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『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


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78話 狂犬お市様の狂犬式――常滑焼(窯は増える、胃も痛い)

西暦1553年5月21日(和暦:天文二十二年 五月二十一日)

場所:尾張・常滑城下町郊外/常滑焼 窯元

 潮の匂いが濃い。

 常滑の浜から一歩内へ入ると、今度は土の匂いが鼻を刺す。赤土。粘りのある土。焼けば朱に、釉を吸えば深い茶に――常滑の土は、腹が据わってる。

「……土が、重いな」

 水野信元(元殿様)は袖をまくり、土の塊を持ち上げて呻いた。

「殿、土に負けてどうする。昨日から三回目じゃ」

 おだい(元姫様)は、腰に手を当てて言い放つ。声が通る。いや、怒鳴り声ではない。内政の声だ。

「負けとらん。重いと言っただけだ」

「殿は、重いのが苦手じゃ。話も、責任も、土も」

「毒舌が過ぎる!」

「これは薬じゃ。狂犬様の化粧品より効く」

 おだいの頬は、ほんのり艶がある。

 あれは例の“狂犬印の化粧品”だ。

 香りが上品で、しかも汗をかいても崩れにくい。――悔しいが、城下の女たちの目が変わったのは、確かにそれもある。

 今日、二人は狂犬様の命でここにいる。

 命令内容は簡単――

「常滑焼の窯元、増設。量産。銭。以上」

 簡単だが、地獄はいつだって短い言葉で始まる。

窯元の現場は、戦場より熱い

 窯元の親方は、腕を焼いた男だった。

 顔も手も黒い。目だけが澄んでいる。

「増設はできます。ただし、火は言うことを聞きません」

「火付盗賊改じゃないからの……」と信元がぼそりと言い、

おだいが即座に突く。

「殿、いまのは面白いと思ったの?」

「……思った」

「思った時点で敗北じゃ」

 親方が苦笑する。職人は強い。

 “偉い人”が来ても、火と土の前では平等だ。

 窯を増やすには、段取りがある。

 土を掘る。

 土を寝かせる(寝かせないと割れる)。

 水を合わせる。

 練る。

 形を作る。

 乾かす。

 素焼き。

 釉。

 本焼き。

 冷ます。

 選別。

 運ぶ。

 売る。

 途中で雨が降れば乾きが遅れ、

湿気れば釉が荒れ、

薪が濡れれば火力が落ち、

火力が落ちれば色が死ぬ。

 戦なら敵が見える。

 内政は敵が見えない。

 相手は天気と土と人の気分だ。

「……殿、顔が死んでおる」

「死んでない。考えている」

「同じじゃ」

「違う!」

 信元は書付を広げた。朱印入りだ。達筆すぎて雑。

狂犬様の字は、読む者に覚悟を要求する。

「“壺・甕・急須・すり鉢。まずは日用。港で売れ。熱田へ回せ。堺へ流せ”……」

「殿、読むのやめて。胃が痛い」

「おだい、おぬしも胃が痛いのか」

「痛い。わらわは女じゃ。胃が繊細」

「わしも繊細だ!」

「殿が繊細なのは財布だけじゃ」

 やっぱり毒舌。

 だが、信元も少しだけ笑った。

 ――二人とも、前に出るしかない。

失敗:窯の“口”が小さすぎた

 親方の指示で、増設の“試し窯”を作る。

 土台を組み、壁を積み、煙道を伸ばす。

 信元もおだいも、泥だらけになって働いた。

「元姫様、袖が……」

「袖が汚れる? なら脱ぐ」

「いや、脱ぐのは……」

「冗談じゃ。目が泳いだぞ、職人。色欲は窯の外で焼け」

 職人たちが噴き出す。

 おだい、強い。城より現場向きかもしれぬ。

 問題は“窯の口”だった。

 火を入れてみると――熱が回らない。

 焼きが甘い。色が乗らない。

 扉が小さく、空気が入らず、火が息をできぬ。

「……殿、これ、戦で言うと?」

「兵糧が届かん」

「なら、兵站の失敗じゃ。殿が得意なやつ」

「得意ではない!」

 親方が、火を見ながら言う。

「窯は生き物です。口が小さいと、火が窒息します」

「口……」

信元が窯を見つめ、ぽつりと言った。

