33話 赤塚の戦い その2 ――山口親子の謀反/深紅の前祝いと、流言飛語と、銭袋――
西暦一五五二年(天文二十一年)五月下旬 初夏 尾張・清州城 夕刻
――狂犬記/作者:桃(お市様祐筆)
軍議が終わったあとの清州城は、廊下が妙に長い。
……いや、長いんじゃない。胃が痛いと長く感じるだけだ。
信長様の機嫌は、黒雲みたいに重い。
信行様は……庭の草でも抜きたそうな顔をしている。
柴田様(権六)は、今日も変装しきれてない体格で「姫様を守る」とか言ってた。
丹羽殿(五郎又)は、胃薬を探してた。
そして、呼ばれてないのに軍議に混ざった我々――狂犬家臣団は、
「……桃」
「はい」
「家臣団を呼べ」
「はい(嫌な予感しかしません)」
当然のように、お市様の自室へ集合になった。
◆深紅の儀式
部屋に入るなり、お市様がにこりと笑う。
「よいか、藤吉郎」
「は、はいっ」
藤吉郎の頭は、相変わらず光っている。
もはや、清州城の行灯より役に立つ。
くのいち三人――さくら、あやめ、せつなも正座。
寧々とまつも後ろで控える。
私は筆を握りしめる。嫌な予感は、もう確信に変わっている。
お市様が、奥の布を「ばさっ」と払った。
――深紅。深紅。深紅。
「……え」
藤吉郎が固まった。
そこには、深紅の鎧。深紅の槍。深紅の刀が二本。
しかも、無駄に立派。無駄に派手。無駄に“狂犬”。
「藤吉郎」
「は、はい……」
「前祝いじゃ。受け取れ」
「え、僕に……?」
「うむ。深紅の鎧、深紅の二本差し、深紅の槍じゃ」
「槍まで!?」
寧々が小声で私に言う。
「桃……これ、戦場で目立ちすぎるやろ……」
「それを言うと、姫様が喜ぶ」
「なんでやねん」
「“目立つ=勝ち”みたいな雑理論」
「最悪や……」
まつは目を輝かせる。
「でも、かっこええ……!赤って勝つ色や!」
「やめろ、まつ。姫様を加速させるな」
「加速して何が悪い」
「胃が死ぬ」
藤吉郎が恐る恐る聞く。
「姫様……えっと……深紅って、目立ちませんか?」
「目立つ」
「……え?」
「目立ってなんぼじゃ」
「なんで自覚あるのにやる!?」
「戦は見栄が九割」
「雑理論!!」
「常識じゃ」
「尾張の常識こわい!!」
お市様は、次に三人娘へ、同じ“深紅一式”を並べた。
「さくら、あやめ、せつな」
「「「はいっ!」」」
「おぬしらにも、深紅の鎧、深紅の槍、深紅の二本差し」
「くのいちに二本差し!?」(せつな)
「重くないですか?」(さくら)
「……忍びとして目立つのは本末転倒です」(あやめ)
お市様は笑う。
「重い? 鍛えよ」
「出た!」(桃)
「出たな、“鍛えよ”万能論!」(藤吉郎)
あやめが真顔で言った。
「……姫様、忍びは目立たないのが仕事です」
「忍びは便利屋じゃ。時に目立て」
「理不尽です」
「誉め言葉じゃ」
「誉められてない」
せつなが肩を揺らす。
「真面目すぎ!あやめ、顔かたい!」
「あなたの口が軽いから締めているんです」
「こわ!」
さくらが元気よく手を挙げる。
「深紅!嬉しいです!かっこいい!」
「うむ。さくらは素直で良い」
「えへへ!」
寧々が、藤吉郎の鎧を見て眉をしかめる。
「藤吉郎……それ着たら、ますます“光る”で?」
「え、やめて……」
「光る深紅……目立ちすぎて、敵が“あれ姫様?”って勘違いするかもしれん」
「それ、僕死ぬやつ!」
「死ぬな。不殺じゃ」
「不殺なのに死ぬ未来しか見えない!」
◆まじめに(雑)な指令
お市様は、急に声の温度を落とした。
笑いの空気が、すっと引き締まる。
「――さて」
「(来た)」と私は思った。
「藤吉郎」
「はい」
「おぬしと三人娘に、仕事をやる」
「仕事……」
「諜報員百を使え」
「……百」藤吉郎の喉が鳴った。
お市様が指を折る。
「まず――美濃三人衆が謀反」
「美濃三人衆?」(藤吉郎)
「名はどうでもよい。噂は“形”が大事じゃ」
「雑!」(桃)
「雑に見えて、効く」
「次に――美濃斎藤家臣団は六角に調略されておる」
「六角!?急に遠い!?」(藤吉郎)
「遠いから便利じゃ」
「便利ってなに!?」
「疑いは遠くから持ってくると“もっともらしい”」
「怖い!」(桃)
お市様は畳を指でトントン叩く。
「流せ。流せ。流せ」
「どこに……?」藤吉郎が恐る恐る聞く。
「美濃へ流せ」
「はい」
「斎藤家へ刺せ」
「はい」
「そして――尾張の山口親子周辺にも流せ」
「山口親子周辺にも!?」(さくら)
「敵の足元を揺らすのじゃ」
「……お市様、噂で足を折るのは不殺ですか?」(あやめ)
「折っても生きる」
「倫理が揺れる……」(桃)
せつながニヤニヤして言う。
「噂って、つまり“煽り”ですよね」
「そうじゃ」
「姫様、得意分野!」
「わらわは世界一の美人じゃ。煽っても許される」
「許されない!」(桃)
「許される」
「許されない!」
「許される」
「この押し問答、五年見てる!」(藤吉郎)
