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『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


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第74話 狂犬お市様の狂犬式調略 ――藤吉郎がゆく――

西暦1553年5月10日(和暦:天文二十二年 五月十日) 昼休

近江国・伊吹山麓 京極屋敷

―――――――――――――――――――

 昼下がりの伊吹山は、まだ春の名残を抱いていた。

 山風は冷たく、しかし陽はやわらかい。

 近江の地は、尾張とは違う。

 藤吉郎は、門前で一度だけ深く息を吐いた。

(……ここが、京極か)

 屋敷は大きくない。

 だが、静かだった。

 武家屋敷特有の張りつめた空気――それが、逆に薄い。

「……人の気配が、少ない」

 藤吉郎は、そう呟き、名を告げた。

「尾張・鳴海より参った。木下藤吉郎と申す。

 京極高吉様に、御目通り願いたい」

 しばしの沈黙。

 やがて、年配の家臣が現れ、藤吉郎を座敷へ通した。

―――――――――――――――――――

 座敷に現れた男は、想像よりも若かった。

 だが、その目は、若くない。

 京極高吉。

 名門・京極家の嫡流。

 だが今は、時代に取り残されつつある男。

「……尾張から、何の用だ」

 声は低く、感情を抑えている。

 藤吉郎は、畳に手をつき、深々と頭を下げた。

「は。

 我が主、狂犬お市様――

 いえ、鳴海城主代理にして、織田家の要。

 そのお市様より、御挨拶と御提案に参りました」

 高吉の眉が、わずかに動いた。

「……狂犬、か」

「は。世ではそう呼ばれております」

「物騒な名だな」

「はい。ですが――

 銭と人と腹を、大事にする姫でございます」

 藤吉郎は、用意してきた話を、順に語った。

・朝廷との新たな関係

・京と堺を結ぶ交易路

・伊勢湾を押さえた海運

・武ではなく、外交と経済で戦を終わらせる構想

 そして最後に、静かに言った。

「京極様には、

 朝廷外交奉行として、お力をお借りしたい」

 一瞬、空気が凍った。

 高吉は、しばらく黙り込み、庭を見た。

 風に揺れる木々。

 遠くで鳥が鳴く。

「……木下藤吉郎」

「は」

「そなたは、わしが何を恐れているか、分かるか」

 藤吉郎は、即答しなかった。

 ――ここが、肝だ。

「……失礼を承知で申します」

「言え」

「期待されることでございます」

 高吉の視線が、鋭く藤吉郎を射抜く。

「名門、京極。

 朝廷、幕府、近江。

 どこへ行っても、“京極なら当然”と言われる。

 だが、今は……」

 藤吉郎は、言葉を切った。

「今は、何も持っていない者ほど、自由でございます」

 高吉は、ふっと鼻で笑った。

「……自由、か」

「はい。

 我が主は申されました。

 『役職とは、縛るためでなく、守るためにある』と」

「……きれいごとだ」

「はい。

 ですが、狂犬お市様は、

 きれいごとを銭と人手で現実にする姫でございます」

 しばしの沈黙。

 やがて、高吉は、静かに首を振った。

「……今は、無理だ」

「……」

「京極は、まだ決断できぬ」

「……承知いたしました」

 藤吉郎は、すぐに頭を下げた。

 食い下がらない。

 それも、狂犬流。

「本日は、御時間を頂き、誠にありがとうございました」

 高吉は、藤吉郎を見つめ、ぽつりと言った。

「……そなた、また来るのか」

「はい」

「なぜ」

「約束をしていないからでございます」

 高吉は、一瞬、目を見開き――

 そして、笑った。

「……変な男だ」

「よく言われます」

「……今日は、帰れ」

「は」

「だが……門は閉じぬ」

 藤吉郎は、もう一度、深く頭を下げた。

「また、参ります」

 そう言って、座敷を後にする。

―――――――――――――――――――

 屋敷を出た藤吉郎は、伊吹山を仰いだ。

(……失敗、か)

 だが、口元は笑っていた。

(いや。芽は、見えた)

 藤吉郎は、背中に手を回し、歩き出す。

「また、来ます――

 京極様」

 狂犬お市様の調略は、

 一度で終わるものではない。

 銭と腹と未来を、揃えてからが本番だ。

―――――――――――――――――――

◉狂犬記 作者・桃 感想と日記

 天文二十二年 五月十日。

 藤吉郎、京極高吉殿への初調略、失敗。

 だが、姫様は言った。

 「失敗とは、縁が切れること。

  話ができた時点で、半分は終わっておる」と。

 藤吉郎は、ちゃんと狂犬家臣団の顔になってきた。

 無理に押さず、引かず、逃げ道を残す。

 伊吹山の風は冷たかったが、

 藤吉郎の背中は、妙に軽そうだった。

 次は、いつ行くのか。

 本人も、京極様も、分かっていない。

 それでよい。

 縁とは、そういうものだ。

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