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『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


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136話 猿渡川の戦い 軍神の火縄銃三段早合前進射撃

西暦1554年12月5日(天文23年 師走上旬・だいたい)昼前

冬の空気は、肺に刺さる。

霜の匂い、火縄の硝煙、汗の塩――全部が混ざって、戦場の昼前は「生きている証拠」みたいに臭い。

弓合戦は、終わった。

終わらされた。

今川の矢雨は、狂犬の野戦築城に吸い込まれた。

土嚢が矢を食べ、盾が音を殺し、狭間が人を守る。

人が残る。

残った人間は、撃てる。

大原雪斎は、歯を噛みしめる。

「……無傷、だと?」

狂犬の陣地は――削れていない。

削れないなら、潰すしかない。

雪斎は叫んだ。

「包囲を絞れ! 全軍、前進! 一気に踏み潰せ!」

太鼓が鳴る。

足音が地を揺らす。

15,000が“圧”になって押し寄せる。

その圧に、中央から――逆に“刃”が突き刺さった。

中央。

白頭巾で頭を包んだ長尾景虎。

藍色の特製南蛮鎧(お市様作)。

青鹿毛の雪風が、霜を蹴って一歩進む。

景虎の声は低く、冷たいほど落ち着いていた。

「元康。今から“中央突破”よ」

元康は、土嚢の向こうで息を呑む。

横にいるのが信じられない。軍神が隣で授業をしている。

「中央突破って……相手、5,000以上おるぞ……!」

景虎は、あっさり言った。

「だから、突破するの。

 多い方は、動きが遅い。

 多い方は、命令が届きにくい。

 多い方は、怖くて“止まれない”。止まれない軍は、射撃に弱い」

元康の喉が鳴った。

「……止まれない軍は、射撃に弱い?」

景虎は雪風の首筋を軽く叩く。

「止まれないから、隊列が詰まる。詰まるから、弾がよく当たる。

 ――火縄銃は、優しいの。正直者に当たる」

「優しいって言うな! 怖いわ!」

元康が突っ込むと、景虎が少しだけ口元を緩めた。

「大丈夫。怖いのは正常。

 正常な人は、準備が丁寧。準備が丁寧な人が勝つ」

景虎が、手を上げる。

火縄が赤く灯り、銃口が揃う。

「三段。早合。前進射撃。――始める」

火が走った。

音が割れた。

煙が広がる。

ドン。ドン。ドン。

三列の横陣が、波のように撃つ。

1列目が撃って下がる。2列目が撃つ。3列目が撃つ。

そして――また1列目が前に出る。

撃ち続ける。

止まらない。

止まらない撃ち方は、止まれない軍を溶かす。

今川中央が、ざわりと崩れた。

「な、なんだこの火力――!」

「弓が届く前に、鉄が飛んでくるぞ!」

雪斎の顔色が変わる。

“弓合戦で削る”が通じない。

“踏み潰す”が通じない。

なら――この中央の刃を止めねば、鶴翼陣そのものが裂ける。

その時。

前線で、狂犬お市様が一歩、前に出た。

凶悪なガントレット。

ド派手な鎧。

その上に、医師の白衣。

白衣の裾が、霜と硝煙に揺れる。

白は汚れる。汚れるほど、目立つ。

目立つほど、兵がついてくる。

お市様は、刀を抜く音を聞かせるみたいにゆっくり抜刀した。

「景虎姉上の前進を妨げる“邪魔”は、わらわが診る」

忍び6人と阿国が、ぴたりと呼吸を合わせる。

阿国が呟く。

「ほな、掃除の時間やな」

忍びが即ツッコミ。

「掃除じゃなくて排除です!」

「同じやろ、汚れ落とすねんし」

「言い方ぁ!」

お市様が笑った。

「阿国、口は後。手が先」

「はいはい、先生」

先生――その呼び方が、この戦場では妙にしっくり来た。

狂犬は、命を取るために前へ出ているのに、命を残す顔をしている。

右翼。

利家の200が、歯を食いしばって支える。

隊列が乱れる兵が出る。

弓を怖がって下がる者が出る。

利家の顔が一瞬、険しくなる。

「乱れるなァ! 背中を見せるな!

 ――おい! 死にたくなかったら、俺の背中を見ろ!」

誰かが泣きそうな声で言う。

「前田様ぁ! 矢がぁ!」

利家が怒鳴る。

「矢は土嚢が食ってる! 泣くなら勝ってから泣け!」

利家は怒っている。

怒っているのに、兵が前を向く。

その怒りが、兵の心を縫い止める釘になる。

左翼。

藤吉郎の200が、粘る。粘る。粘る。

藤吉郎は槍を握りながら、頭の中でお市様の意図を必死に組み立てている。

景虎の中央突破は“刃”。

利家と自分は“刃を折らせない支え”。

元康の土嚢は“命を残す箱”。

慶次は“箱の上から敵の目を潰す指”。

藤吉郎は叫ぶ。

「踏ん張れえええ! ここ抜けたら、景虎姉上の授業が終わってまう!

