表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

112/150

110話 いたち捕物帖 ――仙桃院の影――(庭の月、三味線の糸)

西暦:1554年5月10日 夜

和暦:天文二十三年(1554年)四月十五日 夜

(卯月半ば・晩春/堺の夜は潮の匂いが薄く甘い)

場所

堺・藤屋(伊賀忍び商家)/庭

 蔵の内鍵が外され、板戸が静かに開いた。

 夜気がすうっと流れ込み、灯りの匂いを薄めていく。

「もうよいじゃろ」

 狂犬お市様は、あくまで穏やかに言った。

 簀巻きのままの“いたち”――飛び加藤を、藤屋の庭へと運ばせる。

 庭は、堺らしく整い過ぎず、だが隙がない。

 砂利の白、苔の黒、石の冷え。

 見上げれば、月が一枚、雲の薄衣をまとっている。

 伊賀上忍の面々は、輪を作らず、距離を置いて配置した。

 百地こゆきは、犬みたいな鼻で、庭の風を嗅いでいる。

「……油、鉄、汗、あと……南蛮の酒。こいつ、港にも出入りしとるな」

 つららが目を細める。鷹のような昼の視線、梟のような夜の視線。

「逃げ道、三つ。全部塞いである。庭に出したほうが、話は早い」

 みぞれは笑って、でも目だけは笑っていない。

「縄抜け名人? なら縄を抜ける前に心を抜く。……冗談や、冗談」

 せつなが「冗談の顔してへんわ姉上」と即ツッコミする。

 さくらは、気を張ってるのに天然で、つい口が漏れる。

「でも……姉上たち、こわいけど、かっこいい……」

「あんたは褒め方が犬っぽいのよ」あやめが早口で言った。

 景虎姉上は、簀巻きの飛び加藤を見て、唇を噛む。

 怒りでも、憎しみでもない。

 もっと複雑な――“過去に縛られる痛み”の顔だった。

 その横で、お市様だけが、異様に落ち着いている。

 まるで診療所の夜と同じ。

 ただし、ここは戦場でもある。

 お市様は、女中に目配せし、包みを持って来させた。

 包みの中から出てきたのは――三味線。

 しかも、津軽の、胴がよく鳴るやつだ。

 伊賀の忍びたちが一瞬だけ目を丸くする。

「姫様、なにを…」長門が小さく言う。

 お市様は、にこりともしないまま座り、糸を確かめた。

 ぽろん。

 庭の空気が一段、静かになった。

 音は刃より目立つ。だがこの場では、音こそが刃になる。

「天才」への処方箋

 お市様は、三味線を抱えたまま、飛び加藤に言った。

「飛び加藤よ。そちは、天才と申したな」

 飛び加藤は、憎々しげに笑う。

「……自称だ。文句あるか」

「ある」

 お市様の声は淡い。だが、刺さる。

「ここにおる伊賀の上忍につかまり、まだ天才と言うか」

 飛び加藤の肩が、わずかに跳ねた。

 こゆきの鼻が、ぴくりと動く。

「今、心臓が速なった。……姫様、刺さりましたわ」

「報告せんでよい」つららが秒で止める。

「いや、つい」

「つい、やない」

 お市様は、その小さなやりとりさえも受け止めて、続けた。

「お主、いつまで仙桃院に“よゐこ、よゐこ”してもらう気じゃ」

 飛び加藤の目が揺れた。

 景虎姉上の視線が、苦く落ちる。

「……黙れ」

「黙らぬ」

 お市様は、三味線の糸を、ゆっくり鳴らす。

 ぽろん、ぽろん。

「孤児ゆえ、母が欲しかったのか」

「……っ」

「仙桃院に、歪んだ愛を刷り込まれているの、わからなかったのか」

 飛び加藤の口が開きかけ、言葉にならない音が漏れた。

 強がりの皮が、ふっと薄くなる。

「そ、そんなことは……」

 そこで声が震えた。

 震えたことに気づいて、本人が一番驚いた顔をした。

「……違う、私は、私は――」

 涙が、落ちた。

 最初は一滴。次に二滴。

 やがて堰が切れ、飛び加藤は、簀巻きのまま泣きわめいた。

 庭の夜に、女の泣き声が刺さる。

 誰も動かない。

 動けば、泣き声は武器になる。

 だからこそ、お市様は“動かない”まま、次の言葉を出す。

狂犬の契約

「歪んだ愛じゃな」

 お市様は、きっぱり言い切った。

 だが、突き放しではない。

 診断書を書くときの、冷静さだ。

