【鶴の話】
ある日、私の兄は山できれいな石を拾ってきました。
兄はそれを指輪か何かにして、私の嫁入り道具の一つにしてくれようと考えました。
私の住む所では、良い嫁入り道具を持っているほど良い縁談に恵まれるからです。
兄はそれを職人に預け、約束の日が来ると取りに行きました。
ところが夜になっても兄は帰って来ませんでした。
それまで黙って家を空けるような事がなかったので、母も私もとても心配をしました。
私は夜が明けるのを待ち職人の家へ迎えに行きました。
職人の家では弟子が一人で留守番をしていました。
そして職人はお城の偉い人に宝石を見せに行ったまま戻らず、私の兄もそれを聞いて追いかけて行ったきりだと教えてくれました。
そこで私は今度はお城へ向かいました。
お城の高い壁や丸い屋根は町のどこからでも見えるので、私は毎日それを見て暮らしてきました。
でも堀より中に入るのは初めてでした。
門番に兄の事を訪ねると、たいへんに待たされた後、ある部屋に通されました。
そこは贅沢だけどひと気の無い大きな部屋でした。
会議をするような大きなテーブルの周りには椅子が十客位あり、壁際には書記が座るような鏡の付いた小机がひとつ置いてありました。
周りの壁のタイルには細かい模様がありますが、絵や置物もは一つもありません。
この日は寒い日でしたが、大きな窓から見える青い空が寂しい部屋を明るく照らしていました。
その部屋でもかなり待ちましたが、やがてとても立派な服を着た人がお付きの人と入ってきました。
その人はとても背が低くとても痩せていて、そしてとてもかしこそうな人でした。
その人は親切そうな顔で話しかけてきました。
「はじめまして、私はこの城の大臣です。あいにく王様はご不在なのですが、留守中は城内の事全て私が取り仕切るように言いつかっておりますので何でもお気軽にお申し付けください」
私はすごく偉い人が来たのでとても恐縮しました。
「私は家に戻らぬ兄を迎えにここまで来ました。兄が昨日こちらへ向かったと聞いたのです」
大臣は私の話を親身に聞いてくださり、お付の人は私の話を書きとめていきました。
「なるほど、昨日からお帰りになっていない。それでは早速調べさせましょう」
大臣は兄の名前を書き付けさせると、お付きの人になにやら伝えて部屋から送り出しました。
「今の者が調べてくる間、お掛けになってゆっくりお待ちなさい」
大臣は私を椅子に座らせました。
「朝食はお済みですかな?それではお茶を用意させましょう」
「ありがとうございます、でもけっこうです。兄に会えたらすぐにおいとま致しますので、何もお気遣いくださいませんように」
私は遠慮しました。
「そうですか、すぐに見つかると良いですね」
大臣は私の隣の椅子に腰掛けました。
「ところでお嬢さんは今おいくつでいらっしゃいますか?」
大臣は二人きりになるなり、私の名前や年を訊いたり、着飾ればお城の女性たちにも遜色がないとか、そんな事ばかり話し出しました。
あまり兄の事を深刻に考えていないようだったので、私は熱心に心配を伝えました。
するとやっといくらかとりあってくれました。
「なるほど、お兄様は職人を追ってこちらにいらしたと。ははあ、嫁入り道具に。という事は、宝石は職人ではなくお兄様の所有物という事ですな」
大臣は少し考えた様子をしました。
「うむ、ひょっとするとあの件かもしれないな」
「何かご存知なのでしょうか?」
「昨日王様に献上されたあの宝石かもしれませんな。おろかな職人め、けしからん」
「宝石を持ってきた職人がいたのですね、きっとそれに違いありません。兄もこちらに参りましたでしょうか?」
「まあお待ちなさい。宝石が王様の御手にあるとなると少々話がややこしいですな。宝石を取り戻すのは難しいかもしれません」
大臣は宝石の所有権について説明を始めました。
