第2話~日常の象徴~
チュン……チュ……
「ん……」
小鳥たちの、綺麗且つ整ったさえずりに意識を覚醒させられる。もう朝……か。
全身が泥沼にはまったように重い……。
「……目覚まし……ご苦労さん」
俺は横になった姿勢のままで、小鳥達がいるであろう窓の向こう側に礼の言葉を投げつけた。
一か月前までは……真矢が元気いっぱいに俺のことを起こしてくれたんだけどな……。
まぁ、今も……。
ブーッブーッ、と、突如として俺の携帯のバイブ音が耳元で鳴り響いた。
……言ったそばから、か。
「もしもし?」
『さて、ここで問題です 私は誰でしょう?』
「愛する妹、神菜崎真矢」
『正解!お兄ちゃんのことが大好きな神菜崎真矢ですっ』
「相思相愛だな」
『あは、結婚する?』
「おう、しちまうか」
あいつが入院してから、毎日モーニングコールしてくれるようになった。
シスコンの俺としては、妹から毎日電話が来るというのは大変うれしい。
『じゃあお兄ちゃん、今日も頑張ってね!』
「あぁ お前もな」
「うんっ!」
……さて、これで今日も一日頑張れる……と言いたいところだが、そうも言ってられない。
昨日の医師の言ったことが……深く俺の心に刻み込まれている。
「……どうすれば」
……駄目だ。俺がしょぼくれてどうする。
あいつだって辛い闘病生活の中必死に頑張ってるんだ……しゃきっとしろ、俺!
俺は自身に渇を入れるように、自分の両頬を思いっきり両手でビンタした。……あ、すごく痛い。
自分でやっておいて情けないながらも、俺は自分で引っ叩いた頬をさすさすと撫でていると、下の階から俺のことを呼ぶ母さんの声が聴こえてきた。
「圭介ー!希美ちゃんが来てるから、早いとこ朝食済ましちゃいなさーい!」
「お、今日は早いな……ハイハーイ!今行くよー……っと」
…
……
………
素早く着替えを済ませ、一階に降りると希美はリビングに座り、俺の母さんと談笑していた。
いつも通りの、見慣れた朝の光景だ。
「あ、圭介。おはよう」
「うい、おはよう」
俺も希美の隣に腰かけて、「いただきます」ときちんと言い、目の前の朝食にありついた。
「今日は、早かったな」
「うん、いつもより早く目が覚めちゃってね」
こいつの名前は榊希美。
俺の幼馴染だ。気のいい幼馴染なんて創作物の中にしかいない空想の産物だ、幻想だ、と主張する奴も現れるかもしれないが、こいつはマジでアニメとかに出てくる幼馴染を絵に描いたようなやつで、何かと大変なウチの世話をしてくれている、とても気のいいやつなのだ。
それに加え、容姿端麗。男子からも女子からも好かれている、俗っぽく言ってしまえばうちの学園の同学年の間のアイドルみたいな存在……という俺にはもったいないくらいの高スペ幼馴染なのだ。
だいぶ付き合いが長いから、もう家族みたいなものだ。多分向こうもそういう認識だろう。
「じゃあ2人とも、遅刻しないようにね」
母さんは空気を読んだのか、台所の奥の方へ消えていった。……まぁ、別に読む必要なんてないんだけどな。
だってこいつと俺だし。
「……圭介、何かあった?」
「……何か……って?」
「何か……浮かない顔してるよ?」
無意識にそんな顔してたのか……。いや、もしかしたら長年の幼馴染故、気付いたのかもしれないな。
にしても、相変わらず希美は勘が鋭い。希美の前では特に気をつけなくてはいけない。
そう自分に言い聞かせ、いつも通りの笑顔をここぞとばかりに希美に見せつけてやる。
「いや、なーんも。強いて言えば、今日ミニテストがあるくらい」
「日本史のでしょ?圭介は勉強した?」
「かるーくな。あんなん、授業聞いてりゃ点採れるだろ」
中間、期末と違ってうちの日本史の教師は定期的にミニテストを出してくる。
と言ってもその内容は、高々10問かそこらの正に「ミニテスト」と言った感じの内容で、俺が言った通り、授業真面目に聞いてればそれなりにいい点数が採れる、といったものだ。
「そうかもしれないけど……甘く見てると痛い目見るぞー」
希美が軽く脅す感じで言ってくるが……まぁ大丈夫だろ。
「お前は頭いいから大丈夫だろ?」
そうだ。こいつは抜けているように見えるけど成績は結構良かったりする……いや、結構どころか大分、か。
いつも中間、期末では学年で20位以内をキープしている頭脳明晰野郎なのだ。もはや嫉妬を通り越してさすがとしか言いようがなくなってしまう。
「そんなことないよー。またそうやってからかって……」
