37話 赤塚 終わりて ――鳴海城に狂犬が吠える!!!
西暦一五五二年(天文二十一年)五月下旬
尾張・赤塚戦場
――狂犬記/作者:桃(お市様祐筆)
赤塚の戦は、血の匂いと熱気の中で終わった。
いや――終わったと思ったのは、織田家臣団だけだった。
戦場の中央。
そこに、異様な光景があった。
簀巻きが二つ。
中身は、
山口教継(父)
山口教吉(子)
転がされ、縄で縛られ、泥にまみれ、
父の方は顔が腫れ上がり、白目をむいたまま動かない。
その横で。
「……ふぁぁ」
欠伸をする女が一人。
深紅の鎧。
凶悪なガントレット。
三味線を背負い、豊臣号の上。
――狂犬お市様である。
■赤塚戦場・戦後評定(という名の修羅場)
信長様は、馬上から簀巻きを見下ろし、眉をひそめた。
「……お市」
「なんじゃ兄上」
「……説明しろ」
お市様は、豊臣号の首を軽く叩いた。
「ほれ」
「ほれ、じゃない」
「捕縛したぞ」
「……うん」
「褒美は、この山口親子をくれ」
一瞬、風が止まった。
「……は?」
信長様の声が低くなる。
「お市、貴様……何を言っているか分かっているのか?」
お市様は、きょとんと首を傾げた。
「ぬるいのう、兄上」
「……あ?」
「こやつらは織田の裏切り者ぞ?」
「……」
「役に立つではないか」
信長様の胃が、目に見えて縮んだ。
「鳴海城は、織田の城じゃ」
お市様は、遠くを指差す。
「じゃが今は、今川の岡部が入って守備を固めとる」
「……」
「兄上」
にこっ。
「今から、城を落とすぞ」
「………………」
信長様、言葉を失う。
隣で――
信行様は完全に虚ろだった。
草をむしる仕草をしている。
もう赤塚ではなく、心が庭に行っている。
丹羽長秀様は、目頭を押さえていた。
「……なぜ……なぜこうなる……」
柴田権六勝家様だけが、異様に元気だった。
「姫様! わしも手伝いますぞ!」
(※全力推し活中)
佐久間信盛様が即座に止める。
「権六ひかえよ! 上様の胃が!」
「胃? 気合いで――」
「治らん!!」
■決裂
信長様は、拳を握りしめた。
「山口は渡せ」
「……」
「斬首じゃ」
お市様は、一歩も引かない。
「さっきも申したじゃろ」
「……」
「わらわの手柄じゃ」
「……」
「嫌なら買い取るぞ?」
信長様の目が細くなる。
「……いくらだ」
「二万貫か?」
「……」
「三万貫か?」
完全に沈黙。
「市……」
信長様の声が震えた。
「戦をなめとるのか?」
お市様、満面の笑み。
「なめとるのは兄上じゃろ」
「……」
「第六天魔王が泣くぞ?」
「……」
「兄上、中二病か?」
その瞬間。
「……ムカムカする」
信長様、腹を押さえた。
「帰るぞ!」
「……!」
「清州に戻る!」
「……!」
「わしゃ知らん! 撤収じゃ!」
織田家臣団が、一斉に動いた。
撤収は早い。
あまりにも早い。
去り際。
「おーい兄上」
お市様が声を投げる。
「…………」
「あとは、勝手にするからの」
信長様、振り返らずに怒鳴った。
「好きにしろ! お市!」
お市様、ニヤリ。
「言質とったぞ!」
こうして――
赤塚の戦場に、狂犬だけが残った。
■狂犬家臣団、赤塚戦場にて
信長様の姿が見えなくなった瞬間。
「藤吉郎」
「はっ!」
「さくら、あやめ、せつな」
「「「はいっ!」」」
「桃」
「……はい(胃が痛い)」
お市様は、簀巻き二つを指差した。
「よいか」
「……」
「いまから、この山口をエサに鳴海を落とす」
「……は?」
藤吉郎様の反応は、もはや様式美である。
■命令① 土嚢で城を殺せ
「藤吉郎」
「はっ」
「鳴海周辺の農民に触れを出せ」
「内容は……?」
「土嚢一つ、百文で買い取る」
「高いです!」
「高いから集まる」
「……」
「鳴海城を、土嚢の山で囲め」
「……」
「城を孤立させろ」
「……」
「農民は常に城から見える位置で土を詰めよ」
「……」
「誰も城から出すな」
藤吉郎様、静かに息を吐いた。
「……分かりました。やります」
■命令② 伊賀を燃やせ(比喩)
「さくら、あやめ、せつな」
「はいっ!」
「伊賀に走れ」
「親父どもに話せ」
「銭はいくらでも出す」
「手付けは二万貫じゃ」
三人の目が光る。
「三河で本願寺を焚き付けよ」
「遠州争乱を起こせ」
「今川から独立するよう、城主を疑心暗鬼にせよ」
「駿河にも流言飛語を流せ」
お市様は、静かに言った。
「太原雪斎、今川義元に――
狂犬の戦を見せてやる」
「了解!」
三人は、もう走り出していた。
■命令③ 鳴海城前ライブ
「桃」
「はい……」
「寧々とまつに伝えよ」
「尾張・三河・伊勢に触れを回せ」
「鳴海城前でライブをやる」
「……戦場で?」
「戦場で」
「普段の感謝祭と言えば集まる」
「握手会つきじゃ」
わたしは悟った。
――これは戦だ。
――民を味方にする戦だ。
■狂犬、鳴海へ
お市様は、豊臣号を鳴海の方角へ向けた。
「わらわは、先に行く」
「簀巻きの山口を晒してやる」
白目をむいていた山口父が、かすかに呻いた。
「……う……」
お市様は、優しく頬を叩いた。
「起きよ」
「おぬしは今日から――」
「鳴海の噂じゃ」
狂犬は、笑った。
「鳴海城から見える場所で、待っておる」
「お主らの働き次第で、今川は滅ぶ」
豊臣号が、赤塚を離れた。
戦は、まだ終わっていない。
◉桃の感想(祐筆)
赤塚は終わった。
だが、狂犬の戦は、ここから始まった。
清州に帰らず、
赤塚の戦場で決裂し、
そのまま次の城へ向かう女。
――これが、狂犬お市様である。
◉桃の日記
・信長様、胃が限界。
・信行様、草むしりの幻覚が続いている。
・藤吉郎様、理解が早いぶん頭が痛い。
・三人娘、走る背中が戦士。
・姫様、今日も通常運転(狂犬)。




