表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

105/150

103話 堺の夜に ――商いの灯、心ほどける刻

西暦:1554年5月5日 夕方

和暦:天文二十三年(1554年)四月十五日 夕刻

場所

堺・藤屋(伊賀忍者商家)

 夕刻の堺は、昼の喧騒を脱ぎ捨て、商いの町らしい静かな熱を帯びていた。

 行灯が一つ、また一つと灯り、通りには海風に混じって煮炊きの匂いが流れる。

「……ここが、堺」

 景虎姉上は、思わず足を止め、町並みを見上げた。

 越後の城下とも、京とも違う。

 武でも権威でもなく、“銭と人”が主役の町。

「そうじゃ。戦の匂いが、せぬ町よ」

 お市様は穏やかに答え、姉上の歩調に合わせる。

 尼姿を脱ぎ、狂犬織の着物に身を包んだ景虎は、町の視線に少し緊張しながらも、確かに――好奇心の光を宿していた。

 今宵の宿は、伊賀忍者商家・藤屋。

 暖簾をくぐると、すでに座敷には支度が整えられ、香ばしい焼き魚と出汁の匂いが漂う。

「これはこれは、ようこそお越しくださいました」

 深く一礼したのは、藤屋当主・藤林長門。

 老獪さと柔らかさを併せ持つ、伊賀者らしい眼差しである。

「此度は世話になる」

 お市様が応じると、長門はすっと隣の景虎を見る。

「……こちらが?」

「わらわの姉上じゃ」

 その一言に、長門は多くを問わなかった。

 ただ、もう一段深く頭を下げる。

「ごゆるりと。堺の夜は、長うございますゆえ」

 座敷ではすでに――

「おお、これは……南蛮焼きか!」

 前田慶次が目を輝かせる。

「兄上、はしゃぎすぎ」

 あやめが即座に突っ込み、

「まあまあ、旅先じゃし」

 さくらが笑い、

「……食べ過ぎは、よくない」

 せつなが淡々と釘を刺す。

 そのやり取りに、藤屋の女中たちがくすくすと笑った。

 景虎は、少し離れた席でその光景を眺めていた。

 ――誰も、怒鳴らぬ。

 ――誰も、怯えぬ。

「姉上、冷めぬうちに」

 お市様が器を差し出す。

 景虎は箸を取り、一口。

「……うまい」

 ぽつりとした言葉に、お市様は微笑んだ。

「堺の飯は、人の腹と心を満たす」

「……越後では、

 飯は力のために食うものじゃった」

 景虎の声は、静かだった。

「ここでは、違うのう」

「違うとも」

 お市様は酒を一口含み、ゆっくりと続ける。

「生きるために食い、

 楽しむために笑い、

 人と人で、町を回す。

 それが、堺じゃ」

 景虎は、膝の上で拳をほどいた。

 ――胸の奥にあった、固い何かが、

 少しだけ、ほどけていく。

「……妹よ」

「なんじゃ、姉上」

「わらわは……

 ここに来て、息がしやすい」

 お市様は、何も言わず、ただ杯を差し出した。

 杯が触れ、かすかな音を立てる。

 堺の夜は、深く、優しく、二人を包み込んでいった。

―― お市様の日記(狂犬記・作者桃)

天文二十三年 四月十五日 夕

堺にて。

姉上、初めて笑いながら飯を食う。

人は、戦では治らぬ。

場所と役割と、居場所が要る。

堺の灯は、やさしい。

今宵、姉上の心、ひとつ解けたり。

よし。

この旅、正解じゃ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