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短編

恋を終わらせた少女は言えなかった想いを毒のトゲにした

作者: 木蓮
掲載日:2026/08/26

「すまなかった。どうしても君に会って謝りたかったんだ」


 そう言ってブレーグは私に深々と頭を下げた。断ったにも関わらず押しかけて来た彼を許すほど優しくはできず、かといって拒否するほど冷たくすることもできず。悩んで、何とか無難な言葉を選ぶ。


「頭を上げてください。何度も手紙でお伝えしましたが謝罪はもう十分ですわ。あなたはあの男爵令嬢に魅了をかけられていたのですもの」

「じゃあ……」

「でも、あなたとの婚約は解消します。こうして会いに来られても私の考えは変わりません」


 期待に目を輝かせる彼に私はきっぱりと言った。傷ついた顔をする彼に私は思う。

 ――なぜ、私のところに戻ってきたのだろう、と。


 *****


 私、アカンタとブレーグは男爵家同士で3年前に婚約した。

 私は初めて会った時から彼を好きになって、会う時がいつも楽しみだった。だから、学園に入学するとたびたび別のクラスの彼に会いに行った。

 今、冷静に思い返すといくら婚約者とはいえしつこかったのだろう。でも、彼はいつもうなずいてくれて、浮かれきっていた私は無邪気に喜んでいた。


 そんな幸せな時間は美しい男爵令嬢ファシノが現れたことで少しずつ減っていった。

 元は平民で、最近男爵家に引き取られたという彼女はマナーや常識に疎く、その愛くるしい笑顔とどこまでも広がる森林のような輝く緑色の瞳に惹かれた令息たちにいつも助けられていた。

 ブレーグもその1人だ。ファシノの令息たちに対するなれなれしい態度を良く思わない友人によると、同じクラスの彼は進んでファシノの世話を焼き、彼女もまた彼に頼っていたそうだ。


 ある日、ブレーグを訪れると2人は声を上げて笑いあっていた。ブレーグの素の笑顔もファシノを見つめる瞳も私には向けられたことのない愛おしさがこもったもので。ショックを受けた私はふらふらと立ち去った。

 そして、1人になるとブレーグの心をあっさりととりこにしたファシノへの怒りと嫉妬がこみ上げてきて。私は彼を取り返そうと毎日誘いに行った。

 でも、ブレーグはいつ行ってもファシノや彼女にまとわりつく令息たちと一緒にいて、私の誘いを「友だちとの先約があるから」と断るようになった。

 彼は最初は申し訳なさそうにしていたけれど、だんだんと迷惑だと態度に出るようになって私は傷ついた。

 それでも諦めきれなくて通い続けると、彼は教室を訪れた私を人気のない場所に連れ出して困った顔で言った。


「悪いけど、俺にも友だちとの付きあいがあるから、こんなに頻繁に誘いに来られても付き合いきれない。君もせっかくの学園生活なんだし、もっと友だちとの付き合いを楽しんだらどうだい」


 私は彼にやんわりと距離を置かれたことに傷ついた。でも、彼の言うこともわかるし、嫉妬のあまり意地になって彼につきまとっていたという後ろめたさもこみあげてくる。私は彼をわずらわせてしまったことをわびると、おそるおそる聞いた。


「あのよく一緒にいる女子生徒の方も友だちなの?」

「ああ、ファシノは友だちだよ。元は平民だったらしくていろいろと慣れていないから、隣の席のよしみで助けているんだ。とても良い子なんだ」


 ブレーグは私の質問に驚いたように目を丸くしたけれど、すぐに笑みを浮かべてすらすらと答える。

 その言葉は優しさがこもっていて本当に仲が良いのだと伝わってくる。彼女に嫉妬する私はその後ろめたさなど何一つない純粋な言葉にかえって傷ついた。

 でも、ブレーグとファシノは異性ということをのぞけば友だちとして付き合っているだけだ。いくら婚約者とはいえ私が彼と彼女との関係に口を出すことはできない。

 これ以上何も言えなくなった私が「そう」と答えると、遠くからかわいらしい声がブレーグを呼ぶ。彼はその声にぱっと振り返って笑顔を見せ「今行く!」と返事をすると、私に「じゃあ、また」と短く声をかけて走り出した。

 ――私が見たこともない顔を向けられて、私の誘いよりも優先される彼女に嫉妬するのはいけないことなの? 婚約者ではなくて1人の女の子として好きになってもらえるほど魅力がない私が悪いの?

