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『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


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288話 撃ち抜かれた謀将と、踏んづけた狂犬

西暦1556年1月23日(和暦:弘治二年 正月二十三日ごろ)

朝 周防国・永興寺

夜襲の煙は、まだ薄く境内に残っていた。

夜明けの光が、焼け焦げた柱や崩れた塀を照らす。

さきほどまで火縄銃が鳴りやまなかった場所とは思えぬほど、今は静かだ。静かすぎる静けさである。

狂犬お市様と景虎姉上は、並んで永興寺の山門をくぐった。

「寺には迷惑料を払わねばな」

お市様は、真顔でそう言った。

昨夜あれだけ本陣を撃ち抜いた張本人とは思えぬ、妙な律義さである。

住職は青ざめながらも出迎えた。

「……この度は……」

「すまぬ。戦は寺の都合を待たぬ。修繕費は狂犬堂持ちじゃ。帳面つけて桃に渡せ」

横で祐筆桃が、すでに筆を走らせている。

戦の後に帳簿。これが狂犬経済圏の恐ろしさである。

境内では、赤備が整然と陣をまとめていた。

武田義信、初陣。

夜襲で血に濡れた鎧のまま立つ姿は、若いが、すでに“武田の色”を帯びている。

その横で飯富虎昌が低い声で言う。

「若、初陣は上出来にございます。ただ、突撃の間合いが一歩早うございました」

「……心得た。次は半歩、溜める」

父・晴信の教えが背にある。

武田の家は、血で育つ。

少し離れた場所では、鬼小島弥太郎が槍を肩に担いで笑っていた。

「何人斬ったかのう? 数えとらん」

「数えとらんのかい!」

長宗我部親貞が思わず突っ込む。

元親は無言だが、その手に握る槍は血を吸い、夜明けの光を弾いている。

昨夜の突撃で、兄弟はお市様の背を守るように動いた。

青龍偃月刀と蛇矛は、若い手に妙に馴染んでいる。

「土佐は軍神を隠しとったのう」

お市様が面白そうに呟くと、元親は少しだけ目を伏せた。

姫若子と呼ばれた内気な若武者が、戦の中で何かを掴みはじめている。

一方、勝頼・真理姫・氏規は、風魔の護衛のもとで戦況を見届けていた。

真理姫は、唇をかみしめながら言う。

「これが……戦……」

「目を逸らすな」

景虎姉上の声は冷たいが、優しい。

「生きある者は助けよ! 致命傷は介錯!」

景虎の号令が境内に響く。

毘の旗のもと、戦後処理は迅速だった。

毛利方は壊滅。

逃げ延びた者は、ほとんどいない。

お市様は、景虎に小声で言った。

「すまぬな、姉上。寺で血を流した」

「戦は寺を選ばぬ。だが後始末を怠るな。それが義じゃ」

二人は、元就の本陣跡へと歩いた。

崩れた建物の前で、お市様が足を止めた。

「むに」

踏んだ。

「……やってしまったか。犬の――」

視線を落とす。

「……ん? ジジイか」

血にまみれた老人が、うつ伏せで倒れている。

太腿からは、まだ血が滲んでいる。

「息あるの」

側で、飯富源四郎が誇らしげに立っていた。

その槍先には、立派な兜首が掲げられている。

「姫様! 毛利元就、討ち取りましたぞ!」

「さすが源四郎じゃ」

お市様は槍先の首を見て、ふむ、と頷いた。

「……立派な兜じゃのう」

だが足元の老人を見て、首をかしげる。

「では、これは誰じゃ」

源四郎が一瞬固まる。

「……え?」

老人は、薄く目を開けた。

「…………」

お市様がしゃがみ込む。

「ジジイ、狂犬お市が踏んだことに感謝せよ。まだ生きておる」

「………」

目が、異様に澄んでいる。

ただの足軽ではない。

お市様はニヤリと笑った。

「桃! 医療カバンじゃ!」

祐筆桃が慌てて駆け寄る。

「姫様! 今それどころでは――」

「それどころじゃ。生きておる者は使える。いや、助ける」

寺の境内に簡易の手術台を設ける。

太腿に深く入った火縄銃の弾。

お市様は迷いなく刃を入れ、弾を摘出した。

「……うっ……」

老人が呻く。

「騒ぐな。わらわの手術は痛いぞ」

焼きごてで止血。

肉の焼ける匂いが立ちのぼる。

真理姫が息を呑む。

「母上……すごい……」

「すごいではない。慣れじゃ」

傷は塞がった。

後は、体力次第。

「担架に乗せよ。舟へ」

「彦島にいくかの」

お市様は、軽く言う。

夜襲は終わった。

毛利は、何もできぬまま、本陣を撃ち抜かれた。

だが。

担架に揺られる老人の目は、まだ死んでいない。

(狂犬……)

意識の奥で、謀将は静かに笑った。

戦は終わらない。

祐筆桃の日記(西暦1556年1月23日/弘治二年 正月二十三日ごろ)

永興寺強襲、終了。

姫様は寺へ迷惑料を払い、住職に詫び、赤備を褒め、若武者をからかい、そして毛利の“ジジイ”を踏んづけた。

踏んだところから物語が転ぶのが、狂犬の戦である。

源四郎は「元就討ち取ったり」と兜首を掲げていたが、姫様は足元の老人を拾い上げた。

戦場で拾い物をする癖はやめてほしい。わたしの胃がもたない。

それでも、太腿の弾を抜き、焼きごてで止血し、「後は本人次第」と言う顔は、医者であり、武将であり、商人でもある。

毛利は壊滅。

だが“謀将の目”はまだ生きている気がする。

戦は、勝ったと思ったところからが面倒である。

筆も、胃も、休まらぬ。

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