第7話~刃に乗せる想いは……~
「う、お、おぉぉぉぉぉぉ……!!おぉぉぉぉぉぉぉぉ……!!」
咆哮する。立て、と。立ち上がれ、と。こんなところで寝ているな、と。
俺は――俺の成すべきことは――――!!
『落ち着きなさい。圭介』
瞬間、脳に響いたのは明確にしてすっきりとした、冷たく、しかしどこか熱が籠っている声。
アウラの声だ。熱されたものに冷水をかけられたように、俺の心の憤怒は消炎してゆく。
俺は今……何を……。
『戦場においての理性の崩壊は“死”を意味するわよ。また一つ勉強になったわね。』
アウラがからかうように、そして得意げにそんなことを言った。
……そうだ。冷静さを欠くことは何事においても致命的。
俗っぽいが、スポーツ、勉強、恋愛……どれも冷静さを失えば、そこでおしまいだろう。
ましてや命の削ぎ合いを行う戦場で冷静さを欠くなど――それこそ本当におしまいだ。
危なかった……。今アウラが声をかけてくれていなかったら、俺は今頃この世に存在していなかっただろう。
何の意味も成さないまま……真矢を救うこともできないまま、この命を断っていたかもしれないのだ。
そんな『もしも』を想像すると冗談抜きでゾッとする。
「悪い、アウラ……。俺、どうかしてたよ」
『いいのよ。それより……その傷、なんとかしないとね。少しじっとしてなさい。これくらいなら、すぐ治せるから。内臓破裂とか骨折とかは、幸いなことにしてないみたいだし』
「え?いや、アウラ……治せるって……」
俺が最後まで言葉を発す前に、突如として俺の全身が淡い光に包み込まれた。
そして起こるありえない事象。なんと、傷ついた俺の身体が、みるみるうちに回復していくのだ。
切り裂かれた、皮膚も。打撲して青あざができてしまった箇所も。総てだ。
まるで女神の加護でも受けたかのようにして、俺の全身の激痛は嘘のようにひき、傷もたちどころに塞がってしまった。これは……一体……?
『私の能力。先天的なものらしくてね。私の母さんも持っていた能力なの』
「……治癒能力か?」
『そんなところよ。便利でしょう?』
得意げに、そして自慢するかのようにくすくすと妖艶な笑い声を上げるアウラ。
確かにそれはこの上なく心強く、便利な代物だ。回復ができるできないでは得られるアドバンテージの差は大きいだろう。しかし、だからといって過信してはならない。恐らく、ダメージを多く受けすぎると……つまり致死レベルの傷を負ってしまえば、回復できないこともないのだろうがやはり時間は通常よりかかってしまうのだろう。戦場で敵の回復を待ってくれる者など皆無だ。先は運よく、回復に専念でき、完全回復に至ることが出来たが2度目もそうとは限らない。何にしても、油断は一切できない。否、毛頭するつもりもない。冷静さを欠くことなく、理性を保ちながら戦闘に臨まねばなるまい。
もはや先のような二重の失態は許されない。
『準備はOKかしら?』
「あぁ。――いくぞっ!!」
気合を起ち上がらせるようにして、俺は溢れ出る闘志を爆散させながら大地を蹴りあげ、再び宙空への疾走を開始した。
仲間の死神と敵の天使が交戦してる光景が次々と瞳に飛び込んでくる。
そのうちの1つ――天使のレイピアが、まさに今、死神の心臓を穿たんとしている光景が、熱を以ってして俺の瞳のレンズに伝導してきた。
『圭介、とばせばまだ間に合うわ、急いで!!』
言われるまでもない。俺は宙空を激しく蹴り、瞳に映した光景の直線状めがけ、真っ直ぐに爆進した。
大気が、風が、しつこいほどにねっとりと全身に絡みつく。先から耳鳴りのように耳がキンキンして痛い。
それは非日常に俺が身を浸しているからなのか、それとも慣れない『空中の疾走』という動作を行っているからなのかは定かではない。
鎌を構える。両手で強く握りしめる。天使の背後に位置。そして――
「っしゃぁぁぁっ!!」
自らを奮い立たせるような雄叫びを上げ、天使に向けて横薙ぎの斬撃を放った。
刃が天使の五体へと吸い込まれていく。そして、すり抜けるようにして、俺の一撃は天使の身体を切断し、上半身と下半身を芸術的なまでに綺麗に掻っ捌いた。
先のように、当然のように鮮血が俺の身体に降り注ぐ。だが、先よりも罪悪感は感じなかった。
