30話 狂犬お市様の狂犬式利益
歌い騒いでもうけたの
祝いじゃ
ホレ!もっていけ(雑)
お市
西暦一五五二年(天文二十一年)二月 如月・尾張 清州/熱田
――狂犬記/作者:桃(お市様祐筆)
熱田の「尾張伝説の狂犬ライブ」から――五年。
あの日、熱田神宮の盆踊りは盆踊りをやめ、祭りは戦になり、団子は主食になり、胃薬は通貨になった。
そして今。
狂犬堂は、熱田本店を起点に、清州・津島へ直営支店を出し、中村は生産拠点として完成。清州と熱田に生産工場まで建ち、伊勢湾交易網はだいたい狂犬堂の手のひらの上。
……手のひらの上、というより、爪の先。
「桃。帳簿。持ってこい」
背後から声。凍る。
世界一の美貌、狂犬お市様である。
「はい……(胃が先に返事しました)」
「なにか言ったか?」
「いえ、胃が鳴りました」
「腹が減ったなら、ちゃんこを食え」
「それで胃が痛いんです」
お市様はケラケラ笑う。笑うな。私の胃は笑えない。
◆清州城・会議の座敷(狂犬家臣団、集合)
座敷には、幹部が並ぶ。
寧々様、まつ様、くのいち三人、そして藤吉郎殿。
最後に私、桃。祐筆。帳簿。胃痛係。
お市様は平然と茶を飲み、言った。
「五年分の“成果報告会”を始める」
「成果報告会って言い方、急に現代ですな……」と藤吉郎殿。
「藤吉郎。余計なことを言うな。禿げるぞ」
「もう禿げとるわ!!」
藤吉郎殿の魂のツッコミが座敷に響いた。
寧々様が、チクチクと笑う。
「藤吉郎様、光ってますし。禿げてるというより、輝いてる」
「褒めてないやろそれ!!」
まつ様が頷く。
「うん。夜道で松明いらんもん」
「助けて!?俺、夜道の防犯具扱い!?」
くのいち三人が真顔でうなずいた。
「便利です」
「目立つので囮に最適」
「敵の視線が全部いきます」
「やめて!諜報員の評価が物としての評価!!」
お市様は満足げに頷いた。
「よし。平常運転じゃな」
平常運転の概念が尾張から消えた。
◆狂犬堂の五年(お市様の“雑な”説明)
「まず、熱田のライブだ」
お市様は指を一本立てる。
「わらわは三ヶ月に一度、三日間、熱田でライブをした」
「そのたびに熱田の町が戦場になります……」と私。
「戦場? 違う。笑顔の畑じゃ」
「畑、踏み荒らされてますが……」
「直営店は清州と津島へ」
指二本。
「生産拠点は中村。工場は清州と熱田」
指三本。
「伊勢湾交易網を押さえ、熱田商人へ暖簾分けで卸して儲けを加速」
指四本。
寧々様が腕を組む。
「暖簾分け、という名の……圧」
「圧? 違う。愛じゃ」
「愛が重いんです姫様……(嬉しいけど)」
まつ様が横から刺す。
「熱田の商人衆、姫様が笑っただけで土下座するしな」
「それは礼儀じゃ」
「礼儀の範囲を越えてるわ」
お市様はさらに言う。
「そして男の身だしなみ対策。男性化粧品ブランド――獄門じゃ」
「名前が怖いんよ……」と藤吉郎殿。
「むさい男を撲滅するには、まず名から震えさせるのが効果的じゃ」
「論理が狂犬……!」
「加えて」
お市様は、くのいち三人を見た。
「藤吉郎、さくら、あやめ、せつな。四人に諜報員百人をつけた」
さくらが胸を張る。
「行商と髪結いで情報を集めました!」
あやめが真面目に続ける。
「米価、塩、反物の流れ、武士の愚痴、全部です」
せつながニヤリ。
「あと、浮気も全部」
「それは集めなくていい!」藤吉郎殿が叫んだ瞬間、寧々様の目が細くなった。
「……藤吉郎様?」
「は?いや、俺、浮気してないし。してないし?」
「“してないし?”って何?」
「語尾が弱い!!」
まつ様が手を叩いて笑う。
「はー、尾張平和やなぁ!」
「平和の方向性がだいぶズレてる!」
私は思った。
この会議、数字の話なのに、胃が痛い話しかしていない。
◆本題:利益(ここから地獄)
お市様は、さらりと言った。
「五年間の売り上げは、途方もない」
その一言で、全員が姿勢を正した。
怖い。ここからが本番だ。
「一番大きい年で、売り上げ――三百万貫」
座敷の空気が止まった。
寧々様が、口を開けたまま固まった。
まつ様が、顎を押さえた。
くのいち三人は、目が丸い。
藤吉郎殿は、
「……は?」
正しい使い方の「は?」が出た。
お市様は続ける。淡々と。
「年間純利益――九十五万貫(わらわの小遣い)」
「小遣い……?」私の声が裏返る。
「蔵には――四百万貫」
私は、眩暈がした。銭で溺れる未来が見えた。
