いろんな意味で、というかほんとに死んだ(3)
次に目が覚めた時、痛みはさっぱりなくなっていた。
どうしたんだっけ、と今までのことを振り返ってみて、一番最初に思ったのは会社のことだった。
「ヤバっ、会社…!」
社畜性のしみついた我が身かなしき…けれども先立つものはいるわけで。
なんだかいろんな夢を見ていたけど、おそらくここは病院のはず。
鞄に入っていた社員証で会社に連絡が入っていればいいけど、そうでなければ無断欠勤だ。
私はベッドから身を起こすとあたりをみまわした。病院にしては珍しい、木でできたベッドに麻のシーツ。
床も窓枠も木で全体的に落ち着いた雰囲気だけど、電球もナースコールもない。
なんなのここは。
もしかしてどこの病院もベッドが足りなくて受け入れ拒否されて、こんなロハスなところにたどり着いたとか?
それにしても体が軽い。
血溜まりがあったくらいだから相当重症だったはずなのに、体のどこにも傷が無いのはどうしてだろう。
…もしかしてチケットが取れなかったショックで発狂しちゃったとか?
夢にしては妙にリアルなアランがいたのは、あれは私の妄想だったの?
もしそうなら、怪我よりマズい状況なのでは。
とりあえず喉が渇いたので、私はサイドテーブルに置いてあった水差しからコップに水をつぐと、ゆっくり飲み干した。
一息ついて気がゆるんだのか、コップを戻そうとした時に手の力がぬけて床に落としてしまった。
ガシャン!
ガラスの割れる音に、2人の女性が駆けつけてきた。白いワンピースに白いエプロンと帽子。
看護師さん?にしてはなんだか雰囲気が違う。
「大丈夫ですか?コゼット、人を呼んできてくれる?」
「かしこましました。」
コゼットと呼ばれた女性はパタパタと部屋から出て行った。
顔立ちや体つきは完全に欧米のそれなのに、口にしているのは完璧な日本語だった。
あれ、待って。これ日本語じゃない気がする。
頭の中で別の言葉にすり替わっている?
私はひとまずグラスを割ってしまったことをお詫びした。
「ごめんなさい。お水を飲もうとして…。」
「お気になさらず、お怪我はありませんか?」
「はい。」
「良かったです。私はサラと申します。どうぞ楽になさってくださいね。」
「ありがとうございます。私は須田梨々香です。」
彼女は床に飛び散ったガラスにそっと手をかざすとなにかを小さく唱えた。
すると、その手のひらから優しいクリーム色の光が生まれて床へ降り注いだ。
光が完全に消えた後、そこにあったのは割れていないコップだけだった。
「え…?」
割れたはずのコップが、元に戻った?私やっぱりおかしくなっちゃったのかな。
さっきから不可解なことばかりで、不安な顔をしているとサラさんは優しく微笑んだ。
「魔法を見るのは初めてですか。」
「はい。」
「…そうですか。」
彼女は私の額に手を当てて熱をはかると、私の年齢、体調についていくつか質問をした。
最後に聞かれたのは
「リリカさん。詳しい状況を伺いたいので、あなたに面会していただきたい方々がいらっしゃいます。
体調をみて、明日か明後日にでもと思っておりますがいかがでしょうか。」
ということだった。
口ぶりからしてくるのは警察かな?
私が転落したのは事故じゃなくて事件だったとか?
「それは、ここの責任者のような方ってことですか?」
サラさんはしばらく考え込んでから
「大まかにいえばそうなりますね。」とうなづいた。
「分かりました。明日で大丈夫です。」
「それでは、明日の午後で面会の申し込みを承ります。
そう時間をとらないようにいたしますが、体調が悪ければおっしゃってくださいね。」
「ありがとうございます。」
「食事をお持ちいたしましょう。そのあと着替えと、ご希望でしたら洗髪もいたします。」
ああ、それはかなりありがたい。
とにかく食べて、体力を取り戻そう。
責任者というのがどんな人か分からないけど、自分が狂っていないことをわかってもらわなくちゃ。
チケットは取れなかったけど、命は助かった。
なら元気になって一刻も早く元の生活に戻って、アランの活躍を見届ける。
これすなわちライフワーク。
ありとあらゆるところに違和感を感じながら、魔法なんて見なかったことにして、この時の私はまだ家に帰れると信じて疑わなかった。




