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『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


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第261話 「一割の旗、火ノ山の土」

西暦1555年12月18日(弘治元年 十二月下旬)

長門国 下関・赤間関/彦島/火ノ山

関門の冬は、潮が牙をむく。

海峡は狭いのに、流れは矢のように速い。船頭が油断すれば、舟は一気に持っていかれる。

けれど――その狭さこそが、価値だった。

赤間関の港は今日も騒がしい。

表向きは「狂犬堂商館の新設」。荷を下ろし、塩鮭を運び、板材を積み、縄を数える。

だが、港の空気は明らかに違う。

旗が、増えたのだ。

大内花菱の旗。

そして狂犬の旗。

「……来たか」

木下藤吉郎秀吉は、港の端に立ち、潮の匂いを吸った。

鼻の奥がつんとする。海の塩と、魚と、濡れた木材の匂い。

戦が始まる前の町の匂いは、だいたいこんなものだ。

背後で、藤林長門が静かに言う。

「“残党”という言葉を、使わぬ方がよろしいでしょうな」

「せやな。“大内の人ら”でええか」

隣で、藤林あやめが頷く。

少女の顔をしているが、目は刃物のように冷たい。

「言葉は、刃。刃は、抜くタイミングが大事」

「その台詞、誰が十四歳に言わせたんや……」

「師匠」

「やめて。わしの胃が死ぬ」

藤吉郎は肩をすくめ、港町の通りへ歩き出した。

目指すのは、寺町通りに近い空き家――いまは仮の寄合所になっている。

大内家の元家臣、職人、浪人、寺侍、年貢に苦しむ百姓の代表まで、混ざって集まっている。

戸が開く。

中には十数名。

痩せた顔、荒れた手、疲れた目。

けれど、その中に――まだ消えていない火がある。

藤吉郎は、わざと軽い調子で入った。

「やぁやぁ。寒いなぁ。長門の冬は、尾張より骨にくるわ」

ひとりが、むっとする。

「尾張の商人が何の用だ。ここは――」

「商人やない。……いや、商人でもある」

藤吉郎は笑って、懐から一枚の布告を書いた札を出した。

墨は新しい。字も、わざと読みやすい。

「狂犬お市様の布告や。まず、これだけは言うとく」

ざわ、と空気が動く。

藤林長門が低い声で添える。

「大内花菱の正統を保護し、その旗の下に集う者を“逆賊”とはせぬ、と」

「あの……姫君を、狂犬が?」

「そうや」

藤吉郎は、頷き、言葉を切った。

ここから先は、軽口では通らない。

「税の話をする」

その瞬間、全員の顔が上がった。

藤吉郎は指を一本立てる。

「水田一割。畑は無税」

室内が、一瞬止まり――次の瞬間、ざわめきが爆発した。

「一割だと!? 冗談か!」

「畑が無税!? そんな馬鹿な!」

「……毛利の間者が、甘い餌で釣る気だろう!」

あやめが、すっと前へ出た。

「餌なら、もっと甘くする。欲しいのは“釣り”じゃない。“戻る場所”」

「小娘が!」

「小娘です。だから嘘つくとすぐ泣きます。泣いて証明できない。――だから、嘘は言わない」

藤吉郎が、手で制した。

「分かる。疑うのは当然や。けどな、計算した」

彼は板に墨でさらさらと書く。

「水田一割ってのは、取りすぎへん。

取りすぎると百姓は逃げる。逃げたら田が死ぬ。田が死んだら兵糧が死ぬ。兵糧が死んだら戦が死ぬ。

――つまり、取りすぎる領主は、先に自分の首を絞めとる」

「……綺麗事だ」

「綺麗事やない。“商売”や」

藤吉郎は笑った。

「米は銭になる。銭は鉄になる。鉄は火縄銃になる。

戦国はな、夢と根性だけじゃ回らんのや。――勘定や」

後ろで長門が小さく咳払いをする。

「……藤吉郎殿、今のは少々言い過ぎです」

「え、どこが」

「“夢と根性”の部分が」

「そこは削ってええんかい」

場に、わずかな笑いが落ちた。

笑いが落ちると、人は少しだけ呼吸できる。

藤吉郎は続ける。

「畑が無税なのは、理由がある。

畑は“増やす”もんや。ここは今、畑を増やして人を増やして、町を太らせる段階や。

その代わり――」

藤吉郎は目を細めた。

「逆に言うと、水田は守ってもらう。水は命や。水路を荒らすやつ、盗むやつ、流すやつ、そこは容赦せん」

「……容赦せん、とは」

あやめが淡々と答える。

「まず捕縛。次に公開裁き。最後に“働かせる”。――人は殺すより、使う」

「怖いわ!」

藤吉郎が即ツッコミを入れる。

「おい、どこでそんな教育受けた!」

「姫様」

「……はい。姫様か。うん。姫様やな」

彼は諦めたように頷き、話を戻した。

「大内花菱の旗に集え、いうのは“情”やなくて“筋”や。

毛利は、陶を討って英雄扱いされとる。けど、それで西国が落ち着くか? 落ち着かん。

大友も同じ。火薬と銭で、心まで買おうとする。

ここで“筋”を立て直す。――大内が倒れたままじゃ、長門と周防はいつまでも火種や」

ひとりの男が、声を絞り出す。

