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『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


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第81話 狂犬お市様の狂犬織 寧々

西暦1553年6月30日(和暦:天文二十二年 六月三十日) 朝

場所:熱田・狂犬堂本店

 朝の熱田は、潮の匂いと人の声で目を覚ます。

 狂犬堂本店の暖簾は、まだ朝靄を含んだ風に揺れていた。

 店の裏手――作業場では、すでに戦が始まっている。

「はい次! 反物そこ! 裁ち台あけて!」

「寧々様、糸が足りませぬ!」

「倉から持ってきて! 紫は使いすぎ注意やで!」

 声の主は寧々。

 いつもの柔らかな笑顔はそのままに、目だけが冴えきっている。

 浅野家――

 その一族が、まるごと狂犬堂に採用されてから、数旬。

 今、浅野家の人々は“一般職員”として、死ぬほど働いていた。

「兄上! その帳面、数字合わん!」

「合っとるわ! ……あ、違う! 昨日の分や!」

「昨日は寝落ちしてたやろ!」

 怒号と笑い声が飛び交う。

 浅野の者たちは、元は武家。

 だが今は、商いと内職と物流に追われる日々だ。

「……こんなに忙しいのに、不思議と腹は立たぬな」

 浅野家の長が、汗を拭いながら言った。

「銭が回っとる証拠や」

 寧々は、さらりと返す。

 狂犬堂本店の奥――

 そこには、寧々専用の作業場があった。

 吊るされた反物は、狂犬織。

 軽く、強く、光を孕む不思議な布。

「……ほんま、ええ布やわ」

 寧々は、指先で撫でる。

 武家の娘として、縫い物は嫌というほどやってきた。

 だが、これは違う。

「戦のための布やない。生きるための布や」

 裁ち鋏が、静かに鳴る。

 布が、迷いなく形を得ていく。

 羽織。

 小袖。

 帯。

 そして――女物の下着。

「……これ、絶対売れる」

 誰に言うでもなく、寧々は呟いた。

 動きやすく、肌に優しく、しかも美しい。

 そこへ、浅野の若い女衆が覗き込む。

「寧々様、それ……着物、ですか?」

「着物やけど、戦う着物やない」

「……?」

「働く着物や」

 女衆の目が、ぱっと輝いた。

「欲しい……!」

「せやろ。女は、働いてこそ綺麗になる」

 寧々は、反物を抱え直した。

「これが、うちの“看板”や。

 ――寧々、や」

 屋号ではない。

 名そのものを、ブランドにする覚悟。

 狂犬堂の外では、店が開き始める。

 化粧品を求める女。

 薬を買う町人。

 団子を頬張る子供。

 その全ての流れを、寧々は二階の窓から見下ろした。

「……お市様は、すごいわ」

 戦も、内政も、商いも。

 そして――人の居場所を作る。

「せやけど」

 寧々は、きゅっと拳を握る。

「うちは、うちの戦をする」

 狂犬織を使い、

 女のための着物を作り、

 女が立てる店を、増やす。

 浅野家は、もう“家”ではない。

 組織だ。

「今日も、死ぬほど売るで!」

 その声に、作業場が一斉に応えた。

「「はい!」」

 熱田の朝は、今日も騒がしい。

 だが、その喧騒の中で――

 確かに、新しい時代の布が、織られていた。

狂犬記 作者・桃 感想と日記

 天文二十二年 六月三十日。

 熱田は朝から忙しい。

 浅野家、まるごと採用。

 武家が商いに慣れるまで、胃が痛い。

 だが、銭が回り始めると、顔つきが変わる。

 寧々は、自分の名を背負う覚悟を決めた。

 “守られる女”から、“生み出す女”へ。

 狂犬織は、戦の道具ではない。

 生きるための布だ。

 お市様の捕物帖は、

 盗賊を捕まえる話ではない。

 人の可能性を、逃がさぬ話である。

 さて――

 次に捕まるのは、誰の未来か。

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