49話 狂犬お市様の狂犬式人材募集中 ――張り紙ひとつで、尾張の人生が回り出す(黒圧)――
西暦一五五二年(天文二十一年)七月中旬 盛夏
尾張・鳴海城下~熱田・清州・津島
――狂犬記/作者:桃(お市様祐筆)
■桃視点:狂犬堂、世界一の商い(なお万年人手不足)
狂犬堂は、いまや尾張の空気そのものだ。
伊勢湾交易網を押さえ、熱田の浜に舟が出入りし、堺・京へも品が流れる。
そしてブランドの核は――言うまでもない。
世界一の美貌と美声。狂犬お市様。
……強すぎる。
商品がどうこう以前に、存在が広告である。
だが、強すぎるがゆえに、問題もある。
人手が足りない。
永遠に足りない。
狂犬堂は万年人手不足。尾張の常識になりつつある。
理由?簡単だ。
給金は出る。待遇も良い。
でも幹部は――
ブラックすぎる。
寧々・まつ・私(桃)みたいに「幹部になって高給取りになりたいか?」と問われたら、みんな笑顔で首を横に振る。
「無理です」
「命が足りません」
「胃が足りません」
そう言って、一般従業員枠に応募する。
一般枠のほうが人気って、どういう世界やねん。
■張り紙:来たれ!若人!君の力が尾張を救う!
その日。
鳴海城下の掲示板、熱田の狂犬堂前、清州店、津島店。
同じ張り紙が、どーんと貼られた。
貼ったのは――寧々とまつである。
「まつ、真っ直ぐ貼って! 斜めやと“募集”が“募臭”になる!」
「ならへんわ! どんな変換やねん!」
「“狂犬堂”の文字だけ妙に強い! そこだけ墨濃い!」
「それは…姫様の字がそもそも濃い!」
横で私が筆を持って追記を書いていたら、寧々が私の手元を覗き込む。
「桃、そこ“握手付”ってほんまに書くん?」
「姫様の口述どおりや」
「武士団に握手付けたら、もう…推し活やん」
「今さら何言うてるん。尾張そのものが推し活や」
まつが、くくく、と笑う。
「“お市様直轄武士団(握手付)”って、人生で見たことない求人やわ」
「私もないわ」
「……でも応募は来る、絶対来る」
「来る」
「来るね」
三人の声が重なって、同時にため息が出た。
張り紙の内容は、こうだ。
【狂犬堂/積極採用】
幹部武将枠
幹部同心枠
一般武士枠
一般同心枠
狂犬堂幹部枠(幹部武将兼)
一般狂犬堂社員
一般狂犬堂工場社員枠
生産拠点責任者
生産拠点従業員
【新規】
水陸兼用特殊戦闘隊
お市様直轄武士団(握手付)
来たれ!若人!君の力が尾張を救う!
※幹部は休み:狂犬様の気分次第
最後の一行、誰が書いたと思う?