「……それを、狂犬は本気でやるのか」

藤吉郎は、真っ直ぐに頷いた。

「本気や。

姫様は“優しい”とか“怖い”とか、そういう種類やない。――腹が決まっとる」

その言葉で、室内の空気が少し変わった。

疑いが消えたわけではない。だが、聞く耳が生まれた。

藤林長門が、静かに締める。

「この布告に従う者は、彦島城――狂犬堂彦島商館へ。

旗の下で登録し、家族を守る仕組みを作る。

武具の有無は問わぬ。畑でも、鍛冶でも、船でも、寺でもよい。

“戦に勝つ町”を作る」

「……町、だと?」

「城ではなく?」

藤吉郎は笑った。

「城は、壊れる。町は、残る。

関門を握れば、潮と人が運ぶ。人が運べば、銭が回る。銭が回れば、武器が揃う。

――全部、繋がっとる」

そのとき、外で太鼓の音が鳴った。

港の方から、怒鳴り声。

「火ノ山へ! 土を運べ! 縄を張れ!」

藤吉郎が顔を上げる。

「……始まったな」

火ノ山では、土が鳴っていた。

松平元康と酒井忠次が率いる旗本先手役二百のうち、百。

彼らは山の尾根を歩き、杭を打ち、縄を張り、石を選ぶ。

元康は足元の土を握り、指の間から落とした。

「砂が多い。だが締めれば固い」

忠次が頷く。

「関門は風が強い。土塁は厚く、角は丸く。崩れぬ形にします」

「……銭で農民を雇ったのは正解だな」

ふもとには、臨時の集積場。

銭で集めた農民、土木の職人、川浪衆の手伝いまで混ざり、息を白くしながら土を運んでいる。

ひとりの農夫がぼやく。

「殿様の工事ってのは、ふつう“働け”だけで銭が出ねぇもんだが」

別の男が笑う。

「狂犬は出すらしいぞ。しかも飯つきだ」

「飯つき!? それは……戦より怖いな。逃げられん」

「こら」

忠次が叱ると、男たちは慌てて頭を下げた。

元康は苦笑して言う。

「逃げぬでよい。働けば良い」

忠次が小声で耳打ちする。

「殿、その台詞……姫様に似てきましたな」

「似ておらぬ」

「似ております」

「似ておらぬ」

「――殿、今の言い方が一番似ております」

「……忠次、あとで酒抜きだ」

「えっ」

「冗談だ」

「冗談の刃が鋭い!」

ふたりのやり取りに、周りの旗本が笑う。

笑いは冷えた現場を温める。

それでも、土は冷たい。風は刺さる。

元康は山頂の先端に立ち、海峡を見下ろした。

潮が、白く泡立っている。

対岸の門司が見える。

ここに城塞が立てば、関門は“口”を握られる。

――海戦の時代。

姫様が言っていた言葉が、頭に響く。

「これからは海じゃ。海を握らねば、国は握れぬ」

元康は、深く息を吸った。

「火ノ山が立てば、彦島が生きる。

彦島が生きれば、赤間関が生きる。

赤間関が生きれば――」

忠次が続ける。

「西国の流れが変わりますな」

元康は頷いた。

「変える」

そのとき、ふもとから早馬が上がってきた。

息を切らし、口元に霜。

「殿! 彦島より! 藤吉郎殿が、大内の者どもを集め始めたと!」

忠次が目を細める。

「早い」

「早いから、勝つ」

元康は言い切り、手を振った。

「土を急げ。土塁の芯を今日中に作る。

狼煙台の柱を立てよ。

関門に――“見張りの目”を置く」

旗本たちが「はっ!」と声を揃える。

その瞬間、火ノ山の上に立つ彼らは、ただの工事ではなく、戦の入口に立っているのだと理解した。

夕刻、赤間関の港に戻った藤吉郎は、潮風を浴びながら呟いた。

「一割で、どれだけ人が動くか……見ものやな」

あやめが淡々と言う。

「動きます。人は希望に集まる」

藤林長門が苦笑した。

「……希望という言葉を、商人が言うとは」

藤吉郎は胸を張る。

「わしは“希望を売る商人”や」

「高い希望は売れません」

「うるさいわ!」

三人の背後で、港の灯が揺れた。

関門の夜は早い。

だが、夜が早いほど、朝も早い。

この地は、もう止まらない。

大内花菱の旗。

狂犬の旗。

そして火ノ山の土。

すべてが、同じ方向へ流れ始めていた。

祐筆・桃の日記

西暦1555年12月18日(弘治元年 十二月中旬)

今日の報せは、二つ。

ひとつは、藤吉郎さまが赤間関にて大内の人々へ声をかけ始めたこと。

「水田一割、畑は無税」――この一句が、どれほど重いか。

銭の匂いではなく、命の匂いがする言葉だと思う。

もうひとつは、元康さまと忠次さまが火ノ山で土を積み始めたこと。

銭で農民を雇い、工事を早める。

姫様のやり方は、いつも“速い”。

速いだけでなく、逃げ道も残す。

逃げ道があるから、人は踏ん張れるのだと、最近よく分かる。

彦島の旗が立ってから、町は混乱している。

けれど、その混乱は「崩れ」ではなく「組み替え」に見える。

姫様がよく言う。

「城は石ではなく、人で築け」

今日、火ノ山では土が積まれ、赤間関では人が動いた。

石より先に、人が城を作っている。

冬の潮は冷たい。

それでも、潮の流れだけは止まらない。

私の筆も、止めてはいけない。

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