3章『四人の魔宝使い』
校庭の片隅。
恭平が目を閉じて、ブツブツと何かを呟いていた。
それは、人間の言葉などではない。
この世界に直接語りかける、魔術師の“呪文”。
一般の男子高校生に扱えるそれではない。
何故、彼がそんな物を唱える事が出来るのか? それは、それが彼の“魔宝”の神秘だからだ。
「ふう……。」
恭平が目を開いた。
その視線の先には、妖しい光を灯す“栞”が握られている。
それこそが、彼の“魔宝”だった。
栞とは、読んだページに印をつける為の道具だ。
それがあるから、人はその本の続きを瞬時に開く事が出来る。
……過去。
彼の先祖にあたる生粋の魔術師が、ある金属製の栞を愛用していた。
その栞は、数世紀に及ぶ年月を掛けて彼の子孫に愛用される事になる。
そして、主に魔道書の間に挟まれ続けたその栞は、その内容までを“記憶”し続けていた。
……そしていつの間にか、それは“魔宝”に昇華していたのだ。
魔術師としての血が薄れた後も、その“魔宝”の記憶は消えない。
すなわち、加森恭平が愛用するその栞は。
数百冊にも及ぶ魔道書の内容を完全に記憶した、“魔術師の記憶”である。
「詠唱終了。っと、いつでも撃てるぜー。」
恭平は、傍に立つ涼香にその事を伝えた。
「そう。じゃ、予定より早いけど、合図するわね。」
「何の予定だ?」
「……何でも良いじゃない。」
そう言って涼香は、その場で指を軽く鳴らした。
傍から見ると何の変哲もない仕草だが、その音は多分体育館の中にまで響いているのだろう。
……それから、ほどなくして。
「あら……派手にやったわね。」
体育館が轟音を上げながら崩れ始めた。
「……派手過ぎだろ。まあ、あいつらにしては上出来な方だが。」
命からがらと言った体で、崩れる体育館から脱出してきた二人を見て、恭平は言った。
「ええ、そうね。後輩の成長に涙腺が緩むわ……。」
「おまえも同い年だったはずだがな。」
後輩だと言うのに、どうしてこう先輩に敬語が使えないのだろうか。
……まあそれは。彼女にとって尊敬出来る人間など、この世にいないからなのだが。
――ドゴォオオオンッ!!!
そして、体育館があった場所から、“納豆”が高く盛り上がった。
うまい表現を考えるならば、それはまさに夢の『納豆タワー』。
1度見たら1週間は納豆を食べたくなくなる大きさだ。
「……狙いやすさは、天下一品ね。」
「ああ。おまえの作戦は、本当に上手くハマる。」
そう言ってから、恭平が魔術詠唱の最後の1文を声に出す。
それで彼の魔術が完成した。
「ただの“納豆”じゃ味気ねーからな、調理してやるよ。」
今にも雪崩を起こしそうな“納豆”……その上空に不可思議な紋様が刻まれた。
それからは早かった。“納豆”の動きがどんどん止まっていく。白く変色し、固まっていく。
……スライムとは少し違うが、攻略の仕方は同じだ。
そいつらの弱点は決まって『冷凍』と『乾燥』なのである。
「……瞬間冷凍魔術。命名、『フリーズドライ』。」
「わあ。凄いネーミングセンスね。尊敬するわ。」
「……だったら敬語ぐらい使ったらどうだ。」
「皮肉よ。分からない?」
「うるせえ。」
恭平の魔術によって行動を停止した“納豆”を眺めながら、二人が軽口を交わす。
そこに、陽子と里奈が合流した。
「ちょっと涼香ちゃん! 戦線を離脱して先輩と二人っきりってどういう事よ!?」
「作戦の一環よ。そのおかげでアレを凍らせられたんじゃない。」
「……それはそうだけどー。」
陽子は不機嫌そうな表情を浮かべる。
……しかしこの作戦、涼香がこっちにいる必要は無かったのではないだろうか?
「カカカカ! ……流石に涼香殿は誤魔化すのがお上手だ。」
「里奈。キレるわよ?」
尋常じゃない剣幕だった。
「それは大変な失礼をば。……まあ、陽子殿には最後の一仕事が残っておる。そう不貞腐れなさんな。」
「私に、最後の一仕事?」
陽子が首を傾げる。
「……あいつは凍ってるだけだからな。融ければまた動き出すだろ。だから……。」
「ぶっ壊してきなさい。」
そう言うと同時に、涼香が陽子を飛ばした。
――ウギャ~~~~~……!!
