飛騨の眠り姫
飛騨国の山奥に、橘左門という者とその妻が治める地がありました。左門の城は飛騨の山奥の一隅に建てられて、代々、橘家はその里を治める殿様でした。里は左門の家にちなみ、橘の里と呼ばれています。左門の妻の楓はとても美しい女性でした。左門も、楓に負けない程の美丈夫でした。しかし、夫婦の悩みは、なかなか二人の間に子ができないことでした。
ある日、左門と楓がお付きの者たちと伴に、橘の里にある大洗い池の畔を歩いていました。
「おや、蛙。」
二人が道を歩いている目の前に、草むらから突然、蛙が一匹飛び出して来ました。
「お殿様たち、ご心配なされますな。」
蛙は言いました。
「一年後には、立派な女の子が生まれます。」
そう言うと、蛙は、ぽちゃんと音を立てて、池の中を泳いでいきました。それから、ちょうど一年後の日に、左門と楓の間に可愛い女の子が生まれました。
「名はとき姫としよう。」
とき姫が生まれたお祝いに、左門は城で祝宴をあげることにしました。城には橘の草花が生い茂っており、里の者たちは橘城と呼んでいます。
「とき姫が生まれたお祝いに、皆を城に呼び、宴に招くことにしよう。」
左門の招きに応じて、橘の里中から、老若男女貴賎の別なく、人々が呼ばれました。
「よくおいで下さった。」
橘の里には、それぞれの村に7人の仙人が住んでいましたので、左門はその仙人も、城へ招きました。
「姫の祝いに我々からひとつずつ贈り物を差し上げましょう。」
仙人たちはそう言うと、姫の額にさっと触れました。一人目は『幸い』。二人目は『美しさ』。三人目は『健やかさ』。四人目は『優しさ』。五人目は『豊かさ』。六人目は『愛らしさ』を与えました。
「これはこれは橘のお殿様。」
七人目の仙人が贈り物をしようとしたとき、座敷に一人の者が入って来ました。それは、橘の里にいる八人目の仙人でした。この仙人は里のはずれの大洗い池の畔に住んでいましたが、彼の容貌が恐ろしいことから、里の人たちは寄りつかず、今日の宴にも呼ばれていませんでした。
「これは、これは、大洗いの仙人様。」
「わしは何故、宴に呼ばれませんでしたのかな?」
「実は、御膳の数が七つしかなく、仕方なく七人の仙人様たちをお呼びして、その後、大洗いの仙人様をお呼びしようと思っていたのです。」
左門はそう言いました。
「この嘘つきめ!お前のような嘘つきの娘には、わしが呪いを掛けてやろう。」
そう言うと、八人目の仙人はとき姫の額に手を触れました。
「これで、この姫は、16歳になったとき、紡錘に刺されて死ぬだろう。」
そういうと八人目の仙人は大洗い池の畔にある小屋へ帰っていきました。
「なんということだ。」
左門は慌てふためき。楓はその場に泣き伏せました。
「お殿様。ご安心なさいませ。」
まだ、贈り物を授けていなかった七人目の仙人が言いました。
「わしが呪いをどうにかしてあげましょう。」
七人目の仙人はとき姫の額に手をかざしました。
「これで姫は16歳になっても死ぬことはありません。しかし、死なない代わりに、紡錘に刺されて100年の間、眠りについてしまうでしょう。」
「姫の命が無事ならば、それでも構いません。」
左門と楓は仙人たちにお礼を言い、宴を終わりにしました。宴が終わった後、念のため左門は家老に命じて、里中の紡錘を焼き捨てさせました。
その後、とき姫はすくすくと育ち、美しい姫に成長しました。
「これから、隣の城へ婚礼の祝いに行って来るから、姫は城の中で、大人しくしているのだぞ。」
姫が16歳になったある日、左門と楓は家来を連れて、隣の城の城主に招かれて婚礼の祝宴に行きました。
「お城の中を見て回りましょう。」
心配性な左門は、とき姫が城の奥へ行かないようにと、いつも座敷の間にいさせたので、左門が留守の今日は、ぜひとも城の奥へ行ってみようと思っていました。
「ここはなんの間でしょうか?」
城の一番奥に納戸がありました。姫がその扉を開けると、中には1台の織機が置かれていました。
「わあ。」
初めて姫は織機を見ました。左門が焼き捨てさせて以来、橘の里には織機が1台も無くなっていたからです。姫がめずらしそうに織機を見ていると、織機の上に置かれてあった紡錘がひとりでに動き出して、姫のきれいな指の先をちくりと刺しました。
「あっ…。」
紡錘に刺された姫はその場に倒れると、そのまま深い眠りについてしまいました。姫が眠りに落ちたとき、城の厩にいた馬、鷹場の鷹、それに鼠や蜂などに至るまで、城中にいた生きとし生けるものすべても、姫と同じく眠りにつきました。そして、夕暮れになり、左門と楓、家来の者たちが帰って来ると、彼らも同じように深い眠りについてしまいました。
橘の城はそのまま時が止まったかのように、静かにずっと飛騨の山奥で、城中の人たちと伴に眠り続けました。いつしか、城は橘の草枝に覆われて、城の柱や畳、屋根に至るところまで、橘の草と枝に埋もれてしまいました。飛騨の山奥の橘城の眠り姫の噂は里の人々の口から、他の国々にまで広がりました。美貌の姫の話を聞いて、他国の侍や貴族たちが、こぞって橘城にやって来ましたが、皆、城を覆っている橘の草と枝に妨げられて、城の中に入ることはできませんでした。
「飛騨の山奥に橘城という城があり、その中にはとても美しい姫が100年の間、老いることもなく、眠っている。」
「まことかな?」
美濃国の侍で、土岐右近太夫という者もそんな噂を聞いた一人でした。
「そのような美しい姫ならば、一目見て見たいな。」
そう思い、右近太夫は噂を聞いた美濃の酒屋の亭主の話の通りに飛騨の山奥を歩いて行きました。ひと月ほど歩いていると、目の前に里がありました。
「ここは橘の里といいます。」
「噂の通りだ。」
右近太夫はさっそく、橘城に向かいました。右近太夫が橘城に向かうと、不思議なことに、城を覆っていた橘の草枝がひとりでに動いて道を作り出しました。
「なんと不思議な。」
右近太夫が橘の草枝に導かれるまま進んで行くと、奥に納戸があり、その部屋の畳の上に、橘の草枝に守られるようにして、一人の、それはとても美しい姫様が、静かに眠っていました。
「これはなんと美しい姫様だろうか。」
あまりの美しさに見蕩れてしまい右近太夫はそっと姫の口先へ自分の口先を合わせました。右近太夫の口の中には甘い橘の香りが漂いました。そのとき、城を覆っていた橘の草枝が一斉に枯れていき、いつのまにか橘城は100年前の姿に戻りました。
「あなたさまはどなた?」
そして、同じように、とき姫や左門、楓、家来や厩の馬、鷹場の鷹、鼠や蜂たちも目を覚ましました。
「土岐右近太夫と申します。」
その後、右近太夫はとき姫と結婚し、橘城の城主として、橘の里を治めましたとさ。