 疑問が心にぽっかりと暗く深い穴を作ってずぶずぶと呑み込まれていく。私は心配した友だちに声をかけられるまでその場で立ち尽くしていた。


 *****


 それから私はファシノがいる教室を訪れるのをやめた。

 私がショックを受けているのを心配した友だちはファシノとブレーグに抗議すると言ってくれたけれど、私はブレーグに嫌われたくないからと断った。

 ブレーグと会えるのは婚約者として会うと約束した時だけ。本音を言うと寂しいしもっと会いたいけれど、この時間をめいいっぱい楽しんで仲良くなって、徐々に会う時間を増やしていこうとそう思った。

 私の努力と願いが届いたのかブレーグとはそれからは楽しい時間を過ごしていた。たまにファシノの話が出て心にトゲが刺さったように嫉妬に痛んだけれど、彼の友だちなのだからとぐっとこらえた。


 その日も、私はいつも通りブレーグを待っていた。放課後の学園のカフェは席が半分ほどうまっていて、皆まったりとした時間を過ごしている。

 と、そんな穏やかな空気を切り裂くように怒鳴り声が聞こえてきた。


「……ただの友人だと言っているだろう! ファシノに言いがかりをつけるのもいい加減にしろっ」


 何事かと眉をひそめる生徒たちとともにそちらを見ると、怒りに顔を歪めた令息とその後ろに隠れるファシノ、そして扇子で口元を隠した令嬢が対峙していた。


「それはこちらの言葉ですわ。私はただ『同性の生徒ではなくわざわざ異性の生徒、それも婚約者がいると知っている方にいつもそうやって頼るのは貴族にとってマナー違反です。困ったら女子生徒に声をかけてください。もちろん、私も力になりますわ』と言っただけです。

 それを『女の子たちは皆冷たくて意地悪だし、男の子の方が親切で頼りになるから』などと、まるで周りの女子生徒たちがそこの男爵令嬢に嫌がらせをしているように言われるのは不愉快です。

 あなたも本当に友人としてマナーを教えていると言い張るならば、まずは人を侮辱するような言葉を平然と口にするその無礼をたしなめて、謝罪するようにうながすべきでは?」

「ファシノは平民から貴族になったばかりでマナーに疎いんだ。たまたま声をかけやすかったのが男子だっただけだろう。君はそうやってすぐに怒るから彼女も声をかけづらいんだ」


 令嬢は「マナーを守るように」とまっとうなことを言っているだけなのに、怒り狂う令息はその言葉をちっとも聞かずに令嬢が悪いと責める。その自分勝手な言い分に不愉快になる。

 周りの女子生徒たちも同じくそう思ったらしく冷ややかな視線を向け、中には「平民だって、恋人じゃない異性にあんなにべったりひっつかないわよ」と顔をしかめる人もいる。


「例え、私がそうだとしても親切な方はたくさんいましたわ。

 あなたは忘れているようですが、私とそこの方のクラスには平民の女子生徒たちも何人かいます。

 彼女たちには困ったらいつでも声をかけてくるように言っていますし、実際にそこの方以外は私を含めた女性たちに頼ってきています。おかげで、皆すっかり友だちとして親しくしていますわ」

「じゃあ、ファシノにも声をかけてやればいいだろう」

「言いましたわ、何度も。でも、そこの方は私たちや平民の女子生徒たちがいくら声をかけても、なぜか令息にばかり頼って甘えているので、()()()()()()()()と皆諦めましたの。

