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『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


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68話 狂犬お市様の狂犬式知多開発とブラック家臣団 その6

西暦1553年1月27日 夜(天文二十二年 正月二十七日)

尾張国・鳴海城 評定の間

 みんな、いい感じに酔いはじめた。

 いい感じ――と言うより、現実逃避に近い。

 お市様が「チリン」と鈴を鳴らすたびに、酒が増え、あてが増える。

 増えるのは酒と肴だけではない。

 ――仕事も増える。

「評定はまだ終わらぬぞ」

 そう宣言された瞬間、家臣団の胃が一斉にキュッと縮んだ。

 酔いが強くなる。

 修行なのか? これは修行なのか?

 藤吉郎は、湯気の向こうの姫様を見て、内心で合掌した。

(神よ……せめて今夜は、朱印を減らしてください……)

 願いは届かない。

 姫様は、相変わらず世界一美しいまま、平然と酒を追加した。

「次の酒はな――水野が作る予定の、麦焼酎、米焼酎じゃ」

「……焼酎?」利家が目を丸くした。

「姫様、焼酎って……この時代にそんなポンポン出るもんでしたっけ?」藤吉郎が控えめに聞く。

「出すのじゃ」

「出すんかい!」

 お市様は涼しい顔で続ける。

「熱田で、わらわが医務室で作ったのを、熱田の狂犬酒蔵で増やしておる。強い酒じゃぞ」

「医務室で酒作る姫様って何!?」

「狂犬じゃな」

「自分で言うた!」

 姫様がにこりと笑う。

 それだけで、場の男衆が一瞬黙る。

 美しい。死ぬほど美しい。

 だが胃は痛い。

「あては、あわび、さざえの壺焼じゃ。うまいぞ」

 炙りの香りが広がり、空腹を殴ってくる。

 家臣団は反射で箸を伸ばし――

(うまい……)

(うまいけど……)

(うまいほど、仕事が来る……!)

 そんな“狂犬家臣団の経験則”が、胃の奥で光った。

 お市様は、酒をぐいっと飲み、そして――

 書類の束を「トントン」と揃えた。

 朱印が、数枚、挟まっている。

 達筆すぎて雑。

 読めないが、怖さだけは読める。

 姫様の視線が、静かに三人へ落ちた。

「さくら、あやめ、せつな」

 三人の伊賀娘が、同時に背筋を正す。

 酔いが一瞬で引く。

 忍びの血は、命令の気配に敏感だ。

「実家に、明日から行け。

 三人の親父殿――百地丹波、藤林長門、服部半蔵を調略せよ」

「…………はい!」

声が揃いすぎて、逆に怖い。

 藤吉郎は心で叫ぶ。

(いや待って、半蔵を“調略”って、何をどうするんですか姫様!!)

 姫様は、当たり前のように続けた。

「三人に、狂犬堂の暖簾分けをする。

 商品は、狂犬堂の全てをこちらが卸す。

 日本全国、好きに行商せよ。――諜報付きじゃ」

「行商しながら諜報……」寧々が低く呟く。

「髪結いと化粧品で近づいて、情報抜くやつやな……」まつが頷く。

「その言い方、急に現代!」利家が突っ込む。

 お市様は、指を折って追加する。

「任務は三つ。

 諜報調略、反諜報調略、それと――偽物対策じゃ」

「偽物対策!?」藤吉郎が反応する。

「狂犬堂の商品は、これから天下に出る。偽物が出る。必ず出る」

「出る前提なの、リアルすぎる!」

「やりかたは――丸投げじゃ」

「丸投げきたーー!」家臣団が一斉に叫んだ。

 姫様はにっこり。

「さくらには、百屋。

 あやめには、藤屋。

 せつなには、福屋。

 屋号を与える」

「服屋じゃなくて福屋なん?」利家が小声で聞く。

「縁起が良いからやろ」まつが即答した。

「姫様のネーミング、意外と縁起担ぐんや……」寧々が呟く。

 お市様は、壺焼きを一口、上品に食べてから――

 恐ろしく上品な笑みで言った。

「死んでも死にきれず、墓から出てくるぐらい、もうけよ」

「墓から出るって、もう妖怪採用やん……」藤吉郎が青ざめる。

「妖怪も働く。銭は働かせる」

「理屈が強い!」

「伊賀に狂犬堂を作り、基本蔵とせよ。

 諜報行商人の蔵じゃ」

 三人は「はっ」と短く返す。

 目がもう“仕事モード”に切り替わっている。

 さらに姫様は、朱印入りの紙を一枚取り出した。

「別途仕事もある。親父殿三人には、今川のことで世話になっとるゆえ――

 朱印付き感謝状と、二万貫を添えて渡せ」

「二万貫!?」利家がむせた。

「金額が、戦やん……」寧々が遠い目をする。

「姫様、それ賄賂じゃ……」藤吉郎が言いかけた。

「感謝じゃ」

「感謝の額がでかすぎる!」

「今年も三人に、今川の流言飛語を頼む。二万貫じゃ」

「流言飛語って言い方が公文書!」

「さらに、武田・北条の調査も頼む」

 さくらが、明るく手を挙げた。

「姫様! 武田と北条って、どっちから行きましょ?」

「両方じゃ」

「あっ、両方!」

「欲張りすぎ!」利家が叫ぶ。

 姫様は満足げに頷き、最後にいつもの問いを落とす。

「以上じゃ。質問は? あるか?」

 三人は一瞬顔を見合わせ――

 そして、完璧な笑顔で言った。

「ありません!」

「ないの!?」藤吉郎が驚く。

「質問したら仕事増えるって学んだんや」まつが小声で教える。

「この家臣団、学習が早い……」

 姫様がうんうん頷いた。

「よい。では――つぎ」

 その瞬間、場の空気がまた変わる。

 朱印の束が、別の山へ滑る。

「火付盗賊改役――岡部」

 岡部が静かに前へ出た。

 家臣団の胃が、また一段階、痛くなった。

狂犬記・作者 桃(祐筆)/日記

夜の評定、酒が増えた。

次の酒は麦焼酎と米焼酎だと言う。姫様は医務室で酒を作ったらしい。

何が医務なのか、もはや分からぬ。

さくら・あやめ・せつなに、伊賀の親父殿三人を調略せよとの命。

暖簾分け、屋号授与、諜報、反諜報、偽物対策――丸投げ。

“墓から出るぐらい儲けよ”と姫様は笑った。

その笑みは美しい。

だが、我らの胃は死にかけている。

酒でごまかしても、朱印が増えるたびに現実が殴ってくる。

次は岡部。

私は筆を握り、胃薬の存在を初めて本気で祈った。

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