episode2 期待させるようなこと言うよね
僕は昨日約束していた集合場所へ一足先に着いていたが、とくにやることもないので有紀が来るまでスマホでダウンロードしたお気に入りの漫画を読み漁っていた。
集合時間はお昼過ぎということだったが先ほど有紀から少し到着が遅れると連絡が入り、ページをめくるのを止めてこの待ち時間をどう過ごすか考えに耽っていた。
「……漫画は家でも読めるしな。久々に休日外に出てきたし、ちょっと周りでも見てみようかな」
そう思ってあたりを散策し始めた僕は駅の大通りでアクセサリーのイベントショップが開かれているのを見つけ、暇つぶしがてらに立ち寄ってみた。
アクセサリーなんてあんまり興味ないけど、暇つぶしに見る分にはちょうどいいよね。
並べられたアクセサリーはハンドメイド雑貨ということでそれぞれ個性のあるデザインのものが多く、動物や食べ物をモチーフにした定番ともいえるかわいらしいものから惑星や花をイメージして作られた色鮮やかなものまで多種多彩なラインナップだった。
ぼーっとアクセサリーを見ていると店員さんと思しき人が声をかけてきた。
「なにか気になるものはありましたか?」
「え? あー、そうですね……この花びらのやつとかいいかなって」
突然声をかけられて焦った僕はちょうど目についたヘアゴムに丸い雫のような装飾のついたものを手に取ってしまった。
まさか店員さんに声かけられると思ってなくてとっさに取ってしまった!
「あ! ふふっ。それは私の娘が作ったもので、レジン液の中にドライフラワーの小さな花びらを入れたものを雫の形に整えたんですよ」
「へー。綺麗な装飾ですよね」
「そうですよね。きっとお客様にお似合いになりますよっ」
「え、いや、それは……」
外出あるある。僕は見た目でよく行く先々で女子と間違われるため女性ものを勧められるのだ。最初のうちは否定することも多かったが、否定しても彼氏へのプレゼントの照れ隠しとかでも思われているのか信じてくれないことがほとんどなのでそのうちリアクションをとるのをやめた。
「よかったらお買い求めになりますか?」
自分の娘さんの品を手に取ってくれた客を逃がしたくないのか、ぐいぐいと迫られるのに断れない自分がいる。
うーん、どうしようかな。ヘアゴム買っても僕髪結んだりとかしないし、姉ちゃんもこういうのは趣味じゃないって言って使わないだろうし……断るにもこの店員さん圧がすごくて言いづらい。他にプレゼントできるような関係の女子の知り合いも僕には――って、有紀がいるじゃないか!
「は、はい! 買います! 友達へのプレゼントで!」
「ご購入ありがとうございますっ。今包装の準備しますね!」
僕の言葉によっぽど嬉しかったのか、店員さんはややスキップ気味でバックヤードに向かっていった。
「ふーっ。ちょうど有紀と一緒に出掛ける予定だったし、たまにはこういうプレゼントくらいしてもいいよね」
有紀には部活帰りに飲み物をおごりおごられたりとすることがよくあるし、たまにはこういう女の子らしいプレゼントをしてみるのも友達としていいと思うよね。
「お待たせしましたー! こちら商品になりますっ。お会計はあちらのレジでお願いしますっ」
「あ、はい。ありがとございます!」
「こちらこそ、ありがとうございますっ」
店員さんが綺麗にラッピング包装された袋を僕に渡してきた。僕はそれを受け取って軽く会釈すると小走りでレジに向かった。
レジへと並ぶ前に値段を確認したら思いのほか高くてびっくりしたけど、せっかく買ったんだし有紀も喜んでくれるといいな。
お会計を済ませたタイミングでちょうど有紀から駅に着いたと連絡が入ったので僕は急いで集合場所へと走っていった。
週末午後の駅中はたくさんの人で賑わっていて、僕はまるで海中の魚群をかき分ける水流のようなだらかに走り抜けていった。
「有紀! お待たせ!」
駅の入口付近でスマホを弄りながら待っている有紀に声をかけると彼女は顔を上げて僕を見た。
「あれ? 文春の方が先に来ていたと思ったけど。その袋どうしたの? 何か買ってきてた?」
最近はお互いに学生服かジャージ姿で会うことが多かったから久しぶりに私服姿の有紀を見たけど、昔は僕と一緒でスポーティな動きやすいタイプの服しか着ていないイメージだったけど、今日は普通に女の子っぽい格好で珍しくロングスカートを穿いていた。ショートパンツが多い印象だったせいか新鮮に感じる。
「時間余ってたからさ、はい。これ有紀にプレゼント」
「え? あたしに?」
有紀は僕から渡された袋を手に取ると『ここで開けてもいいの?』と返してきたので『いいよ!』と袋を開けるよう促す。
アクセサリーなんて今まで渡したことないから喜んでくれるかな?