 ただ、婚約者のいる令息といつも一緒にいてべたべたと甘えるのは見逃せないので、仕方なく私が注意したのです。

 ……それで、あなたのせいで私はそこの私の婚約者様にあなたを虐めたと誤解され、こうして皆の前で大声で詰られているのですが。何か言うことはないのですか? それとも、謝罪の言葉すらも知らないと?」


 令嬢がファシノを見ると、彼女は人間を恐れる野生動物のように縮こまりながら令息の背中からそろそろと顔を出した。


「ご、ごめんなさい……」

「ファシノは本当に知らなかったのだから仕方がないだろう。だいたい、君がそうやって強く言いすぎるから……」

「そう、わかりました。あなたはマナーを守る気がないのですね。では、私からはこれ以上言うことはありませんわ、ごきげんよう」


 まだ詰ろうとする令息を令嬢は見守る私も背筋が冷えるような冷たい声で切り捨てると、足早に立ち去って行った。

 そこまで言われてようやくまずいと気づいたのか。焦った令息は慌てて彼女を追いかけようとしたけれど、立ちふさがったファシノが「私、悪いことしたのかなあ?」と涙をこぼすと、彼は令嬢をあきらめたのか「君は悪くないよ」と甘ったるい笑顔を浮かべて彼女を慰めた。

 その姿を見て私はまるで風邪をひいたかのように猛烈な怖気がした。ただ、その時は何でそう感じたのかわからなかった。


 そして、彼らもいなくなるとしばらくしてブレーグがやって来た。穏やかな彼にしては珍しく不機嫌な顔をしていて心配になる。


「疲れているみたいね、どうかしたの?」

「ああ。実は、さっきそこで会った友だちが意地悪な令嬢に言いがかりをつけられていびられたらしいんだ。まったく、彼女がかわいらしいからと嫉妬してくる連中がいて困るよ」


 怒りをぶちまけるブレーグとその言葉に嫌な予感がして私はおそるおそる尋ねた。


「そうなの、大変ね。……その、もしかして、それってファシノ様のこと?」

「そうだよ。もしかして、アカンタも聞いていたのか?」

「ええ、ここで揉めていたから。といっても、遠かったしちゃんと聞いていたわけではないけれど」


 何となく嫌な予感がして付け足すと、味方を見つけたように目を光らせたブレーグは一瞬がっかりした顔をした。その顔になぜかさっきの失望した婚約者を放ってファシノを慰めていた令息が重なって不安になる。


「そうか。でも、アカンタにも一応言っておくけれど、ファシノはとても素直で努力家の良い子なんだ。俺も含めて皆彼女ががんばっているから応援しているんだ。

 でも、クラスメイトの令嬢や平民の女子生徒は、ファシノが俺たちと仲良くしているのが気に入らないらしくて、何かにつけて貴族令嬢のマナーとやらを持ち出してファシノをいびっているんだ。

 まったく、そうやって異性の友だちと付き合っているだけですぐに嫉妬して怒りだすかわいげのない婚約者なんかより、いつもご機嫌で一緒にいて楽しいファシノの方が好きになるのに決まっているのにな。嫌になるよ」


 高ぶる感情のままに吐き出された言葉に彼の本音を知って、私はトゲが刺さったように心が痛んだ。

 ――いくら令息たちにとって彼女は大切な友だちでも、彼女の図々しい振る舞いだって悪いのに。それを注意したからと私たちだけが悪いように責められるなんて、おかしいわ。

 さっきの令嬢は失礼なことを言ったファシノとそれを庇う婚約者に怒りながらも、何が悪かったのか丁寧に説明した上で自分も手を貸すと親切にも申し出た。

 でも、最後まで婚約者は彼女を言い分を聞かずに彼女を詰り、ファシノもろくな謝罪もしないうえに「自分は悪いことをしていないのに彼女はなぜか怒っている」と泣いて令息に甘やかしてもらって。ちっとも反省しているように見えなかった。

