episode7 蒼家の朝は騒々しい
日曜日の朝、いつもならお昼頃まで惰眠を貪り怠惰な一日を過ごす僕だったけど、今日は横島先輩に半ば強引に押し付けられた遊園地への取材のため朝から出掛ける準備を始めていた。
天気はあいにくの晴れ。もし雨が降っていたのなら中止をすることができたのに、と恨めしく思いながら、僕はウォークインクローゼットに掛けられた数多くの衣類の中から今日着るものを物色していた。
「さてと……どれを着ていこうか?」
そう独り言を呟きながら、ハンガーに掛かった服をあれこれと物色する。
休みの日の取材とはいえ、あまりラフすぎる格好はどうなんだろう。かといってあまり畏まった服では遊園地の取材には不向きだ。となると……。
「文春ー。朝ごはんできたよーって、何してんの?」
「夏姉ちゃん、ノックしてっていつも言ってるよね」
服の物色をする僕の前に現れたのは、1つ上の姉で今年から大学に通っている蒼夏目だ。
「知らないよそんなの。妹が姉に文句言うもんじゃないわよ」
「僕は弟だよ」
夏姉ちゃんは僕のことを一瞥し。
「なに? 服選んでんの? あんたにしては珍しいわね。流星君や有紀ちゃんと会うだけでしょ? いつものでいいんじゃない」
「いや、今日は部活動の女子二人と遊園地へ取材に行くからさ。いつものラフな格好は控えた方がいいか――」
「はあ!? あんたが有紀ちゃん以外の女子とデート!?」
家中に夏姉ちゃんの甲高い声が響き渡る。
なぜそこで有紀の名前が出てくるんだろうか。
「デートじゃなくてしゅ・ざ・い! ただの部活動の一環だよ」
「いやいやいや! いやいやいやいや! 男一人に女二人でもデートは成立するだろ! うっわー、身内がハーレムしてるとかマジ痛いわ」
「言いたい放題だな」
「つか、私はてっきり有紀ちゃんとだと思ってたけど。まあ、あんたカスだからね。顔は美少女のクセして。いや美少女だからこそか」
「マジで言いたい放題だな!」
はあ。夏姉ちゃんは人の話しもロクに聞かず、自分で妄想ふくらませて話しを進める節があるから疲れる。
「しかたない。お姉ちゃんがあんたを蒼家の恥さらしと呼ばせないようにしっかりコーディネートしてあげますか!」
「ええ!? やだよ! 夏姉ちゃんの選ぶ服って女の子が着るようなやつばっかじゃん! 僕はもう少し男っぽいのがいいの!」
「そんなもの家にあるわけねーだろ! あんたの服買ってきてんの私とお母さんだぞ! そんな『漢!』みたいな服なんて買うわけねーだろ!」
「別に『漢!』みたいな服にこだわらなくていいよ! 無難なのでいいの! てかやっぱ狙って女物っぽい服選んでたのかよ! もういい! 今から秋兄ちゃんの部屋に行って服借りてくる!」
「あんたの身長じゃ兄ちゃんの服は絶対似合わない! いいから黙って私の選んだやつを着ていけ!」
「いやだぁッ! 秋兄ちゃんの服がいい!」
僕は夏姉ちゃんを振り切って部屋を飛び出そうとした。が、瞬時に腕を掴まれ動きを止められる。
「いいからお姉ちゃんの言うことを聞けえええええぇぇぇっぃぃぃぃぃ!」
家中に響き渡る夏姉ちゃんの奇声に驚いたのか、もう一人僕の部屋に入ってきたのは。
「秋兄ちゃん! 助けて!」
「げっ! アキにい!」
僕らの前にのっそりと出てきたのは社会人で長男の蒼秋永だ。夜にバーテンダーの仕事をしているので基本日中は家にいて、両親に代わって家事全般をしている僕の頼れるお兄ちゃんだ。
「日曜の朝っぱらから何騒いでんだ? 近所迷惑になるぞ」
「秋兄ちゃん! 服貸して!」
「やめろ! こいつは私の選んだ服でデートに行くんだ!」
「はあ?」
夏姉ちゃんと僕が取っ組み合いを始める様子を見て、秋兄ちゃんは呆れた顔をする。
「デートって、文春に彼女でもできたんか?」
「ちがうよ! 僕はただ今日部活の取材で遊園地に行くって話しを姉ちゃんにしただけなの!」
「おい! 女子二人とをつけ忘れるんじゃないわよ! これはもうデートだろ!」
「ちがうわい!」
秋兄ちゃんは少し『うーん』と考える素振りをしたところで。
「それはデートじゃね。羨ましい」
「ええ!? 秋兄ちゃんもそう思うの!?」
どうやらこの家に僕の味方はいないらしい。
「そうじゃろがい! あんたはもうちょっと自分のビジュアルとそのめんどくせえ性根に向き合いなさい! ラブコメのカスがッ!」
「そっちもそっちでめんどくせえわ! 弟に優しい姉であって!」
「無理ッ!」
「即答かよ!」
秋兄ちゃんは『うーん』とまた少し考えると。
「よし、ちょっと待ってろ」
そう言って自室へ戻っていった。
数分後。部屋から戻ってきた秋兄ちゃんの手にはいくつかの服が握られていた。
「ほらよ」
手渡された服を見るとそれはいかにも男物といったテイストのもので、どこか安心するものだった。
「ありがとう! じゃあ僕は急いで着替えてく――」
「させるかボケぇ!」
手渡された服は清流のごとくそれはもうなだらかな手つきで夏姉ちゃんによって窓の外に投げ捨てられた。
「あ――――ッ! 俺の服が――――――ッ!」
「普通そこまでするか!?」
荒れ狂う姉は僕にコブラツイストをかけると。
「だまって! 私の! 選んだ服を! 着ろッ!」
「ひっひぃぐううぅぅ! に、にいちゃ」
「……あきらめろ」
そう言った秋兄ちゃんは『あれ高いのに』と呟くと足早に部屋を出て行った。
「む、無念ッ」
「オール・フォー・私!」
その後、なんとか夏姉ちゃんの絞め技から解放された僕は自室で着替えを済ませる。
はあ……やっぱこうなったか。
スタンドミラーに映った自分の姿を見て溜息をつく。そこに映っていた僕の姿はご想像の通りボーイッシュな女の子といった感じだった。
「これはこれで恥ずかしいんだよなあ」
とりあえず少しでも男の子っぽさを演出しようとスポーツキャップを被ってみたが、ただのソロキャンプ女子みたいな無難な姿になっただけだった。
改めて思ったけど、僕って男なのになんで女っぽい服が似合うんだろ? いや、まあ確かに昔から『可愛いね』とか『女の子みたい』とは言われてたけどさあ。でもそれって褒め言葉じゃないよね!?
