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3年も隠れ既婚者だった最悪な夫!結婚式で裏切りを暴いたら、偽の音声で私を不倫女扱いしやがった!

作者: 熾星
掲載日:2026/07/06


 導入

 私が何気なく「そろそろ結婚したいな」と口にしただけで、翌日、桐谷悠真は事業計画書のように分厚い結婚式のプランを私の前に置いた。

 東京・丸の内の高級ホテルから、披露宴の進行、招待客の席次、ドレスの順番まで、彼はすべてを細かく整えてくれていた。誰もが、私は優しくて、気が利いて、責任感のある男性を見つけたのだと言った。私自身も、そう信じていた。

 私と悠真は三年付き合っていた。式場も、招待客リストも、招待状のデザインも、両家の親族席の配置まで、彼はほとんど私の希望に合わせてくれた。私が喜ぶなら、それでいい、と。


 披露宴当日、ホテルの宴会場はきらびやかな照明に包まれ、二百人近い招待客で埋まっていた。途中で、私はお色直しのために控室へ向かった。

 舞台裏の通路を通りかかったとき、子どもの声が聞こえた。その声は、化粧台に置かれたスマホから流れていた。


「パパ、いつ帰ってくるの? 今日はママと遊園地に行くって約束したでしょ?」

 次の瞬間、悠真が声を潜めてその子をなだめた。

「いい子にして、おじいちゃんとおばあちゃんの言うことを聞いていて。パパはこっちが終わったら、ママのところへ行くから」


 私は入口に立ったまま、指先が少しずつ冷えていくのを感じていた。では、いま親族席に座り、私に穏やかに微笑みかけ、このあと新郎側の両親として挨拶するはずの、あの二人はいったい誰なのだろう。



 1.結婚式の舞台裏で聞いた子どもの声

 私は必死に自分を落ち着かせた。スマホのロックが外れた瞬間、画面に表示されたのは、私が初めて悠真の「実家」を訪ねたときの写真だった。写真の中で、あの中年の男女は古びた木造一戸建ての前に立ち、質素な服装で、どこかぎこちない笑みを浮かべていた。

 あのとき悠真は、両親は埼玉県北部の小さな町に住んでいて、生まれてからほとんど地元を離れたことがなく、東京の華やかな場に慣れていないのだと言っていた。

「うちの親は礼儀作法もよく分かっていないし、君に恥をかかせたくないんだ。結婚式のことは、白石家のやり方に合わせよう」

 私はそれを信じた。三年の間に、私はあの「両親」と一度しか正式に会っていない。今日が二度目だった。もしあの二人が本当に悠真の両親なら、さっきの子どもが呼んでいた祖父母は、いったい誰なのだろう。