 少なくともこのことに関しては彼女が悪いと思うし、ブレーグにまで責められるあの優しく気高い令嬢があまりにも気の毒だ。私が本当にファシノに嫉妬していて、そのことを“かわいげがない”と言われて傷ついたのもある。


「そうなのね。でも、さっきの方は困っている平民の女子生徒たちの手助けをしているとおっしゃっていたし、ファシノ様にも『困ったらいつでも力になる』と言っていたわ。

 きっと、ご令嬢たちからしたらやんわりと貴族のマナーを教えているつもりが、ファシノ様には上手く伝わっていなくて、お互いに気まずくなってしまったのではないかしら。

 ファシノ様がもっと令嬢の方々と交流を持てば、きっと誤解も解けてすぐに仲良くなれるのではないかしら」 


 ブレーグの怒りをなだめつつ説得をこころみるも、彼は何が気にさわったのか憎々し気に顔を歪める。


「無理だな。ファシノはクラスメイトの令嬢たちに怯えているし、彼女を妬む誰かに陰でしつこく嫌がらせをされているんだ。あの令嬢は前にもファシノと揉めていたしもしかしたら犯人かもしれない。そんな奴がこんな大勢の人がいるところで言った言葉なんてまったく信じられない」

「そんな、口論になっただけで疑うなんてひどいわ。言いすぎよ」

「アカンタは何も知らないからそう言うんだ。令嬢のマナーなんて授業を受ければいいし、ファシノの面倒なら俺たちが見ればいい。あんな傲慢な奴らなんかにファシノに手出しさせない」


 ――ブレーグはいったいどうしてしまったの?

 何の証拠もなくただ気に入らないからとクラスメイトたちのことを悪しざまに罵ったあげく、まるで高貴な姫君を守る騎士のようにファシノを庇うことが正義なのだと言い張る彼に得体のしれない恐ろしさを感じて私はぞっとした。そして、その瞳に宿る熱に気づいて胸が張り裂けそうになる。

 ――ブレーグは彼女が好きなのね。だから、彼女を信じて守りたいのね。

 もし、私が彼女に嫉妬していることを知れば、彼はすぐに私を敵とみなして罵り切り捨てるのだろうか。そう考えるだけで絶望で心が黒く塗りつぶされていく。

 ――私はブレーグが好き。彼がファシノを愛していても、いつか私を見てくれれば……。

 私は愛する人に夢中な婚約者への悲しみと愛する人をとりこにする男爵令嬢への嫉妬を押し殺して、ぎこちなく微笑んだ。


「そう、なのね。ブレーグは友だち想いなのね」

「ああ、ファシノは俺の大事な友だちだからな」


 ――友だちじゃなくて、彼女が好きなのよね? 私よりもずっと。

 私は心に浮かんだ呟き(本音)をそっと沈めて、不満を吐き出してやっと落ち着いたブレーグとコーヒーを注文した。でも、いつもはおいしいはずのコーヒーは味がしなかった。


 *****


 それからも私はブレーグのファシノに対する親しすぎる態度など何も知らないふりをした。

 でも、無邪気で残酷なファシノは令息たちを次々ととりこにしていき、陰湿な嫌がらせから彼女を守ると息まく令息と、ささいなことで疑い言いがかりをつけてくる令息たちに憤りファシノを責める令嬢の対立は学園中に広まっていった。

 特に、ファシノに夢中で自分を蔑ろにする婚約者に抗議した令嬢が罵られることが増え、中には大ゲンカになって婚約をとりやめることを考えたり、婚約者やファシノの家に抗議すると宣言する人も出てきている。


 重苦しい空気が漂う中、私のクラスメイトが仲が良かった婚約者がいつもファシノたちとの約束を優先して自分との約束をすっぽかし、抗議したら「醜い嫉妬をするな」と怒鳴りつけられ、何を言っても無視されるようになったと泣きじゃくっているのを見かけた。

