70話 狂犬お市様の狂犬式宴会
西暦1553年1月27日 夜(天文二十二年 正月二十七日)
尾張国・鳴海城 大広間(評定の間つづき)
酒が増え続ける。
無礼講が続き続ける。
ぶっちゃけトークが止まらない。
――そして、胃が痛い者から順に、笑いが軽くなる。
評定の“終わり”は宣言された。
だが、狂犬家臣団にとって「評定」と「宴会」は別物ではない。
(宴会=次の命令の助走)
藤吉郎は、盃を見つめて悟った。
藤吉郎目線:胃痛、しかし仕事脳は止まらない(酔い:二~三)
朱印状が飛び、書類が飛び、最後に津軽三味線が飛んだ。
普通は逆だろう。普通は。
「……姫様、ひとつ質問よろしいですか」
藤吉郎が手を挙げると、周囲が「お、来た」とざわついた。
姫様への質問は、勇気のいる行為だ。
答えが命令になって返ってくるからだ。
「申せ」
お市様は弦を鳴らしながら、涼しい顔。
「さきほどの“黒潮”の話ですが……伊勢湾から堺、さらに駿府までの航路、冬場は風と波が――」
「藤吉郎、宴会で航路の話をするな」利家が即ツッコミ。
「いや、命に関わるんで!」
「命に関わるのは今や、お前の胃や!」
姫様は微笑む。
「よい質問じゃ。……冬を越す銭は、春に花となる。
船は波を読み、人は腹を読む。腹を壊したら負けじゃぞ」
(結局、腹の話に戻った)
藤吉郎は、胃を押さえてうなずいた。
まつ目線:料理担当の誇りと、現場の現実(酔い:二)
まつは、配膳と片付けの流れを見ながら、皆の顔色を見ていた。
酒が回ると、武士は幼くなる。
幼くなると、余計なことを言う。
余計なことを言うと、姫様の“採用”が増える。
「姫様、質問!」
まつが元気よく手を挙げた瞬間、利家が「やめとけ!」と引っ張った。
「なんやねん!うち、聞きたいことある!」
「その“聞きたいこと”が増える仕事や!」
「増えへんわ!」
姫様は楽しげに眉を上げる。
「まつ、申せ」
「……親子丼、熱田中心に出店って言うたけど……鶏、足りるん?」
「現実的!」
「まつ、地に足つきすぎ!」寧々が笑う。
姫様は、歌うように言った。
「足りぬなら増やす。増やすなら回す。回すなら銭。
――鶏は、幸せの鳴き声じゃ」
「何それ名言っぽいけど、結局うちが仕込み増えるだけや!」
まつのツッコミに、場がどっと沸いた。
利家目線:脳筋は酒で詩人になる(酔い:三~四)
利家は、盃を握りしめ、姫様を見ていた。
世界一美しい。
そして世界一怖い。
だから世界一、守りたくなる。
「姫様!」
利家が立ち上がると、皆が一瞬ひやっとした。
利家の質問は、たいてい火種になる。
「申せ、フリーター」
「フリーター言うなあ!」
利家は真剣な目で――真剣すぎて酔いがバレる目で言った。
「……姫様、子供、ほんまに好きなん?」
場が静まった。
まつが「おい利家!」と頭をはたく。
藤吉郎が「今それ聞く!?」と顔を覆う。
お市様は、三味線の手を止めずに答えた。
「好きじゃ。――弱き者は、未来じゃ」
その声は柔らかく、それだけで酒の乱れが整う。
利家は赤くなって座った。
「……うん」
「うん、やない!」
まつのツッコミで、また笑いが起きた。
寧々目線:商売女将の頭が冴える(酔い:一~二)
寧々は、酔いが強くならないように調整していた。
酔うと、姫様の“丸投げ”が刺さるのは自分だと知っている。
(熱田、本店……死ぬほど利益……)
頭の中で帳面を弾いていると、姫様がこちらを見る。
「寧々、質問は?」
「質問っていうか、お願いがあります!」
寧々は一息で言った。
「姫様、酒の名前、“朱印”にするなら……ラベルに姫様の朱印、毎回押すんですか?」
場がざわつく。
藤吉郎が「それは人手が!」
まつが「姫様の手が死ぬ!」
利家が「姫様の手は神!」(謎の信仰)
お市様は、ふっと笑った。
「押すのは印、働くのは人」
「ブラックゥ!!」
全員の叫びが揃った。
岡部目線:治安の男、宴会でも目が笑わない(酔い:一)
岡部は酒に強い。
強いが、飲まない。
理由は簡単だ。――城下は、酔ってくれないから。
同心たちの顔を見回し、明日の段取りを頭で組む。
祝金二百貫。ありがたい。
だが、知多全域の治安は、銭より人が要る。
(採用……今川崩し……詰所……道幅……)
考えていると、姫様の歌声が、空気を変えた。
狂犬お市様の春夏秋冬・四曲
お市様は、津軽三味線を抱えたまま、静かに歌い始めた。
普段、ライブで歌わない。
家臣団だけが知る――姫様の“やさしい歌”。
激しい歌より、皆はこの歌が好きだった。
刀ではなく、声で守られている気がするからだ。
1.春に望む
春は、芽吹く。
それは兵の芽ではない。
町の芽、子の芽、女の笑いの芽。
姫様の歌は、鳴海の焼け跡に、もう一度花を植える歌だった。
藤吉郎は、思わず盃を置いた。
(……この人は、戦を“終わらせるため”に戦ってる)
2.夏のおわりに
夏は、命が太る。
太るから、失うのが怖くなる。
姫様の声は、暑さの向こう側で、そっと手を握るような声だった。
まつが小さくつぶやく。
「……姫様、ほんまは優しいんよな」
利家がうなずく。
「うん……」
「うん、やない!」
だが、まつのツッコミも今日は柔らかい。
3.秋の月夜に
秋は、数える季節。
収穫、年貢、利益、帳面。
けれど姫様は、銭だけでなく、命も数える。
寧々が胸の奥で思う。
(この人、数字の鬼やけど……人の涙も数えてる)
4.冬の雪
冬は、静かだ。
静かだから、嘘がよく響く。
姫様の歌は、嘘を切らず、嘘が落ちるまで待つ歌だった。
岡部は、杯を置き、初めて目を細めた。
(……この城は、治安だけでは守れぬ。
“心”も守らねばならぬ)
歌が終わると、しばらく誰も喋れなかった。
酔いが、少しだけ醒めた。
そして――姫様が、いつもの顔で言う。
「さて。まだ酒はあるぞ」
「やっぱり修行や!!」
家臣団の叫びが、鳴海城の夜に転がった。
狂犬記・作者 桃(祐筆)/日記
無礼講は、怖い。
酒が増えると、質問が増える。質問が増えると、仕事が増える。
そして胃が痛くなる。
だが今夜は、姫様が歌った。
春夏秋冬の四曲。すべて愛がいっぱいだった。
激しい歌より、優しい歌が好きだと、家臣団の皆が顔で言っていた。
姫様は世界一美しい。
それだけでなく、世界一“人を生かしたがる”お方なのだと思う。
だから我らは働く。
胃が痛くても、明日も働く。
……ただ、酒の席での朱印状だけは、どうにかしてほしい。