 扉が開き、悠真が入ってきた。顔には相変わらず、ちょうどよく優しい笑みが浮かんでいた。

「玲奈、まだ着替えてないの? 外でみんな待ってるよ」

 彼は近づいてきて、自然な仕草で私の腰に手を回した。私は避けずに、ただ彼を見上げた。彼は何も気づいていないように、身をかがめて、声をさらに柔らかくした。

「疲れた? ごめんね。こんなに大きな披露宴にしたの、俺のせいだね」

 私は喉の奥にこみ上げる冷たさを押し込めた。

「少し疲れただけ。先にお客様のところへ戻って。美咲に来てもらって、着替えを手伝ってもらうから」


 悠真は疑わなかった。彼が出ていくと、ほどなくして桜井美咲が控室に入ってきた。美咲は大学時代からの親友で、私の顔色を見ただけで異変に気づいた。

「玲奈、どうしたの? 顔、真っ青だよ」

 私は鏡の中の自分を見つめた。白いドレス、ダイヤのアクセサリー、丁寧に整えられた髪。そのすべてが、まるで笑えない冗談みたいだった。


「悠真には、妻と子どもがいる」

 美咲の手が宙で止まった。数秒後、彼女はようやく声を絞り出した。

「どういうこと?」

「さっき、彼の子どもからのボイスメッセージを聞いた。美咲、調べてほしいことがある」

 私は宴会場のほうを指さした。

「親族席にいる、あの両親役の二人が何者なのか」

 美咲はそれ以上何も聞かず、すぐに部屋を出ていった。



 2.レンタルされた親族

 十分もしないうちに、美咲は戻ってきた。彼女の顔色は私よりも悪く、握りしめたスマホが壊れそうなくらいだった。

「玲奈、落ち着いて聞いて」

 彼女はスマホを私に差し出した。画面には、代理出席サービスの確認書が表示されていた。

 そこには、こう書かれていた。

 両親役 一人三万円。

 親族役 一人一万二千円。

 涙の演技オプション 追加五千円。

 披露宴三時間プラン。


 私はその数行を見つめたまま、最後の望みが粉々に砕ける音を聞いた気がした。

 美咲は歯を食いしばった。

「あの二人、本当の両親じゃない。親族席の数テーブルも、たぶんほとんどが代理出席の人間よ」

 彼女はすぐに出ていこうとした。

「こんな式、続ける必要ない。今すぐあいつの化けの皮を剥がしてやる」


 私は彼女を呼び止めた。

「美咲。今ここで終わらせたら、あまりにも安い」

 私はスマホを彼女に返した。

「高梨室長に連絡して。秘書室、法務部、広報部を動かしてもらう。三十分以内に、桐谷悠真の本当の家族関係、婚姻状況、子どもの情報、それからこの三年で私から受け取ったお金の流れを全部出して」

 美咲はうなずいた。

「玲奈は?」

 私は閉じられた宴会場の扉を見た。

「時間を稼ぐ」


 控室を出ると、悠真がすぐに近づいてきた。

「玲奈、大丈夫? 支えるよ」

 彼の手が私の腰に添えられる。その仕草は、本物の婚約者そのものだった。招待客たちが次々と祝福の言葉をかけてくる。

「今日の花嫁、本当にきれいね」

「白石さんと桐谷さん、本当にお似合いですね」

「来年あたり、うれしい報告が聞けるかもしれませんね」


 悠真は私の隣に立ち、完璧な恋人を演じていた。誰かが私に酒を勧めると、彼が代わりにグラスを受け取った。

「玲奈は胃が弱いので。これは俺がいただきます」

 そう言って、彼は一気に飲み干し、ついでのように私の耳元の髪を整えた。周囲から温かな笑い声が漏れる。

「桐谷さん、本当に気が利くわね」

「白石さん、前世でどれだけ徳を積んだんでしょうね」


 私は、深情け深い恋人を器用に演じる彼を見つめながら、去年の誕生日を思い出していた。その日、東京には台風が近づいていた。私が何気なく、城南にある老舗の栗のケーキが食べたいと言っただけだった。

 悠真は暴風雨の中、半分以上の都内を横切って、そのケーキを持ってきてくれた。玄関に立った彼のズボンの裾は泥水で濡れていたのに、ケーキの箱だけはきれいに守られていた。

 あのとき彼は言った。

「玲奈が欲しいと言うなら、星だって取りに行きたい」


 あの日、私は本気で胸を打たれた。今日、あの子どもの声を聞かなければ、私は自分を世界一幸せな女だと思い続けていたかもしれない。


 美咲の動きは早かった。悠真が誰かに捕まって挨拶している隙に、彼女は私へスマホを差し出した。画面に映っていたのは、拡大された婚姻届受理証明書の写真だった。その横には、林美奈という女性が三年前にSNSへ投稿した写真があった。写真の中で、悠真は彼女の肩を抱き、区役所の前に立っていた。二人は、本物の新婚夫婦のように笑っていた。

 日付は、三年前の三月八日。私はその日をはっきり覚えている。悠真は、会社で厄介な案件が入ったから一週間大阪へ出張すると言っていた。出発前には、プロジェクトの立て替えが必要だと言って、私から五十万円を借りていった。