「これってヘアゴム? うれしい……」
いつもは少年のような勝ち気に溢れた表情をする彼女が今日はとても女の子らしい柔らかな笑みを零す。静かに揺れるポニーテールには、鮮やかな花びらに彩られた雫のチャームが嬉しさに飛沫を上げるように鈴と輝いて見えた。
昔からずっと当たり前のように一緒にいるのに、なぜか僕はその表情に少し胸を締め付けられるような感覚を覚えた。
「向こうでイベントショップやっててさ。ちょうど手に取ったヘアゴムが有紀に似合うかなと思って」
「……今このヘアゴムで髪を結びなおしてみてもいい?」
「うん、いいよ」
有紀はそう言ってポニーテールをほどくと僕が買ったヘアゴムで髪を結びなおし、はにかんだ笑顔で僕の顔を見上げる。
「文春、ありがとうっ! ね? どう? 似合ってるかな?」
「似合ってるよ! かわいい」
「なっ!?」
僕が思ったように素直な感想を述べると、有紀は顔を真っ赤にして。
「あんた何言ってんの!」
「なにって、有紀が普通にかわいく見えたからかわいいって言ったんだよ」
「そういうのはもっとこう! ムードとかさ!」
女子にかわいいって言うのにいちいちムードはいならなくないか? 今日の有紀はいつもと違って普通の女の子っぽい反応ばかりするなあ。
「――たくっ。文春って無自覚に期待させるようなことするよね」
有紀が何か小さく呟いたが、周囲の雑音が大きいせいかよく聞き取れなった。
「ん? 今なんか言った?」
「なんでもないですよーっだ」
彼女が『あっかんべー』のポーズで舌を出す。
何か機嫌を損ねるようなことでも言っちゃったのかな。
ふと僕は先ほど新鮮に感じた、いつもと雰囲気の違う格好をしている有紀に足先から頭の先まで視線をくぐらせた。
「な、なに?」
「なんか今日の有紀いつもと違うなって思って。スカートもいつもは動くのにジャマって言って選ばないのに」
「……っ! 高校に入ったらこういうとこに気を付けようと思って変えてるの! わかったら服見に行くよ!」
そう言うと彼女はさっさとアパレル系のお店が立ち並ぶ駅上階に向かって歩き出した。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!」
僕は慌てて有紀の後を追いかける。そういえば普段駅周辺に来ることなんてないから、オシャレな服を着て颯爽と 歩く人たちの中を進んでいくと変に緊張する。
上階のファッションフロアに着くと、そこはちょうど込み合う時間のせいだということもあって人で溢れかえっていた。みんな休日を謳歌しているんだなあ。
「ねえ文春! これどう?」
「え? あ、うん。似合ってると思うよ」
有紀が手に取った服を僕にあてて聞いてくるけど正直よくわかんないや……。周りの人たちも真剣にいろんな服を手に取っては戻しを繰り返してるし、女子って服買うのにこんな悩むものなんだなあ。
「『まあ適当に言っておけばいいや』って感じの反応なんでしょ?」
有紀はジト目で僕を見ながらため息をついて言った。僕ってそんなにわかりやすいかな?