藤吉郎殿が膝に手をついて呻く。
「蔵が銭で……パンパンや……」
「パンパンどころか、爆発します……」と私。
お市様は追い討ち。
「具体的に言う。薬だけで売上三十万貫。利益十五万貫じゃ」
寧々様が震え声で言った。
「姫様……胃薬……国を買えます……」
「胃は大事じゃからな」
「幹部の胃も大事にして下さい」
「よし、胃薬を支給する」
「給与でください」
まつ様がぼそり。
「姫様、銭の話になると急に医者の顔やなくて、魔王の顔になる」
「誰が魔王じゃ。わらわは慈悲深い」
「慈悲深い人は四百万貫ためません」
「ためるのは悪いことか?」
「いや悪くないけど、桁が戦国の限界超えてる!」
藤吉郎殿が手を挙げた。
「姫様、質問!その利益、誰が回してると……」
お市様は笑顔で言う。
「藤吉郎」
「俺かよ!」
「あと、桃」
「私もです!」
「寧々とまつも」
「私らも!」
くのいち三人も揃って。
「私たちもです!」
「ほら、全員じゃ」
「全員の胃が死んでる理由、ここにあり!」
◆狂犬式:給与発表(ご褒美の暴力)
お市様は、茶碗を置いた。
その音だけで、全員が身構えた。
いや、給与の話だ。身構える必要ない。……はず。
「働きに報いねばならぬ。一人ずつ部屋へ来い。給金を告げる」
最初に呼ばれたのは、私。
襖の向こうで、お市様が札を渡す。狂犬印。押印が綺麗。腹立つほど綺麗。
「桃。年収――一万貫」
「……え?」
「聞こえぬか?」
「聞こえました。胃が先に気絶しました」
「筆まめは国を動かす。誇れ」
「国じゃなくて帳簿動かしてます……」
座敷へ戻ると、全員が私の顔を見る。
私は震える手で親指を立てた。
「……一万貫」
「「「「「は?」」」」」
藤吉郎殿の「は?」が一番でかかった。
次に寧々様。戻ってきて、顔が菩薩になっている。
「……八千貫……」
「「「……!!」」」
まつ様も同じ。
「……八千貫……」
「まつ殿が八千貫で固まった!」
「固まるわ!利家に言うたら気絶するわ!」
くのいち三人。
「……五千貫です!」(さくら)
「……五千貫です」(あやめ)
「……五千貫っ!」(せつな)
三人は揃って、誇らしげに胸を張った。
伊賀を捨てた甲斐がある、という顔である。
そして最後――藤吉郎殿。
襖の向こうが静かすぎる。
嫌な沈黙。戦場の前の静けさ。
藤吉郎殿が戻ってきた。
顔は無。目が遠い。だが光っている。余計に怖い。
「……月給、百貫」
「え、月給百貫なら年で千二百貫――十分高いのでは?」と私。
藤吉郎殿は、虚無のまま言った。
「……“百貫とインセンティブ”」
「インセンティブ?」
「『婿兼弟子は特別任務あり。成果で上乗せじゃ』って」
寧々様が、にっこり笑った。
その笑顔が、熱田の篝火より怖い。
「藤吉郎様、成果、出せますよね?」
「……はい(命)」
「“はい(命)”って何?」
「命を差し出す勢いで成果出すってことやろ」まつ様が楽しそうに言う。
「やめて!俺の人生、成果主義の沼!!」
お市様が座敷から声だけ飛ばす。
「藤吉郎。今夜は、獄門の新しい匂い案を十。諜報報告を三つ。あと、頭皮の状態も確認じゃ」
「はい……」
「元気がないぞ。笑顔はただじゃ!」
「笑顔で死ねってこと!?」
くのいち三人が、藤吉郎殿の背中をバンバン叩いた。
「頑張りましょう!」
「仲良くしましょう!」
「囮、期待してます!」
「最後のやつ違う!!」
座敷は笑いと悲鳴でいっぱいになった。
なのに、お市様だけは涼しい顔で締める。
「それほど? 利益は狂犬(雑)」
雑じゃない。
狂犬だ。
◆桃の祐筆(感想)
銭は数ではなく、支配力だ。
化粧で人心を掴み、薬で命を握り、反物で街を染め、ライブで魂を燃やす。
戦をせずに国を動かす――それが狂犬お市様の恐ろしさ。
そして私は今日、確信した。
幹部の給料は夢だが、藤吉郎殿のインセンティブは呪いである。
◉桃の日記(私記)
四百万貫の蔵を想像して、目が回った。
一万貫の年収を聞いて、足が震えた。
藤吉郎殿の“成果で上乗せ”を聞いて、胃が泣いた。
でも、みんな笑っていた。
笑顔はゼロ文。
なのに今日の笑顔は、たぶん――一番高い。
明日からまた忙しい。
狂犬堂は止まらない。
尾張も止まらない。
私の胃だけ、止まってほしい。
5年間走り回り価格操作し、商人調略し
月給100貫
ハイよろこんで
トウキチロウ




