは獣がうなっているのかと思いました。
音はそれらよりも長く響き渡り、ボーはカグーと顔を見合わせました。
「聞こえた?」
「何かしら?とても不気味な音だったわ」
二回目に同じような音が響くと、やっとそれが何なのかがわかりました。
「雷だ」
「雷鳴だったのね。本格的に嵐になりそう」
そう言っている間にも、大粒の雨が幌をにぎやかに叩き出しました
「風が強い」
「荷物が濡れてしまうぞ」
荷台の乗客たちはあわててまた幌を閉めました。
丁度その時ボルドさんの声が前からしました。
「向こうに建物が見える」
するとユメッソスさんはボルドさんに応えました。
「それだ、この先に左に行く道があるはずだ」
ボーは興味を持って前の幌に隙間を空けて首だけを外に突き出しました。
雨はもう土砂降りで強い風が吹くたびに向きを変えて雨粒が踊りました。
御者台のボルドさんは背中を丸めていてボルドさんの雨具は濡れて濃く変色していました。
ボーは建物を見つけようと、雨でかすんでいる景色の中で目を凝らしました。
すると高台の上に木立に囲まれた白い屋根や塀が見えました。
「建物だ、本当にあった。僕この道を通ったのに、来る時には気付かなかった」
「うん、逆から歩いて来ると木に隠れて見えにくいのかもしれないね」
ボルドさんは振り返らずに返事をしました。
でも、ボーが往路であの建物に気付かなかったのは、ここを通ったときの目と心が、生まれ育った家だけを向いていたせいだったのかもしれません。
馬車の行く先を確認したボーはまた首を引っ込めて幌をしっかりと閉じました。
「すごい降り方だった」
今度の雨はやまずに激しく降り続きました。
風は吹いたり止まったりを繰り返しながらだんだん勢いを強めました。
隙間を見つけて荷台に吹き込んでくる風はびゅうびゅうと音を立てました。
荷台の中は、幌に雨が叩きつける破裂音と鳴り止まないすきま風の音でいっぱいです。
馬や車輪の音がわからないだけではなく、すぐ近くのユメッソスさんの狩りの話だって聞き逃すくらいでした。
強い風が馬車をあおってきしませることもしばしばでした。
やがて、ボーが思っていたよりもずいぶん時間がかかってから、馬車は停まりました。
「着いたよ」
御者台からボルドさんの声がしました。
「やれやれ、諸君らに同乗させてもらわなければ我輩は今頃すっかりぬれねずみになっていただろうな」
ユメッソスさんが立ち上がると、ダンクさんも腰を上げました。
「それでは私もご一緒にご挨拶を」
二人が外へ出ようと後ろの幌を開けるととたんに雨と風が吹き込んできました。
馬車の外は時刻のわからない夕方のような明るさになっています。
雨の降りはさっきよりも激しく、地面全体が水溜りになって水をはね散らかしています。
どこか遠くの空が光って雷鳴も聞こえます。
荷台を下りた二人はあまりの雨に悲鳴や悪態をつきました。
ボーはすぐに幌を閉じましたが、それでも吹き込んだ雨で荷物の半分もぬれてしまったように見えます。
後ろ側の幌を縛り終わると、ボーはまた御者台側に回り、幌を少しだけ開けて顔を出しました。
頬には雨が当たりますが、こちら側は今風下なので、雨が吹き込まずに二人の様子を伺うことができます。
「やあ、すごい降りだよ」
すぐ目の前のボルドさんの背中は前よりも丸まっていました。
「本当だね」
もぞもぞとしたかと思うとカグーがボーの首の下から顔を出しました。
カグーもどんな家に着いたのか、またここで雨宿りができるかが気になったのです。
「まあ、すごいお屋敷」
「うん。僕の農場主のお屋敷よりずっと大きいよ」
馬車の右側には大きなお屋敷がそそり立っています。
大きなお屋敷は手入れが行き届いてとてもきれいです。
馬車からは玄関先の一部しか見えないのでどれほどの大きさなのかは計り知れません。
「すごい風」
「うん」
「嵐はまだまだ強くなるんじゃないかな。よっぽど神様のご機嫌は悪いらしい」
ボルドさんの背中が言いました。
馬車は、丸い花壇の前に横付けされていました。
花壇の芝生はきれいに切り揃えられています。
せっかく咲き揃っている花が大雨に打ちひしがれています。
花壇の向こう側には古くて厚くて高い石の壁があります。
黒く変色していたり崩れたりしている所もあるのでものすごく古そうです。
石の壁の中央にはアーチが付いていて扉が開けっ放しになっています。馬車はあそこを通ってここに停まったのです。
入り口には四、五段の階段があり、その上が広いポーチのある玄関です。
母屋の横手には植木や階段があり、その奥には別棟の建物がいくつも建っています。
ダンクさんとユメッソスさんはなるべく入り口の扉の近くで家人の出てくるのを待っていますが、そこにまで雨が吹き付けています。
「お城みたいに大きいのね。こんな大きいお屋敷は町にもめったに無いわ」
「ほら、向こうには農場もある」
「農家を営んでいるのかしら」
「そうかもね。でもお屋敷が立派な割りには農場は大して大きくないな」
「ここの農場はおまけみたいなものなのかしら」