 ――ブレーグも怒るのかしら。

 私も好きな人に傷つけられた彼女に深く同情するとともに、自分もそうなるのではないかと心臓がじわじわとしめつけられるような恐怖を感じるようになった。


 ブレーグは回数こそ少なくなったけれど、私と会う約束を守っている。 

 でも、近頃は学園内で彼がファシノと2人でいるところを見るようになってきた。

 それに、ブレーグと学園のカフェで会う時には、必ずファシノたちがやって来て声をかけてくる。日ごろから親しくしている彼らはファシノを中心にして自然と盛り上がり、私はその輪に加われずに寂しい思いをしている。

 そんな風に婚約者の私よりも友だちのファシノ(恋する人)を優先して、幸せそうに過ごすブレーグを見るたびに私は傷つき、彼に言いたくて言えない言葉が無数の泡になって口からこぼれそうになる。


 ――彼女にするように愛を込めた顔で見つめてほしい。彼女ではなく私といて。

 ――彼女のお願いではなくて私のあなたへの言葉(本音)を聞いて。

 ――でも、私がそう言ったらあなたは私のことをファシノに嫉妬する醜い女だと罵るのかしら。

 ――私が我慢していれば、いつかはあなたは私を見てくれるのかしら。 


 どんなに悲しくても苦しくても私はブレーグに嫌われたくなくて黙っていた。

 でも、またもやブレーグと過ごす時間がファシノたちに邪魔をされたことにがっかりして、私は思いきってブレーグを呼び出して頼んだ。


「今度の待ち合わせは違うところにしない? 大通りに良い店があるの」


 学園の外ならばファシノたちも追いかけて来ないだろうし2人でゆっくり話せるだろうと期待する私に、ブレーグは渋い顔をする。


「そんな遠くに行かなくても、いつものところでいいじゃないか」

「でも、たまには違うところにお出かけも良いかなって思って……」

「悪いけど、俺はいつものところが良い。あそこのコーヒー好きだから」


 頑としてうなずかないブレーグに私は落ち込んだけれど、せめてこれだけは伝えようと勇気を出した。


「わかったわ。じゃあ、その、テラス席でお喋りしない? あそこなら景色も良いって話だし」


 予約限定の席ならば2人でお喋りできるだろう。そう思って声をかけるとブレーグはやっとうなずいてほっとする。

 それからは私はその日を楽しみに待っていた。でも、その時になると当たり前のようにファシノたちもやって来てブレーグをさらっていった。

 ――もう我慢できない。

 いつもブレーグを独り占めしているのにまだ私から奪っていくファシノにも、ファシノだけを見つめるブレーグにも激しい怒りがこみ上げる。

 私はブレーグと2人で話したいことがあると離れたところに呼んだ。ブレーグは渋ったけれど、ファシノが笑って「大事なお話なんだよ。行ってあげなよ~」と肘をつつくと「わかったよ」とついてくる。 

 その慣れた仕草とでれでれと喜ぶブレーグに私の中で何かがぷつんと切れた。 


「……ブレーグは婚約者の私よりも、お友だちと過ごす方が大事なの?」

「え? いきなりどうしたんだ?」

「答えて。私は婚約者のあなたと2人で過ごしたいわ。でも、あなたはファシノ様たちと過ごす方が大事なの?」


 これまで溜めこんできたいろんな感情がふつふつとこみ上げてくる。その想いをぶつけるようにブレーグをまっすぐ見つめると彼は一瞬たじろいだが、困ったようなふてくされたような顔で私を見つめ返す。


「それはまあ、ファシノたちと過ごすのは楽しいよ。でも、アカンタのことも婚約者として大事にしているよ」


 その言葉に私は荒れ狂う想いに耐えかねて心がひび割れるのを感じた。目が潤むのを感じながら言いつのる。


「じゃあ、友だちの彼女ではなくもっと私と一緒にいて。2人で一緒に過ごして、お願い」


 こらえきれずに涙がこぼれる。こんなのすぐ泣くと令嬢たちに嫌われるファシノのようでみっともない。でも、ブレーグを見つめていると彼は動揺したように瞳を揺らしながら私を見ていた。