「そ、そんなことないよ!」
「あ! これかわいいかも」
僕が必死に否定しようとするも彼女は僕の言葉を無視して気に入ったものを見つけたのか服屋を物色し始めた。
「文春の分も買ってあげる! ほら、これとこれならどっちがいい?」
「……それレディースだよね? 僕はメンズなんだけど」
「別にレディース着てもよくない?」
曇りのない綺麗な瞳の奥で彼女にとって僕はいつも女子に見えてるのかとそんな邪念を抱いてしまう。
「てか、あんたが着てるその服もほぼレディースだと思うけど」
「そんなバカな!? でも見た目メンズっぽくない!? 下だってデニム穿いてるし! 上も薄手のパーカーだよ!?」
「いや、普通にスポーツ女子って感じにしか見えないし。メンズにしては服も線の細さが際立つようなスリムなものだし。百歩譲ってメンズ服着てても、そもそもあんたのその華奢な体系と顔立ちじゃ女子にしか見えない」
「マジでか」
たしかにこんな周り全員女性のお店に入っても一切浮いた感じのしない光景に違和感を覚えていたけど。さっき普通に店員さんに『お客様はこちらの花柄のワンピースなどお似合いになると思いますよ~』とか試着勧められていたけど!
てか、僕ってやっぱりそんな女子っぽいのか……。
「文春? なに落ち込んでるの?」
「いや別に……。なんでもありません」
僕はショックを隠しきれぬまま有紀と店内をしばらく物色したあと、彼女に付き合ってカフェでお茶することになった。結局服は決めきれなかったので一旦休憩することにしたのだ。
そんなとき不意に僕のスマホが震えたので確認してみると姉ちゃんからのメッセージだった。
『今日バイトだからご飯適当に済ませておいて』か。そういえば今日はシフト入ってたんだっけ?
両親は仕事で家にいないし、夜は兄ちゃんも仕事で外に出ているし今日は一人か。
「どうかしたの?」
僕のスマホ画面を覗き込もうとする有紀を咄嗟に手で隠す。
「な、なんでもないよ」
「そう? ならいいけどさ」
スマホを隠した僕に対して怪訝な表情でこちらを凝視する有紀を尻目に急いで『りょうかい』とメッセージを入力し返す。
有紀と二人でご飯を食べて帰る選択もあったが、おそらく僕に好意を寄せているであろう彼女と二人きりでご飯を食べに行くというのは少し抵抗があるし。何よりこういうときはいつも流星が一緒にいたから何とも思わなかったけど、今日は普段と雰囲気が違ういかにも女子って感じの有紀とだと緊張して長居なんて出来たものではない。
男子ならこういうイベントは喜ぶべきだと思うんだけど、てんで恋愛沙汰に興味のない僕からしてはそう素直な気持ちでいられないのだ。
「あんたなんか隠してる?」
「なにも隠し事なんてしてないよ!?」
僕の態度に疑念を抱いた有紀にじとっとした目で睨まれるけど、なんとか誤魔化して話題を変える。
「それよりさ! このあとどうする? まだ服は決まってなかったよね?」
「うーん。まだ周ってないお店もあるし。とりあえずここを出たら東館の方に向かう?」
「そうだね! そうしよう!」
「あんたさっきからなんか挙動不審すぎない?」
僕は訝しむ有紀を誤魔化すように残りのカフェラテを飲み干し、テーブル上の伝票を取ると立ち上がる。
「さあ! 行こう!」
「え? あ、ちょっと!?」
会計を済ませて店を出ると再びアパレル系のお店が立ち並ぶ東館に向かって歩き出した。ちょうど人だかりのピークとなる時間帯に入ったからなのか、どのお店の周りもたくさんの賑わいを見せる。
目的地の東館に着いた僕らは少し人の流れが落ち着いたところで目に入ったレディースとメンズ両方を取り扱うお店に入っていった。
男の僕には瀟洒な洋服を見て回るのが億劫で、さっきのレディースのお店と比べたら断然気が楽なので有紀が服を吟味している間、僕自身も自分に似合ったものがないかを探してみることにした。
店員さんから『彼氏さんへのプレゼントですか?』と聞かれる度に苦笑いを繰り返すのもいい加減に辟易とする。
メンズコーナーを回っていても女子扱いされて自分の服を選ぶのに集中できないので、僕はガックリと下がった肩に鉛を引きずるような重い足取りで有紀のもとへ戻っていった。
