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『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


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130話 遠江・引馬城下の甘味と老兵学者

西暦1554年11月21日(天文23年 晩秋)

遠江・引馬城下。

朝靄が引き、城下町に人の声が戻る頃――

一軒の団子屋だけが、やけに賑わっていた。

「……ほう。今日も、よく焼けておる」

軒先に腰を下ろし、団子串を回しながら眺める老人が一人。

その眼は、歳相応に濁っているようでいて、

戦場の「流れ」だけは、未だに正確に掴んでいた。

武田信虎。

元・甲斐守護。

今は、追放されて十四年――

駿河、遠江を流れ歩く、武田流兵術の生き字引である。

「父上、みたらし! こっちのみたらし!」

「兄上、小豆団子は一本ずつじゃ。戦じゃあるまいし、取り合うでない」

隣では、

十二歳の虎春と、十一歳の小虎が、

狂犬印の団子を手に、年相応に騒いでいる。

「……まったく。

 戦場では、あれほど静かに敵を見よと申しておるのに、

 団子を見ると、この有様じゃ」

そう言いながら、信虎自身も一本手に取る。

――甘い。

――柔らかい。

――そして、腹に溜まる。

「……ふむ。

 やはり狂犬の商いは、腹を満たすところを外さぬ」

この団子屋も、狂犬堂の手が入っていた。

米の仕入れ、醤油の配合、炭の質。

どれも、戦に耐える補給目線で組まれている。

「父上、今川の兵、増えてますね」

虎春が、団子を齧りながら視線を城下へ向ける。

道を行き交う足軽、槍、荷車。

「……ああ。

 だが、重い」

「重い?」

「数はあれど、足が揃っておらん。

 遠江での徴発が上手くいっておらぬ証じゃ」

小虎が、首を傾げる。

「でも、兵は多いよ? 怖くない?」

信虎は、ふっと鼻で笑った。

「怖いのはな、小虎。

 兵が少なくても、腹が満ち、道が整い、逃げ道が用意されておる軍じゃ」

「……狂犬?」

「そうじゃ」

信虎は、団子を一本食べ終え、串を置いた。

「今川は、走り出してしまった。

 だが、狂犬は……歩いておる」

そのときだった。

城下を歩く今川兵の隊列が、

団子屋の前で、ふと乱れた。

荷車が詰まり、声が荒くなる。

「……ほれな」

信虎の声は、静かだった。

「兵は数ではない。

 “揃っているか”じゃ」

虎春と小虎は、無言で頷いた。

しばし沈黙。

甘味と、土と、鉄の匂いが混じる。

「父上」

虎春が、意を決したように口を開く。

「……あの話、本当ですか」

「……何の話じゃ」

「木下藤吉郎という男が、

 狂犬殿の名代で、父上を誘いに来たと」

信虎は、少しだけ目を伏せた。

「ああ。

 数ヶ月前にな」

「一万貫、だと?」

「そうじゃ」

虎春は、言葉を失った。

小虎も、団子を口にしたまま固まる。

「……破格も破格じゃ」

「兵学を教えるだけでよい、とな」

「……なぜ、断ったのです」

信虎は、しばらく黙っていた。

そして、ゆっくりと言った。

「――武田じゃからじゃ」

二人は、黙る。

「わしは、武田宗家を継がぬ。

 だが、武田流兵術を“売る”気もない」

「でも……」

「小春には、楽をさせてやりたい。

 そなたらにも、苦労はさせたくない」

そこで、信虎は空を見た。

「……だがな」

「?」

「狂犬は、兵法を“使う側”じゃ。

 わしは、兵法を“残す側”じゃ」

静かな断言だった。

「今は、まだ、交わる時ではない」

遠くで、法螺の音が一つ鳴った。

今川の陣が、また一つ動く。

信虎は、最後の団子を口に放り込む。

「……甘味は正義じゃ。

 戦の前ほど、甘いものは旨い」

虎春と小虎は、顔を見合わせ、

小さく笑った。

戦は、近い。

巻末記録

狂犬記(作者・桃)

天文23年 十一月二十一日

引馬の団子屋にて、

武田信虎殿を遠くより見る。

老いたれど、眼は死なず。

兵を見る目、城を見る目、民を見る目、

どれも未だ刃のよう。

虎春、小虎。

良い子らじゃ。

兵法を“力”ではなく、“理”として受け取っておる。

藤吉郎が誘ったと聞く。

断ったとも。

――それでよい。

信虎は、今はまだ、

狂犬の犬になる男ではない。

だが、

武田流が戦場に現れる日は、近い

その時、

敵であれ味方であれ、

日の本の戦は、もう一段階、変わる。

団子は甘かった。

戦は苦い。

されど、

甘味を知る者ほど、

戦の苦さを、正しく量れる。

今日は、それでよい。

――桃

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