 その後も、彼は何度も出張した。あれは仕事のためではなかった。

 もう一つの家庭のためだった。

 私は爪を手のひらに食い込ませた。その痛みだけが、私を正気に引き戻してくれた。



 3.大型スクリーンに映った婚姻届

 司会者がステージに立ち、明るい声で告げた。

「それでは、本日もっとも美しい花嫁、白石玲奈さんに、幸せなお気持ちをお話しいただきましょう」

 悠真が振り返り、私に手を差し出した。私はその手を取らず、そのままステージへ上がり、司会者からマイクを受け取った。

 宴会場がゆっくりと静まっていく。私は客席を見渡し、それから隣に立つ悠真を見た。


「悠真、私に言うことはない?」

 彼は一瞬だけ目を瞬かせたあと、すぐに甘い笑みを浮かべた。

「愛してる。この言葉を、一生君に言い続けたい」

 客席から笑い声と拍手が起こった。私も笑った。

「それ以外には?」

 悠真の笑みが、一瞬だけ止まった。私はスマホを掲げた。

「たとえば、これについて説明して」


 大型スクリーンが明るくなった。婚姻届受理証明書、区役所前の写真、林美奈のSNS投稿。画像が一枚ずつ、会場中の前に映し出されていく。

 宴会場は、一瞬で凍りついた。数秒後、ざわめきが波のように広がった。


「どういうこと? もう入籍しているの?」

「今日は披露宴じゃなくて、詐欺の現場なのか?」

「花嫁は白石さんじゃないってこと?」

「これはさすがに、とんでもないわね……」


 親族席で、桐谷の母親役をしていた女の顔が青ざめた。新郎側の友人がステージへ駆け寄り、私を下ろそうとした。

「玲奈、落ち着いて話そう。何かの誤解だって!」


 悠真もようやく反応し、私のスマホを奪おうとした。私は一歩下がった。白石家の警備担当が、すぐに私の前へ立つ。

 悠真はその場に膝をついた。


「玲奈、聞いてくれ。君が思っているようなことじゃない」

 私は彼を見下ろした。

「じゃあ、どういうこと?」

 彼の目がみるみる赤くなった。

「俺は、仕方なかったんだ」

 彼は顔を上げ、声を詰まらせた。

「美奈は、地元で昔から決められていた相手なんだ。彼女の家には恩があって、見捨てられなかった」

「でも、彼女に恋愛感情はない。本当に、ただの紙切れなんだ」

「最初から最後まで、俺が愛しているのは玲奈だけだ」

 彼はまるで、過去のしがらみと責任に縛られた悲劇の男みたいに自分を語った。

「君を本気で愛していなかったら、こんな重圧の中で披露宴なんて開けるわけがない」

「俺が一緒に生きていきたいのは、玲奈だけなんだ」


 客席の一部には、本当に心を動かされたような顔をする人までいた。

 私は笑いそうになった。

「ただの紙切れ?」


 私は次の写真を表示した。大型スクリーンには、悠真が子どもを抱き、その横に美奈が立っている写真が映った。三人は、誰が見ても家族のように笑っていた。私は彼を見た。

「その子は、あなたをパパと呼んでいた。それでも感情はないって言うの?」


 悠真の顔色が完全に変わった。けれど彼はすぐに、苦しげな表情を作り直した。

「玲奈、俺は本当は公にしたくなかった。今日ここまで騒ぎを大きくしたのは、君のほうだ」

 彼は客席に向き直った。

「美奈は、地元にいる俺の妻です。このことは、玲奈も最初から知っていました」



 4.私は“不倫相手”にされた

 頭の中が、一瞬真っ白になった。

「何を言っているの?」