足早にリビングへと向かうと夏姉ちゃんがソファーに座ってテレビを見ながら寛いでいた。その隣では秋兄ちゃんもテレビを見ていたけど、僕に気づくと『おっ』と言って話しかけてきた。
「なかなかいいんじゃねえか? さすが俺の自慢の妹だな」
「弟だって」
『わりぃわりぃ』と意地悪な笑みを浮かべる兄ちゃんの横で夏姉ちゃんは『うんうん』と職人のように腕を組んでうなづいていた。
「…………姉ちゃんさ、デートだと思って服選ぶんだとしたらこうはならなくない? 普通はもうちょっとオシャレな男子高校生みたいな感じにならない?」
「自分で服買ったことねえやつが文句言ってるんじゃないよ。あんたはメンズ似合わないんだからさ、そういう系統の服着て『百合系女子デート』を演出してりゃいいのよ」
「もうめちゃくちゃだなおい」
この姉の理不尽さ具合は家族イチだ。こんな絶対暴君みたいな人が高校時代はモテていたというのだから世も末だ。これに言い寄るのならもっと中身を見た方が自分のためになると思う。
「それにしても、やっぱり私の見立てに狂いはなかったね。これはもう休日遊園地デートで彼氏にいつもと違うアクティブなワタシを見てってていうスポーツ女子風小悪魔美少女だわ」
「僕は男だっつの。てかなにその盛り設定」
「デートってのはこういう架空の設定を心の中でイメージして臨むもんなんよ。おわかり?」
「わかんない」
よく自分の弟を美少女呼ばわりできるよな。秋兄ちゃんも『たしかに萌えるわ』とか言ってるし。この兄妹は……。
「ま、これなら無難にデートできるでしょ」
「だから! デートじゃないって!」
「はいはい、わかったわかった」
夏姉ちゃんの生返事に僕は少しムッとする。そんな僕の様子を見て秋兄ちゃんは『まあまあ』となだめると。
「待ち合わせまでまだ時間はあるんだろ? のんびりしてろよ」
そう言った秋兄ちゃんは腰を上げるとキッチンへと向かって行った。そういえば朝食がまだだった僕はテーブルへ向かうと椅子へ座る。
「あ、そうだ文春」
すると夏姉ちゃんが僕を呼び止める。振り返ると夏姉ちゃんは少し真面目な顔をして言った。
「あんたさ、有紀ちゃんのことはどう思ってるのよ?」
「どうって……普通に友達だけど」
「ふーん……」
僕の答えに納得していないのか、夏姉ちゃんはじっと僕の目を見据える。
「夏姉ちゃん?」
僕が呼びかけると夏姉ちゃんはハッとする。そして少し呆れた様子で溜息をつくと。
「まあ、あんたが誰とくっつこうが自由だけどさ」
そう言って冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出すとコップに注いで一気に飲み干した。
「あんたも飲む?」
僕は無言で首を左右に振る。すると夏姉ちゃんは『わかった』と言ってリビングを出て行った。なんだったんだ一体? そんな僕と入れ替わるようにして、今度は秋兄ちゃんが朝食を手に現れた。
「ほらよ、文春の好きなエッグベネディクトだ」
「ありがとう」
秋兄ちゃんは僕の目の前に皿を置くと、そのまま自分の席についてテレビを見始める。僕も朝食を食べようと手を合わせたところで、ふとあることを思い出した。そういえばまだ言ってなかったな。
「秋兄ちゃん、夏姉ちゃん」
その声に反応した二人は僕を見る。僕は二人に向かって言った。
「おはよう」
『おはよー』と二人の声が重なる。そんな二人に見送られながら僕は朝食を食べ始めたのだった。
なんだかんだ言っても、僕はこの兄姉が大好きかもしれない。女子扱いされなきゃ。
今日の取材、無事に終われるといいなぁ。