「……わしらも、口が小さかったな」

「殿?」

「言うべきことを言わず、頼るべきところを頼らず、面子で動いて……」

「急に真面目になるな。照れる」

「照れさせるな」

 おだいは一呼吸置いて、現場の声で言った。

「よい。壊す」

「壊す!?」

「壊す。間違いを残すと、もっと銭が減る。狂犬様に首を跳ねられる」

「跳ねられるのはわしだけかもしれぬ」

「殿、安心せい。わらわも一緒に跳ねられる」

「安心できぬ!」

 笑いが起きた。

 笑っている間に、壊して作り直す。

 失敗は、最速で回収する。

 狂犬様の“銭の兵法”は、現場にも効く。

成長:常滑焼は「数」より「筋」

 作り直した窯は、口を広げ、煙道を伸ばし、薪の乾き場も整えた。

 地味だが、効く。

 火が回り、色が立つ。

 土が応えた。

 焼き上がった急須を手に取ったおだいが、指先で音を確かめる。

 コン、と澄んだ音。

「……よい音じゃ」

「姫様みたいだな」

「殿、今のは褒めたつもりか」

「褒めた」

「なら、もう一回言え」

「……よい音じゃ」

「よし。許す」

 親方がうなずいた。

「この筋なら、増やせます。ですが、人が要ります」

信元が即答しかけて止まる。――人は銭だ。飯だ。寝床だ。喧嘩もする。逃げもする。

 おだいが先に言った。

「女も使え」

「え?」

「釉掛け、選別、帳面、運びの段取り。女でもできる。いや、女の方が丁寧な場合が多い」

信元が頷く。

「城下には夫を亡くした女も多い。まつ屋と同じだな」

「そうじゃ。働いて、食って、笑って、生きる。それが治世じゃ」

 元殿様と元姫様。

 “支配する側”から“回す側”へ。

 視点が変わり始めていた。

 親方が言う。

「常滑焼は、数を増やすほど、質が落ちます」

「ではどうする?」

「筋を守る。土を急がせない。乾きを待つ。火を焦らない。人も同じです」

 おだいがふっと笑う。

「……殿、聞いたか。人も同じだ」

「わしに言うな。狂犬様に言ってくれ」

「言ったら殿、簀巻きにされる」

「それは避けたい」

「なら働け」

 信元は、急須を握り直した。

 この小さな器が、伊勢湾を渡り、熱田へ行き、いつか堺の商人の手に渡る。

 銭の潮。黒潮。

 狂犬様の言う“天下の流れ”が、少しだけ見えた気がした。

夕刻:銭の報告書は、土より重い

 日が傾き、窯元に影が長く伸びる。

 信元は書付に筆を走らせる。

 おだいは横で口を出す。

「『窯の口を広げ、煙道を増し、薪の乾き場を設け、失敗を回収して再構築』……」

「言い方が固い」

「固い方が伝わる」

「狂犬様は固いものを嫌う」

「殿が固いのを嫌うだけじゃ」

「違う!」

 揉めている間に、親方が差し出した。

 焼きたての小皿。

 ほんのり朱。端正な曲線。

「これを持って行ってください。狂犬様へ」

信元が受け取り、頭を下げた。

「……礼を言う。今日の教えは、土より重い」

「殿、また格好つけた」

「格好つけねば、元殿様の面子が死ぬ」

「面子は窯で焼け」

 また笑いが起きる。

 常滑の夕方は、火の匂いと笑いで終わった。

 ――内政は大変だ。

 だが、失敗して、直して、また進む。

 それを“成長”と呼ぶのだと、二人はやっとわかり始めていた。

◉狂犬記 作者・桃 感想と日記

 天文二十二年 五月二十一日。常滑の窯元は、戦より熱かった。

 水野信元さまは、土の重さに負けそうになり、おだいさまは舌で殿を焼いていた。だが、二人とも逃げない。逃げられない。逃げないから、前に進む。

 窯の口が小さくて失敗した。

 でも、壊して作り直した。

 “失敗を最速で回収する”――これは狂犬様の兵法そのものだ。

 元殿様と元姫様が、少しずつ“現場の人”になっていく。

 土と火と人を相手にする内政は、きっと一生終わらない。

 だからこそ、町が生きるのだと思う。

 追伸:おだいさまの毒舌は、窯の火より強い。殿が可哀想だが、たぶん殿も少し嬉しい。

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