 悠真は深く息を吐いた。まるで、ようやく真実を口にするしかなくなった人間のようだった。

「最初に言ったのは玲奈だ。妻がいても構わない、俺といられるなら立場なんていらないって、泣きながら言った」

「白石家にはお金があるから、俺がそばにいてくれるなら、俺の家庭ごと面倒を見てもいいって」

「今日の披露宴だって、君がやれと言ったんだ。そうしないと、君のご両親を納得させられないからって」


 私はあまりの言葉に、すぐには声が出なかった。彼は私を、既婚者だと知りながら結婚式を迫った不倫相手に仕立て上げようとしていた。

「悠真、正気なの?」

 彼はポケットからスマホを取り出し、ある録音を再生した。そこから流れてきたのは、私の声だった。

「悠真、私、あなたに妻がいても気にしない。あなたが私を愛してくれるなら、それでいい。このお金は奥さんの家のために使って。もう騒がないようにしてもらって」


 私は一瞬、動けなくなった。それは確かに私の声だった。けれど、去年、友人たちと真実か挑戦かのゲームをしたときの罰ゲームだった。彼がスマホに表示した馬鹿げた台詞を、私に読ませただけだ。私はそれを、恋人同士のつまらない冗談だと思っていた。

 あの瞬間から、彼は私を刺すための刃を用意していたのだ。


 悠真は一歩ずつ近づいてきた。顔には、傷つけられた男の表情が浮かんでいた。

「玲奈、俺は君が本気で一緒にいたいんだと思っていた。なのに、今になって俺を悪者にするのか」

「もう俺のことが嫌になったんだろう?」

 周囲のざわめきが一気に大きくなった。

「じゃあ、彼女は知っていたの?」

「それって、不倫じゃないの?」

「お金持ちって怖いわね。人に妻子を捨てさせてまで披露宴を開かせるなんて」

「男のほうも最低だけど、少なくとも妻子への責任は取ろうとしているんじゃないか」

 父と母がようやく状況を理解し、ステージへ上がって私を背中にかばった。父の顔は怒りで強張っていた。

「桐谷、何を言っているんだ」


 悠真は私の両親に向かって膝をついた。

「お父さん、お母さん、申し訳ありません。俺が不甲斐ないばかりに」

「玲奈も、自分の家庭も、どちらも守れませんでした」

 客席にいる代理出席の“親族”たちも芝居に加わり始めた。私を指さしてひそひそ話す者、ため息をついて首を振る者までいる。

 悠真は私に向き直った。その目には、完璧なまでの罪悪感が浮かんでいた。

「玲奈、俺が君を愛しているのは認める。でも、妻と子どもを捨てることはできない」

「すべての責任は、俺が取る」


 見事な引き方だった。彼は自分を、愛と責任の間で苦しむ男に仕立て上げた。そして私は、白石家の権力を笠に着て、彼に妻子を捨てさせようとした悪女になった。

 そのとき、美咲が外から駆け込んできた。彼女は息を整える間もなく、私にスマホを差し出した。

「玲奈、証拠は全部ここにある」


 私はファイル一覧に目を走らせ、それから悠真を見た。

「お芝居は、もう終わり?」

 私はもう一度マイクを握った。

「今日の披露宴は続けられません。ですが、せっかく皆さまにお越しいただいたのですから、このままお帰りいただくわけにもいきません」

「最後に、もう少し面白い録音をお聞きください」



 5.最後の録音

 悠真の顔色が三度目に変わった。今度こそ、本物の恐怖だった。彼は私に飛びかかろうとしたが、父が一歩前に出て押し返した。大型スクリーンには、舞台裏の喫煙室を映した監視カメラの静止画が表示された。

