291話 「利根川に勝った日、親父たちは泣いて笑った」
西暦1556年3月1日(和暦:弘治二年 三月上旬ごろ)
関東 利根川治水工事・土木現場(霞ヶ浦・北浦・鹿島港河口方面)
利根川は、昔から“暴れ川”だ。
田畑を潤す顔と、ひとたび機嫌を損ねれば村ごと飲み込む顔――二枚舌どころか、百枚は持っている。
だからこそ、関東の者は知っている。
戦に勝つのと同じくらい、川に勝つのが難しいことを。
その日、目の前で――それが起きた。
霞ヶ浦、北浦、鹿島の河口。
土と木と石の堤、締切、導水。人の手で形にした“道”へ、濁流が吸い込まれていく。
「流れた……!」
誰かが叫んだ。次に、どこからともなく勝鬨が上がる。
「えい、えい、おーっ!」
「やったぞ! 利根川に勝ったぞ!」
六万人規模の土木人足が、一斉に拳を突き上げた。
汗と泥と、泣き笑い。武士も百姓も関係ない。今日だけは“川に勝った仲間”だった。
北条氏康は、堤の上で口を結んだまま、じっと流れを見ていた。
その目の端に光るものがあるのを、家臣が先に気づく。
「殿……」
「見るな。……これは、砂が入っただけだ」
「殿、鼻水です」
「黙れ」
家臣団は、堪え切れず笑った。
笑って、次の瞬間に泣いた。
北条にとって、治水は“国の背骨”だ。
何年も、何十年も、代々が挑み続けた難事業。
その背骨が、いま、通った。
そこへ、甲斐の虎――武田晴信が、泥を踏んで近づく。
晴信の袖も裾も、見事に土まみれだ。普段の威厳? 今日は現場に置いてきたらしい。
「氏康殿。……勝ったな」
氏康は、無言でうなずいた。
そして、わざとらしく咳払いしてから言う。
「晴信殿。これは戦ではない。勝った、などと軽々しく――」
晴信が真顔で返す。
「違う。戦より難しい」
「……言い返せんのが腹立つ」
二人の間に、また笑いが生まれた。
背後では、長尾家の家臣団が掛け声を合わせ、最後の補強を確認している。
長尾景虎――“姉上”は西へ行っている。だが、関東の現場にも彼女の色は残っていた。堤の線がやけに美しいのだ。几帳面すぎて怖い。
氏康が堤を撫で、ぽつりと漏らした。
「……武田も、長尾も、狂犬も。よく手を貸した」
晴信が鼻で笑う。
「礼を言う相手が多すぎて、舌が回らんだろう。だから、まとめて言えばよい。“銭と米と人足を切らさぬ者が偉い”とな」
「身も蓋もない……が、正しい」
そのとき、泥だらけの伝令が駆けてきた。
口元から湯気が出るほど息を切らし、両手で書状を差し出す。
「西国より! ……狂犬旗、さらに戦線拡大! 毛利元就撃破の余波、各地に動揺。関門はすでに――」
周囲の空気が、ぴしりと締まる。
川の勝利の余韻に、戦の匂いが混ざった。
氏康は書状を受け取ると、読みながら眉を動かした。
「……北条の旗が豊前に、武田の旗が長門に、だと」
晴信が、口角をわずかに上げる。
「うちの若いのが、無茶をしていないか心配だ」
「晴信殿が“無茶”を心配する日が来るとはな」
「言うな。胃が痛い」
氏康がふっと息を吐く。
「うちもだ。……氏規め。風魔まで連れて、関門に居座ったと聞く。あいつら、海峡を“城門”にする気か」
晴信は、わざとらしく肩をすくめた。
「城門にするだろう。狂犬が居るならなおさらだ。あの女――いや、あの姫は、“港”を国にする」
氏康は苦笑いを浮かべた。
「港が国……堺商人が聞いたら泣いて喜ぶな」
すると近くで、資材の確認をしていた商人頭が口を挟んだ。堺訛りだ。
「泣いて喜ぶどころか、もう泣きながら帳面つけてまっせ。ええ川、ええ港、ええ銭回り。ほな、次は“利根川饅頭”でも売りまひょか」
尾張訛りの荷役が即ツッコむ。
「饅頭に泥入れる気か! 利根川は泥が売りやない!」
「泥は入れへん。泥は無料サービスや。知らんけど」
「知らんけど、で商売するな!」
現場に、また笑いが戻る。
笑いが戻ると、人は立ち上がる。仕事が進む。堤が強くなる。国が保たれる。
氏康は、晴信と並んで流れを見たまま言った。
「晴信殿。西が荒れている。こちらは、こちらで守りを固めねばならぬな」
「わかっている。川は流した。次は人の流れを整える」
「……結局、治水も政も同じか」
晴信が、静かにうなずいた。
「同じだ。溢れれば、国が死ぬ」
一瞬、風が冷たく吹いた。
春の気配はあるのに、泥の上はまだ冬の匂いがする。
その冷たさの中で、氏康はふいに笑った。
「だが今日だけは、良い日だ。川が言うことを聞いた。……人間の方が、よほど言うことを聞かんがな」
晴信が即答する。
「それは殿の部下に言え」
「貴様の部下だって同じだ!」
「うちは“殿が怖いから”聞く」
「北条もだ!」
二人が言い合うと、周りがまた笑う。
六万人の現場が、ひとつの生き物みたいに呼吸していた。
川が海へ流れる。
人が笑って泣く。
その背中に、戦国が乗っている。
――利根川治水。北条・武田・長尾、そして狂犬の共同工事。
これは戦ではない。
だが、確かに“国を勝たせる戦”だった。
祐筆桃の日記(西暦1556年3月1日/弘治二年 三月上旬ごろ)
利根川治水、ついに流路が通ったとの報せ。
現場は六万人。勝鬨が上がり、北条氏康公が泣いたらしい。武田晴信公も泥だらけで、戦より難しいと言ったとか。そりゃそうだ、川は寝返る。
西国の噂は相変わらず盛られているが、こちら関東は“盛る”のではなく“積む”。土を、木を、石を、そして人の根性を積んで勝つ。
戦の勝利は一夜で崩れるが、治水の勝利は、積んだ分だけ残る。たぶん。
ただし、若い衆(氏規様だの何だの)が西で暴れているらしく、親父殿たちの胃が痛いのもよく分かる。
胃薬を作って狂犬堂で売りたい。いや、売ったら売れすぎてまた胃が痛くなる。
結論:私は静かに寝たい。




