53話 狂犬お市様の狂犬面接試験縁故採用 ――同部屋(極めて強調)・団子・圧・胃――
西暦一五五二年(天文二十一年)十一月下旬 晩秋
尾張・鳴海城/軍議室(極秘)
――狂犬記/作者:桃(お市様祐筆)
■桃視点:軍議室の鍵、胃に悪い(そして悪の組織)
鳴海城の奥。
外鍵が、がちゃり。
そして――内鍵が、がちゃん。
(鍵が二つ。胃は一つ。相性が悪い)
軍議室の壁一面には、大きな日本地図。
尾張の地図、勢力図、東海道の地図。
伊勢湾の潮の流れまで書いてある紙が、異様にリアルで怖い。
机には書類の山。木札の束。封のした文。
正面、上座。
お市様の座。
深紅の気配が、そこだけ別世界。
――そして。
狂犬幹部等が、全員、自分の席に座っていた。
藤吉郎様。
さくら。
あやめ。
せつな。
そして私、桃。
(……悪の組織に見えた。笑った。心の中でだけ)
扉のところで、まつ様と前田利家殿が固まる。
利家殿は派手な傾奇者のはずなのに、今は目だけが泳いでる。
「……失礼します」まつ様。
「……し、失礼……」利家殿。声が消えかけ。
お市様は着座したまま、淡々と告げた。
「入れ」
その声だけで、空気が一段冷える。
まつ様と利家殿は正座し、背筋を伸ばした。
沈黙。
沈黙が長い。
利家殿の喉が鳴った。
藤吉郎様が、にこっと笑う。嫌な予感しかしない笑顔。
「利家さん、ここ、胃が縮むっすよね」
「お前が言うなスキンケア野郎!」
「え、なんでっすか。清潔は正義っすよ?」
「正義で殴ってくるな!」
「殴ってないっす」
「顔が殴ってる!」
せつなが肩を揺らして笑い、あやめが真顔で止める。
「藤吉郎、余計な口を挟むな」
「はい……(でも笑う)」
「笑うな!」
そんな時。
まつ様が、ふっと顔色を変えた。
「……すみません」
「?」
「緊張したのか、ムカムカしてきました」
次の瞬間――
「まつ!!」
お市様が上座から飛び出した。
早い。速い。美しい。怖い。
お市様はまつ様の手を握りしめ、目を輝かせた。
「まつ、でかした!」
「え?」
「おめでたか!」
「は?」
「やったな、授かり婚じゃ!祝言じゃな!」
「ちがいます!!」
利家殿が反射で叫んだ。
その叫びに、狂犬幹部等の視線が一斉に利家殿へ。
(包囲完了)
さくらがニコニコしてる。
せつなが楽しそうに指を鳴らしてる。
あやめが、淡々と一言。
「利家。大声は死ぬ」
「死ぬの!?」
まつ様はあっけにとられ、口が半開き。
お市様はニコニコのまま、まつ様の額に手を当て、脈をとった。
「熱はない。脈も乱れておらぬ」
「……はい」
「ただの胃じゃ」
「胃です!!」まつ様即答。
お市様、少し残念そう。
「……なんじゃ」
「なんじゃ、じゃないです!」
「子は宝じゃ」
「今は胃です!」
「胃も宝じゃ」
「宝にするな!」
藤吉郎様が小声で。
「姫様、胃薬、作れますしね」
「作れるからって、胃を量産するな!」
お市様は、こほんと一つ咳払いをした。
「さて。面接じゃ」
空気が、すっと締まった。
悪の組織、議事開始。
■狂犬面接:質問は短く、圧は長く
「前田利家」
「……はい」
「人手が足りぬ」
「雑ぅ!」
「縁故採用は嫌いではない。まつが連れてきた」
「縁故って言葉が怖い!」
「縁は縄じゃ」
「縄で例えるな!」
せつなが口元を上げる。
「利家、簀巻きは似合いそう」
「やめろ!」
さくらが続く。
「深紅の簀巻き、作ります?」
「作るな!」
あやめが締め。
「黙れ。姫様の前だ」
「はい……」
お市様が指を一本、立てた。
「一、弱き者を守れるか」
「守れます」
「どう守る」
「……引き剥がして逃がします。むやみに殴らない」
「殴らぬ?」
「殴ったら、恨みが残る。終わらん」
「ほう」
藤吉郎様が頷く。
「姫様の“不殺”と同系統っすね」
「お前が言うと胡散臭い!」
「なんでっすか!」
「顔が胡散臭い!」
「顔!?」
お市様が二本目の指。
「二、狂犬式。不殺の戦に従えるか」
利家殿の目が揺れた。
でも、逃げない。
「……従います」
「理由」
「斬るのは簡単だ。生かして面倒を見る方が、覚悟が要る」
「……」
「ここは、そういう場所なんやろ」
お市様の目が、ほんの少し柔らかくなる。
まつ様が小さく息を吐いた。