まつである。
「寧々、嘘はあかん。真実を書いたまでや」
「真実の方が怖いんよ!」
■城下の反応:尾張の若人、現実を見る
掲示板の前に人が集まった。
漁師の息子、馬借、鍛冶屋見習い、町娘、工場を探す女たち、浪人くずれ。
「工場社員、給金ええな……」
「風呂台所付き長屋、って書いてあるで」
「同心、月給四十貫…? ほな、うちの親父の一年分やん…」
「でも“幹部”って…休み、狂犬様の気分次第…」
「やめとこ」
「一般で」
「一般がええ」
即決が早い。
尾張の民は賢い。生存本能が強い。
そこへ、声が飛ぶ。
「おい、これ“握手付”ってなんや!」
「武士団がアイドルか!」
「違う! 姫様がアイドルなんや!」
誰かが叫んだ。
「握手したい!!」
ざわっ。
私(桃)は、額を押さえた。
……もうだめだ、尾張。
■狂犬家臣団・現場の胃:藤吉郎、被弾
鳴海城。
軍議の日。
藤吉郎が、張り紙の写しを見て目を細めた。
「……枠、多いな」
声が死んでいる。
さくらが元気よく言う。
「藤吉郎さん! 人増えますね! 仕事減りますね!」
あやめが即座にツッコむ。
「増えた分、指揮が増えるんだよ」
せつながニヤニヤする。
「藤吉郎、胃薬いる?」
藤吉郎は優しく笑って、遠い目をした。
「……いる……」
そこへ狂犬様が、さらっと言った。
「藤吉郎」
「諜報員も増やせ」
「増えますね」
藤吉郎の声が震えた。
「増えるのは人です」
「減るのは胃です」
狂犬様が頷いた。
「うむ。整合性がある」
整合性って何だ。
寧々が(城に来ていた)張り紙の残りを手に、ジト目で言う。
「姫様、あの…幹部枠って、ほんまに“幹部”増やすんですか?」
「増やす」
「幹部になったら、休みが…」
「わらわの気分じゃ」
まつが口を挟む。
「姫様、それ、採用した瞬間に逃げます」
「逃げたら追う」
「追うんですか」
「追う」
藤吉郎が小さく手を挙げた。
「姫様…追うの、誰ですか」
狂犬様、にこり。
「お主」
全員、静かに腹を押さえた。
笑いと胃痛が同時に来ると、人はこうなる。
■お市様の一言:求人とは戦である(雑)
狂犬様は、ぽん、と床几に座り直した。
凶悪なガントレットで、張り紙をつつく。
「良いか」
「求人とは、戦である」
「戦…?」と寧々。
「人が集まれば、町が回る」
「町が回れば、銭が回る」
「銭が回れば、武が回る」
「武が回れば、命が守れる」
まつが小声で言う。
「珍しく、筋が通ってる」
あやめが同意。
「たまにこういうの出るから、余計に怖い」
さくらが天然に締めた。
「姫様、かっこいい! じゃあ握手も戦ですか?」
狂犬様、即答。
「戦じゃ」
藤吉郎の胃が鳴いた。
今日も鳴いた。
◉桃の祐筆感想
狂犬堂の張り紙は、ただの求人ではない。
尾張の社会を、銭と制度と“推し活”で再編する布告である。
幹部はブラックだ。
だが、一般従業員が“人気職”になるほどの給金と清潔と教育が、町娘の人生を変えている。
戦国の女は、家の中で泣くものだと誰もが思っていた。
しかし狂犬様は、働く場所と現金収入を作り、未来を選ばせる。
信長様が当主として厳しいのは、家のため。
狂犬様は、町のため。
同じ“守る”でも、角度が違う。
張り紙一枚で、尾張の若人が動く。
――恐ろしい時代が始まっている。
◉桃の日記(丁寧)
天文二十一年 七月中旬
一、狂犬堂は伊勢湾交易網を押さえ、堺・京方面にも販路が伸び、商いは世界一級。
一、しかし万年人手不足。幹部は待遇が良いが休みが狂犬様の気分次第であり、あまりにブラック。一般従業員枠が人気となっている。
一、寧々・まつと共に、熱田・清州・津島・鳴海の各所へ求人の張り紙を掲示。
一、募集枠は幹部武将・同心・一般武士・同心・狂犬堂社員・工場社員・生産拠点責任者等。新規に水陸兼用特殊戦闘隊、お市様直轄武士団(握手付)。
一、城下の若人は賢く、幹部枠に怯え、一般枠へ流れる者多し。だが握手付に惹かれ熱狂する者も多い。尾張の推し活は止められない。
一、鳴海城の軍議にて藤吉郎は諜報員増員と採用対応で胃が痛い様子。伊賀三人娘は元気、あやめは常にツッコミ、せつなは常にイジり。
一、狂犬様は「求人とは戦」と言い、銭と制度で町を回す構え。珍しく筋が通っており、逆に怖い。
――祐筆 桃