 録音から流れてきたのは、悠真と友人の声だった。


「悠真、お前ほんとすごいな。白石玲奈のこと、完全に手のひらで転がしてるじゃないか」

「あの子はちょっと可哀想なふりをするだけで、すぐ心配してくれるんだ。金だって、何度も出してくれた」

「本当に披露宴をやるのか? 奥さんのほうはどうするんだよ」

「やるに決まってる。玲奈がいれば、白石ホールディングスの中枢に入れる。手放すわけがない」

「離婚する気は?」

「子どものためにも離婚はできない。そもそも、うちの親は孫を欲しがっているからな」

「今日の代理出席の連中には、ちゃんと言ってある。うちは親族が少なくて格好がつかないから頼んだ、ということにする」


 友人がまた尋ねた。

「白石家から、区役所に婚姻届を出せって言われないのか? もう入籍してるってバレたらどうするんだ」

 悠真が笑った。

「披露宴までやってしまえば、玲奈はどうせ逃げられない。少し優しくすれば、すぐ許すよ」

「それに、念のための保険もある。真実か挑戦かで録った、あの音声だ」

「もし途中で彼女が裏切ったら、それを流せばいい。そうなれば、誰が彼女の言葉を信じる?」


 録音はまだ続いていた。けれど宴会場は、すでに死んだように静まり返っていた。すべての視線が悠真に注がれていた。代理出席の人間たちは、顔面蒼白で、逃げ出したくても動けずにいる。

 悠真は青ざめた。

「違う。あれは俺の声じゃない。捏造だ」

 私は彼を見た。

「これはホテルの舞台裏にある監視カメラの映像から取り出した音声です。必要なら、元の映像も流しましょうか?」

 悠真はとうとう取り乱した。

「玲奈、悪かった。もう一度だけチャンスをくれ。本当に愛しているんだ」

「愛している?」

 私は笑った。

「あなたが愛していたのは、私じゃない。白石家のお金と、私を騙し続けているという優越感だけでしょう」

 私は彼を見据え、一言ずつ告げた。

「桐谷悠真、ありがとう」

「三年かけて、とても分かりやすい授業をしてくれたから」

「ゴミは、ゴミ箱に入れるべきだって分かった」

「今日で終わりよ」

「私と白石家から受け取ったお金は、一円残らず返してもらう」

 言い終えると、私は客席へ向き直り、本当に私を祝福するために来てくれた親しい人たちへ頭を下げた。

「本日は、このような場をお見せしてしまい、申し訳ありません」

「ご祝儀は、後日すべてお返しいたします」

「お料理はすでにご用意しております。よろしければ、今日は一つの舞台を観たと思ってお召し上がりください」


 父はすでに警察へ連絡していた。警察が到着すると、悠真は任意同行を求められた。主な代理出席者たちも、事情聴取のために連れていかれた。

 その披露宴に、最後まで新郎新婦はいなかった。残ったのは、芝居よりも滑稽な詐欺の全貌だけだった。



 6.拘置所の外に伸びた黒い手

 翌日、桐谷悠真が結婚詐欺の疑いで取り調べを受けているというニュースは、東京中に広がった。

 いくつかのネットメディアが、すぐに記事を出した。

【白石ホールディングス令嬢、披露宴会場で結婚詐欺男を暴く】

【既婚男が両親役を雇い、巨額の金銭をだまし取る】

【丸の内高級ホテルで前代未聞の逆転劇】


 悠真は一夜にして非難の的になった。私は、愛に盲目にならず冷静に反撃したグループ令嬢として扱われた。けれど私は、これで終わるはずがないと分かっていた。

 事件が捜査に入ると、法務チームは悠真に対し、この三年で私から受け取ったすべての金銭の返還を求めた。そのうち五百万円は、プロジェクトの立て替え、家族の急用、会社の危機といった名目で、私から借りた現金だった。残りは、新居の頭金、内装費、旅行代、贈り物、そして彼がさまざまな理由で私に肩代わりさせた債務だった。


 私は三年分の振込記録、トーク履歴、購入明細をすべて整理した。その一覧は、どんな契約書よりも分厚かった。

 このまま司法の手続きへ進むと思っていた矢先、ネット上に私の私的な動画が大量に流れ始めた。それは、私と悠真が付き合っていた頃に撮った親密な映像だった。動画は加工され、男性側の顔が別人のものに差し替えられていた。過度に露骨ではない。けれど、悪意ある想像を誘うには十分だった。


 同時に、切り取られたトーク履歴のスクリーンショットも流出した。恋人同士の何気ない会話は、文脈を失ったことで、私が「金にしか興味がない」「傲慢だ」「一般人を見下している」と見える証拠に変えられていた。

