129話 旗三つ、歌一つ
西暦1554年11月20日(和暦:天文二十三年 十月下旬ごろ)
尾張・鳴海城 → 三河・刈谷城
朝の空気が、冬へ傾きはじめていた。
鳴海城の馬場に立つと、土の匂いが冷えて、鼻の奥が少し痛い。吐く息が白い。
なのに――馬場に集まった者たちの体温だけは、やけに熱い。
「集まれえええええっ!」
法螺貝が鳴った。
それは音というより、命令だった。腹の底に響き、眠気も迷いも引き剥がす。
狂犬お市様は、いつもの場所に立っていた。
主将の位置。誰も文句を言えない位置。
そして、その背に翻る旗が――まず派手だ。
ド派手な狂犬旗。
見るだけで「逃げるな」と言われている気分になる。
その隣に、白地に「毘」。景虎姉上の旗。
さらに隣に、白地に葵。松平元康の旗。
三つの旗が並ぶだけで、空気が変わる。
尾張の武と、越後の軍神と、三河の未来。
誰が見ても“連合”だ。
そして同時に、今川から見れば――胃が痛くなる見世物だ。
馬場では、各隊が手早く整列していく。
槍隊、弓隊、火縄銃隊、犬かき衆、愛部二百。
その背後で、荷駄が動き、馬が鳴き、声が飛び交う。
「槍の穂先、布巻け! 雨上がりは滑る!」
「火蓋は乾いてるか! 早合は数を数えろ、数!」
「おい、そこの袋! それ“味噌”じゃなく“硝石”だ! 死ぬぞ!」
戦の準備は、いつだって“生活”に似ている。
米と味噌と火と水。
足りないものが一つあれば終わる。
だから、兵站が要になる。
そして、兵站を回している者たちが――今日の鳴海は強い。
補給兵站は、寧々と浅野一族。
それに、まつと前田一族。
鳴海から刈谷まで。
距離も、道の癖も、村ごとの顔ぶれも把握している連中だ。
戦場で一番怖いのは敵ではなく、腹が減ることと、矢玉が足りないこと。
その“最悪”を、先に潰してくれる。
寧々は帳面を抱えたまま、兵に指示を飛ばしていた。
口調は柔らかいのに、内容が鬼だ。
「はい、そこ、二刻ごとに水を回す。喉が渇いたら終わりやで」
「火薬は湿気が敵や。袋の口、きっちり縛って」
「怪我したらね、すぐ言い。言わんかったら、私が後で殴る」
浅野一族が「それは治療じゃなく制裁です」と真顔で返し、
寧々が「戦場では同じや」と笑った。
まつはまつで、前田一族を動かしながら、道の先を見ていた。
強い目をしている。兵站という名の血管を、止めない目だ。
「鳴海〜刈谷、道中の“疲れ”が出る地点、分かってるやろ?」
「そこに塩と粥。甘い物も少し。兵は子供と同じや、機嫌で動く」
前田の者が「姫さま、それ戦国あるあるでございますな」と頷き、
まつは「うんちく言う暇あったら運べ」と切り捨てた。
そういう雑味のある会話が、むしろ士気を上げる。
人は、笑えるときに強い。
伊賀のくのいち六人――さくら、あやめ、せつな、こゆき、つらら、みぞれ。
それに、犬神阿国。
彼女たちは隊列の外側、影の位置を歩く。
お市様の護衛と、景虎姉上の護衛。
護衛とは、刃で守るのではない。
“異変が起こる前に空気を切る”ことだ。
阿国が、歩きながら小声で言った。
「なぁ……旗が三つ並ぶって、こんなに目立つんやな」
せつなが即座に返す。
「目立たせたいんでしょ。狂犬様だよ?」
あやめが淡々と補足する。
「目立つほど、敵は判断を間違える」
さくらが、にこっと笑う。
「判断を間違えたら、勝ち。忍びはそれでご飯食べてる」
つららが「私はご飯も好き」と言い、
みぞれが「私はおでん派」と言って、場がわずかに和む。
(戦国の小ネタ:忍びも寒いと腹が減る。腹が減ると機嫌が悪い。機嫌が悪いと仕事が荒い。だから補給は正義。)
軍は一路、刈谷城へ入る。
進軍は速さだけが正義ではない。
隊列が崩れず、荷が遅れず、心が折れない速度――それが“強い進軍”だ。
その道中、お市様は――景虎姉上の横で三味線を弾いていた。
ゆっくり。ゆっくり。
歩幅に合わせて、弦が鳴る。
歌も混じる。
兵が、つられて口ずさむ。
誰かが言った。
「……戦に行くって感じがせん」
別の者が返す。
「戦に行くんだよ。だから歌うんだろ」
「怖ぇから」
「怖ぇのを、怖ぇまま運ぶと折れる。歌で薄めるんだ」
景虎姉上は、馬上から隊列を眺めていた。
白地の「毘」が風に鳴る。
軍神の目は冷たい――のに、どこか柔らかい。
「……よい」
小さく、景虎姉上が言う。
その一言だけで、周囲が背筋を伸ばした。
この人は、戦場を“絵”として見ている。
兵の密度、道の幅、風向き、恐怖の流れ。
諸葛亮が赤子扱い? 冗談じゃない。
この姉上は、敵の呼吸の癖まで読みに来る。
そして元康の葵の旗は、まだ少し揺れている。
新しい旗だからではない。
旗を見上げる兵の心が揺れているのだ。
――だが、それでいい。
揺れながら進むのが、国が始まる時の足音だ。
刈谷が近づく。
猿渡川の野原が近づく。
土嚢が、積まれないまま待っている。
戦は、まだ始まっていない。
だが、すでに始まっている。
狂犬記(作者・桃)
天文二十三年 十月下旬/同日 夜 刈谷入り前
法螺貝を吹いた。
あれは儀式だ。兵の背骨を一本にする音。
旗を三つ並べたのは、見栄ではない。
敵の胃を痛くするためだ。
胃が痛い者は、判断が遅れる。
判断が遅れる者は、必ず負ける。
これは医術と同じだ。原因を作り、症状を出させ、動けなくする。
景虎姉上の「毘」の旗が隣にあるだけで、兵が勝手に強くなる。
人は“伝説”を食べて動く。
そして元康の葵は、未来を食べて動く。
葵はまだ若い。だから揺れる。揺れていい。折れなければ。
兵站は寧々と浅野、まつと前田。
私の戦は、刃だけでは勝たぬ。
腹と足と帳簿で勝つ。
寧々が帳面を抱えたまま兵を殴ると言ったらしい。
よい。戦場の愛はだいたい暴力だ。
伊賀の子らと阿国は、影で笑っていた。
笑える護衛は優秀だ。
怖さを抱えたまま笑える者は、折れない。
そして私は、景虎姉上の横で三味線を弾いた。
歌は、兵の心を揃える“縄”だ。
縄が切れた軍は散る。
散った軍は、どれだけ武勇があっても畑の肥やしになる。
ゆっくり進んだ。
急げば崩れる。
崩れれば負ける。
勝つ軍は、勝てる速度で歩く。
刈谷の野原には土嚢がある。
積まない土嚢。
あれは“城の種”だ。
戦の瞬間に芽吹かせる。
私は今日、兵が歌を口ずさんでいるのを見て、少し安心した。
恐怖があるのに、歌える。
――それは強い。
さて。
次は、積む。
積むのは土嚢ではない。
勝利だ。
(狂犬記・作者 桃)