 その私を見て何かを考えている姿に期待が高まる。けれども、彼は困ったように苦顔で言った。


「悪いけどそれはできない。前にも言ったけれど、俺には俺の友だち付き合いがあるから、アカンタの都合にばかりは付き合えない」


 そっけない拒絶に私の心は粉々に砕け散った。ぽろりとため込んでいた本音がこぼれ落ちる。


「そう、ブレーグはファシノ様が好きなのね」


 愛しい彼女の名前を聞くと彼はとたんに顔を奇妙に歪めた。


「ああ、ファシノは良い友だちだ。それとも、アカンタも意地の悪い令嬢たちのくだらない噂を信じて俺たちのことを疑っているのか?」


 その言葉は疑問形だったけれど、その目には敵を見るような警戒と嫌悪が浮かんでいた。

 ――ああ、そう。やっぱりあなたは彼女が好きなのね。そして、私はただ彼女のことを口にしただけで、嫌われて邪魔だとそんなに簡単に切り捨てられる存在だったのね。


「噂じゃないわ。私があなたの行動を見てそう思ったの。……でも、もう良い」


 何もかもが嫌になった私はブレーグの返事を聞かずに走り去った。彼は追いかけて来なかった。


 *****


 それからは私はブレーグを避けるようになった。彼もまた何も言ってこない。

 きっと一番大切な人に夢中で、二番目どころか彼に個人として意識されているかすら怪しい私なんて忘れているのだろう。だったら、私も諦めれば楽になる。

 ひがみのような諦めのような言葉を自分にかけて私も彼への感情を手放していく。

 そして、私はわずかに残った希望をこめて彼と仲が良い彼の妹に手紙を送った。返事は思っていた通りで、わずかに残っていた情もなくなった。

 ざわめく心がようやく凪いだ時に伯爵令嬢の方にファシノの件で話があると呼ばれた。


「あなたの婚約者様はあの男爵令嬢に魅了されているわ」

「魅了、ですか? 魅了とは何でしょう?」

「簡単に説明すると『自分に好意がある相手を自分に夢中にさせる』ものよ。強い魔獣が自分の身を守るために使うスキルだけど、稀に人間でも使える人がいるの」


 彼女と婚約者様とは仲の良い幼なじみらしい。でも、彼が人が変わったようにそれまで没頭していた研究を投げ出してファシノにまとわりつくようになったのを心配して問い詰めたそうだ。


「彼は『すまない、僕も自分でもおかしいと思うんだ。でも、彼女のあのきれいな緑色の目に見つめられると彼女のことで頭がいっぱいになって、彼女とずっといて彼女を幸せにするのが僕のやることだとなぜか思ってしまうんだ』と言ってね。それで、両家の親に相談して王宮魔術師に診てもらって、魅了だとわかったの」

「それは……大変でしたね。自分の意思よりも彼女を優先するなんて考えただけで恐ろしい。婚約者様は大丈夫なのですか?」

「ええ、幸い彼は早くに気づいたからすぐに解けたわ。

 ただ、残念だけれど長く彼女と過ごしている方はそれだけ深く影響されているから、彼女と引き離しても解くのに時間がかかると言われたわ。そして、下手に刺激するとより彼女を守ろうと執着するだろうと」

「そんな……」


 魅了の恐ろしさにぞっとすると伯爵令嬢も真剣な顔でうなずく。


「今、学園側が動いて男爵令嬢の魅了を封じる準備をしているわ。だから、これ以上の事態の深刻化を防ぐために、あなたのような被害者と親しい人たちに、被害者に魅了を無効化する魔導具を着けるのに協力をお願いしているの」


 彼女はそう言ってブレスレットを渡してきた。

 ――でも、魅了の影響ではなくて本当にファシノが好きだったら? 