多分、自分の行ったことを正当化したかった故だろう。きっと、俺のやったことは正しいと思わせる事によって、罪悪感をすり潰したかったのだ。
だが俺のやってることは間違いなく殺人行為。胸を張って正当化できるものではない。
「悪い、助かった!」
俺によって命を拾われた死神は軽い礼を述べると、再び自身の得物を構え直し、断末魔が渦巻く戦場へと飛び込んでいった。
「……」
俺も深呼吸を一つし、脳内をクールダウンさせてから意識を切り替えた。
敵を一人一人殺す度に物思いに耽っていちゃ世話ないことこの上ない。
これからは何人も何人も……それこそ、星の数ほどの天使を殺すかもしれないのだ。
正直不本意だが、『殺す』という行為に慣れなければいけない。
それができないようでは、この先生き延びる事なんてできないだろうし、俺の目的を完遂することも不可能になるだろう。
「……よし!!」
鎌を右手に持ち替え、自身に渇を入れて一匹の天使に標的を絞り、己の足を走らせた。
俺の脚が、まるで自分の脚ではないかのように、機械的に宙を翔け、大気を切り裂いていく。
狙いをつけていた天使が、俺の殺気に勘付いたのかゆっくりとこちらへと振り向いた。
だが、遅い。既にこちらは攻撃へのモーションへと移行している。
この速度ならば避ける事も不可能。ましてや、防ぐにしてもやつは得物……つまりレイピアを手にしていないため、元よりそれは不可能だ。まさか素手で防御するなどという愚行を行うはずもないだろう。
ならば迷うな。その刃を振るえ!
俺は自身の握る刃を一際強く握り直し、そして天使がこちらを振り向くよりも先に脳天へと唐竹割りを放った。自負でも何でもなく、タイミング、角度、どこを取っても完璧な一撃だったはずだ。
しかし――――
突如として響いた、ギィン、という耳障りな金属音により、俺の放った『完璧』はいとも容易く、砂で作った城のように崩れ去った。
「な……にィ……!?」
『これは――――』
眼前で起きた信じられない光景に、俺とアウラは同時に驚愕の声を上げた。
いや……待て、おい……何だこれは? 何故この天使は、自身の腕に刃が食い込んでいると言うのにこんな機械のような平然とした表情をつくっていられるんだ?
明らかに異常だ。俺は本能的にそれを悟り、天使の腹部を蹴りあげ離脱を試みようとしたが――
「っ……っ……!!?」
形容しがたい衝撃が、俺の五体を殴りつけた。一瞬何をされたのか、自分がどういう状況なのか把握できずにいたが、すぐに、あの天使にどてっ腹を蹴りあげられたのだと悟った。
腹を満たす不快感をどうにか堪えながら、俺は宙を蹴り、一旦天使と距離を測った。
「くっそ……何だあいつ……あれじゃ、天使と言うよりまるで機械……」
『そうよ。あいつは機械。死んだ天使の魂を宿す、『機械仕掛けの天使』、よ』
「な……機械ィ!?」
何なんだ……。天使だの悪魔だの非科学的なものの闘争に巻き込まれたと思ったら、次は正真正銘の科学兵器のご登場ってか……? くっそ、何でもありな世界ってことかよ。
『まぁ詳しくは説明している時間はないけど、ようは天使側の武器よ。機械という名の、ね。生半可な天使よりよっぽど強いわよ、気をつけなさい』
「言われなくても、元よりそのつもりだっ……!!」
アウラと会話している間に接近してきた『機械仕掛けの天使』の鉄拳を寸でのところでかわす。
これは確かに、さっき殺した天使たちよりも一癖も二癖もありそうだな……。
放ってくる一撃一撃が的確且つ、機械故なのか考えていることがまるで読めやしない。
「――――」
天使は、無言の殺意を乗せて俺に向けて拳を放ってきた。速く、正確な一撃だったが追撃が来ると予想していた俺はそれをあっさりとかわし、宙を後ろ回りに回転しながら、天使の胴を2つに分かつ斬撃を放った。
直撃していれば間違いなく絶命――機械だから機能停止と言った方が正しいか――必至の一撃だったが、しかし俺の放った斬撃は天使の胴体を分かつことはなく、ただ空を切り裂くのみだった。
かわされたか、と瞬時に悟った俺はすぐさま後退を選択する。
その後退が幸いしてか、天使の拳は、しかし俺の五体を穿つことはなくただ何もない空間を殴りつけているだけだった。
『ナイス判断。後退してなかったら、胸部にクレーターつくられてたかもね』
「冗談でもんな物騒なこと言うなっての……」
