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『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


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第89話 狂犬お市様の狂犬式お正月 兄者と密談

天文二十三年 正月三日 昼

場所:清州城

 清州城の正月は、戦より列が長い。

 城門の外から、武士・商人・僧侶――朝から尾張中が、信長様へ年始の挨拶に押し寄せていた。

 去年の正月元旦――大高城撃破。

 そして続く四城撃破占領。

 尾張の武士たちは、まだあの衝撃の真ん中にいる。

「今年も……狂犬様、何かやりはるんちゃうか」

「やめろ、縁起でもない」

「縁起、ええやろ。正月やぞ」

「その“縁起”が戦の縁起や!」

 列の端で、そんなひそひそ話が流れていく。

 期待と恐怖が混ざった、尾張独特の“正月の空気”だ。

 そこへ――。

 どん。

 場が派手に割れた。

 狂犬お市様、清州到着。

 フルメイクで極め込み、香水「お市」をひと吹き。

 寧々ブランドの和装を身にまとい、髪は艶、肌は雪、目は刃。

 城下の男たちが一斉に、息を呑む。

「……やっぱ、世界一や」

「目ぇ潰れる」

「潰れても見たい」

「正気に戻れ!」

 その背後で、藤吉郎は大量の書類束を抱えてフラついている。

 利家は利家で、狂犬堂の胃薬と、堺から取り寄せた珍しい品を抱え、顔が青い。

「藤吉郎……これ、兄者に渡すん、命がけやろ……」

「利家、胃薬は“武器”や。兄者の胃を救えば、尾張が救われる」

「でかい話やめろ! わしの胃が先に死ぬ!」

 やがて、織田家臣団の宴会が始まった。

 酒が回り、座はどんちゃん騒ぎ――のはずが、誰もが“狂犬”を横目で見てしまう。

 いつ号令が飛ぶのか。いつ城が燃えるのか。

 酒が旨いのに、背筋が冷える。

 だが、お市様は、笑っていた。

 笑いながら、兄者の座を見ている。

 信長様は、杯を傾け、目だけで妹を測っている。

「……派手だな」

「兄者が地味すぎるだけじゃ」

「口が減らん」

「減らぬ」

 周囲の家臣たちが、まとめて息を止めた。

 正月なのに、刃の音がする。

 宴がひと段落した頃。

 信長様が、何でもないように言った。

「お市。来い。……藤吉郎も来い」

「は、はい!」

 藤吉郎の返事が裏返る。

 利家は「わしは?」と指差したが、信長様が一瞥しただけで固まった。

「利家は……胃薬の番をしとけ」

「番て何やねん!」

「黙れ」

「はい……」

清州城 信長私室

 通された部屋は、宴の熱と真逆だった。

 静けさが、墨の匂いと一緒に沈んでいる。

 信長様が座る。

 お市様が向かいに座る。

 藤吉郎が、書類と地図の束を抱えたまま控える。

「で。用件は何だ」

 信長様の声は短い。正月でも短い。

 お市様は、即答した。

「許可をもらいに来た」

「何の」

「一号」

「……例の“紫陽花”か」

 藤吉郎の喉が鳴った。

 姫様が、地図を広げる。朱印入りの紙が、何枚も混じっている。

 達筆すぎて雑――それが逆に、恐ろしい。

「一号作戦――紫陽花奪還作戦。

 駿河久能山へ上陸し、松平元康を“奪還”する」

「奪還?」

「人質は、奪われたものじゃ。取り返すのは当然じゃろ」

 信長様は地図を見る。

 久能山、清水、駿河港、今川館、別邸、大原雪斎寺。

 火災想定、退路、停泊位置、潮の流れまで書き込まれている。

「……海を使うか」

「九鬼水軍、川浪衆。安宅船、小早舟。

 伊勢湾と駿河は“銭の潮”で繋がっておる。潮を握れば、戦は始まる前に終わる」

「お前の口癖だな」

「真理じゃ」

 信長様が、ふっと笑った。

「で? “許可”というのは、何を俺にさせたい」

「止めるな」

「命令か」

「相談じゃ。兄者は面倒が嫌いじゃろ」

「嫌いだ」

「なら、止めぬと言え」

 藤吉郎は、心の中で土下座した。

(姫様、真正面から兄者に殴り込みや……!)