 おそるおそる受け取ると、ふとブレーグのファシノに向ける笑顔が思い浮かんできた。

 私が初めてファシノを見かけた時2人は見つめ合って笑いあっていた。その目の中には私には見せたことのない熱が宿っていた。

 ――もし、魅了ではなかったら私は永遠に彼女に勝てない。そして、このブレスレットの効果に気づいたらブレーグに本当に愛する彼女との邪魔をする敵だと思われるのかしら。

 手の中のブレスレットが急にずっしりと重く感じる。思わず手が震えると伯爵令嬢は同情をこめて優しく言った。


「大丈夫よ、魅了は毒のトゲを刺されて幸せな夢を見させられているようなもの。どんなに強く深く魅了をかけても、いつかは抜けおちるわ」


 次の日、私はブレーグのクラスに行き、彼を急用だと呼び出した。そして、不機嫌な彼が何かを言う前にブレスレットが入った小箱を差し出す。


「お父様たちがお揃いでつけるようにとブレスレットをプレゼントしてくれたの。はい、これがあなたの分。良かったらつけてみて」


 どうやってつけさせようか考えた末に私の両親からのプレゼントだということにした、婚約者の私からならともかく婚家の親のプレゼントなら断わらないだろうから。

 でも、ブレーグは困ったように眉をひそめて受け取らない。


「それはありがたいけれど、ブレスレットはファシノとお揃いで作ったものが気に入っているんだ。悪いけどもらってもつけることはできない」


 ――あなたにはもう私の言葉は届かないのね。

 半ば予想していた拒絶の言葉を私は自分でも不思議なぐらい凪いだ気持ちで受け止めた。そして、彼を見つめて静かに言った。


「そう、わかったわ。無理を言ってごめんなさい。お友だちを大切にして」

「ああ、ありがとう」


 ブレーグはほっとしたように笑う。その顔はファシノを見つめる優しい(別人の)笑顔だった。

 ――私が恋していた、かつて一緒に過ごしていた彼はもういない。

 私は心の中で別れを告げて立ち去った。


 *****


 その後、私は熱を出して何日も寝込んだ。たくさんの悪夢を見て苦しかったけれど、熱が下がると身体はだるいけれど久しぶりにすっきりした気分になる。

 動けるようになると私はお父様のところに向かった。


「お父様、ブレーグ様との婚約を解消してください」


 お父様は驚いたように目を丸くしたけれど、私をじっと見つめた。


「アカンタがそうしたい理由は?」

「彼と婚約を続ける気力がなくなってしまったの。

 ブレーグ様はある令嬢に恋をしていつも一緒にいるわ。婚約者の私よりもずっと長く、親しく。

 私は彼に戻ってきてほしくて、何回もそう言った。でも、彼はいつも婚約者の私よりも当たり前のように彼女を選んで、私の言葉を何も聞いてくれない。彼を引き留めるのにもう疲れてしまったの。

 それに――」


 私は決めたきっかけを伝えた。お父様は痛ましげに私を見ると、立ち上がって抱きしめてくれた。


「わかった、アカンタがそう思うのならば、婚約は解消しよう。……今まで良くがんばったな。大丈夫だ、アカンタは私たちのかわいい優しい娘だよ」


 お父様の愛情のこもった言葉に私はしがみついて子どものように泣きじゃくった。

 部屋に戻ると友だちやブレーグの妹、あの魅了を教えてくれた伯爵令嬢の方からも学校を休む私を気遣う手紙が届いていた。

 私は毎日届く手紙に喜んで、一つ一つに返事をしたためた。

 彼からの手紙はついに来なかった。


 しばらくしてファシノと彼女の友人たちが病気療養と称して休み始めた。

 突然のことや人数の多さから面白おかしく噂されたけれど、しばらくしてファシノが退学すると、彼女を嫌う人たちが名前を口にするのも嫌がったこともあり静かになったらしい。