 私はかつて、会社の一部役員の子どもが立場を利用して横柄に振る舞っていると愚痴をこぼしたことがあった。

 それには、こういう見出しがつけられた。

【白石玲奈、社内の古参幹部を裏で批判。粛清を示唆か】

 私はかつて、ある会員制レストランのコース料金が一般的な月給に近いと、何気なく言ったことがあった。

 それには、こう書かれた。

【白石家の令嬢、庶民は高級店に行けないと嘲笑】


 ネット上の悪意は瞬く間に燃え広がった。私をふしだらだと罵る人もいれば、結婚に失敗した腹いせに男を陥れたのだと言う人もいた。白石ホールディングスを攻撃する声まで出始めた。

 高梨室長が広報チームを連れて会社に来たとき、全員の顔は重かった。広報部長が資料を私の前に置いた。

「白石副社長、動画とトーク履歴の拡散が速すぎます。すでに複数のアカウントが二次加工して、短い動画やネタ画像として拡散しています」

 私は目を閉じた。

「まず証拠保全を」


 会議室が静まり返った。

 私は続けた。

「各プラットフォームに、プライバシー侵害と名誉毀損で削除申請を出して。悪質な拡散アカウントはすべて記録し、弁護士を通じて発信者情報開示請求の準備を進めて」

「声明では同情を求めない。事実だけを出す」

「桐谷悠真が既婚者であること、結婚詐欺の疑いがあること、そして私的な映像を悪意ある形で編集、拡散した疑いがあることを中心に」

 高梨室長はうなずき、すぐに人を動かした。


 けれど、悠真は今回も用意周到だった。投稿は週末に集中しており、多くのメディアの対応が遅れる時間帯だった。小規模なアカウントやまとめ系サイトでは、すでに大規模な拡散が完了していた。広報チームは必死に動いたが、効果は限られていた。

 両親から電話がかかってきた。声には怒りと不安が混じっていた。

「玲奈、あれはいったいどういうことなの?」

 私は声を平静に保った。

「悠真が悪意を持って編集したものよ。私が対応する」

「二人は、しばらくネットを見ないで」


 電話を切ったあと、私は法務、広報、秘書室をもう一度集めた。

「守るだけでは足りない」

 広報部長が眉を寄せた。

「ですが、今はこちらに新しい証拠がありません。ただ彼を非難するだけでは、効果は薄いかと」

 私はテーブルを軽く叩いた。

「彼は今、勾留中で自由にネットは使えない」

 全員が私を見た。

「なら、誰が代わりに投稿しているの?」

「林美奈を調べて。最近誰と連絡を取っていたのか、お金の流れはどうなっているのか、投稿アカウントの背後にネット工作業者がいるのかどうか」

「桐谷悠真は拘置所の中にいても、外へ手を伸ばしている」

「その手には、必ず痕跡が残る」


 三日後、証拠が私の前に並んだ。悠真は勾留中、外部の協力者を通じて林美奈と連絡を取っていた。美奈はネット工作業者を通じて、編集された動画や切り取られたトーク履歴を拡散させていた。そのうえ、ある関係者が違法に連絡を取り次いだ疑いで、検察の調査を受けていることも分かった。

