表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

335/344

第333話 帆柱は逃げ場じゃない――白い石と黒い石が国を起こす

西暦1556年4月15日(弘治二年・卯月十五日ごろ)

筑前国・遠賀郡~豊前国・小倉/若松~門司(洞海湾一帯)

遠賀郡の麻生家は、遠賀川を挟んで東西に領地を持っていた。川は恵みで、同時に戦国の境でもある。

だが麻生は宗像氏にしばかれ、西を割譲。残った東だけを抱えて、帆柱山の帆柱城へ“逃げた”。

頼りにした大内は陶にしばかれ、陶は陶で宗像を粛清祭りみたいに刈り取り、周辺は血と怨みでぐらぐらになった。

心細くなって毛利を頼ろうとした矢先、その毛利が狂犬にしばかれ、小早川が狂犬に頭を下げに行った――噂が遠賀まで届く。

麻生隆実は、胃がきゅっと縮んだ。

(……あ、次、うちの番や)

そんなときに来たのが、木ノ下藤吉郎の調略だった。

降れ、という話ではない。“生きろ”という話だった。

だから隆実は涙が出るほど嬉しかった。

しかし、狂犬の「助ける」は、たいてい手段が荒い。

帆柱城へ乗り込んできたのは、木下小一郎と狂犬堂本舗の技術者集団だった。

泣く子も黙る“本舗”――というより、泣く間もなく仕事を振ってくる集団である。

「麻生殿。泣いて喜ぶ前に、案内してもろてええか」

小一郎は笑っている。口調は丁寧。

だが背後の職人たちは、縄を張り、棒で地面を叩き、川の流れを見て、もう勝手に現場を仕切っている。

「こ、これは……何を……?」

「白い石と黒い石や。平尾台の石灰石、飯塚の石炭。狂犬様が要る言うたら要る」

「……掘るにも人が……」

「人は作る。川は使う。山は掘る。――で、儲ける」

言い切られた瞬間、隆実は悟った。

助ける=動かす。救う=働かせる。慈悲=工程表。

遠賀川だけではない。紫川にも手が伸びた。

川筋に川浪衆が組織され、人足が“運ぶ”こと自体を仕事にする。

若松には常滑焼の窯が据えられ、芦屋釜の芦屋にも窯が増えた。

石灰石を焼いて生石灰を作り、水車で粉にして漆喰の材料にする。

粉は小倉へ卸され、さらに洞海湾の港町へ運ばれた。

洞海湾の港町では、別の地獄が動いていた。

耐熱レンガで組まれた高炉――赤々と燃え、息をしているみたいに唸る。

そこへ石炭、鉄鉱石、たたら鉄が集められる。出雲から、そして海の向こう――朝鮮からも。

「……国人の城下の仕事ちゃうぞ、これ」

隆実が漏らすと、小一郎は肩をすくめた。

「せや。もう“国人”やない。港と炉と川が揃ったら、国や。狂犬様がそう決めはった」

決めはった、で国が変わるのが、狂犬堂だ。

そして今日。

隆実は小一郎に連れられて、門司の無料診療所へ来ていた。

“報告”のために。

門司の町は、帆柱とは別世界だった。

人が走り、荷が動き、甘味の匂いが漂い、異国訛りまで混じる。

治安のための同心が目に入る。

寺小屋の子が笑っている。

戦国の港町なのに、どこか「暮らしの音」が勝っていた。

診療所に入ると、白衣の娘たちが忙しく動いていた。

カルテを書き、薬を挽き、煎じ袋を縛る。

その中に祐筆桃がいる。筆の速さが化け物だ。

「小一郎殿、おつかれさまです。……あ、麻生殿」

桃が気づいて会釈した。

隆実は慌てて頭を下げる。ここでは身分より、“狂犬に近いか”が強さだ。

奥の部屋から声がした。

「入れ。……小一郎か。丸投げの成果を見せよ」

白衣を着た狂犬お市が、机に肘をついて座っていた。

口には、最近作ったという子供用の竹串つき飴。

甘そうなのに、目は獣のそれである。

