公式、始動!
急ピッチでの準備に奔走してとにかく忙しかったまれびと披露目の儀から2か月後。
あとは一年後の挙式まで王太子妃教育に専念して王宮でおしとやかに過ごす…なんてこともなく、私は相変わらず忙しくしていた。
第二王子のユーリ様は私と結婚すると、王位継承権を保持したまま王宮を離れることになる。
副団長のポストは継続するので、騎士団の本部に近い場所に新居をかまえることになるそうだ。
それまでは、これまで通り庭園の隅にある小屋で暮らしている。
コンパクトで落ち着く我が家ともあと1年でお別れかと思うと寂しいけど、マクシミリアン様の許可を得て小屋はこのまま保存してもらうつもり。
正式に婚約して、新居を探すのはユーリ様と王宮の事務方・相談役におまかせするとして、私はワックスサシェ工房の物件探しにいそしんでいた。
まれびとの看板を背負ってもなかなか良い物件には巡り合えくて、私は焦っていた。
どこも広すぎたり、狭すぎたり、治安が良くない場所にあったり、治安は申し分ないけれどお屋敷街なので工房として稼働するのはNGだったり、これだ!というぴったりの場所が見つからない。
小さくとも王家公式を謳わせててもらうのだから、妥協するわけにはいかない。
とはいえ、そろそろ仮でもいいからショップ兼工房、それに近いところに従業員用の寮としてどこかを押さえないと、春に孤児院を卒業することになる年長児たちの受け皿になれない…。
じりじりと焦っていた私の悩みは、ある日あっと言う間に解決することになった。
それも買い物の途中、お茶を飲みながら。
ワックスサシェの材料や工房のお仕着せをオーダーするために、その日私はモリス商会を訪れていた。
慈善バザーでワックスサシェを売った時も系列店を紹介してもらっていい仕入れができたし、モリスさんは信用できる人だと思うので頼りにするならここしかない。
私がまれびとであることを、当然モリスさんはすでに知っていて婚約を祝ってくれた。
以前ランチをご一緒した時点で、まれびとじゃないかと思っていたらしい。情報分析能力が高すぎて怖いけど、護衛騎士が3人と侍女が一人ついてることを説明する手間がはぶけたのは良かった。
改めてまれびととして、これからの事業展開について商会のオーナーでもあり、モリス子爵家の嫡男でもあるジョルジュ・モリスその人に相談していると、一通り話を聞き終えたモリスさんはにっこり笑ってとんでもないことを言い始めた。
「それなら、モリス家で所有している空き屋敷を改装しては?先々代の当主が集めていた美術品を置くために購入した道楽の館です。古いですが、王立劇場から歩いていけるので立地には申し分ないかと。多少の荷物が残っていますが、片付けにそう時間はかからないでしょう。いかがですか?」
渡りに船、どころか豪華客船が来たよ。さらりと提示された賃料の、桁が一つ少ないのが怖い。
ざっと教えてもらった広さや間取りに対してお得どころかあまりにも美味しすぎる話。相手がモリスさんじゃなかったら即お断りしている案件だ。
「大変ありがたいのですが、その条件はあまりにもこちらに利がありすぎませんか?」
おそるおそる聞いてみると、モリスさんはちょっと悩んだ顔をしてからにっこりと笑った。
「以前も申し上げましたが、王室とのコネクションはこちらが望んでも手にすることはできません。まれびとのリリカ様が王家の名を出して工房を開くとなれば、あらゆる貴族や商人があるだけの手を差し伸べるでしょう。最初にうちに来ていただいてホッとしているところです。
確かに破格の賃料ではありますが、王家の絡んだ慈善事業に協力しているというイメージを買うと思えば安いものです。従業員の寮も、こちらで手配させていただきますよ。」
「そんな、何から何まで申し訳ないです。」
「いいんですよ、婚約祝いのひとつだと思っていただければ。」
「ありがとうございます。私、ワックスサシェをいずれは王都の定番土産にしたいと思ってるんです。
沢山売って、モリス商会からたくさん仕入れて、お返しできるように頑張りますね。」
握りこぶしをふたつ、ぎゅっと作ってそう力説すると、モリスさんはふふっと笑った。
「こういう時、淑女は”まあ、ありがとうございます”と涼やかに笑っていればいいのですよ。きっちり返そうとするところが実にあなたらしいです。ユリウス殿下もきっとリリカ様のそういうところに惹かれたのでしょうね。」
「そうだといいんですけど。」
いや、いいのか…?と疑問がわいたけど、考えるのはやめにした。
今はとにかく、ワックスサシェ工房のオープンが最優先だ。
あっと言う間に物件が決まって、モリス商会の方で正式な賃貸契約書を作ってもらうことになった。書類ができたら王宮までモリスさん直々に持ってきてくれるらしい。
わざわざ来てもらうのも申し訳なくて私が出向きますよと伝えたけど、王宮に出入りできるということは商会にとって一種のステータスになるのだと断られてしまった。
貴族がらみの暗黙のルールみたいなものにはこの先もあまり詳しくなれそうにないけれど、モリスさんが頼りになる味方だということだけは間違いないと思う。
改装するための大工や職人さんも信頼できる筋から紹介してもらえるということで、モリスさんとお屋敷の内見に行く日を決めてからお城に帰った。
やることがありすぎて、片付けても片づけても仕事が増えてでてくる感じだけど、そのすべてがユーリ様につながるんだと思うと嬉しくて、結局また仕事を増やしてしまうという狂ったスパイラルに入ってしまうのだった。
あまり目立たないようにと、私は用事をすませるとすぐに紋章のはいっていない馬車で王宮へ帰った。
馬車の中で、戻ってからやることをリストアップしていく。
慈善事業の工房設立については、王宮内でもあちこちと情報共有しなければいけないので、その窓口をディミトリウスさんの執務室に置かせてもらっているんだよね。
要は、事務仕事を手伝うために用意さえたデスクをそのまま残してもらっているのだ。
いろんな書類や伝達事項が集まるので、一度執務室に寄って書類チェックしていかなきゃなと馬車を降りると、少し先に見知った不穏なシルエットが目に入った。
仁王立ちで私の帰りを待っていたのは、デュカスさんだった。
騎士団のエースアタッカーでもあり、ユーリ様の護衛も務める魔術師様が、こんなところにいつもの仏頂面で立っているのはなぜだろう。
外回りの仕事で疲れただろうと、私にお茶を淹れてくれるために待っていた、わけではなさそうだ。
私は変な笑いを浮かべながらじりじりとデュカスさんの方向へ歩いていくしかなかった。