つまり、兄が取り返しに来たのが大臣の言う宝石ならば、その宝石は悪い職人のせいですでに王様に献上されており、そして王様がご自分の物と考えていらっしゃるのであれば返してくれとは言えない、と言うのです。
「そうだ、こういうのはいかかでしょう、私が充分に代金をお支払いしますのであの宝石は手放していただけませんかな?もちろん金額はお望みのままです。こうするのが一番あとくされがないと思うのです」
やっと兄の消息が知れるかと思ったのですが、大臣は宝石のことばかり気にかけていました。
「はい、私は宝石などはどうなっても良いと思っています。兄に会わせていただければ、お譲りするように説得いたしましょう」
私は言いました。
ところが大臣はそれでも納得がいかない顔をしました。
「うーむ、そうですか、わかりました。まあ、先ほどの者がお兄様の消息を確認してきたら、宝石の事はまたそこで相談するといたしましょう」
しかし、お付きの人は一向に戻ってきませんでした。
「そうだ、お嬢さんはここで、つまりお城で働いてみたくはありませんか?」
大臣はまた私の事を話題にしてきました。その上、
「町のどこで働くより良い給金をお出しすることができます。あ、いや、それよりもいかがでしょう、私の妻になりませんか?」
突然求婚までしてきました。
「まあ」
私は驚きました。
いいえ、うれしかったからではありません。
兄の事はそっちのけで全く関係のない申し出をされたからです。
私が困って返事をできないでいると、大臣は結婚を迷っていると勘違いをしたようでした。
大臣は、王様に代わって重大な決め事をしている自分がどんなにえらい人間であるか、またいかに莫大な財産を持っているか、こんな自分に求婚される事がどんなに幸運かを熱心に、そして自慢げに説明してきました。
でも私には大臣の持っている財産やえらさは、ちっとも魅力的には感じませんでした。
きっと父や母から、えらさやお金よりも大事なものを教えてもらっていたからだと思います。
私は少しも大臣と結婚したいとは思いませんでした。
それよりも、兄が今どこでどうしているかという事の方が心配でなりませんでした。
そしていくら言っても兄への心配が伝わらない事をもどかしく思いました。
「お話はありがたいのですが、本日は兄を探して参りました。何よりも先に兄に会いたいと思います。」
「そうですか、心からお兄様を心配されているのですね」
大臣はうわべだけは同情しているように言うと、少しの間また考え込みました。
「まず先にお兄様にお会いになりたい、だがそれは難しいかもしれません。実は宝石を自分のものであると言い張った男が昨日から囚われているのです。いや、不幸にもその男の主張を認める証が何も無かったからなのです」
きっと囚われているのは兄に違いない。私はそう思いました。
大臣はそんな男がいる事を知りながら、なぜすぐに教えてくれなかったのでしょう。
「それで帰って来れなかったのです。その人が兄に違いありません。ああ、どうぞ兄に会わせてください」
「すぐに釈放するのは難しいでしょうな。なにしろわが国の法によって投獄されておりますので」
「そんなのってないです!兄は何も悪い事はしていません」
つい私は大きな声を出してしまいました。
大臣は自分の口に指を当ててから、ゆっくりとその指を掲げました。
「しかしあなたは運がよろしい。この国でただ一人、私ならば法を超え、お兄様を助けられるでしょう」
大臣は静かな声で続けました。
「もしお嬢さんが私の花嫁になってくださると言うのならば、私の力でただちにお兄様を自由の身にして差し上げましょう」
それは、親切そうな口調とはうらはらにとんでもない取り引きでした。
兄を救いたい私には断ることのできない提案でした。
「わかりました。それではどうぞ兄と相談させてください。兄が認めれば私はそれで結構でございます」
