第329話 堺の嘘は、真実より儲かる――下関不動産戦争(知らんけど)
西暦1556年4月11日(弘治二年・卯月下旬)
長門国・赤間関(下関)
関門海峡の潮は速い。
船も人も、噂も、潮に乗れば一晩で流れ着く。
昨日――毛利の小早川隆景が、彦島で正装して頭を下げた。
「停戦」と「連合参入」を口にした。
その話が、もう今日には“銭の匂い”に変わって、町を走っている。
噂というものは、戦より早い。
そして戦より、商人の腹が早い。
赤間関の町並みは、ここ数十日で別物になっていた。
白壁の漆喰が増え、道は広げられ、碁盤の目の通りには名が付いた。
堺通り、博多通り、呉服通り、宿屋通り、甘味通り。
火事を嫌う下関の風と、潮の湿気に合わせて、建物は“燃えにくく”“水に強く”作り直されていく。
お市が言っていた「ローマンコンクリート」も、下地や港の縁に使われ始め、波をかぶっても妙に丈夫そうだった。
町人は最初こそ首を傾げたが、今はもう慣れている。
慣れるのが早いのは、腹が満ちるからだ。
そういう“変化”を嗅ぎつける者がいる。
堺商人である。
堺商人は抜け目がない。
昨日、堺におったかと思えば、仲間にはこう言う。
「厳島神社に参ってくるわ」
「富士山見物や」
「伊勢参りやねん」
そして、気づけば博多におる。四国にもおる。下関にもおる。
嘘はついていない。たしかに参っているし、見物もしている。
ただ、ついでが本命になっているだけだ。
旅を商談にし、商談を密談にする。
それが堺の“いろは”だと、桃は教わった。……知らんけど。
その日、赤間関の奉行所の前は朝からやたら賑やかだった。
荷を担いだ人足、帳面を抱えた手代、商館の手配を急ぐ口入れ屋。
奉行所の門前で、土地の相談や借地の口約束が飛び交っている。
そして――そこに、異様に“場慣れした笑顔”が二つ並んだ。
一人は、着物の柄も帯の結びも派手すぎず、しかし隠しきれぬ余裕がある男。
もう一人は、同じ堺の匂いをまといながら、目だけがやけに鋭い男。
二人は、互いの顔を見た瞬間、口角が同時に上がった。
「あーーーーーー!」
大げさな声が門前に響く。
奉行所の同心が一瞬、刀に手をかけたが、次の言葉で力が抜けた。
「あんさんは! 宮島に旅行に行って牡蠣食べて、厳島神社にお参りすると言いはった――今井宗室はん!」
言われた男――今井宗室は、胸に手を当てて、わざとらしく驚いてみせた。
「おおおおお! あんさんは富士山見物で駿河に行く言うてはった――今井宗久はん!」
宗久は、にこにこ笑いながら、肩をすくめる。
「いやぁ、富士は遠うてなぁ。途中で潮の匂いがしてしもて」
「潮の匂いで赤間関まで来る人、初めて聞きましたわ」
「堺は潮でできてるさかい」
宗室が、口元を押さえて笑った。
「ほな、宗久はん。ここで会うたいうことは――」
宗久は即答した。
「土地や」
「やっぱりなぁ!」
二人の声は、笑っているのに刃物みたいに鋭い。
奉行所の門前にいた口入れ屋たちは、反射で背筋を伸ばした。
堺商人は、戦より怖いと本気で信じられている。
宗室が奉行所の方へ顎をしゃくる。
「昨日、小早川はんが正装で彦島に入ったいう噂、もう堺まで届いてまっせ。こら勝機や。港は伸びる。人は集まる。……土地が上がる」
「そのうえ、漆喰で道まで作りおった。火事に強い。潮に強い。商談に強い」
宗久は通りの先を見た。
堺通りの看板の下で、堺訛りの手代が値段交渉をしている。
博多通りには博多の魚商が陣取り、呉服通りには近江の反物が積まれ、宿屋通りには“狂犬”の札が揺れている。
「こら……熱田と鳴海の写しやないか」
宗久は小さく呟いた。
お市が熱田でやったこと――道路を整え、寺子屋を置き、無料診療所を置き、商人を呼び込み、治安を固め、税を下げる。
“民が増える仕組み”を先に作る。
宗室が鼻で笑った。
「写しやない。改良品や。潮と船がある分、加速する」
宗久の目が細くなる。
「……となると、うちが出す商館は“ただの店”やあかん」
「せや。倉や。帳場や。宿の口も押さえる。人足の手配も抑える。奉行所との筋も作る」
二人は楽しそうに言うが、言っていることは“国取り”に近い。
ただし刀ではなく、銭で。
そこへ、奉行所の門が開き、同心が顔を出した。
後ろにいるのは、地元の土地役人と、帳面を抱えた町年寄り。
「門前での大声は控えよ。……で、何用だ」
宗久は、深々と頭を下げる。
下げ方が、武士より綺麗だ。
「下関に商館を出したうて参りました。土地を、少し」
宗室も続く。
「同じく。町の発展に尽くし、税もきっちり、治安にも協力しますさかい」
同心は、眉間の皺を深くした。
「……堺は、口が軽いのか重いのか分からん」
宗久が、にこりと笑う。
「軽いのは冗談だけでっせ。帳面は重たい」
宗室が、さらりと続ける。
「それと、ここは“狂犬殿の町”や。余計なことはせぇへん。命が惜しい」
同心は、ふっと鼻で笑った。
それが“許可”に近い空気だと、二人は理解した。
奉行所の奥から、声が飛ぶ。
「堺の商人が来たって? 桃さまに報せろ!」
桃――祐筆。
評定の間に座る、小さな帳面役。
だが、銭の話になると、なぜか一番怖い顔をする。
宗久は宗室の肩を軽く叩いた。
「出たで。狂犬殿の“銭の牙”」
宗室が、楽しそうに笑った。
「噂では、薄い顔で分厚い帳面書くらしいな」
「堺の子より堺商人みたいな目をするとも聞いたわ」
二人は、門前で一歩引き、奉行所の中を覗いた。
町の“新しいルール”が、どこまで整っているか。
どこまで“商人に都合よく”、どこまで“商人に厳しく”なっているか。
そして二人は、同じことを思った。
――狂犬の町は、儲かる。
――だが、舐めたら首が飛ぶ。
それが一番、商人を本気にさせる。
春の潮風が吹き、白い漆喰の壁が光った。
下関は今日も、戦ではなく“商い”で膨らんでいく。
祐筆桃の日記(弘治二年 卯月十一日/西暦1556年4月11日)
堺商人は、ほんまに早い。
昨日の会談の噂が、もう奉行所の門前で銭になっていた。
今井宗久はんと今井宗室はんが、二人そろって現れた。
「富士山見物」「厳島参り」と言いながら、目的は土地。
嘘はついてない、と二人は笑う。
でも、笑いながら町を食べる感じがして、少し背筋が寒い。
奉行所としては、堺の金と流通は欲しい。
でも、堺のやり口は放っておくと、町が“堺の都合”に染まる。
母上(狂犬お市様)がよく言う。
「商人は民を生かす。だからこそ、商人にルールを与えよ」と。
きょう、私はその意味が分かった。
堺商人は敵ではない。
でも、放っておけば、味方でもない。
下関を下関のまま大きくするために、帳面の紐を締める。
明日、奉行所の土地台帳を全部見直すつもり。
……あと、二人とも声がでかい。
門前で「あーーーーー!」はやめてほしい。