「そちらが麻生殿じゃな。遠賀の帆柱……うむ、顔が良い。だが目の下が死んでおる」

「……はっ」

「働きすぎじゃ。わらわの丸投げに付いて来た顔じゃ」

いきなり殴ってくる。

小一郎が帳面を開き、淡々と報告した。

「平尾台、採掘口を確保。焼成窯は芦屋と若松で稼働。水車の粉砕は遠賀川と紫川で回し始めました。石灰は小倉へ卸してます。石炭は洞海湾へ。高炉は耐熱レンガで組んで、出雲と朝鮮の鉄鉱石・たたらを溶かして、鋼の歩留まりも上がってます」

お市は飴をくるりと回し、頷いた。

「うむ。白い石で壁が増える。黒い石で鉄が増える。鉄が増えれば鍬も釘も増える。鍬が増えれば畑が増える。畑が増えれば腹が満ちる。腹が満ちれば、民は売られぬ」

最後の一言だけ、温度が落ちた。

甘い飴と、冷たい決意が同居している。

隆実は息を飲む。

漆喰も窯も高炉も、結局そこへ戻るのだ。

「麻生殿」

お市が竹串を指で弾いた。飴が微かに鳴る。

「宗像に叩かれた。陶に怯えた。毛利に縋りたかったが、その毛利が折れた。……分かる。戦国はそういうものじゃ。じゃが、ここからは変える」

「……いかように」

「川と炉と港が揃えば、年貢を下げられる。年貢を下げれば民が逃げぬ。民が逃げぬ国は痩せぬ。――その代わり、決まりは一つ」

お市の目が、まっすぐ隆実を刺した。

「民を売るな」

隆実の喉が詰まった。

当主に面と向かって言う言葉ではない。だが、この女は言う。言って、実現する。

「食えぬ者が出るなら、働き口を作れ。子は寺小屋で育てよ。国の子じゃ。麻生殿の宝ではない。国の宝じゃ」

言葉が理屈で、理屈が刃で、刃が慈悲の形をしている。

隆実は震える声で答えた。

「……承知、いたしました」

お市は急に顔を緩め、飴をくわえ直した。

「よし。では褒美じゃ。麻生殿、門司の団子屋で今川焼を食え。銭は小一郎につけておけ」

「えっ」

「食え。働くには糖が要る。医者の命令じゃ」

医者の命令の使い方が雑すぎる。

小一郎が横で、苦笑いした。

「ほら麻生殿。断ったら、次は“鍛冶場で試作”言われますえ」

隆実は背筋が凍った。

「……今川焼でお願いします」

桃が横で、笑いを噛み殺しながら筆を走らせている。

この国はたぶん、戦よりも“現場”で変わっていく。

診療所の外では、門司の潮風が甘味の匂いを運んでいた。

隆実は、その匂いの中で、胸の奥が妙に熱くなるのを感じた。

(帆柱は、逃げ場じゃない。――国になる)

そう思った瞬間、背後でお市が叫ぶ。

「小一郎! 次は洞海湾の狼煙台じゃ! 元康と風魔に丸投げしておけ!」

隆実は目を閉じた。

(……やっぱり嵐だ)

祐筆桃の日記(弘治二年 卯月十五日/西暦1556年4月15日)

麻生殿が門司の診療所に来た。

“来た”というより、小一郎殿に連れて来られた。本人の顔がそれを物語っていた。目の下が完全に本舗の色だった。

報告は、白い石と黒い石。

平尾台の石灰石、飯塚の石炭。遠賀川と紫川の川浪衆。芦屋と若松の窯。小倉への卸。洞海湾の高炉。耐熱レンガ。出雲と朝鮮の鉄。

文字にすると、戦より重い。

母上は竹串つきの飴をなめながら聞いて、最後は必ず「民を売るな」と言う。

飴は甘いのに、言葉は真っ直ぐで、逃げ道がない。

麻生殿は震えながら「承知」と答えた。

怖いのは、母上の狂犬ぶりではなく、理屈で“国の形”を見せられることだと思う。

それでも、麻生殿の顔が少し前を向いた。

国人が国になる瞬間を、筆で見た気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