お市様が三本目。
「三、まつを泣かせたらどうする」
「そこ!?」
「そこじゃ」
「仕事の面接やろ!?」
「幹部は空気を守る。空気が荒れると商いが落ちる」
「商い脳!!」
利家殿は真面目に答えた。
「俺が悪いなら謝る。直す。言い訳しない」
「それでも泣かせたら?」
「……守れなかった俺の恥や」
お市様は立ち上がり、利家殿の前へ。
そして、ぽん、と置いた。
――団子の串。
「これを持て」
「……串?」
「まつに落とされた証じゃ。忘れるな」
「……はい」
まつ様が、少しだけ笑った。
利家殿は串を握りしめる。
団子の串なのに、槍みたいな握り方である。
お市様が宣告した。
「採用」
「え」
「前田利家、採用じゃ」
「決まるの早っ!」
「狂犬式じゃ」
「万能すぎる!!」
お市様は続けて、さらり。
「配属先は未定」
「未定!?」
「まず朝の修行から」
「朝!?」
「わらわとともに稽古」
「姫様と!?」
「逃げるな」
「逃げません!!」
そして、いつもの丸投げ。
「細部は、まつと藤吉郎に聞け」
「丸投げぇ!!」
「慣れろ」藤吉郎様が真顔。
「慣れたくない!」
――ここで終わると思った。
思ったのに。
お市様が、まつ様をじっと見つめた。
見つめたまま、赤子を抱く仕草をして、にこり。
「……早くややこが、見たいのー」
「姫様ぁ!?」
「可愛いのー」
圧。
圧。
圧。
まつ様の顔が赤くなり、利家殿の顔が青くなる。
「まだ!まだや!」
「まだです!!」
「……ちっ」
「舌打ちした!」
「してない」
「した!」
室内に、笑いが起きた。
鳴海の軍議室は、今日も胃に悪いが、強い。
■追加条件:利家の部屋(極めて強調)
お市様は、採用の札を置いたまま、さらっと言った。
「利家の部屋は、まつと同部屋じゃ」
「は?」
「極めて(強調)仲良くするように」
「強調の仕方が雑ぅ!!」
まつ様が固まる。
利家殿が固まる。
藤吉郎様が、すっと視線を逸らす。
「姫様、いきなり爆弾投げたっすね」
「爆弾ではない。夫婦の練習じゃ」
「夫婦ちゃう!!」
「まだです!!」
「まだ、か」
「そこに食いつくな!」
さくらがにこにこ。
「同部屋、見張りは私がします」
「なんで!?」
せつなが手を挙げる。
「私も!」
「増えるな!」
あやめが無表情で締め。
「逃げ道を塞ぐな。利家が死ぬ」
(うん、死ぬ)
お市様は満足げに頷いた。
「よい。決まりじゃ」
「決まってない!」
「決まった」
「決めるな!」
◉桃の祐筆感想(狂犬記)
前田利家殿は、団子で腹を括り、軍議室の鍵で胃を縮め、狂犬様の圧で人生が決まった。
面接は短い。だが核心を刺す。狂犬式とは「殺さない」の一言で片付くようで、実は「面倒を見る覚悟」の制度だと、私は思う。
狂犬様は、医者として人を救い、姫として人を縛る。
まつ様の「ムカムカ」を「授かり」と誤認したのは誤爆だが、あの瞬間の狂犬様の目は本気だった。
子を宝と言い切る姫は強い。
しかし同時に、現場の胃に悪い。
利家殿の採用が決まった。
配属は未定。
そして「同部屋(極めて強調)」が決まった。
私は確信している。
鳴海の胃薬の減りが、来月から加速する。
◉桃の日記
天文二十一年 十一月下旬 鳴海城・軍議室(極秘)
一、前田まつ殿、前田利家殿を伴い入室。外鍵開錠後、内鍵施錠。室内には日本地図・尾張地図・勢力図・東海道地図・書類多数。幹部一同着座。第一印象「悪の組織」。
一、まつ殿、緊張による胃部不快感を申告。「ムカムカ」と表現。狂犬様、妊娠を誤認し祝言を宣言(誤爆)するも、診察により熱・脈の異常なし。緊張性症状と判断。
一、狂犬様、利家殿に対し面接実施(質問三)。
(1)弱者保護:殴らずに引き剥がし逃がす旨。
(2)不殺の戦:生かして面倒を見る覚悟に言及。
(3)まつ殿への配慮:謝罪・改善・言い訳せぬ旨。
一、利家殿、採用。配属未定。翌日より朝稽古参加。細部はまつ殿・藤吉郎殿へ確認するよう指示(丸投げ)。
一、追加指示として、利家殿の居室をまつ殿と同室とする旨布告。「極めて(強調)仲良くするように」との命。まつ殿赤面、利家殿動揺。室内に笑いが起き、空気は和らいだが、胃薬の必要性を再確認。
――祐筆 桃




