名もなき恩人
ひときわ天井の高い大広間で、誰もなにも喋らなかった。
国王陛下だけが、私の動揺を返答だと受け止めたのか、満足そうな顔をしていた。
私が偶然まれびとサムが遺した板木を見つけたこと。ディヴィスという、まれびとサムの本当の名前。エスカの森で意識を失った時、ディヴィスさんの幻影に助けてもらったこと。
どれもユーリ様以外誰にも話していない。
なのに不思議と、陛下はすべてをお見通しのような気がした。もしかしたら今この国で誰よりもまれびとサムのことを思っているのは国王陛下なのかもしれない。
「…陛下も、助けていただいたことがあるのですか?」
おそるおそる。小さくそう切り出すと、陛下はゆっくりと頷いた。
「最初に逢うたのは私が7歳の時分だったか。父とともに兎狩りに出向いた森で迷ってしまったことがあってな。森の奥に誰かの気配があるとついていけば、いつのまにか護衛騎士と落ち合えた。以来、何かあると気配は感じるが、ついぞその姿を見た事はない。見えないところでずいぶんと支えられてきたものよ。それも見えなくなって幾久しいが。」
その瞬間、私と国王陛下の間にかすかに風が吹き抜けていった。
私たち以外はおそらく誰も気づいていない。あたたかくて、優しいそよ風だった。
国王陛下は小さな声で「ああ。」と中空を眺めた。それから視線を私に戻すと小さく頷いた。
「もう一度”逢える”とは思ってもみなかった。リリカ嬢、重ねて礼を言う。」
「いえ。私は何もしていません。すべて陛下のお人柄と国を想う気持ちが呼び込んだものでしょう。」
デイヴィスさんが密かに想いを寄せていたシルフィア王妃。
彼女が遺した子どもたちが、今もこの世界にいて。次の世代のまれびととして私がその一人と結ばれる。なんだかできすぎた話のようだった。
風が吹き抜けていった方向をちらりと見る。
ねぇ、デイヴィスさん。ここに来たってことは、いいよね?
私は国王陛下にだけ聞こえるように小さな声で告げた。
「まれびとの本当の名前はデイヴィスというそうです。」
国王陛下は一瞬私の顔をまじまじと見つめてから「そうか。」と頷いた。
「恩人の名を知ることができて良かった。リリカ嬢、ユリウスを頼むぞ。今更弁解する気もないが、敢えてあれを退けてきた。そなたがいてくれれば私も思い遺すことなくマクシミリアンにこの椅子を譲ることができよう。」
顔を上げた私に、王妃様も陛下と同じおだやかな表情で微笑んでいた。
そっか。お二人はユーリ様を即妃の子だから冷遇してきたんじゃなくて、守ってきたんだ。きっとそれを言葉にして本人に伝えることはないのだろう。
今この場で、私にだけ聞こえるようにそう伝えて、あとはまかせたと言われた気がして、私は深く頷いた。
私は頭を下げてユーリ様の隣に戻った。何を話していたのかは、ユーリ様の位置でも聞こえなかったみたいでずいぶん不安そうな顔をしていた。私はそれを、笑顔で否定する。
「ユーリ。まれびとリリカ・スダとの婚姻を、ヴィルジニー国王の名のもとに認めよう。第二王子としての立場に恥じぬよう、この国と彼女を守ることに最善をつくすように。」
この場で認められたのは結婚だけじゃない。ユーリ様は国王陛下の子どもとして人生の門出を送り出されたんだ。
すごく不器用な父親だけど、ユーリ様のことを邪魔にしてきたわけじゃない。
良かった。そう思ったらなんだか泣けてきた。
「…はい。命にかけても全ういたします。」
隣で頭を下げるユーリ様の目にも、涙が光っていた。
大仕事を無事に終えて、私はデュカスさんを顧みた。
「本日は、ご挨拶のためにお二人にささやかな贈り物をもってきました。お納めいただければ幸いです。」
デュカスさんは国王陛下の前で紙袋からワックスサシェを取り出すと、鑑定魔法をかけた。害意のないことを証明するセキュリティチェックのようなものらしい。それから包みを王妃様に渡してくれた。
「リリカ嬢、これは?」
「はい。私が今進めている事業で扱う商品を、特別に作らせていただきました。ワックスサシェと言って、クローゼットにつるしたり枕元に忍ばせて香りを楽しむためのものです。国王陛下夫妻の末永いお幸せを祈ってすべて私の手でお作りしています。土台には王妃様のご生家がある地方で咲く、ベルメールの花の精油を。飾り部分には同じくベルメールの花と、陛下の瞳と同じ薄い緑色の鉱石を砕いてちりばめました。」
「懐かしい香りがしますね。」
王妃様は手のひらに乗せたワックスサシェを見ながらそう呟いた。
王家に嫁いだ以上、両親の葬儀レベルでなければ戻ることのできないご実家を思い出せるようにベルメールの花を選んだのだけど、実は取り寄せるのになかなか苦労したんだよね。最終的にシア様に頼んで転移魔法で出張したのは秘密だ。
「ありがとう。こんなに気持ちのこもった贈り物をいただくのは久しぶりです。私室に飾らせていただきますわ。」
口数は少ないながらも、王妃様の柔らかい表情にほっとして、私とユーリ様は顔を見合わせた。
驚くこともあったけど挨拶は無事に終わり、私たちはい謁見の間を後にした。