 終わったら――テストやぞ!!」

兵が一斉に叫んだ。

「それが一番怖えええ!!」

藤吉郎が即ツッコミ。

「怖がるとこ、そこちゃうわ!!」

後備遊撃。

慶次の200が、弓で火縄隊を補助する。

煙の向こう、今川の指揮官格に狙いをつけ、矢を飛ばす。

火縄の“間”を埋める。

敵の“勢い”を削る。

慶次が笑う。

「景虎姉上の授業、えらい受講生多いなぁ。

 ……ほな、追試ついし落とすか」

誰も笑えない冗談を言って、本人だけ楽しそうに矢を放つ。

その頃。

緒川城港。

早船が無数に集まっていた。

帆が並ぶ。櫓が鳴る。

降りてくるのは――織田の兵。

武田信虎が、遠くからその動きを見て、片目を細めた。

「……信長か。まさか……釣り野伏つりのぶせか!」

虎春が団子の串を握りしめたまま、目を輝かせる。

「父上、あれが“釣り野伏”ですか!」

小虎が即ツッコミ。

「団子食べながら言うな! 武田の兵術、軽い!」

信虎が渋い顔をしつつ、口の端だけ上げる。

「甘味は正義じゃ。兵法も正義じゃ。

 正義は両立する」

小虎がため息をつく。

「父上、強いのか弱いのか分からん……」

刈谷城。

矢倉の上。

柴田権六勝家が、眼下の狂犬お市様を見ていた。

推し活中の目だ。

戦場でしていい目ではない。

「姫様……!」

勝家の声が震える。

武者震いか、推し震いか、本人も分かっていない。

「権六、ただいま参る!!」

城門が開く。

勝家が1,000を率いて出撃――今川右翼へ突撃。

「道を開けろおおお!!

 織田の槍は、礼儀正しいぞ! 通る時は“貫く”だけだァ!!」

部下が叫ぶ。

「礼儀の使い方が間違ってます!!」

勝家が怒鳴り返す。

「黙れ! 姫様が戦っておられる! それが礼だ!!」

もはや理屈ではない。

だが戦場では、理屈より“圧”が勝つことがある。

勝家の突撃は、右翼を揺らした。

雪斎が、焦る。

「……っ、織田の後詰めだと!? この段階で!?」

焦りは伝染する。

伝染した瞬間、軍は“崩れ方”を選べなくなる。

そして中央。

景虎の三段早合前進射撃が、さらに一歩、前へ。

景虎は元康へ、淡々と続ける。

「見て。中央が割れ始めた。

 割れたら、鶴翼は“翼”じゃなく“布”になる。布は裂ける」

元康が叫ぶ。

「姉上、分かりやすい例えやけど、今それ言う!?」

景虎は涼しい。

「戦場は、理解が遅い者から死ぬ」

元康が泣きそうになりながら前を見る。

「……今日だけで、学ぶこと多すぎるわ!!」

景虎が少しだけ笑う。

「大丈夫。今日の授業は“勝ち方”だけ。

 負け方は教えない」

その言葉が、なぜか元康の背骨をまっすぐにした。

そして――前列。

お市様が、白衣の袖を一度払う。

血がつかないように、ではない。

ついても構わないが、迷いを払うために。

お市様が号令をかけた。

「――わらわに、ついてこい!

 ゆるり、ゆるり。前進するぞ!」

“ゆるり”が恐ろしい。

狂犬の“ゆるり”は、確実に首へ近づく歩幅だ。

太鼓。銃声。悲鳴。

その全部の上に、狂犬の声が乗った。

決戦は、さらに深く――切り込んでいく。

狂犬記(巻末日記)

天文23年 師走上旬(12月5日・昼前)

弓は土嚢が食べた。

それで、わらわの兵は残った。

残った兵で、勝ちを積む。

雪斎が包囲を絞り、全軍前進を命じた。

焦りの命令は、速い。

速い命令は、雑になる。

雑な軍は、火縄に弱い。

景虎姉上の三段早合前進射撃。

鉄の雨ではない。鉄の嵐だ。

嵐は、数が多い方から折れる。

人は多いほど、互いの背中を押して止まれなくなる。

止まれない軍は、撃たれ続ける。

姉上は戦場で元康に講義していた。

あれは軍神の癖だ。

だが――元康は、聞く力がある。

聞ける者は、伸びる。

三河の未来は、伸びる。

わらわは、鎧の上に白衣を着て抜刀した。

医者が白衣を着るのは、命を見失わぬため。

戦場は血で目が濁る。

白を着ていれば、血がよく見える。

よく見えれば、迷いが減る。

緒川の港に早船が集まり、織田の兵が降りた。

勝家が突撃した。推し活の目で。

戦場で推し活をする男ほど、厄介で頼もしいものはない。

雪斎が焦った。

焦りは勝手に増える。

増えた焦りは、敵の足を揃えてくれる。

揃った足は、撃ちやすい。

――あとは、崩すだけ。

狂犬記・桃

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