だが真実、あそこで後退していなかったならば俺は間違いなく胸骨をバラされていたことだろう。
そう考えると、アウラの言葉がいくら冗談とはいえゾッとする。
「――――」
『機械仕掛けの天使』は、まるで俺を試すかのように、拳を構えたままただ悠然と立ち尽くすのみだ。
機械だからただ機械的に動いてるのかと思ったがそういう訳でもないらしく、ちゃんと思考能力はあるらしい。対して俺も吹き出る手汗を素早く拭い、右手に鎌を持ち替えた。
次の攻防で総てが決まる――論理的に思考を組み立てたわけではないが、俺の本能がそう語っていた。
『……そうね。私もそう思う。ここで貴方が攻めるか、それとも相手の出方を窺うかは自由よ。貴方の好きにしなさい』
「……ちなみに、お前ならどうするよ、この局面」
震える声でアウラに訊ねる。他力本願ではなく、俺より戦闘経験豊富なアウラに助言を呈してもらおうという算段だ。俺が何の考えも無しに勝手に突っ走り勝手に死ぬのならまだいいが、俺はこいつの命も背負っている。ならば慎重になるのは道理というやつだ。第一、こちとら死ねと言われて死んでやれない身だ。慎重になるな、という方が難しい注文である。
俺の問いに「ふむ」としばらく首を捻らせていたアウラが、唐突に、囁くように、しかしどこか力強い声でその意志を口にした。
『私なら、攻める。けど、さっきも言ったけど決めるのは貴方自身。大丈夫、安心して。仮に貴方があいつに押し負けても、私には“作戦”がある。……ううん、“勝機”と言った方が正しいかもね』
アウラは、どこか勝利を確信したようにくすくすと妖艶な笑い声を上げる。
……勝機だと? そんなものがあるのか? 一瞬、驕りではないのかと疑ったか、俺より戦闘経験が豊富なこいつが慢心などするはずがない。勝負に絶対など存在しないとはよく言ったものだが、こいつが言うのであれば、必勝の算段があるのだろう。ならば俺はそれに賭けるまでだ。それ以外の選択肢などない。
「……判った。なら俺も攻めることを選択する。だから、そのお前の言う“勝機”ってやつを教えてくれないか」
『あら、私を信じてくれるのね。嬉しいわ』
本当に嬉しがっているのか定かではないが、アウラは喜ぶように無邪気な笑い声を上げる。
戦場においてここまで余裕を保てるのはキャリアの違いなのかそれともこいつ自身が戦闘を行っていない状況下にあるのかからかは判らないが、何にしても図太い奴だ。
『簡単なことよ。私がこれから、更なる力を貴方に注ぐ。貴方は全力を以ってしてあいつに突貫しなさい。その鎌で殺せるなら殺していいけれど……最悪接触さえできればそれはもう勝ったも同然。だから迷わず、往きなさい、圭介』
アウラの凛とした声が鐘のように俺の五体に響き渡った瞬間、それは起こった。
力の奔流が、俺の中で超疾走を繰り返す。幾度も幾度も、飽くことがないかのように、それは次々に重ねられていく。そして次の刹那、アウラと一つになった時とは比較できないほどの力が、俺の中で溢れ返った。
俺の中から外部にかけて洩れだす、常軌を完全超越した力。その力といったら、先までの俺の力の比などではない。さすがにラウザほどの熟練者にまでは届かずとも眼前の天使など簡単に屠れるほどの力を、今の俺は有していた。アウラの言っていた勝機とはこれのことか。なるほど、確かにこれほどの膨大な力があれば、いくら戦闘初心者の俺でも必勝できるというもの。
「――よしッ!! 往くぞッ!!」
大気を強く蹴りあげ、自分の発した声さえも追い抜いて、俺は天使へと疾駆を開始した。
同時に、天使も迎撃の構えを取る。
交差は一瞬。勝負も一瞬。そして生死も一瞬。
――必ず、勝つ。
純粋にして単純とも言えるその思いだけを胸に、俺は眼前に悠々と聳え立つ天使に向けて、裂帛の気合を乗せた斬撃を放った。
同時に、刹那のズレさえ生じる事なく、天使も動き出す。
俺の上段に対し、天使は苦もないかのように、美麗とも言える動きで回避行動を起こした。
天使が俺の真横に立つ。そして刹那、放たれる鉄拳。その一撃は、きっとどのように堅固な巨岩でも打ち砕いてみせるであろう代物。つまり直撃すれば俺は間違いなく死ぬ。当たってはならない。
ならば避けるか? それとも、この無理な体勢から無理矢理迎撃してみせるか? それとも潔くこの一撃を食らうか?