「うん、きっとそうだよ。農場の手前の方にある煙突の付いた屋根が見える?僕が住んでいたのはああいう建物だったんだ」
「ボーさんはご主人様とは別の棟で暮らしていたのね。雨宿りに泊めてもらえるのならああいう建物かしら」
「うん、きっとそうだよ。僕なんか農場主のお屋敷には六年間で三回しか入ってないよ」
「たった三回だけ?」
「うん、農場に来た最初の日と最後の日に農場主の旦那様に呼ばれたんだ」
「そうなの。それで最後の一回はいつだったの?」
「家具を動かすときの手伝い。古い食器棚を八人がかりで二階へ運んだんだけど、中身を空にしても牛よりも重かった」
「まあすごい」
「うん、僕こんな大きなお屋敷の食器棚ならなるべく買い換えない方がいいと思う」
屋敷の扉が開くと一人の男が現れました。
年はダンクさんとボルドさんの間くらいで、白い服にバケツのような形の白い帽子をかぶっています。
「真面目そうな執事さんですね」
ボルドさんはつぶやきました。
雨風のせいで声はとぎれとぎれにしか馬車に聞こえてきません。
でも挨拶をする様子でユメッソスさんとは顔なじみなのがわかりました。
執事さんは風で閉まらないように、片手で扉を押さえながら話をしています。
ユメッソスさんは執事さんにダンクさんを紹介して、馬車の方も指差しました。
風が和らぐと執事さんの声が聞こえました。
「お伝えはしますが、ご主人様は旅人を只でお泊めした事はありませんので、あまりご期待なさいませんように」
執事さんはそう言い残して建物の中に戻って行きました。
「今の人もあんな事を言っていたから、やっぱりとても気難しいご主人なのかもしれないわ」
「ダンクさんは上手に交渉できるかな」
するとボルドさんが振り向きました。
「君のすぐ脇にある樽を取ってくれないかい」
雨具から覗くボルドさんの目の周りはびっしょりでした。
この土砂降りの中をここまで運転してきたのは大変だったに違いありません。
ボーは言われた通りに小さい樽を渡しました。
ボルドさんは受け取ったその樽を抱えると、御者台を降りてポーチへと向かいました。
ボーとカグーは幌から首を出したまま成り行きを見守りました。
「入れてくれるかしら?」
「どうだろう。雨宿りできないとボルドさんが本当に大変そうだよね」
「ええ。私たちもこの馬車に乗せてもらわなかったら嵐でひどい目にあうところだったわ」
「うん、今頃はどこかでびっしょりになっていただろうね」
「そうね、風が強いから、木陰くらいではどうにもならないわ。農夫屋敷でも厩でもかまわないからどこかに入れてもらえないと困ってしまうわ」
「うん」
「そうだ。ボーさん、私いいものを持ってるの」
カグーは何かをボーに見せてくれようとしました。
「あ、来たわ」
しかし執事さんが屋敷の主人を連れて再び現れたので、残念ながらカグーのいいものはおあずけになってしまいました。
玄関に姿を現した屋敷の主人はがっしりとした背の高い若者でした。
「強そうな人だよ」
「そうね」
主人は愛想よくユメッソスさんを歓迎しました。
「わざわざこんな日に、どうしたのですか?」
「貴殿に急ぎの相談をしたくて家を出たのだが、雨が降りそうな事に気が付かなかったのだよ」
風がやんでいた時だったので二人の会話ははっきりと聞こえました。
「すごく若いのね」
「三十歳よりは若いよね、僕はてっきりもっと年取ってる人かと思ってた」
「私も」
「それにあんまり気難しそうにも見えないね」
「ええ、ほら、ユメッソスさんに笑いかけているわ」
ボーは屋敷の若主人が着ている服に感心しました。
「自分の家にいる時もあんな立派な服を着てるんだね」
「本当、ユメッソスさんと一緒ね。きっとものすごいお金持ちなのよ」
主人のズボンとシャツは真っ白です。
くっきり青い色の上着はひざまでの長さがあって、輝く刺繍の縁取りがありました。
強い風が吹くとひらひらした作りの袖や襟がはためいて胸元の飾りがきらりと輝きました。
「あのひらひらしたのって、女の子の服なんかについているフリルでしょ?」
ところが返事はありませんでした。
ボーの気が付かないうちに、カグーの頭は幌の中の暗がりに引っ込んでいました。
若い主人はボルドさんと少し言葉を交わすと、執事に樽を受け取らせました。
話はあっという間に終わりました。
ユメッソスさんは若主人たちと扉の中に入り、ボルドさんとダンクさんだけが小走りに馬車に戻ってきました。
「ユメッソスさんだけが家に入っちゃった」
ボーは一人でつぶやきました。」
ボルドさんは御者台に登ると幌から飛び出たボーの頭に晴れやかに言いました。
「今日はこちらに泊めてもらえることになったよ」
「助かったね」
「ああ。すんなり行って良かったよ」
かたやダンクさんは荷台に戻って来ると、
「まいった」
と言って自分の服をつまみました。
扉までを往復しただけなのにダンクさんは全身はずぶぬれでした。
ボルドさんはみんなに幌馬車を縛るのを手伝って欲しいと頼んできました。
もちろん三人ともが喜んでとうけあいました。