 信長様は指先で机を叩き、紙の束を一枚抜く。

 そこには――二号、三号、四号。

「……二号。今川義元本隊との野戦想定。

 生け捕り?」

「そうじゃ」

「三号。尾張統一」

「兄者の仕事を早める」

「四号。三河統一」

「元康奪還の先じゃ」

 信長様が顔を上げる。

「……天文二十四年の三月まで、予定が組んであるのか」

「組んだ」

「気が早い」

「生き残りは、早い者勝ちじゃ」

 信長様は紙を見つめ、声を落とす。

「義元を捕縛し……僧に戻す? 髪を剃るのは……寿圭尼?」

「そうじゃ。

 義元は“海道一の弓取り”などと持ち上げられておるが、本体は坊主じゃ。

 なら、坊主に戻す。

 武将として殺すより、生き恥を刻む方が効く」

「……お前の戦は、刃より言葉が怖いな」

「刃も怖いぞ。世界一美しいゆえ」

 信長様は、鼻で笑った。

「で、藤吉郎」

「は、はいっ!」

「お前は、この狂犬の計画をどう見る」

 藤吉郎は、咄嗟に姫様の横顔を見た。

 笑っているのに、目は冷たい。

 “家族を守る目”だ。

「……姫様は、戦だけを見ていません」

「ほう」

「奪還で終わらせず、尾張・三河の民の腹、銭、鍛錬、全部を一つの線で繋いでいます。

 だから――勝ち筋が一本じゃない。何本もあります」

「……うまいこと言うようになったな」

「言わされてます……!」

 信長様が、お市様を見た。

「お市。好きにやれ」

 それは短いが、清州の“許可”だった。

 お市様が、にやりと笑う。

「礼は言わぬ。兄妹ゆえ」

「言わんでいい。……ただし」

「ただし?」

「俺の前で、俺より派手になるな」

「無理じゃ。わらわが世界一美しい」

「……やはり口が減らん」

 障子の向こうから、利家の声が飛ぶ。

「藤吉郎ぉ! 胃薬、いつ渡すんやぁ! わし、寿命縮んどるぅ!」

「利家、黙れぇ!!」

 信長様は面倒そうに言った。

「置け。……俺の胃も、今年は忙しそうだ」

 お市様は、最後に地図を指で叩いた。

「兄者。これで決まった。

 一号が動けば、二号が踊る。

 三号は勝手に転がる。

 四号は、元康が戻れば勝手に開く」

「……勝手に、が多いな」

「わらわは独裁じゃ。丸投げじゃ。方向だけ決めれば、駒は動く」

 藤吉郎は、背中に汗を流しながら思う。

(姫様は、兄者に“お願い”をしない。

 兄者に“損”を見せない。

 これが狂犬式の調略――!)

 部屋を出る瞬間。

 お市様は、ふっとだけ笑顔を消した。

(……八月十三日。

 紫陽花が、咲くまで。

 必ず、奪い返す)

 その顔は、世界一美しいのに――

 戦の鬼だった。

◉狂犬記(祐筆・桃)感想と日記

天文二十三年 正月三日 清州にて。

 清州の正月は、列が長い。だが、今日いちばん長かったのは、姫様の“計画”である。

 一号、二号、三号、四号――天文二十四年三月まで、地図も戦力も想定も、全部書いてあった。

 達筆すぎて雑な朱印状が混じっているのが、また恐ろしい(姫様、雑に見せる時ほど本気である)。

 兄者様は、最後に「好きにやれ」と言った。

 それは許可であり、放逐であり、期待でもある。

 つまり――今年の尾張は、もう止まらない。

 藤吉郎殿は汗で濡れていた。

 利家殿は胃薬で生きていた。

 私は筆で生きる。

 だが――姫様の背中を見るたび、胃が痛い。

 それでも書く。

 狂犬の一年は、正月三日で決まった。

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