「心からの本音なんだけどな……」
俺は小さな声でそうぼやいて、トーストをポタージュで静かに、そして一気に流し込んだ。
「うしっ、ごちそうさま」
「うわ、食べるの早……。時間に余裕あったからもっとゆっくり食べてもよかったのに……」
「別にいいじゃん、そんなんさ。じゃあ、母さん、行ってくる」
「おばさん、行ってきます」
「気をつけて行ってくるのよ」
俺たちは家を出て、いつもの通学路を歩みだした。初夏の匂いを感じさせる風が、俺達の肌や髪を撫でつけてゆく。
本当は、俺の隣に……真矢がいるはずなのに。
初夏の香りが漂ってきたせいだろうか、いつもよりも暗い思考になってしまっている。
……いけない、いけない。平静を装わなくては。
「今日も暑いねー……まだ7月中旬なのに……」
「だな……。でもまぁ、もうちょっと行けば夏休みだし、少しくらいの暑さは耐えられるよな」
「そうだねぇ……。でも……暑いものは暑い……。圭介ぇ~……涼しくして~……」
「そうだなぁ……。じゃあここは、いっちょ、背筋に寒気が駆け抜けるような怪談話を……」
俺が全てを言い終える前に、希美のつま先が俺のスネを的確に貫いた。
背筋に寒気じゃなくて、スネに激痛が駆け抜けたわ、この野郎。
「っつぅぅぅぅーーーー!!?」
「朝っぱらから怖い話とかやめい!!」
「あ、相変わらずホラー苦手だなぁ……」
「当ったり前でしょ!!もうちょっと……なんていうか……物理的に涼しくっていうか……」
「そんなの俺に頼むなよ……自販機で冷たい飲み物でも買えば?」
「えー……」
何、その露骨に嫌そうな顔……。別にお前金欠ってわけじゃないだろ。それどころかちょっぴりリッチじゃないか、お前。
「やはりここは怪談話……」
「それは嫌ーーーーー!!!」
…
……
………
「おはよう」
「おはよ~」
俺たちが教室の扉を開け、あいさつすると、皆「おはよー」とフラットに返してくれる。
そして……。
「おっす、二人ともー!!」
後ろから何の前触れもなく、唐突に馴れ馴れしく且つ暑苦しく肩を組まれた。ついでに希美も。
「ったく……朝から元気だな。おはよう」
「おはよう、丸山君」
「おう、おはよう」
こいつは丸山徹矢。 高校からの付き合いの……まぁ、俺の悪友的な存在だ。気さくで絡みやすくて……だがどうにもスケベで。いや、男なら皆そうだと思うんだけどね?限度ってもんがね?
しかし、こう見えて義理堅く、頼りがいのある奴なのだ。
「今日も2人仲よく登校か~……。いいよなぁ 朝っぱらからイチャイチャできて」
「イ、イチャイチャなんてしてないよっ!?」
「嘘つけ。通い妻のごとく毎朝圭介のこと迎えに行って一緒に登校して……。ハァ……」
徹矢が怨念のこもった瞳で俺を睨みつけてくる。何すか、その「爆発しろ」的な視線は、キモい。
「つか、お前おかしくね?可愛い妹さんと可愛い幼なじみがいるとか……。ギャルゲーの主人公かよ。
いや、今さらだけどさ」
「お前がそう思ってるんならそれでいいんじゃね?」
「何だその余裕っ!?リア充の余裕か!爆ぜろっ!!世のため人のため何より女っ気ない男共のためにここで一回爆ぜとけ!!」
「希美、行こうぜー。ただでさえ暑い日にこいつと絡んでるとマジで溶ける」
「あ、あはは……」
「いっそ溶けさせてやっていいんだぜぇ……」
「溶けさせる……?……!!アッー!!」
「そういう意味で言ったんじゃねぇよっ!!?」
「圭介×徹矢……?」
「しかも俺が受けかよぉっ!!?」
「え、丸山君、攻めならいいの?」
……などと、いつものごとくトリオ漫才をやってたら担任が入ってきたので、俺たちは席に座り、それと同時にHRが始まった。
――これが俺たちの日常だ。
…
……
………
「さー……ってと」
「圭介ー。昼飯、一緒に食おうぜー」
昼休み。授業の解放感に身を浸しつつぐーっと背伸びをしていると後ろから徹矢に話しかけられた。
「おー」
「あ、圭介!私もいいかな?」
「今日はこっちなのか?」
「うん、今日は皆学食らしいから」
「徹矢、異論は?あっても聞かないが」
「なら聞くなや。つうか、むしろウェルカムッ」
「俺も、もちろん歓迎」
「ありがとう、2人とも」
希美は、真夏の太陽顔負けの明るい笑顔をパァッと咲かせた。幼馴染ながら可愛い笑顔だ。
やはりこいつには笑顔が一番良く似合う、うん。
「今日天気いいし、屋上行かね?」
徹矢は良かれと思ってかそんな提案をしてくるが……。おいおい、マジかよ。外暑いぞ?
