【矢】
その時、はるか頭上から怒声が響きました。
中庭を囲む高い城壁の上で、夜空の三日月を背に立つ副将軍様です。
さすがのかっこよさです。
本国の王様から盗賊退治を言い付かり、補佐官と二十人の精鋭を引き連れて村に派遣された歴戦の猛者です。
いわく、たった百人で千人の軍を打ち破った。
いわく、ひと槍でまとめて三人の鎧を貫いた。
虚言癖が無いのならば、達人に間違いありません。
その副将軍様が月を背に、首領に向かって「一騎打ちをしろ」とか「正々堂々戦え」などと呼ばわりました。
首領は副将軍を見上げると一言言いました。
「うるせえ」
確かにそうです。
どれだけの達人だろうが、屋根よりも高い城壁の上からじゃうるさいだけです。
せめて矢でも撃ってくれればいいのに。
副将軍様は首領に相手にされない事がわかると悪口を吠えたりつばを吐いたりしました。
将軍様がうるさいだけで何の手出しもできないことがわかると首領は再びじりじりと近寄ってきました。
若者の最後の矢が急所に当たってくれれば良いのですが、仕留めそこなったら怒るに違いありません。
きっと首領は折れた剣を持つ若者を笑いながら切り刻むことでしょう。
そして若者が倒れたら後ろに居る領主様もお姫様も命はありません。
「補佐官、何とかいたせ!」
副将軍は城壁の上で槍を振り回しながらまだわめいています。
首領は近づいてきますが、若者はなかなか矢を放てませんでした。
でも剣の間合いに入られる前に撃たないといけません。
「撃て」
領主様が躊躇する若者に背後から命じました。
「大丈夫です。私は的を外した事がありません」
ほんの一言言う間、ほんの少しでも相手をひきつけてから、若者はそう思いました。
そして覚悟を決めてえいやっと弓を射ました。
かーん。
中身が空っぽの音を響かせて、矢は首領の兜に当たって飛び去りました。
「やっぱり」
若者は目はつぶらないほうが良かったと後悔しました。
今度こそ本当に万策が尽きた、そう思った時、一斉に百本もの矢が飛んで来ました。
矢は一本一本が流れ星のような尾を引いて暗い夜空から降り注ぎました。
全ての矢は外れることなく盗賊どもにだけ当たりました。
中庭に居た首領と部下どもは、それぞれが数十本もの矢を受け、歯ブラシのような姿でぱたぱたと崩れ落ちました。
「弓兵が間に合ったのか」
領主様は安堵の声を漏らしました。
こうして領主様もお姫様も若者もぎりぎりの所で生き延びました。
残った四十一人くらいの残党どもも、ある者は逃げある者は捉えられました。
結論を言えば、盗賊たちは散り散りになり、これ以降村が襲われる事も無くなりました。
なにはともあれ、若者は一日に二度も命拾いをしました。
そして、同じく今日二回の命拾いをした娘が言いました。
「お父上、昼に私を助けたのもこのますらおです」
「あっぱれ、でかした」
領主様は若者をほめました。
「いいえ、お恥ずかしゅうございます。領主様の御前で的を外さぬと言っておきながら、見事に外してしまいました」
若者は領主様に言いました。
領主様はそんな事はちっとも気にしていませんでした。
「恥ずかしがらぬとも良い。予は貴公が的を外さぬと言う前に、連続七本外したのを数えておった」
すると領主様にお姫様が言いました。
「いいえお父上様、このお方は的を外しはいたしませぬ」
この数日後には盛大な結婚式が開かれ、若者はお姫様と結婚して、やがて次の領主になりました。
若者は昼間のうちに既にお姫様の心を射抜いていたのです。