 私は高梨室長に資料をまとめさせた。

「記者会見を開いて」


 会見で、私は証拠の流れをすべて示した。美奈とネット工作業者のやり取り、送金記録、元動画の鑑定書、加工と編集の痕跡を説明する資料。会場は騒然となった。

「拡散されている私的映像は、いずれも悪意ある編集とAIによる顔の差し替えが確認されています」

「当社および私個人は、桐谷悠真、林美奈、ならびに関連する拡散者に対し、刑事告訴および民事上の損害賠償請求を進めています」

「悪質な転載についても、法的責任を追及いたします」

 記者会見が終わると、世論は一気に反転した。私を罵っていた声は、一晩で半分以上消えた。

「この男、さすがに最低すぎる」

「結婚詐欺だけじゃなくて、私的な動画までばらまいたの?」

「白石玲奈、対応が冷静すぎる」

「これこそ本当の反撃だ」


 白石ホールディングスの株価も下げ止まり、回復に向かった。ニュースを見た母から電話があった。母の声は震えていた。

「玲奈、本当に大変だったわね」

 私は窓の外に広がる東京の夜景を見た。

「大丈夫」

 けれど私は、まだ終わっていないことを知っていた。



 7.正妻のもう一つの嘘

 私は最初、林美奈も悠真に騙された女性の一人だと思っていた。だが、高梨室長が一冊の調査資料を私の机に置いたことで、その考えは変わった。

「白石副社長、林美奈のそばに別の男性がいます」

 写真の中で、美奈は子どもの手を引いていた。その隣には、三十代半ばほどの男性が立っている。男は子どもの帽子を直していて、その仕草は本物の父親のように自然だった。

「あの子は悠真の子どもなの?」

 高梨室長は少し間を置いた。

「公開されている写真と近隣住民の証言を見る限り、そうは見えません」

 私は顔を上げた。

「どういう意味?」

「あの子は幼い頃から、田辺大輔という男性をパパと呼んでいるそうです。林美奈と田辺大輔は、ずっと事実婚のような形で生活しています」


 私はあまりの馬鹿馬鹿しさに、笑いそうになった。つまり、悠真が自分の子どもだと信じていたあの子さえ、本当は彼の子ではないかもしれないということだ。

 私は林美奈に直接会うことにした。


 美奈は私を見るなり、一瞬だけ明らかに動揺した。けれどすぐに平静を取り戻した。田辺大輔が彼女のそばに立ち、彼女を背中にかばう。

「言いたいことがあるなら、俺に言ってください」

 私は彼を見ず、美奈だけを見た。

「一つだけ確認したいことがあるの」

「あなたと悠真は、最初から共謀して私を騙していたの?」

 美奈の顔色が変わった。

「何のことか分かりません」


 私は資料をテーブルに置いた。

「悠真が私と披露宴を開くことを、あなたは知っていた。彼が既婚者であることを隠して、私からお金を借りていたことも知っていた」

「あなたは子どもに悠真をパパと呼ばせて、彼が私からさらに金を引き出せるよう協力していた」


 美奈の目から涙がこぼれた。

「違います。私も彼に脅されていたんです」

 私は口を挟まなかった。彼女は隣の男をちらりと見た。

「あの子は大輔の子です。私が本当に一緒にいたいのは、大輔なんです」

「悠真にそれを知られたら、子どもに何をされるか分からなかった。だから、彼に言われるままにするしかなかったんです」


 田辺も口を開いた。

「俺たちは子どもを守りたかっただけです。他に方法がなかったんです」

 私は二人を見た。

「子どもを守るために、別の女性を踏みにじったの?」

「子どもを守るために、私の私的な動画を拡散する手伝いをしたの?」

 美奈は泣くだけで、何も言えなくなった。私は資料をしまい、立ち上がった。

「その言い訳は、法廷でどうぞ」


 その後、美奈は結婚詐欺への関与、私的映像の拡散、名誉毀損で別件として起訴された。田辺大輔も資金移動の補助と拡散への関与について、相応の責任を問われることになった。

 悠真については、ほどなくして親子鑑定の結果が届けられた。子どもが自分の子ではないと知った瞬間、彼はその場で取り乱したらしい。何もかも欲しがった人間は、最後に何一つ残せなかった。


 数か月後、一審判決が下された。悠真は結婚詐欺、名誉毀損、私的映像の悪質な拡散などの罪で有罪となり、懲役刑を言い渡された。民事では、私と白石家に対する損害賠償として、総額一千万円を超える支払いを命じられた。

 彼は控訴すると言った。私はもう、関心を持たなかった。



 8.私が選んだ新しい人生

 それからしばらく、私は仕事にすべての力を注いだ。いわゆる「真実の愛を見抜くアプリ」を作ることはやめた。人の心を裁くようで、現実的でもなかった。代わりに、婚活詐欺リスクを可視化するサービスへ方向転換した。