◆銭袋が飛ぶ
お市様が懐から、ずしっとした袋を取り出し――
藤吉郎へ投げた。
どすっ。
「――一万貫」
「え?」
「使え」
「ええええええ!?!?」
寧々が口を押さえる。
「一万貫……家どころか、村の祭りが十回できる……」
まつが腕を組む。
「いや、祭りどころか“城下の胃薬”が全部買える」
「胃薬の単位がおかしい」
「うちは胃が基準や」
藤吉郎が震える。
「姫様……噂に一万貫は……」
「足りぬか?」
「足りると思います!」(あやめ即答)
「即答すな!」(藤吉郎)
お市様は、さらっと追い討ちをかける。
「様々な者に銭を握らせろ。噂を流せ」
「はい……」
「そして――」
お市様が指を立てる。
「城の中の使用人にも銭を握らせよ」
「……え?」藤吉郎の目が丸くなる。
「情報の道筋をつけるのじゃ」
「道筋……」
「美濃の全城、尾張の城全部」
「全部!?」(藤吉郎)
「全部」
私が思わず叫ぶ。
「姫様、それ、規模が国家じゃ!」
「国家じゃ」
「認めた!」
寧々が小声で言う。
「桃、これ……“商い”じゃなくて“統治”やで」
「私もそう思う」
まつがにやりと笑う。
「つまり姫様、尾張を“狂犬経済圏”にしたいんや」
「言い方!」
せつなが、わざとらしく肩をすくめる。
「城の使用人って、口が軽い人いますよねー」
「あんたが言うな」あやめが即ツッコミ。
「情報は“茶”と“湯”と“酒”の席に落ちてます」
「せつな、なんでそんな詳しい」
「人生経験です」
「十四歳(?)の人生経験が濃い」
さくらが元気に頷く。
「私は薬草の話で仲良くなります!“胃に効く草ありますよ”って!」
「お前、営業に向いてる」
お市様が藤吉郎を覗き込む。
「金が足りぬなら、まだ出すぞ?」
「……」
「二万か? 五万か?」
「五万!?」(藤吉郎)
「姫様、さすがに五万は……!」(桃)
「? 足りぬより良い」
「単純すぎる!」
藤吉郎が必死に頭を回す。
「えっと、姫様、つまり……城の中の使用人に金を握らせて……」
「うむ」
「誰がどこに手紙を出したか、誰が何を恐れてるか……」
「うむ」
「誰が“裏切る前”か、“裏切った後”か……」
「うむ」
「それを――美濃も尾張も、全部、網にする……?」
「そうじゃ」
藤吉郎の顔が、青から白になった。
「……僕、諜報って、こんなに“商い”なんだ……」
「銭は人を動かす」お市様が平然と言う。
「そして、心は、恐れで動く」
「姫様……怖いです」
「怖がるな。賢くなれ」
「賢くなる前に胃が死にます」
「胃薬やる」
「もう飲んでます」
そこで、お市様がふっと笑った。
「藤吉郎」
「はい」
「おぬしは、考える男じゃ」
「……」
「わらわの雑を、知恵に変えよ」
「雑って認めた!」(桃)
「認めた上で命じる」
寧々が、藤吉郎の横顔を見て、妙に真剣な目になる。
(……あ、これ、恋の芽が進行してるやつだ)
まつがそれに気づいて、ニヤニヤする。
私は胃を押さえる。
平和が、どんどん遠のく。
◆出陣前の“狂犬の空気”
お市様は最後に、全員を見回した。
「よいか。赤塚は初陣じゃ」
「はい!」三人娘。
「不殺じゃ」
「はい!」
「――ただし」
お市様、にこっ。
「骨は折れ」
「はい!」
「いや、はいじゃない!!」藤吉郎が叫ぶ。
せつなが笑う。
「不殺(※折る)ですね!」
「言語が壊れてる!」(桃)
お市様は涼しい顔。
「折れば生きる。生きれば噂が走る」
「……」
「噂が走れば、次が楽になる」
「……姫様、戦って、噂で勝つ気ですね?」(あやめ)
「当然じゃ」
寧々がぼそっと。
「……ほんま、この姫様、天下取りに向いてる」
まつが頷く。
「向いてるどころか、天下が逃げる」
「うまいこと言うな」
藤吉郎が深紅の鎧を見下ろし、息を吐く。
「……やります」
「うむ」
「考えます」
「うむ」
「知恵にします」
「うむ」
「……でも姫様」
「なんじゃ」
「僕、目立ちたくないです」
「目立て」
「うわぁ……」
笑いが起きる。
その笑いの奥で、確かに戦の匂いがする。
桃の感想(祐筆)
お市様は“武具”と“銭”と“噂”で戦を始めた。
刃を振る前に、敵の腹を疑いで裂く。
藤吉郎は、相変わらず苦しそうだが、考えている。
さくらは前向きに走り、あやめは筋を作り、せつなは場を回す。
――この四人、諜報の形ができつつある。
深紅の鎧は派手だが、たぶん姫様の狙いは“目立つことで噂を加速する”ことだ。
怖い。だが、合理的だ。
胃が痛い。
桃の日記(狂犬記)
今日、姫様は一万貫を投げた。
“噂”に銭を乗せるということが、こんなに生々しいとは思わなかった。
城の使用人に銭を握らせ、情報の道を作る――美濃も尾張も全部。
それはもう、戦ではなく、統治だ。
寧々が藤吉郎を見ていた。
まつがそれを見て笑っていた。
私は胃薬を飲んでいた。
……赤塚が近い。
不殺(※折る)。
狂犬は、今日も狂犬だ。




