52話 まつと利家――鳴海城・狂犬印団子屋、仕官の話
西暦一五五二年(天文二十一年)十一月下旬 晩秋
尾張・鳴海城下/狂犬印団子屋(鳴海店)
――狂犬記/作者:桃(お市様祐筆)
■桃視点:団子は甘いが、空気は胃に来る
鳴海の晩秋は、風が冷たい。
だが団子屋の蒸籠は熱い。
湯気がふわっと上がり、甘い匂いが鼻をくすぐる。
ここは狂犬印団子屋。
診療所帰りの子供が寄り、港の荷運びが寄り、同心(深紅に白のダンダラ模様)が寄り、今日も人の流れが止まらない。
――そして、問題の二人が座っている。
前田まつ。
団子の串を指でくるくる回しながら、目だけ鋭い。
前田利家。
派手な歌舞伎者のくせに、今日は妙におとなしい。
…いや、胃が痛いだけか。
「利家」
「なんだ」
「仕官、どうすんの」
「……団子、うめぇな」
「逃げんな」
「逃げてねぇ」
まつは、団子を一本、利家の皿に刺すように置いた。
「はい。これ食べたら、答える」
「脅しが甘味って、初めてだわ」
「狂犬堂は全部そうやで。笑顔無料、団子有料、質問は地獄」
「最後、急に重いな?」
利家は、湯気の向こうで鳴海城を見た。
城の上では、秋の雲がちぎれて流れていく。
「……仕官したら、俺、どうなる」
「知らんの?まつ、聞いたで」
「……聞いたけど、本人の口で言わせたい」
まつが“本人の口”と言った瞬間、利家の胃が鳴った。
いや、腹か。どっちだ。
「まずな」利家が渋い顔をする。「あの狂犬様、医者の顔しとる時は天女や。面接官の顔になると、閻魔や」
「うん」
「『幹部が足りぬ』言うてた」
「うん」
「で、私を見る目が……“槍”やった」
「は?」
「刺す槍じゃない。“欲しい槍”の目や」
「例えが武人すぎるわ」
まつは、串を一本くわえたまま、じっと利家を見た。
利家が気まずそうに目を逸らす。
「で?」
「で、だ」利家は団子を噛みしめる。「俺が仕官したら、鳴海の幹部武将枠か、直轄武士団の幹部か…水陸兼用特殊戦闘隊の指揮か…」
「ふわっとしすぎやろ」
「全部“か”なんだよ!」
「それ、“狂犬式丸投げ”やな」
「そう!!」
利家、ついに爆発。
「俺はな、前田家の人間だ! 雇われるなら筋を通す! 仕事内容と給金と休みと、あと…」
「あと?」
「…握手は、どこまでだ」
「そこ気にしてたんかい!!」
「張り紙に書いてあるじゃねぇか!『直轄武士団(握手付)』って!!」
「草」
「草って言うな!」
まつは腹を抱えて笑い、利家は真顔で湯呑みのほうじ茶を一気に飲んだ。
「……で、まつ」
「ん?」
「お前は、どう思う」
「何が?」
「俺が、仕官するの」
まつは一瞬、団子を置いた。
蒸籠の湯気が、二人の間をふわっと流れていく。
「……ほんまの話?」
「ほんま」
「ウソついたら、串で刺すで」
「刺すな。殺す気か」
「お市様に怒られるから、足や。足狙い」
「そこも狂犬式かよ!」
まつは笑いながら、でも声だけは少し落とした。
「利家が鳴海に来たら、まつ、嬉しいよ」
「……」
「けどな、狂犬様の幹部って、ほんまに…ブラックやで」
「知ってる」
「知らんやろ。休みは“気分しだい”やぞ」
「聞いた」
「月曜の軍議、丸投げ、圧、あと…」
「あと?」
「“褒美”で槍とか鎧とか渡される」
「それは嬉しい」
「価値観が武人やな!」
利家は、少しだけ笑った。
まつも笑った。
だけど、目だけは真剣だ。
「利家」
「うん」
「仕官したら、まつは…逃がさへんで」
「は?」
「鳴海に来て、仕事して、ちゃんと生きて。胃痛い言うたら、診療所連れてって、団子食べさせて」
「……お前、母ちゃんか」
「恋人や!」
「どっちでも助かる」
その時――団子屋の戸が、がらっと開いた。
「おー、ここにおったか」
聞き慣れた声。
通る声。
胃が縮む声。
――木下藤吉郎。
頭は相変わらずピカピカ、身だしなみは獄門ブランドで完璧、筋肉は仕上がっている。
団子屋の女将が、うっかり見とれて湯気を焦がした。
「利家殿」藤吉郎がにこやかに言う。「狂犬様が、お呼びや」
「……今、胃が」
「はい、承知。胃薬はすでに用意済みです」
「用意すんな!」
まつが、すっと立ち上がる。
「藤吉郎、利家、面接?」
「面接です」
「落ちたら?」
「落ちません」
「なんで言い切れるん」
「狂犬様が“呼んだ”からです」
利家が青ざめる。
「まつ」
「なに」
「俺、帰ってええか」
「帰れると思う?」
「……思わねぇ」
まつは、利家の袖を掴んだ。
ぎゅっと。逃げ道を消す掴み方だ。
「行こ」
「お前、笑ってるだろ」
「うん。だって、利家が鳴海に来るんやろ?」
「まだ決めてねぇ」
「面接の席で決めればええ」
「地獄の決め方!!」
藤吉郎が手を差し出す。
「では、参りましょう。狂犬様の面接会場へ」
「どこだよ」
「……診療所です」
「職場が一体化しすぎだろ!!」
まつがくすくす笑う。
利家は団子を一個、口に放り込んで立ち上がった。
「……よし」
「お、男前やん」
「団子で腹を括った」
「そこも甘味かい」
そして三人は、湯気の向こうへ歩いていく。
鳴海城下の風が冷たくても――この町は、前へ進む。
◉桃の祐筆感想(狂犬記)
団子屋は平和の象徴だ。
だが今日の団子屋は、戦場より胃に来た。
まつ殿は笑っているのに目が真剣で、利家殿は派手なのに弱っていて、藤吉郎様は相変わらず優しいのに“逃げ道”を一切作らない。
――狂犬家臣団、怖い。
利家殿が鳴海に来たら、まつ殿は嬉しい。
それは確かだ。
だが、嬉しさの裏にある責任と覚悟も、まつ殿は分かっている。
恋は甘い。
けれど狂犬様の面接は、たぶん胃薬が要る。
◉桃の日記
天文二十一年 十一月下旬 鳴海城下
一、鳴海城下・狂犬印団子屋にて、前田まつ殿と前田利家殿が仕官の件を相談。団子屋は盛況、町の活気を確認。
一、利家殿は狂犬様の面接(診療所)を強く警戒し、仕事内容・待遇・“握手付”条項に不安を示す。
一、まつ殿は利家殿の仕官を望むが、狂犬堂幹部の過酷さも理解しており、感情の揺れが見て取れた。
一、木下藤吉郎様が来訪し、狂犬様の呼び出しを伝達。面接場所は診療所とのこと。
一、利家殿は団子をもって覚悟を固め、同行することとなった。
――祐筆 桃