有紀がいた場所に戻るとそこに彼女の姿はなく、あたりを広く見渡すように視界を広げると。
「どこほっつき歩いてたのよ! ねえ文春。これどう?」
有紀が不服そうな表情で頬を膨らませ、試着室から出てきて僕の手前で披露するように両手を広げて見せてきた。
彼女が選んだのはシンプルな白シャツに黒のテーラードジャケット。先ほど僕がプレゼントしたアクセサリーに合わせて選んだのか、シンプルにも見えるコーディネートの中に小さく主張するように後ろ髪から雫のチャームを覗かせていた。
普段少年のような振る舞いをする姿とは対照的で瞳に映った大人びた女性の表情を見せる有紀の姿に、その瞬間時間が止まったかのように目が釘付けになってしまった。
「に、似合ってるんじゃないかな? 普段と雰囲気変わっていい感じだと、思うよ……」
「ふーん? ここでは『かわいい』って言ってくれないの?」
彼女は恨めしそうにジト目でこちらを見つめてくる。
「いや! その、普段とのギャップの差にびっくりしたというか、言葉がでてこなくてっ」
慌てて言葉を捻りだそうとする僕の態度を見て有紀は『ふふっ』と笑うと、そのまま意地悪な笑顔で。
「じょーだんよっ! この服買ってくるから外で待っててね!」
「う、うんっ。わかった」
そう言うと彼女は着替えなおして、試着していた服を手にそのままレジへと向かい小走りで駆けて行った。
すれ違いに見えた有紀の瞳は爛々としていて、僕は自然と笑みを浮かべた。
なんだか今日の僕は様子がおかしいな。いつも一緒にいる友達のことを女性として意識してしまうなんて。恋愛沙汰に興味がないなんて言っておきながら、有紀の一挙一動に心動かされるんだから矛盾してるよな。
今日の用事もあらかた済んだことだし、気持ちをリセットして帰路につくとしますか。
なんて深呼吸をしていたところに突然誰かがぶつかってきた。僕はぶつかられたことに驚くより早くも相手が態勢を崩して倒れそうになっていたところを瞬時に抱きかかえた。
「ッと、危ない!」
僕の腕の中におさまったのは綺麗な桃色の髪をした女性だった。顔はマスクにサングラスと怪しさ全開の出で立ちだったが、マスクの中から『ご、ごめんなさい』と小さな鈴の音のような声をあげていた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ほ、本当にごめんなさい。私としたことが前をよく見ていなかったわ」
ゆっくりとサングラスの女性を抱えながら起こすと彼女は申し訳なさそうに俯いていた。
「僕はぜんぜん大丈夫ですので! それよりあなたにケガがなくて良かったです!」
「ありがとう。華奢な女の子なのに意外と力持ちなのね。あ、ごめんなさい、女性にこの言葉は失礼よね」
「いえ、僕は男なので失礼でもなんでもないですッ」
僕の言葉に驚いたような表情、は見えないけどなんだか肩を震わせて手をわなわなとさせているからそういうリアクションで間違いはないと思うけど。
「……びっくりしたわ。それよりも二重に失礼を重ねてしまって申し訳ないわ」
「あー、いや、こういうのは慣れているので、気にしなくて大丈夫ですよ」
『はは』と乾いた表情で微笑み返すと、彼女は大事なことを思い出したかのように声を大きく上げた。
「いけない! 先生の握手か、用事があるんだったわ! 名残惜しいけど今はどうしても最優先させたいことがあるの!」
「え!? あ――」
僕が言葉を紡ぐその前に彼女は『本当にありがとう。眼福よ』とよく意味の分からない謝辞だけを残して、脱兎のごとく地を強く踏みしめて全走力で走り去って行った。
「なんだったんだ……」
呆気にとられる僕の前に会計を済ませた有紀が駆け寄り。
「ん? さっき誰かと話してなかった?」
「いや、なんかよくわからない人だった」
「? どういうこと?」
有紀は不思議そうにあたりを見渡すも、結局なにもわからなかったようで『なんかあったらすぐに言ってよね』と僕の腕を掴みながら駅の方面に向けて歩き出した。
僕はふと振り返ってみるがあの足の速さだ。さっきの女性の影はもうどこにもなく、僕自身も世の中には変わった人がいるものだとそう思うことにして帰路についたのだった。
――彼女との出会いが僕とその周囲の人生を変えることになるとも知らずに。