 それは、人が本当に愛しているかどうかを判断するものではない。婚姻状況、債務リスク、不自然な借金の依頼、身分の偽装、詐欺によくある話法、不審な送金を確認するためのサービスだ。


 そこに「最低男データベース」はない。あるのは、公開判例のデータ、リスク事例、詐欺防止の教育コンテンツ、協力弁護士や女性支援NPOへの相談窓口だけだった。


 私は自分の経験を、第一回の匿名事例として組み込んだ。美咲はその後、恋愛相談系の配信者として知られるようになった。彼女がこの件を話すときは、特定できる情報をすべて伏せ、「婚活詐欺」と「偽の親族を使った披露宴」という二つの要素だけを残した。

 その配信は思いがけず広がった。騙された人、脅された人、動画を盗撮された人たちが、次々と彼女の配信に集まるようになった。


 私たちは一緒に、反詐欺の公益基金を立ち上げた。それは、すべての人を救えると大きなことを言うものではない。けれど少なくとも、騙された人たちに、自分は一人ではないと知らせることはできる。


 一年後、そのサービスは業界賞を受け、いくつかの女性支援団体とも連携することになった。地方自治体から、婚活詐欺防止の講座を依頼されることもあった。メディアは私を若い女性起業家と呼び始めた。私はその言葉を聞くたび、ただ少し笑った。誰よりも分かっていたからだ。私は突然強くなったわけではない。傷ついたあとで、少しずつ、自分を他人の定義に委ねない方法を覚えただけだった。

 私の生活は忙しくなった。けれど、以前よりずっと充実していた。私は港区の高層マンションへ引っ越した。リビングには大きな窓があり、東京タワーと夜の車の流れが見えた。

 私はサモエドを飼い、真琴と名づけた。真心は、今でもこの世界でとても大切なものだと信じているからだ。

 ただ、それを簡単に差し出すことは、もうしない。


 悠真の本当の両親は、後日、弁護士を通じて謝罪したいと連絡してきた。私は断った。彼らが当時どこまで知っていたかに関係なく、桐谷家とは二度と関わりたくなかった。服役中の悠真は、毎月のように私へ手紙を書いてきた。そこには後悔の言葉と、本当に愛していたのは私だけだった、もう一度だけ機会が欲しい、という文章が並んでいた。

 最初の一通だけは手違いで開けてしまった。けれど、それ以降の手紙は、すべて秘書にそのまま返送してもらった。遅れて届く深情など、失った利益への未練にしか見えなかった。


 母はその後、また私に見合いの話を持ってくるようになった。

「玲奈、小林家の方、本当にいい方なのよ。ご家族もきちんとしていて、性格も穏やかだそうよ」

 私は笑った。

「お母さん、最近忙しいの。もう少し落ち着いてからにして」

 私は恋愛を信じなくなったわけではない。ただ、本当の愛は、一時の感動だけで証明できるものではないと知っただけだ。時間が必要で、尊重が必要で、互いに誠実であることが必要なのだ。


 週末、私は美咲と買い物に出かけた。

 彼女は私を見て、ふと口にした。

「玲奈、最近すごく調子よさそう」

 私は彼女の腕に自分の腕を絡めた。

「当然でしょ。ちゃんと運動して、ちゃんと働いて、ちゃんと生きてるんだから」

 美咲は笑った。

「今の玲奈、前よりずっと玲奈らしい」


 私たちは表参道のカフェに入った。窓の外では人々が行き交い、陽の光がグラスの縁に落ちていた。私はコーヒーを持ち上げ、そっと口をつけた。苦味はゆっくりと広がり、最後にかすかな甘さを残した。

 この三年間も、きっと同じだ。欺きも、裏切りも、痛みも、すべて本物だった。けれど、それらは私を壊せなかった。それらはただ、甘い言葉を吐く誰かに人生を預けてはいけないと教えてくれただけだった。

 私はもう、簡単には騙されない。簡単には倒れない。ようやく分かったからだ。本当に自分を愛するということは、誰かが救ってくれるのを待つことではない。何が起きても、自分自身を光の下へ連れ戻すことなのだ。

 ――完――




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