 そして、私もファシノのことを忘れた頃、休んでいるブレーグから「会いたい」と手紙が届くようになった。

 魅了のことは密かに関係者に伝えられ、彼の家とは婚約解消することで同意している。そして、彼にもそう伝えてある。

 今さら彼と会っても話したいことはないし、気まずいだけだろう。

 そう思って私は断った。でも、彼はしつこく手紙を送ってきて、一度だけ会うことにした。


「すまなかった。どうしても君に会って謝りたかったんだ」

「頭を上げてください。何度も手紙でお伝えしましたが謝罪はもう十分ですわ。あなたはあの男爵令嬢に魅了をかけられていたのですもの」

「じゃあ……」

「でも、あなたとの婚約は解消します。こうして会いに来られても私の考えは変わりません」


 頭を上げた彼はすがるように私を見つめたけれど何とも思わない。しばらくして絞り出すように言う。


「……君よりもファシノを優先したのを怒っているのか?」


 今頃になって気づいた彼に思わず苦笑する。でも、それだけじゃない。私を見て何と思ったのか、ブレーグは悲痛な声で続ける。


「すまなかった。これからは君を大事にする。だから……」

「それが嫌だから婚約を解消しようと決めたのです」

「え?」


 私は戸惑う彼を見つめて静かに、でもはっきりとした声で話す。


「あなたが魅了にかかっていた間、私は何度もあなたにあの男爵令嬢ではなく私といてくださいとお願いしましたね。でも、あなたは一度も聞いてくれなかった。

 それは仕方がないですわ、魅了されていたのですもの。

 ――でも、あなたは前からかわいがっている妹様の『一緒に出かけたい』というお願いはちゃんと聞いていたそうですね。

 それに、私が男爵令嬢のことを口にするたびに、あなたは私がまるで彼女に危害を加える敵のように警戒していた。愛する婚約者をあの男爵令嬢に奪われ傷ついた被害者の令嬢たちに醜い嫉妬をするなと罵っていた。

 私もその1人だったのに、あなたは私に本当の気持ちを言うことすら許してくれなかった」


 ブレーグは何か言おうとしたけれど、私は淡々と続けた。


「だから、私はこう思ったのです。

 あなたにとって私は愛する人ができてその人と自分にとって邪魔になったらあっさりと捨てられる。都合良く扱える軽い存在なのだと。

 今は私のところに戻って来ても、愛する人ができるたびに私は邪魔に思われ、捨てられるのでしょう。

 本当に愛していたあの男爵令嬢ですら魅了されていたからと理由をつけて捨てて、こうして存在を忘れていた私を呼び戻そうとするのだから。

 だから、私はもうあなたの嘘を信じない。

 また期待して我慢して、裏切られるのはもう嫌だから」


 言い終わるとブレーグは泣きながら「すまない」と繰り返していた。私はそんな彼に最後の言葉をかけた。


「さようなら、ブレーグ様。あなたを愛していましたわ」


 *****


 その後も許しを請いつづけるブレーグは我が家の使用人たちに連れ出されて帰って行った。

 私は部屋に戻るとブレーグに渡せなかったいつかの魅了封じの魔道具を取り出して眺めた。


「私のトゲは深く刺さったかしら」


 いつか伯爵令嬢は魅了とは深く刺さった毒のトゲと言っていた。

 だから、魅了を使えない私は愛していた彼にありったけの溜め込んだ毒をこめた言葉のトゲを刺した。深く強く食いこんで、一生忘れられない痛みを感じるように。

 私は涙と一緒に彼が私に刺した最後のトゲを流し出した。


 それから私は学校に通うようになった。友だちやクラスメイト皆が温かく迎えてくれてうれしい。

 伯爵令嬢の方に密かに聞いたところファシノは研究所に送られ、二度と世間に出て来られないらしい。残酷だけれどほっとした。

 そして、いつかカフェで婚約者とケンカをしていた方は違う令息と親しげに歩きながら笑いあっていた。

 私は今日もカフェでおいしいコーヒーを楽しむ。いつかまた一緒にコーヒーを楽しめる方が現れるといいなと思いながら。

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