地界編幕間「運命」
ミシェルが、エイジに神の寵愛について話したのは、エイジに『運命』を歩ませる為である。
『運命』とは、神の寵愛を持つ者と、知っている者。即ち、『真・寵愛者』と『認識寵愛者』に与えられる、歩めば良い結果を迎えると言われているもののことだ。『認識寵愛者』は半強制的に歩まされるのだが。
少し話が変わるが、ミシェルがエイジに対して言ったことを少し掘り返してみる。「『運命』に抗ったら、『神の呪縛』によって消える」と言った部分である。これは、言葉のままの意味であるが、付け加えるべき部分がある。
消されるのは『認識寵愛者』のみということだ。先程、『認識寵愛者』は半強制的に歩まされると言ったのはそう言う意味だ。
ちなみに、『運命』を歩めば、途中で分岐点が現れる。その分岐点をターニングポイントと呼ぶ。
色々と開示する情報があるが、順を追って説明する。
まず、『運命』について。
『運命』は、与えられた者以外は内容を知ることが出来ないが、『運命』が与えられたことは感覚で理解することはできる。ミシェルが、エイジの『運命』は動き出している。と言ったのは、『真・寵愛者』としての感覚による発言である。
さっきから言っている、『真・寵愛者』と『認識寵愛者』の違いだが、それは神の寵愛を持つ者か、持ってはいないが知っているものかで分けられる。『寵愛者』はその二つの総称である。
次に、『神』について。
『神』は三人とも、生まれつき『神』である。正確に言えば、生まれつき『神』というレッテルを貼られた、先代の『神』の子供である。カエルの子はカエルという言葉があるように、『神』の子供も『神』なのである。
『神』にも、当然の如く寿命がある。その寿命を迎える前に、一人だけ子供を残さなければならない。
一人だけだ。
そうしてきた為、今まで何億年もの間、『神』が失われた期間は一度もない。
そして、勘違いをしないで貰いたいのが、『神』だからと言って、祝福がいくつも貰えると言ったことはない。現に、『大地の神』であるポセイドンも、二つしか祝福は持っていない。
——祝福は。
その次、『寵愛者』について——はある程度最初に明かした為、少しだけ付け足しを。
言っていなかったが、神の寵愛を持っている『真・寵愛者』には、『時空の寵愛者』などの呼び名が付く。『時空の寵愛者』は、ミシェルの呼び名である。神の寵愛を知っているだけの『認識寵愛者』には、呼び名は付けられない。
最後にまた、『運命』の話に戻す。
今回エイジが歩むことになった、否、歩まされることになった『運命』は、ムルジムを説得することである。説得の内容がどうであれ、もし戦闘になろうと、それは『運命』のターニングポイントを超えた場所。どう転がるかは、誰にも分からない。
これが、『運命』である。
「『運命』に抗うとは、何とも滑稽なことであろうか。『運命』に従えば皆、平穏な暮らしが出来るだろうに。少し話し過ぎたか?ならば、ここで話すのはここまでじゃ。続きはまた別の機会にな」
そう、『大地の神』を除く残り二人の『神』の内の一人。『地界の神』が、何者かに告げるようにそう呟いた。