【ボーの話】
辺りが暗くなり始めた頃、僕は街道脇の高い高い木の根元で寝転がっていました。
おなかが減ったなと考えていた時に、かなり遠くで何かの気配を感じました。
立ち上がって茂みの向こうを覗くと、そこには丁度ここと同じような広い河原が広がっていました。
そして河のほとりでは、一羽の大きな鳥がじたばたともがいていました。
鶴が何かに脚を絡ませて飛べずにいたのです。
僕は動きのとれない鳥なら捕まえられると喜んで、急いで忍び寄りました。
鶴はまだ遠いうちから僕に気が付いて羽ばたきましたが、バランスを崩すだけで飛ぶ事はできません。
僕は充分に近づいてから鶴の前後に両手を広げて狙いを定めました。
でもいざと思った瞬間に声がしたんです。
「助けて!」
僕はびっくりして周りを見回しました。
近くで隠れている誰かが声を上げたと思ったんです。
それくらいはっきりした声だったのに、周りには誰も居ません。
「まさかお前か?」
僕が訊くと鶴が返事をしました。
「はい、脚をとられて困っています。どうか助けてください」
僕は確かに鶴に話しかけましたが、まさか本当に返事をされるとは思っていませんでした。
鶴は今にも泣き出しそうな目で僕を見つめていました。
こんな鶴を生け捕りにするのはたやすい事ですが、もう食べてやろうという気持ちもどこかに行ってしまいました。
鶴の片脚に絡まっていたのはぼろの魚網でした。
鶴がじっとしていたので網は簡単に解けました。
脚が自由になると鶴は二、三回足踏みをしました。
でもすぐには飛び去りませんでした。
「もう外れたよ」
僕が言うと、鶴は横を向いてつぶやきました。
「ああ、ついにしゃべってしまいました」
そしてちょっと考え込んだ後に、真っ直ぐに僕を見てこう続けました。
「お願いです。どうぞ私と結婚してください」
僕は自分がさっきの大木の下で夢を見ているのかと疑いました。
それくらいわけがわかりませんでした。
なにしろ鶴が人の言葉を話すし、その上お嫁さんにしてくれと言ってきたのです。
僕はそう言われるまでメスだと言うことにも気がつかなかったくらいでした。
鶴は目を閉じてじっと答えを待っていました。
まるで僕に怒られるのを待っているようでした。
僕はしばらく考えてから言いました。
「いいよ」
鶴はくいっとくちばしを上げました。
「本当に?」
そしてすぐに僕の目を見つめ直してもう一度訊きました。
「本当ですか?」
「うん」
僕が答えると鶴は泣いて喜びました。
「ああ、ありがとうございます」
もちろん鳥だから涙も出ないし、手で顔をぬぐう事もありません。
だけどそういう風に見えたのです。
「ああ、信じられません、断られると思っていました」
「うん、なんか本当に一生懸命みたいだし、助けてあげられるならそれでいいよ」
「本当にありがとうございます」
鶴は何度も何度もお礼を言いました。
僕は近くの大きな石の上にあぐらをかいて座りました。
もう少し落ち着きたかったのです。
すると鶴は僕の座る近くに寄ってきて、隣に立ちました。
「ああうれしい。でも本当に信じられません。なんて私は幸運なんでしょう。そしてなんてご親切な方なのでしょう。いったいどうして私などの頼みをきいてくれたのでしょう。ああ、なんて日でしょう。こんな日が来るなんて!どうしましょう!」
鶴はくちばしを振ったり翼を広げたりしながら、とてもうれしそうに、とても興奮して早口で話しました。
目の前の河は光を吸い込み暗い色で流れていました。
風が吹くたびに紫や白のさざなみがきらきらと輝きました。
そんな夕暮れの景色を眺めているうちに、僕の驚きも鶴の興奮もだんだんと落ち着いてきました。
「結婚を承諾してくれる人がいるなんて思いませんでした」
「僕だってしゃべれる鶴がいるなんて思わなかったよ。それに結婚するなんて考えた事も無かった。つまり相手が何者かにかかわらずにだけどね」
鶴は自分の体を見回して訊きました。
「私が恐ろしくはないですか?」
「怖くない、そんなに強そうには見えないよ」
鶴は腰掛けた僕よりも高いくらいの大きさがありました。
僕は鶴をこんなに近くで見たのは初めてでした。
「あ、でもくちばしが顔の近くでびゅんって動くと、ちょっと怖いかな」
鶴は笑うように上を向いてぱくぱくしました。
そして、鶴はまた少し僕の近くに寄って立ちました。
しばらく僕たちは一緒に夕暮れの河を眺めました。
僕は訊きました。
「あのさ、なんでしゃべれるんだい?」
「はい、今はこんな姿をしていますが、私もちゃんとした人だったのです」
鶴は話し出しました。




