2 旅なんて無かった
今まで存在すら知らなかった魔族が暮らす国、アズロ魔王国。どれだけ遠い地なのだろうか。
旅支度にも影響するので聞いてみた。
「国に着くまではどのくらいかかりますか?」
改めて挨拶をしてくれた魔族の男性は、レイさんと言うらしい。
レイさんは、黒い髪と紫の瞳で優しそうな顔の魔人さんだ。魔人と言っても、人と違うのは角と腰の下の方から覗く尻尾がある事だけ。ほとんど人と変わらなかった。
レイさんに旅の日数を確認すると、考える間もなく返事が返ってきた。
「十秒もあれば着きますよ。」
「まさか、この国はいつの間にか魔王国に侵略されていましたか。」
「いやいや……。」
冗談だと思って冗談を返すと、真面目な顔でこちらを向いたレイさん。
「この土地を侵略なんてしませんよ。遠すぎますし、面倒ですから。私は転移魔法を使えるんです。なので帰りは一瞬なんですよ。」
「へぇ……転移魔法。」
一度行った事のある場所ならば、一瞬で移動できるという魔法。使える人はとても希少だと聞く。私のいるクロムダイト王国では、魔力の消費が激しすぎて個人で転移できる人はいなかった。レイさんはとてつもない量の魔力を持っているのだろう。
そのあと、少し話をして、魔族と人の違いは、その見た目と魔力量だと言う事を知った。
人族だと、適性があって魔力を大量に持つ魔術師が十人くらい集まらないと発動出来ない転移を、一人で出来てしまえるくらいの差がある。とんでもないな……魔族。基本、逆らわないでおこう。
「……行きはどうやって来たんです?」
「サーテル殿が通ったという道を辿って来ましたよ。……ずいぶんと寄り道なさっていたようでした……。」
師匠の事だ。きっと珍しい薬草がありそう!とかでフラッフラしたんだろう事が容易に想像出来る。それを辿るとか……来る時だいぶ苦労したんだろうな……レイさん。目が若干死んでるもの。
しかし、転移で一瞬で帰れるのかー。長旅の準備はいらないな……。
「あ、レイさんにお願いすれば、この家に一瞬で戻ってこれるんですね?」
「そうですね。魔力の回復などに少し時間を空けないといけませんが……。その時はもう一人くらい一緒について来てもらって……その、見張りをつけさせていただくと思いますが……。」
「ああ、全然構わないですよ。金貨千枚がかかってますもんねー。」
借金を返さなければならないのだ。見張りくらいなんの問題もない。
それよりも、簡単に帰ってくることが出来るなら、庭の野菜達や、薬草の面倒も見れる。ありがたいわー。腐っちゃうなんて勿体無いものね。
私の返事が軽かったからなのか、ちょっと拍子抜けしたような顔のレイさんは、急に外の様子を見るような仕草で窓へと顔を向けた。
「……誰か来るようです。」
「ん?村の人かな?」
「では、私は少し隠れますね。」
「あ、はい。」
レイさんは、隠れますねの『ね』の辺りでもうスゥっと消えていった。魔族怖!
「おーい、ヴィリアちゃんやーい。」
「はーい、ジルさん。こんにちはー。」
森の奥に建っているこの家に来る人は少数しかいない。
その中でもよく来てくれるのがこのジルさん。しわっしわのおじいちゃんだ。よく生活に必要な物を届けに来てくれる。
「どうかしましたか?」
「いやなに、ばーさんがパイを作ったから持ってけって煩くてよー。」
「わぁー。ありがとうございます!」
ジルお爺さんは奥さんの作ったパイを持って来てくれた。いつもくれるリンゴのパイだ。良い匂いがしている……。
ちょっとはしたないけれど、早速一切れ手で掴んでかぶりつく。ジルお爺さんはいつも、奥さんの手作り料理を早く食べて欲しいという目で見るのだ。チラチラ見てくる。食べないでいると、だんだんチラチラの速度があがるのだ。だからはしたなくても仕方ないの、うん。
「ムグムグ。美味しいー!あ、そうだ。ジルお爺さん。私、師匠をなぐ……じゃなくて、探しに行くことにしました。しばらく帰らないので、みんなに伝えてください。」
「えぇ!?ヴィリアちゃんまで出ていくんかい?サーテルの事なんぞほっときゃ良いんじゃないのか?」
「いやぁ、一応私の師匠ですからねー。しゃーなしですよー。」
「そうかー……。気をつけてな。」
「はい。ありがとうございます。後でみんながいつも飲んでいる薬のレシピを村の薬師に渡しに行きますから、薬のことは安心してくださいね。」
「あいつかぁ……。あいつの薬、なーんか信用ならないんだよなぁ。……まぁわかったよ。」
お爺さんにパイのお礼を言って、ドアを閉めると後ろから声が聞こえてきた。
「ヴィリアさんの事、あまり心配なさらないんですね……。」
「そうですね、魔物避けの香とか臭い玉とか……私が作って売っていますから。この森に住めているのも魔物避けが効いているからですからね。だから心配しないんですよ。」