俺の出した答えは――――
「どれでもない。俺はお前に“触れる”ことを選択する」
俺は、戦場に似つかわしくない笑みをここぞとばかりに浮かべ、そして――――
天使の鉄拳を、受け止めてみせた。稲妻のような衝撃が全身を蹂躙する。
思わず手放してしまいそうになるのを、奥歯を噛みしめなんとか堪える。
あぁ、懇願されたって放してやるもんか。何故ならこれで勝利の方程式は立てられた。
そう。俺は――――天使の五体と接触したのだ。
「これでいいんだろ、アウラッ!! 見せてみろよ、お前の“勝機”ってやつをッ!!」
勝利への条件、天使への接触はこれにて満たされた。勝利の方程式は一切の隙間なく組み立てられたのだ。
俺の笑みに対し、アウラは返すようにやはり妖艶に微笑んで――――
『私の魅せる“勝機”は、ちょっとトラウマものよ? 覚悟だけはしておきなさいッ!』
咆哮にも似た、しかしどこか悦びの混じっている声を響かせながら、アウラは次の瞬間、俺に“勝機”を魅せた。
「ギ、ギギギギギィィィィィィィィィィィィッ……ィ、アァイィィッ…………!!!」
天使が突如として、不協和音とも形容できる絶叫を轟かせ始めた。……何だ? 何が起きている?
俺は天使の腕に触れているだけだぞ? それなのに何故眼前の天使は、鋭利な刃で切り裂かれているような悲痛な断末魔を咆哮しているんだ?
俺の疑問に対し、アウラはあえて冷静な声で眼前で起きている事象について説明を始めた。
『言わなかったかしら。死神は死者の魂を食らう存在。そして、『機械仕掛けの天使』は死んだ天使の魂を宿す機械……ここまで言えば、判るわよね?』
「……食って、いるのか。魂を」
そういえば、さっきから天使の身体から俺の身体にかけて、沸騰した湯のように熱い活力が伝導してきているのを感じる。これの正体は、魂を食っているということだったのか……。
『……さ、圭介。ひと思いに、楽にしてあげなさい』
「……あぁ」
触れていた腕を手放し、鎌を上段に振りかぶる。
もはや罪悪感は存在しなかった。そもそも、戦場において罪悪感を持ち込むなど、戦いに臨んでいるそれぞれの者の想いを侮辱していることに他ならない。俺はそんなことはしたくなかった。
誰が悪で誰が正義でとか、戦場においてそんな定義は存在しない。
戦っている者それぞれ、自分の正義があるのだ。俺はそれを否定したくない。
仮にこいつが俺の敵でも、死者でも、機械でも、掲げた正義だけは尊重したかった。
だから俺がこの刃に乗せるのは罪悪感でもなければ謝罪の念でもない。
この刃に乗せるのは――――
「せめて、成仏だけはしてくれよ」
俺の発した言葉を追い越して、漆黒の刃が天使の五体を貫いた。
俺が刃に乗せた想いは、何とも幼稚で、そしてちっぽけな代物だった。
今回のバトルはこれにて終了です。いやしかし、かなり自分の中でも反省点の多くなったバトルシーンになってしまいました。不完全燃焼と言うんですかね、書ききれなかった感がすごいです。今回のバトルは色々中途半端でしたが、次回からのバトルは、今回のバトルよりはマシになってると思いますので、宜しくお願いいたします。