表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

320/351

第318話 無料なら、診てもらうか――白衣の天女と、雷神の腹の底


西暦1556年4月8日(弘治二年・卯月下旬/春)

関門の港町は、昼でも“夜みたいに忙しい”。

門司の通りを歩く僧侶二人――戸次鑑連と由布惟信――の耳に、銭勘定の声が絶えず刺さる。

だが、賑わいは“銭”だけではなかった。

団子屋を出て、二人は町を散策した。

潮の匂いが薄れる路地に入ると、そこは寺町通り。石畳はまだ新しい。

辻では、老僧が声を張って辻説法をしている。

「――盗むな、欺くな、と言うがの。腹が減れば人は盗む。ならば腹を減らさぬ国を作れ。腹を満たせば、刃は鞘に戻るぞ」

道行く商人も、武士も、足を止めている。

“説法”が、ただの念仏ではない。生活の話だ。治安の話だ。腹の話だ。

鑑連が、口の端だけ動かす。

「坊主が、政を語る」

由布が肩をすくめた。

「政が坊主になったのかもしれん」

寺町通りの奥には、小さな草庵が点々と建っていた。

雨風をしのげる程度の粗末なものだが、戸はきちんと直され、板壁に白い漆喰が薄く塗られている。

その前で、子供らが若い僧の手を引いて笑っている。

「せんせー! “たしざん”できた!」

「よし、見せてみい。――お、ようできたな。ほな次は“引く”や」

草庵の中では、別の僧が真剣な顔で字を教えている。

墨の匂い。紙の音。

寺子屋だ。港町の寺子屋。しかも、無料に見える。

由布が低く言った。

「……寺が、増えたのではないな。学びが、増えた」

鑑連は目を細める。

「学びは、兵になる。兵は、国になる」

二人は歩きながら、門司の町を“敵地”として観察していた。

旗の多さ、倉の数、道の整え方。

奉行所の札の位置。狼煙台の見える角度。

そして――港の裏で動く人間の数。

「狂犬堂門司商館……ここか」

鑑連が、建物を見上げる。

門司城に連なる商館。

門を守る者の足取りが軽い。目がよく動く。

――隠密の配置が、町の呼吸と同じ速さだ。

「敵の拠点、というより……町の心臓だな」

由布が、ぼそりと漏らした瞬間。

隣の建物から、人が出てきた。

白衣。

光を吸うような白。

そして――あり得ぬほどの美貌。

春の陽に照らされて、髪が艶を返す。

顔立ちは華やかで、それでいて目は冷たいほど静か。

近寄りがたいのに、近寄りたくなる。

“天女”と言われたら信じる者が出る、そんな女が――妊婦に寄り添っていた。

「大丈夫じゃ。息を、長く。ほれ、飴じゃ」

女は、妊婦の手を包むように握り、薬袋を渡し、飴玉を一つ、口に入れてやった。

妊婦が、泣きそうな顔で頷く。

「……ありがとうございます……」

「礼などいらぬ。生きて帰れ。子も生きろ。――それだけじゃ」

鑑連の喉が、小さく鳴った。

由布が横目で見て、囁く。

「……あれが、噂の狂犬か」

「……狂犬が、飴を配るのか」

鑑連の声は平坦だが、目だけが鋭い。

無料診療所――そう看板が出ている。

“無料”の文字が、やけに大きい。

そして、その“無料”を看板にできるだけの仕組みが、この町にはある。

妊婦が去ると、白衣の女が顔を上げた。

視線が、僧侶二人を捉える。

空気が、すっと冷える。

由布は反射で背筋を伸ばした。

鑑連は、動かない。顎に手を当てたまま。

白衣の女が、にこりと笑う。

その笑みが“優しい”のに、“獲物を見つけた”みたいなのが怖い。

「お坊さま。団子は食うたか?」

由布が詰まる。

「……な、何故それを」

「甘味通りは、わらわの目の届く範囲じゃ。腹が減っては説法も軍議もできぬからの」

鑑連が、名乗らぬまま言う。

「無料なら、診てもらえるのか」

「もちろんじゃ。――無料診療所じゃからの」

白衣の女は、あっさり言い切る。

由布が小声で突っ込む。

「……危険だ、殿」

鑑連は、目を離さず答える。

「無料は、罠の匂いがする」

白衣の女が、聞こえたかのように笑う。

「罠でもよいぞ。入るか、帰るか。選ぶのは自由じゃ。――ただし」

一歩、近づく。

「この町は、刃を抜くと損をする。銭が逃げるからの。損は嫌いじゃろ?」

由布の喉が鳴る。

鑑連は、静かに頷いた。

「……損は嫌いだ」

白衣の女が、手を横に払う。

「よし。入れ。まずは脈を取る。次に腹を見て、次に目を見て――最後に心を診る」

「心、まで?」

由布が思わず聞く。

「戦国で一番腐るのは、腹でも刃でもない。――心じゃ」

二人は、診療所の戸をくぐった。

無料ならば、と足が動いた――その瞬間、由布は遅れて気づく。

これは診療ではない。

“見定め”だ。

そして、その見定めをする女が、狂犬お市だということを。

祐筆桃の日記(弘治二年・卯月下旬/晴れ)

門司の寺町通り、最近ほんとに変。

草庵が増えて、子供が増えて、なぜか足が速い僧が増えた。

僧って、そんなに走る生き物やったっけ。

で、その“走る僧”が二人、今日、診療所に入ってきた。

黒い。でかい。頭がつるつる。視線が痛い。

団子食べた顔してるのが、逆に怖い。

母上(狂犬お市様)は、妊婦さんに飴をあげてた。

最近あの飴、ほんと人気。

私は医療班として誇らしい。けど、母上が飴を作る動機が「医療に使えぬか?」なのに、だいたい“おやつ”として消えていくの、どうかと思う。

あと母上、僧二人に言ってた。

「まず脈、次に腹、次に目、最後に心」って。

心まで診るの、やめてほしい。

診たら、たぶん――母上、面白がって拾うから。

私はもう、嫌な予感しかしない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