村周辺や、村からこの家までの道っぽくない道にも魔物避けを置いている。だからお爺さんも安心して来れるのだ。その実績があるから、心配しないのだろう。
「そうですか……。しかし、女性ですよ?」
「まぁ……私、人避けも得意なんですよ。」
納得行かない様子のレイさん。その心配はありがたいが、私は問題ない。
……小さい頃から私に近寄りたいと思う者など皆無だったのだから。
「さて、向こうで暮らすための準備と、村の人の薬のレシピを用意しますので少し待ってて下さいね。」
「……わかりました。ゆっくりで大丈夫ですよ。」
「ありがとうございます。」
私はしばらく、荷物の準備と薬のレシピ作りに没頭した。
この家のご近所の村は、今は老人だらけだ。そのため、薬の種類も多い。
一人一人の事を思い浮かべながら、私はレシピを丁寧に書いていった。
村にいる薬師は三年前、領主から派遣されて来ていて、あまり村のみんなとは打ち解けてはいない。薬師本人に仲良くする気がなさそうなので仕方ないとは思うけれど……。
少し心配もあるけれど、師匠の借金のせいで行かなければならない。うん、師匠を殴る回数を増やしておこう。
レシピを書き終えて、荷物を用意して……と言っても服と本、希少な薬草数種類だけだけれど、準備が出来た。レイさんが来たのはお昼くらいだったが、もう日が暮れかけていて、レシピに時間がかかってしまったのだとここで気付いた。
「遅くなってすみません。準備出来ました。一回村に寄って、それからの出発で良いですか?」
「構いませんよ。私も隠れて付いていかせてもらいますね。」
「はい。」
村には薬師がいるのに、私が薬師として働いている事に疑問を持ったようで、レイさんに質問された。私は、村に派遣された薬師と村のみんながあまり仲良くないという事を教えながら、村へと向かった。
村に着いて、薬師のいる家に向かう。ドアをノックすると、嫌そうな顔を隠そうともしない男がドアの隙間から見下ろしてきた。
「こんばんは。薬師さん。」
「森の魔女か……何用だ?」
「私、しばらくここを離れる事になったので、村の人の薬のレシピを渡しに来ました。これです。」
「……ふん。」
「村の人の事をお願いしますね。」
返事はなく、ドアは大きな音を立てて閉められた。顔を覗かせる程度しか開けていなかったのに、あそこまで大きな音を出せるとは……よっぽど力を入れて閉めないと出ないだろう。変なところで頑張ってんなー。
「さて、行きますかねー。」
レイさんは隠れているそうなので、独り言を呟いて村の外へと向かう。
村の出入り口にはお爺さんお婆さんがひしめき合っていた。
「ヴィリアちゃんー!」
「皆さんどうしたんですか?もう夕飯の時間ですよ?」
「だってヴィリアちゃんが村出て行くって聞いたから……。」
「これ持って行きなさい!」
「これもだー!」
「おい!ジル!パイは油っこくて旅には向かねぇよ!」
「あんだと!?ばーさんの料理に文句付けるんか!?あぁ!?」
「あーあー……。」
村のみんながジルお爺さんの話を聞いて来てくれた様だった。
みんな優しいなぁ……。
「皆さんありがとうございます!私が探しに行くのも村を出るのも師匠のせいなんで、師匠連れて帰ってきたら、皆さん一発ずつ殴って良いですからね!」
「おぅ!思いっきり殴ってやらぁ!」
「私のフライパンが唸りをあげるさね!」
「気をつけるんだよー。」
「はい!それじゃぁ、行ってきます!」
フライパンは良い案だ。私もフライパン……いや、薬草擦る乳鉢で殴ってやろう。うん。
村の人と別れて、家の方へと向かう。村のみんなは、旅に行くのは明日の朝だと思ってくれるだろう。家に戻り、荷物を持って玄関を出ると、すぐ近くにレイさんが立っていた。
「おまたせしました。」
「いえ。村の方達は皆良い人ですね。」
「はい。私の事、村のみんなが育ててくれたんです。」
「そうですか……。」
薬師を除く様な言い方に少し笑ってしまう。きっとやりとりを見ていたのだろう。
「では、行きましょう。私に掴まっていてくださいね。」
「はい。」
私がレイさんの袖をしっかり両手で掴むと、レイさんは一度頷いて、魔力を放出し始めた。
その魔力は、足元から頭上に向かって風が走り抜ける様な勢いで立ち昇って行く。私は思わず目を瞑ってしまった。
髪が上に巻き上げられた感触がした。風が起きたのか、魔力で持ち上がったのかわからない。もし魔力そのものの力で髪が持ち上がったのだとしたら……やっぱりとんでもない魔力量という事だろうな……。
髪が落ち着くと共に、すぐ近くで声が聞こえてきた。
「到着しましたよ。」
その声に私はそっとまぶたを持ち上げた。