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『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


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第328話 土産は戦か、牡蠣か――潮の匂いと連合の芽

西暦1556年4月10日(弘治二年・卯月下旬)

長門国・彦島(赤間関)

評定が終わったあとも、畳の上には熱が残っていた。

小早川隆景は、深く一礼したまま顔を上げる。

「毛利、連合参入の意志、確かに持ち帰り、兄・隆元に伝えまする」

声は静かだが、腹は決まっている。

その顔を見て、狂犬お市は満足げに頷いた。

「よい。隆元殿は賢い。腹を割れば、話は通る」

そして、くるりと話題を変える。

「――で、土産はいるか?」

隆景の家臣団が一斉に瞬きをした。

戦の講和のあとに「土産は?」は、普通は出ない。

「……土産、でございますか」

「うむ。農政か? 海産物か? 治水か? 何がよい?」

景虎が、横で涼しい顔をしている。

「お市は、手ぶらで帰すのが嫌いだ。敵でもな」

「姉上、いま敵ではない」

「そうとも言う」

藤吉郎が小声で「敵より扱いが雑になることもあるがな」と呟き、忠次に肘で小突かれた。

お市は畳の脇に置いていた巻物を広げる。

そこには、精緻な図が描かれていた。

杭。

縄。

棚。

潮の流れの向き。

干満の周期。

隆景は目を凝らす。

「……これは?」

牡蠣かきの養殖じゃ」

場が、しん、と静まった。

「来月からなら、海産物が動くぞ。三原から江田島、呉――小早川殿の海じゃな。あの入り江はよい。潮がほどよく、波が荒れぬ」

隆景は思わず息を呑む。

三原、江田島、呉。瀬戸内の要。水軍の庭。

そこを“戦場”ではなく“養殖場”として語る大名が、目の前にいる。

お市は、図の一部を指で叩いた。

「彦島でやろうかとも思ったがの、塩が速い。塩が強すぎると殻は育つが、身が痩せる。伊勢でやってみようかと試作した。……まあ、半分は遊びじゃ」

「遊びで、国が増えるのか……」

隆景の呟きは、もはや皮肉ではなかった。

お市は胸を張る。

「遊びで始めるから、失敗しても笑える。失敗を笑えぬと、改良が止まる」

景虎が静かに補足する。

「武も同じだ。負けを認めぬ者は、次も負ける」

隆景は図を両手で受け取った。

そこに書かれているのは、ただの漁法ではない。

“兵糧と銭の未来”だ。

お市はさらに畳を叩く。

「農政なら、元康と忠次じゃ」

松平元康が、びくっとした。

「わ、わしでございますか」

「蝦夷から琉球まで耕す男じゃ。水田も畑も、民の腹も、耕せ」

「琉球は、まだ行っておりませぬ!」

「これからじゃ」

忠次が静かに頷く。

「水路、畦、年貢の配分、余剰の蓄え。毛利殿、戦より難しゅうございますぞ」

隆景は苦笑した。

「戦より難しいと申すか」

「戦は一日。農は十年」

その一言に、場がまた静まる。

お市は畳に両手をつき、少し身を乗り出した。

「治水もやるか? 三原は河口が肝じゃ。洪水は敵より厄介ぞ。北条の利根川を見よ。川を治めれば、兵を出さずに国が増える」

藤吉郎が横から口を挟む。

「ついでに港を整えれば、商人が勝手に集まる。堺もそうじゃ」

「堺は銭で動くが、下関は潮で動く」と桃がぽつりと呟き、景虎が「よいこと言う」と小さく笑った。

隆景は、ゆっくりと頭を下げた。

「……これは、土産ではござらぬ。未来でござるな」

お市は、にやりと笑う。

「未来は、作るものじゃ。戦は壊す。わらわは、壊した分、必ず作る」

その言葉は、誇りでも自慢でもなく、義務のように響いた。

隆景は、ふと窓の外を見た。

白い漆喰の道。

整えられた港。

出入りする船。

遠く、火ノ山の向こうに瀬戸の光。

戦国の只中に、別の秩序が芽吹いている。

「隆元兄上は、驚くであろうな」

「驚くがよい。驚かぬ者は、もう死んでおる」

景虎の一言が、静かに締めた。

お市は最後に、軽く手を振る。

「持って帰れ。試せ。失敗したら笑って報告せよ。成功したら、わらわに牡蠣を送れ」

「それが本音でございますな」

「当然じゃ。わらわは牡蠣が好きじゃ」

真理姫が小声で「母上は何でも好きです」と言い、瑠璃姫と徳姫が笑いをこらえる。

隆景は、図面を大切に抱えた。

「毛利、連合入りの前に、まず牡蠣で学びましょう」

「よい。牡蠣で結ばれた縁は、なかなか切れぬ」

戦のあとに、牡蠣の話で締める。

それが狂犬お市の流儀だった。

関門の潮は、今日も速い。

だが、瀬戸の奥で、静かに“養う戦”が始まろうとしていた。

祐筆桃の日記(弘治二年 卯月十日/西暦1556年4月10日)

きょうの評定は、戦の話で終わらなかった。

母上が「土産は?」と聞いたとき、小早川殿の家臣が一瞬、固まったのが面白かった。

土産は牡蠣の養殖。

戦国で、こんな話を本気でしている大名は、たぶん母上だけやと思う。

でも、図を見ていた小早川殿の顔は真剣やった。

あれは「笑い話」やなくて、「家を守る術」として見ていた顔や。

母上はよく言う。

壊したら、必ず作れ、と。

きょうはその「作る」の顔を、はっきり見た気がする。

戦国の海で、刀より先に牡蠣の棚が立つ。

それは、きっと、後の世に残る話や。

……ただし、母上は最後に「牡蠣を送れ」と言った。

やっぱり、少しは食い意地も混じっていると思う。

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