「そちは、認めてもらいたいのじゃろ。己自身を」

 飛び加藤は、嗚咽で返事にならない。

 お市様は、三味線を鳴らしながら、淡々と提案を置いた。

「わらわが、よゐこよゐこしてやるぞ」

 こゆきが小声で「姫様、その言い方、妙に怖い…」と漏らし、

 みぞれが「褒め殺しの術やな」と笑う。

 つららが即座に言う。

「笑うな。ここは診療だ」

 お市様は続ける。

「雇うてやろうか。千貫で雇うぞ」

 その瞬間、飛び加藤の泣き声が止まった。

「……せ、千貫?」

 反射で出た声が、自分でも滑稽だったのか、また泣きそうになる。

「名を変えよ」

「……え」

「飛び加藤は、仙桃院の鎖の名じゃ。新しい名を持て」

 景虎姉上が、息を呑む。

 お市様は、姉上に視線を向けず、あくまで飛び加藤に語りかけた。

「わらわは三ヶ月に一度、ライブをやる。民衆の前でな」

「……らいぶ?」

「歌うて、踊って、売って、笑わせて、泣かせて、最後は“買わせる”」

 さくらが目を輝かせる。

「姫様のライブ、心が燃えます!」

 あやめが冷静に叱る。

「今燃やすのは火薬庫じゃない。落ち着け」

 お市様は、三味線をぽろん、と鳴らした。

「わらわは、民衆に認めてもらっておる。

 ここにおる伊賀上忍も、わらわの忍びも、みな表で働き、認めてもらい、裏はついでじゃ」

 飛び加藤は、涙で濡れた顔を上げた。

「そちは、裏ばかりじゃろ?」

「……っ」

「表に出て、認めてもらえ」

 その言葉は、甘い救いではない。

 逃げ道でもない。

 働け、責任を持て、名を晒せ――という、重い処方箋だ。

 だからこそ、効く。

弾き語り

 お市様は、夜気の中で、歌い始めた。

 声は小さく、しかし輪郭がある。

 庭の石が、砂利が、木の葉が、その声を受けて静まる。

「♪ 影に生きれば 影に食われる

  名を捨てたなら 心も捨てる

  よゐこ よゐこ と撫でられて

  骨まで借り物 それでよいのか ♪」

 飛び加藤の目が、また揺れた。

 景虎姉上が、わずかに肩を落とす。

 その歌は、飛び加藤だけに向けた歌ではない。

 仙桃院の影に縛られた景虎姉上にも、刺さっている。

 お市様は、最後に一音、強く鳴らした。

 じゃん。

「さあ、答えよ。

 仙桃院の影で終わるか。

 狂犬の庭で、表に出て生き直すか」

 飛び加藤は、簀巻きのまま、土下座もできない格好で、かすれ声を出した。

「……こわい」

「そうじゃろうな」

「でも……」

「でも?」

「……表に、出たい」

 その瞬間、みぞれがニヤリとする。

「はい、採用。……いや、姫様の判断か」

 つららがため息。

「姉上、軽い。けど、まあ……良い兆し」

 こゆきが鼻を鳴らす。

「嘘の匂い、今は薄い。泣き方は本物や」

 景虎姉上は、目を閉じて、静かに息を吐いた。

 怖いものが、少しだけ小さくなった顔だ。

 お市様は、三味線を置き、立ち上がった。

「簀巻きはほどけ。だが縄は付けておけ。信用は薬と同じ、量がいる」

 命令は医者の命令。

 優しさではなく、管理。

 だが、管理は支配と違う。

 それを分ける線が、お市様の手にはある。

◉狂犬記 作者・桃(日記)

天文二十三年(1554年)四月十五日 夜

堺の藤屋の庭で、姫様は三味線を弾いた。

今日は刀より音のほうが怖かった。

いたち(飛び加藤)は、泣いた。

泣く姿は、盗賊ではなく、子どもみたいだった。

姫様は“心の医者”として、相手の弱いところを正確に見つけて、そこに薬を置く。

でも薬は甘くない。飲めば生き方が変わる。

景虎姉上は、ずっと黙っていた。

その沈黙のほうが、私は胸が痛かった。

仙桃院という人は、姿が見えないのに、確かにここにいる。

影だけで人を縛るのは、いちばん厄介だ。

明日、姫様が何をするか、もう分かる。

“影”を断つには、根を探して、根元から抜くしかない。

私は祐筆として、震える手で筆を握る。

姫様の戦は、もう始まっている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