陽子の悲鳴が遥か上空から落ちてくる。
「……容赦無いのー、涼香殿は。」
「腹いせよ。アンタに気分悪くされたし。」
「そりゃあ陽子殿も、飛んだとばっちりだ。……おろ? 今、我上手い事言った?」
「上手くない。」
女子二人が談話する中、恭平だけがただ一人、空を見上げていた。
「……まあ、アイツの“魔宝”なら大丈夫か。」
しかし、すぐに首を下ろしてしまうのだった。
◇◆◇◆◇
陽子は空を飛んでいた。
「うぎゃあああああっ!!!!?」
いや、正確には落ちている。
場所は遥か上空。眼下には納豆タワーの頂上が見える。
校庭にいる3人は豆粒よりも小さい程だ。
「いくらなんでも、いきなり飛ばすなあっ!!」
落下しながら、吐き捨てるように叫ぶ陽子。
当然その叫びは空に消えていく。
「……まあ、愚痴ってても仕方ないか。」
さっさと終わらせて地上に帰ろう。
そう思って、陽子は“魔宝”を開放した。
……そう言えば彼女の“魔宝”の紹介がまだだった。
彼女は制服のリボンに、明らかに彼女の趣味に合わないようなブローチをつけている。
青い宝石で飾られた、翼のようなモチーフ。
それが彼女の“魔宝”だ。
「よーいーしょっと!」
そんな掛け声と共に、陽子は空中に『立った』。
……いや。正確には落下したままなのだ。
ただ、自由落下しているとは思えないほどの。
不自然なまでに自然な、“立つ”姿勢を空中でとっているから、そういう風に見えたのである。
尋常じゃないバランスと、筋力がなければ到底出来ない姿勢。普段の彼女でも苦しいだろう姿勢だ。
……ならば、それが彼女の“魔宝”の神秘。
“空の虚像”。
彼女の遠い祖先である魔術師が、数世紀を掛けて完成させた大魔術の結晶。
その“魔宝”は、世界を覆う大空の、完全なる“複製”である。
「さーて……、それじゃあ、とっととこのデカブツをぶっ壊すとしますかっ!!」
彼女はグルンと頭を下にして急加速する。
“空の虚像”を開放した陽子には、空中を自由に移動する事など造作もない。
彼女の“魔宝”は、一つの空の結晶なのだ。それを開放した陽子は、もはや空そのものとも言える。
「とぅおりゃあああああっ!!!」
加速。加速。加速。
音速を超えた速度で“納豆タワー”に接近する陽子。
「3……2……1……。」
射程に入ったところで、定速を保って攻撃のタイミングを合わせる。
「……0!!!」
腕がやっと、頂上に届くほどの距離。
……“空の虚像”は、大空そのもの。
それには、空の重さがある。
「エア! グラヴィトォォォォォンッ!!!」
陽子が突き出した拳の重さは、空の重さに等しい。言葉通り“空”が落ちてきたようなものだ。
その衝撃は、凍てついた“納豆”の塔など、余裕に破壊できるものだった。
◇◆◇◆◇
「……見つけた。飛んでくれ、涼香殿。」
「了解。」
その指示で、涼香が崩れ落ちる“納豆”の目の前に飛んだ。
「あそこだ! 恭平殿!」
「……了解。」
飛んだ先で、恭平が里奈の示した方向にある物を視認する。
すぐに呪文を唱えて、その目標を捕らえる。そのまま、手元まで引き寄せた。
「……捕縛魔術。命名、『見えない檻』。」
「じゃ、戻るわね。」
そしてまた校庭まで引き返す。グズグズしていると塔の崩壊に巻き込まれるからだ。
「よし。これでまた任務完了ってところかの。」
恭平の手の中にある物を見て、里奈が感想を漏らした。
「そうね。今回も余裕って、ところかしら?」
「どこがじゃ! 我たちは死ぬような目に合っていたんだぞ!?」
――ズドォンッ!!
「そうよ! 喰われるトコだったのよ!?」
地響きと共に、空から降ってきた陽子が会話に加わる。
「ま……とりあえず、“核”を壊すまでが任務だろう?」
恭平が手に持っていた物を地面に放り投げる。
何かしらの機械のような球体がゴロンと転がっていた。
「あ。これが“納豆”無限製造機?」
「そう言えば夢はあるが、ただの“悪魔”の心臓だ。」
“悪魔”というものは、どんなにダメージを与えても死ぬものじゃない。
その“核”を破壊してこそ、やっと死ぬ連中なのだ。
「しかし、いつ見ても不思議ね。こんな金属部品を動力にして生命が成立するなんて……。」
「どうせ異世界の産物だろ? こっちじゃ理解出来ない倫理が働いてるんだろうよ。」
「うむ。我の“レンズ”で理屈自体は分かるのだが……この世界での再現は不可能だろうな。」
「まーとりあえず破壊しちゃうね?」
陽子が片足を持ち上げて、踏みつける動作を取る。
「あれ? でもこれがあれば、家でずっと納豆を食べられる……?」
「喰われかけたんでしょ? 逆に喰われるわよ。」
「それはヤダッ!」
――ドォンッ!!
空の重さは、今度こそ“納豆”の息の根を完全に踏み潰した。