表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

322/344

第320話 白衣の狂犬、雷神を裂く――門司診療所・粉瘤戦役

西暦1556年4月8日(弘治二年・卯月下旬/春・黄砂うすく霞む日)

門司の無料診療所は、その日、静かな緊張に包まれていた。

外では港の荷揚げが続き、洞海湾の船足は絶えぬ。

甲斐訛り、関東訛り、堺の商人言葉が飛び交い、町は銭の匂いで満ちている。

だが診療所の奥――即席の手術室は別世界だった。

「湯、よし。布、よし。薬湯、よし」

真理姫が声を張る。

瑠璃姫と徳姫は白衣を着込み、手を念入りに洗っていた。

さくらとあやめは煮沸した刃物を布で受け取り、深く息を吸う。

寝台に横たわるのは――僧侶道雪。

いや、鎮西無双・戸次鑑連。

上半身裸。

鍛え上げられた体躯は、雷神の異名に恥じぬ。

だが背には三つの異物。

首筋に小。

背に大。

そして肩甲骨の下に――特大。

特大の一つは赤く腫れ、明らかに炎症を起こしている。

「……まずは小からじゃ」

狂犬お市は静かに言った。

先ほどまで飴玉を投げ込んでいた女とは思えぬ声。

冷静。無駄がない。

まさに名医の顔。

「道雪。暴れるな。噛みつくな。怖がるな。さっき約束したの」

「……雷神を犬扱いするな」

「犬はわらわじゃ。お主はただの患者じゃ」

診療所の空気が、ぴしりと締まる。

刃が入る。

瑠璃姫が息を止め、徳姫が血を拭う。

さくらが膿袋を受け取る。

あやめが記録を書きつける。

小は、落ち着いていた。

皮膚下の嚢を丁寧に剥離し、袋ごと取り出す。

「ほれ、きれいに出た」

お市は弟子たちに見せる。

「袋を破るな。再発するぞ。医師は“根”を取るんじゃ」

真理姫が小さく頷く。

「根を残さぬ……戦と同じですね」

「うむ。中途半端は一番悪い」

小が終わる。

次は大。

こちらも比較的落ち着いている。

道雪は歯を食いしばるが、声は出さない。

鎮西無双の矜持か。

あるいは、狂犬に負けたくないだけか。

婆さんたちが小声で囁く。

「この坊主、強いな」

「泣かんのう」

「うちの亭主より根性あるわ」

雪下は、診療所の隅で腕を組んでいた。

主君が斬られているような気分だ。

いや、切られているのは確かに主君だ。

「次、特大じゃ」

お市の声が落ちる。

炎症を起こしている。

皮膚が赤く、熱を持っている。

「これはな……放っておいたら高熱、敗血、最悪は命を落とす」

「……ほう」

道雪は短く応じる。

「背を地につけて寝ぬから悪化する。武将の意地が身体を壊す」

「……武将ではない」

「ほう? ではただの頑固ジジイか」

瑠璃姫が吹きそうになる。

徳姫が必死にこらえる。

刃が入った瞬間、膿が押し出される。

「……ぬう」

道雪の喉から低い音が漏れた。

「暴れるなと言った」

「暴れておらぬ」

お市は淡々と膿を排出し、袋を探る。

炎症部位は癒着がある。

慎重に、しかし迷いなく。

「ここじゃ。……袋を、破らぬようにな」

真理姫が灯りを寄せる。

汗が額を伝う。

だが、お市の手は揺れない。

「取れた」

袋が、丸ごと、出る。

診療所の空気が一斉に緩んだ。

婆さんが「ほう」と唸る。

さくらとあやめが目を丸くする。

瑠璃姫が深く息を吐いた。

「……雷神、終わりじゃ」

お市は糸で縫合しながら言う。

「雷は落ちぬか?」

道雪が返す。

「落とすのはお主の役目じゃ。わらわは治す」

包帯が巻かれる。

湯で清拭し、薬を塗る。

道雪は静かに起き上がった。

目が、少しだけ柔らかい。

「……名医だな」

ぽつりと言った。

お市は鼻で笑う。

「世界一の美女で、名医で、狂犬じゃ。欲張りじゃろ?」

雪下が小さく呟く。

「……敵に回したくない」

外では、門司の鐘が鳴る。

港は今日も動く。

狂犬は軍だけでなく、医術でも城を落とす。

この日、鎮西無双は――白衣に斬られた。

祐筆桃の日記(弘治二年・卯月下旬)

今日は門司診療所で“雷神解体戦”。

道雪殿の粉瘤除去。

小・大・特大の三連戦。

特大が炎症していて、母上が「放っといたら死ぬ」と断言。

母上、手が震えない。

袋を破るな、根を残すな、と何度も言う。

戦の話みたいに医術を語るの、ちょっと怖い。

特大を取った瞬間、診療所の空気が変わった。

みんな息をしてなかったらしい。

道雪殿、「名医だな」と言った。

母上、「世界一の美女で名医で狂犬じゃ」と返す。

……ほんまに欲張り。

雷神が、包帯巻いて静かに座ってる姿は、少しだけ人間らしかった。

雪下さんの顔が、今日一番複雑やった。

たぶん、次は自分やと思ってる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