私は覚悟を決めてそう言いました。
床の模様を見下ろして、兄が良い考えで私たち二人を助けてくれますようにと祈りました。
ところが、大臣からの返事はありませんでした。
視線を上げて大臣を見るとやさしそうな表情は消え、私をとても憎々しげに睨んでいました。
私の知らないうちにいつの間にか大臣は逃げ道を無くして、嘘を付ききれなくなっていたのです。
「頑固な女め。何を言っても兄が兄がだ。兄も生きていればこんな良縁を断るわけがなかろう!」
なんという残酷な言葉でしょう。
それだけは考えたくもなかった最期が兄に訪れていたのです。
「ひどい!」
私はその場に座り込んで泣きだしてしまいそうでした。
でも目の前の残酷な男に負けたくなかったので、必死に涙をこらえました。
大臣は立ち上がって私を脅しました。
「私はこれと思ったものは何でも必ず手に入れてきた。宝石は持ち主たるお前もろとも私の物にする。お前は私の妻となるのだ」
「お断りします」
「強情を張ると兄と同じ目にあわせるぞ」
「いやです。どうして兄を殺した残忍な男の妻になどなれましょう」
私は心からそう思いました。
「承知しないのならば、いっそ居なくなってしまうがいい。お前が消えればもう所有者も居ない」
私は兄と同じように殺されるのだと覚悟しました。
悲しくて悔しくてとうとう涙があふれました。
大臣は低い身長を目いっぱい反り返らせて私を見下ろしました。
「なぜ私が王や他の誰よりも優れているのかを見せてくれる」
大臣は左手を自分の胸に当て、右手を鎌首のように持ち上げて五本の指を伸ばしました。
その右手は蛇の頭のように私を狙いました。
「人の男と結婚せぬ限り、鳥となれ!
そして、ひとたび言葉を発した後には人の言葉を忘れ鳥として生きるが良い!」
この時の私には大臣の言葉の意味がわかりませんでした。
怒りのためにでたらめな事を口走っているのだ思いました。
私は突然寒気に襲われたかと思うと床に転んでしまいました。
大切にしていた耳飾りが石の床に落ちて転がりました。
すぐに立ち上がりましたが、着ていた服は床に残され、体は白くもやもやになっていました。
何かおかしいと思い周りを見回すと、小机の鏡の中にこちらを向く鶴が映っていました。
「わはははは、お前は鳥になったのだ。人が夫にならねば戻ることはかなわぬ!」
大臣は私を見下ろして、せいせいしたという顔で笑いました。
「良く聞け。今はまだ人の心を持っていよう、しかしひとたび人の言葉を口にした後には、人であったことすら忘れ、鳥として生きねばならぬ」
大臣はわざわざ説明まで付け加えて、従順でなかった私に思い知らせました。
「うふふふ、悔しければ私に向かって歯をむいて笑って見せるが良い」
大臣は勝ち誇りながら懐を探りました。
「そうだ、そうしよう。もし鳥の歯を見せられようものなら、私は全ての魔力を失ってもよいわ!」
魔力。
確かに大臣は魔力と言いました。
魔法なのです。
私は大臣の魔法の力で姿を鶴に変えられてしまったのです。
「ふん」
大臣は取り出したムチの様な棒で打ちかかってきました。
怖かったせいか、鳥の本能だったのかはわかりません。
私は羽ばたいて、窓から飛んで逃げ出しました。
「後悔するがいい!」
空中から翼越しに振り返ると、四角い桟の中の大臣は顔の半分だけに冷ややかな笑いを浮かべてこちらを見上げていました。
屋根よりも高い景色にめまいを覚えた私は、すぐに広い中庭に降り立ちました。
今生えたばかりの羽でしたが、飛ぶことも降り立つこともなんとかできました。
でも、一息つく間もなく給仕女中と調理人が私を捕まえようと走り寄ってきました。
「まあ、こんなところに珍しい」
「鶴だ、おい鶴だぞ」
私を人だとは思いもしなかったのでしょう。
捕まったら何をされるかわかりません。
私はまた飛んで逃げました。