アスファルトの上なんかに座ってみろ。服越しでもいい感じに皮膚が焼けるぞ。
人間焼き肉パーティーでもおっ始める気か。
「うん、私はいいけど……」
え、マジか……。チラッと希美は俺の顔色をうかがってくる。……まぁ、いいか。
「んー……まぁ、希美がいいなら」
「ぃよしっ! 決まり!行くか!」
…
……
………
……と徹矢は張り切ってた割には、俺と希美を屋上に置いて購買へパンを買いに行ってしまった。
「あぢー……」
「本当……あまり人いないし……」
そりゃこんだけ暑けりゃな……。好きでこんな日に屋上出て干されたい焼かれたい地獄の焔で舐められたいなんて思う奴、存在しないだろう。
「とりあえず、先に食っとくか」
「うん」
俺たちは日陰に腰かけ弁当箱を開く。こうしてれば、少しは恋人らしく見えたりするだろうか。
「テスト、どうだった?」
「ん、大丈夫だった。そんなに難しくもなかったしな」
「確かにね~。……あ、そうだ圭介。おばさんって、今日の夜から仕事で二日間家、空けるんだよね?」
「……げ、忘れてた。そういやそうだったなぁ……」
「忘れてたの?もう、覚えててよ。大切なことなんだから……」
「うっ……さーせん」
「だから、ご飯とか困るでしょ?」
「……悪い。また頼めるか?」
「もちろんだよ。幼馴染だからね」
俺の一家……神菜崎家は母子家庭で、よく母さんが仕事のため家を空ける。
そんな時は決まって、希美が家に来て家事などを手伝ってくれるのだ。
小さい頃からずっとそうだった。希美は俺達のために、わざわざ料理や洗濯、掃除などのやり方を勉強し、何かと生活難な我ら一家を援助してくれてるのだ。
希美には……本当に、感謝してもしきれない。
「いつもありがとな 希美」
「きゅ、急にどうしたの……?フラグ建築……?」
「二次元と一緒にするな……。そうじゃなくて……なんつーか、さ……。
急にお礼言いたくなったっつか……」
「っぷっ……圭介、それ、圭介のキャラじゃない……」
希美はクスクスと俺を見て笑ってる。……まぁ、否定はできん。普段はこんな真面目なこと言ったりしないからな。……やべ、なんか思い出すと恥ずかしくなってきた!
「やっぱ今の無し!取り消し!」
「そんなことしなくていいよ。こちらこそ、ありがとう」
「……おう」
正直、俺が感謝されるようなことは何一つしていないと思うのだが……。ここは素直に、希美の感謝の気持ちを受け止めておこう。感謝される理由は判らないが、だからと言って無下にしていいはずがない。
「ったく、テメーら……人がいない間にいちゃつきやがって……」
いつの間にか徹矢がパンを抱えて戻ってきていた。本当に神出鬼没だなこいつは。
「だ、だからいちゃついてないってば……」
「どうだか……」
徹矢はぶつぶつと文句を垂れ流しながら俺の隣にドサッ、と腰を下ろした。
少しは落ち着けっての。
「何のパン買ったの?」
「ハムカツサンドとカレーパン」
「おー、豊作だね」
「つまんねー」
「つまんねってお前……じゃあ、たとえばどんなパン買えばよかったんだよ?」
「ほら、新しく出たやつ……カレーパン(辛さ:鬼畜)ってやつ」
確か1週間程前に発売された購買の新商品だ。うちの購買のカレーパンには甘口、中辛、辛口、激辛といった4種類のカレーパンがあるのだが、先日、激辛を超える「鬼畜」といった辛さのカレーパンが発売されたのだ。あまり噂には聞かないが一体どれほど辛いのだろう。少し気になったりする。
「おまっ……知らないのか?そのパンの伝説を!!」
「で、伝説って……そんな大げさな……」
「いや、きけって! あのパンを食ったが最期……あまりの辛さに、脳がヤられて、24時間ずっと眼鏡をかけた鬼畜な男に攻められるという幻覚を三日三晩見ることになる……という伝説があってだな!!しかも男限定で!!」
「「…………」」
「何そのまるで道端で干からびて死んでるミミズを見るかのような目は!!?」
「ミミズに失礼だとは思わないのか?」
「…………」
大体何なんだそれは。こいつ、間違いなく話盛ってるだろう。何でそんなピンポイントなんだよ、あり得ないだろう。
「ち、ちなみに……女の子がそれを食べたらどうなるの?」
「男同士の恋愛に興味をもつようになるらしい」
「「…………」」
「やっめって!!そんな瞳で俺を見ないでくれぇっ!!だって事実なんだもぉぉぉん!!」
徹矢の、悲哀を特盛りにした叫びは、しかし、何の意味も成さず、清々しく広がるこの青空にただ呑み込まれていくだけであった。チーン。